ストロボ



上質のソファに沈みながら、秀は黙ったままの征士を横目で見た。
自分とは反対側の肘掛に肘を突いて座っている男は、無表情だがどこか疲れを滲ませてテレビを眺めている。

それなりの人数のエージェントを抱えている柳生警備の中で秀が征士と知り合ってから5年ほどだが、相変わらず何を考えているのかよく判らない無表情だ。
そもそも柳生警備では、彼らは互いの素性さえあまり知らない。
それなりの地位にある人間の警備を任される彼らは、自身が障害になってはならないという理由から、名前以外の個人情報はあまり公表されていない。
秀は征士の事を、征士、としか知らないように、征士もまた秀の事は、秀、としか知らない。姓、或いは名の全てさえも、そして生まれも知らない同士だ。
共に仕事をしていく上で趣味嗜好を知ることはあるにしても、それ以上の情報は何も知らない。
勿論、所長であるナスティは全てを把握しているが、それが漏れることがなかった。

その征士の事で、少しだけ今日、判った事がある。


「……………………」


どうやったらこんな風に生まれ育てるのかと神に不公平を訴えたくなるほどの、美しい顔と恵まれた体躯。
そんな彼を見て、秀は今日一日を振り返って溜息を、それはそれは盛大に吐いた。





伸に連れられ建物内に入ると、大勢の気配が感じられるようになってくる。
緩やかに音楽が鳴っているその現場は、和やかな雰囲気に包まれていた。
その中心に居たのが、ガウンを着ている当麻だった。

テレビや雑誌で見るのも充分に存在感はあったが、実物となると更に圧倒的なまでの存在感でそこに立っていた。


「ひゃあ、……マジにいるんだな…」


思わず秀は、そう言っていた。
神秘的な青い髪に、空のような青い目。
整った顔は小さく、手足は長い。
元から垂れていた眦は、笑うと更に垂れて愛嬌が増す。
そんな人間は、若しかしたらCGかもしれないなんてちょっと思っていた。最近のCG技術は上がっていることだし。

だが当麻はそこに実際にいて、周囲のスタッフと楽しげに話している。
まるで無垢な子供のようなのに、ガウンから覗くほっそりとした首や脚は妙に色気を持っていて、思わずゴクリと喉が鳴りそうになった。


「なぁ、征士、」


当麻って凄い綺麗だな。
月並みの言葉だが言わずにはおれず、秀がそう言おうとして隣に立つ美丈夫の方を向くと、「うわぁ」である。


「…………」


表情に乏しい征士の感情を読み取るには眉間に刻まれた皺を頼りにするしかないのだが、その皺が今、物凄く深い溝を作っている。
怒っているようにも見えるが、こういう業界が嫌いな彼の事だから嫌悪感を堪えているのかもしれない。
そう思うと、秀としては何でコイツを選んだのかな所長は、とどっと疲れてしまう。
腕は立つし、悪いヤツではない。仕事も出来るのだが、どうも頑固で妙な拘りを持っている征士と組むのは、それなりに覚悟がいる事だ。



「それじゃ、準備できましたよ」


カメラマンの助手らしき黒髪の青年が談笑している一団に声をかけると、さっきまで和やかだったその場の空気が僅かに変わった。

緊張感というほど張り詰めたものではないが、何か神聖な儀式を前に息を詰めている感覚に似たその空気。
これがプロの集中か、なんて秀は感心していた。
どんな職種であれ、その瞬間にどれほど集中できるかがプロとそうでないものの差だと秀はいつも思っている。
この現場にはプロが集まっているのだと感じた。
そしてそれは弱冠17歳の当麻が最も強く感じられた。


「………!?」


声がかかるなり当麻が着ていたガウンを何の躊躇いもなく脱ぐと、決して貧相ではないが肉の薄い、裸の背中が現れて秀は思わず顔を逸らしてしまった。
同性だと解ってはいても、見てはいけないような気がしたのだ。
しかし顔を逸らした方向には征士がいて、今度はそれを見てしまう。


「…………!!!!」


今度は別の意味で顔を逸らした。

ヤバイヤバイヤバイ、何か知らないけど征士、超怒ってる…!!!


普段、気に障ることがあっても眉間に皺をこさえるだけで堪えている征士の目に、明らかに怒りが浮かんでいるではないか。
全く意味がわからない。秀は狼狽えながら無言で救いを求め、ナスティと伸の姿を探すが彼らは既に前のほうへ行き、撮影を見学している。
どうやら自分は逃げ損ねたのだと気付いた秀は今更動くことも出来ず、同じ”見てはならない気がするもの”なら当麻のほうが断然イイとしてそちらに顔を戻した。


首に白いヘビを巻きつけ、まずバックショット。
そのまま流れるように動いて振り向いた顔はさっきまでの子供のような表情ではなくて、睨みつけるような、野性味のある目をしていた。
時には挑発的に笑って、時には完全に表情を消して。
その度にまるで人が入れ替わったかのように違った印象を与えるのを秀は驚いて見守る。

つーかあんなデッケェ蛇、怖くねぇのかな。
モデルって肝っ玉座ってねぇとなれねぇんだな。

そう思って眺め続けていると、当麻は今度は蛇の頭を持ち上げ唇を寄せた。


「………………ぅわぁ。…」


クるものがある。
違うだろうに何だか卑猥な光景に見えて、初心な子供ではないのに秀は赤面し、俯いて固まった。


「一体何の撮影なんだ」


ここに来て初めて聞こえた征士の声はどこまでも低く、明らかに不快感が滲んでいる。
その顔を確かめることさえ怖い秀の視界に入ったのは腕組みしている征士の腕で、そこに指がギリギリと食い込んでいるのが見えて俯くのも精神衛生上良くないと
頑張って顔を上げた。


その時だ。
一旦ストップ、という声と同時に気を緩めた当麻と目があった。
誰?と問いたげな表情を目に浮かべた当麻だったが、その視線を僅かに秀から逸らした途端に目を見開き、そして


「っわぁあ!!」


と悲鳴を上げたのだ。









「………いとこだったんだな」

「従兄弟ではない、従姉妹の子供だ」


その場で発覚したのは、何と当麻と征士が血縁関係だったという事だ。
それも。


「行方知れずで音信不通になってたんだな…」

「昔に引っ越す事になって、そのままな」


征士がまだ14歳の頃、少し年上の従姉妹の子として当麻は生まれた。
その当麻が4歳の頃に従姉妹家族が突然、新しい住所は向こうについてから連絡するからとだけ言い残して引っ越してしまった。
しかし待てど暮らせどその連絡はない。
そうして無いままに月日は過ぎ、どこかで幸せに暮らしているといいと思っていた矢先に、モデルの当麻が現れた。


「人間違いって事は………ねぇわな」

「あんな髪色の人間、そうそういて堪るか。それにアレの顔は昔の従姉妹にそっくりだ」

「……だよなぁ……………つーかさ」


言ってから秀は周囲を見渡した。
ソファから見える給湯器のリモコンは燃焼ランプがついたままだ。
帰るなりシャワーを浴びてくるといった当麻はまだ浴室から出ていないのを確認して、秀はもう一度征士に向き直った。


「何で当麻、お前から逃げようとしたんだよ」


現場で征士を確認するなり当麻は悲鳴を上げて裸に近い格好のまま、ガウンを持ってきてくれていたカメラマンの助手の青年に抱きついて、
彼の陰に隠れようとしたのだ。
それを見た征士の眉間の皺が更に深くなり、何をしている、と低い声を出したものだから現場は軽く混乱状態に陥った。


「…………家の事情だ」

「どういう」

「…話す義理は無い」

「音信不通だったってまで話しておいてそりゃねーだろ。気になるし、今後の仕事にも差し支えちゃ困るんだよ。軽くでいいから説明してくれ」


社長である伸が警護を彼らに頼んだと何度説明しても当麻は警戒心むき出しで征士を睨み続け、最終的に征士本人から、
「お前を捕まえに来たわけじゃない」という言葉を聞いて漸くある程度の距離に近寄ってくれたほどだ。
何もないと言われても嘘だと丸判りだし、家の事だといわれても万が一の時に当麻が征士を避けて危険な目に遭っては会社としてもイメージダウンだ。
咄嗟の判断を誤らないためにも、秀としては情報は欲しい。


「……当麻の母親は、勘当された身だ」

「…は?」

「ある男との結婚を反対されている最中、妊娠が発覚して勘当された」

「え、出てけー!って、アレ?」

「だけならまだマシだが、籍を完全に抜かれている」

「マジかよ…それ、結婚…つーか、相手の男だけが原因で?」

「ああ」

「…それ、が、……当麻の父親?」

「そうだ」

「へぇ…」

「親戚連中からも完全に追い出された状態で、連絡をとっているのは私だけだった」

「だから当麻もお前を知ってたのか」


本格的な勘当は今の日本社会において非常に珍しい話だ。
そこから考えると征士は、そして当麻も結構な家柄の出身なのだろうと秀はあたりをつけた。


「ただし私と当麻が互いを最後に見たのはアレが4歳の頃だ」

「引越し先から連絡するって言い残して?」

「……ああ」


眉間に皺を刻んで俯いた征士の表情に、どこか疲れが滲んでいる。
タフな男のそんな姿を見るのは、秀でも初めてだった。


「あの時、私が少しでも彼女の異変に気付いておけばこんな事にはならなかったはずだ…」


征士の言う”こんな事”というのは、当麻がモデルをしている事を指しているのはすぐに想像がついた。
どうも彼の中でモデルというのは、時には人前で肌を晒す破廉恥でハシタナイ職業に映っているらしい。
車の中で考え方が古過ぎると当麻がコッソリ愚痴を零していたのを思い出して、秀は笑っていいのか、それともずっと心配し続けてきた征士に
同情していいのかいよいよ判らなくなってくる。


「でも何で当麻の家族はアメリカへ行ったんだ?そもそもそれじゃ”留学”じゃなくて、完全に渡米じゃねぇか」

「私が知るか。経歴を偽る理由も……当麻の母は、本当に何も言ってくれなかったんだ…しかも離婚していただなんて…」


益々征士が項垂れていく。


結婚を反対されている最中に妊娠が発覚して勘当され、駆け落ち同然に行方をくらました従姉妹を、征士は探し出して家族には内緒で連絡を取り続けていた。
いつかは彼女の幸せを、頭の硬い親類たちも認めてくれるだろうと思い続けてきた途中で、その彼女のほうからまた逃げられたのだ。
ショックだったろうなと秀は思って同情する。

確かに当麻も言っていた。
母さんの居場所は言わないからな、と。

伸も言っていたではないか。
詳しい事情は知らないが、当麻の母はアメリカにいる理由がある、と。

面倒臭い仕事を引き受けたなぁ、と秀は心の中でだけ零してソファにまた身を沈めた。


最初から住み込みで24時間警護にあたると言われていた仕事だ。
そんなものはしょっちゅうだし、慣れっこだった。
代議士の護衛をしたときなど彼らのハードなスケジュール(黒に近いグレーな接待含む)に疲れ果てても、夜中にも何があるか判らないと言って、
タヌキ親父が寝ている間も交代で休憩を取りつつ警護していた事だってある。

それに比べれば24時間を普通に生活するついでで警護をして、気をつけるのは当麻の外出の際だけ。
たまには遊び相手になってやるくらいでいいという今回の仕事が回ってきたのは超が付くほどのラッキーだと気楽に構えていた。
周囲に余計な警戒を持たさないためにも普段着で仕事してくれていいと言われれば、密かにスーツが苦手な秀からすればそれは尚の事だし、
他は普通に暮らせるのに食事なども全て経費で落ちるとなると、更にの更にだ。
上手くいったらサインとか、妹達に貰って帰ろうかな、なんて思ってたりもした。
なのに。




給湯器のランプが消えたのを職業病的に無意識に確認した秀は、意識してソファの端に寄った。
少しすると足音が近付いてくる。
歩く姿勢も綺麗だった当麻は日常で足音を不様に鳴らす事はないのだが、そこは秀の仕事での癖で音を拾ってしまう。
その音が秀と征士のいるダイニング続きの広いリビングのドアの前で止まり、ドアノブが回る音を耳にして秀は周囲にばれない程度に腹に力を込める。
ちらっと横を盗み見ると征士には…バレたようだった。
だがその征士も少し緊張しているのが判る。
仕事として、ではなくて。


「…あれ?伸は?」


社長を名前で、しかも呼び捨てにした当麻はタオルで髪を拭いながら部屋を見渡す。
慣れた姿がそこにないのを、明らかに秀のほうを向いて尋ねた。


「何か家でやろうと思ってた仕事に必要なモン忘れたって事務所に行ってるぜ」


秀も殊更明るく答える。
密かに胃が痛い。


「ふぅん、そ。大変だなー何忘れたんだろ」


そう言いながらミネラルウォーターのペットボトルを手にした当麻が2人のいるソファに近付いてきた。

ソファは磨かれたガラステーブルを中心に秀と征士が座っているゆったりとした3人掛けのものが1つと、その両側に1人掛けのものがそれぞれあった。
3人掛けのものの正面には大きなテレビがあり、今日のニュースが流れている。
それを何とはなしに見るのが好きな当麻はそのまま迷いのない足取りで秀と征士のいるソファに進んできた。
僅かに秀と征士の間に緊張が走る。

ギシリ。と皮独特の音を立ててソファが傾いだ。


「………あのさ、当麻」

「なに」

「いや、あの………そっち狭いじゃん?」

「俺は気にしないけど、気になるなら秀がずれればいいんじゃないの?」


当麻が腰を下ろしたのは、肘掛と秀の間の、先ほど詰めたから僅かにしか隙間の無いスペースだった。
そこに細い身体をぎゅうっと押し込めてきて密着するように座っている。
遠回しにそこに座るスペースがない事を告げたのだが、どうやら無駄だったようだ。

ある程度近付くようにはなったものの、当麻が征士を徹底的に避けているのは誰の目にも明らかだった。


「いや、だからさ、俺が先にここにいたんだし、お前、こっち座ったら?」


そう言って自分の右側を指差したが当麻は全く聞く耳を持たず、ペットボトルに口をつけてごくごくと水を飲んでいた。
暫くその状態で我慢比べをしてみた秀だが、パジャマから覗く上気した肌や清潔な石鹸の香りに気恥ずかしくなり、そして隣にいる征士の
視線に耐えかねて結局は自分が右側にずれることで、一先ず今日のところはこの問題を捨てる事にした。




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胃薬も経費で落ちるかな、とか。