ストロボ
「それじゃあ当麻、僕たちは行ってくるからね」
「うん」
「もうすぐ帰るって征士から連絡があったから、ちゃんとしてあげてね。鎖骨が折れてたって言うから」
「解ってるって」
「あと戸締り。しっかりしとくんだよ?」
「はいはい」
「それからピンポン鳴ったら絶対にモニターで確認してから開けてね。征士以外の人だったら、絶対に開けちゃ駄目だからね」
「配達の人は?」
「居留守使いなさい」
「………マジかよ」
「7匹の仔山羊はお母さんの声真似に騙されて狼に食べられたんだよ。兎に角、姿を確認するまで玄関は開けちゃ駄目」
「俺は動物か」
「当麻」
「……わかった。解ったから早く行けってば」
「行けってなんだい、行けって。僕ぁねぇ、キミの事を心配して、」
「おーい、社長さんよぉ、当麻が心配なのは解るけど、征士、タクシーで帰るって言ってたんだろ?あと20分くらいでこっち着くだろうし大丈夫だって。
なぁ?当麻」
「うん」
「ほら、行こうぜ。キャンセルした仕事の詫びに行くんだろ?こっちも時間、惜しいっちゃ惜しいし」
「………そう、…だね。じゃあね、当麻。ちょっと行って帰ってくるから」
「はーい」
「お腹減ったら適当に何か摘まんでてもいいけど、晩ご飯が入らないくらい食べちゃ駄目だからね。それから、」
「おーい、しーん」
「伸、秀呼んでる」
「……うん、じゃあ行ってくるから。とじ、」
「戸締りね。はいはい。伸が出たらすぐ鍵してロックもするから。行ってらっしゃい」
面倒臭そうな顔をした当麻に見送られながら玄関を後にした伸は、面白いほど不安が滲み出た顔で秀が表に回していた車に乗り込む。
助手席に入ると秀が苦笑いで迎えてくれた。
「心配し過ぎだって」
「でも当麻はあんな事があったばかりなんだよ?少しは休んだ方がいいのに撮影もするし、今も随分と気楽に構えてるけど…」
「大丈夫だって。ほんと、征士のヤツ、すぐ帰るって言ってたし」
「だけどねぇ…」
あれこれと心配が尽きない伸は、一度溜息を吐いてからシートベルトを締めた。
「…そもそも僕がキミを雇ったのは当麻の護衛であって、僕のじゃないんだけど」
じとりと運転席を見る。
だがその視線を受けた秀はどこ吹く風で、暢気にナビに行き先を入力していた。
「そう言うなって」
「言うよ。今、征士もいない状態なんだよ?その状態で当麻を置いとくなんて、不安で当たり前だ」
「いや、でも正直今のタイミングしかないんだ。征士もすぐに帰ってくるからちょっとその心配、我慢してくれよ社長さん」
「………タイミング?何のこと?」
秀の言葉に引っ掛かりを覚えた伸が尋ねると、ナビが行き先の事務所住所を読み上げた。
…に行き先を設定しました。実際の交通ルールに従って運転してください、と。
「ここの後で警察寄りたいんだよ」
「え…?けい、さつ?何で?」
確かに昼間に起こった件については既に警察で事情聴取やら何やらが始まっているだろう。
その後何かあれば連絡しますとも言われていたが、その連絡はまだだ。
こちらから出向いて尋ねても、今は意味が無いはずだ。
「これ」
尋ねる伸に、秀は身を捻って後部座席から取り出したカバンを渡す。
中を見るように言われた伸が訝しみながらカバンを開くと、そこから出て来たのはノートパソコンだった。
電源を入れる。
普通の起動画面だ。
アイコンが全て出揃い、触って大丈夫な状態になった画面をまじまじと見た伸はあるものに気が付いた。
「…?何、これ。インターネットのファイル??」
「画面を保存したやつ。それ見ろ」
秀のいう事に従ってそのアイコンをダブルクリックする。
開いたファイルは確かにインターネット中の画面を保存したものだった。
そこに出されていた文字列を読んでいる伸の眉間には征士のように皺が寄っていたが、あるところで目を留め、険しい表情になった。
「……秀、これ…」
「おう、毛利家の住所だ」
「…何で、こんなの……」
「頭のイカれて度の過ぎたファンってのはどこにでもいるもんだ。どうやってかは知らねぇけど調べたんだろうな」
郵便番号から番地まで、住所がきっちり書かれている。
ならばそのすぐ次のリンク先は、インターネット上の地図だろうか。
「何なの、これ」
「会員制の当麻のファンクラブの専用チャットルーム。勿論、非公式だ」
「当然だよ、僕はそんな物を公式で扱ったことはないし、こんな内容も知らない…!」
「だから問題なんだって」
アクセルを踏み込んだ秀の顔は真剣そのものだった。
その横顔の目の下には薄っすらと隈が見える。
「コンドームばっか送ってくるって変だって前に言ってたろ?」
「…うん」
「だったらどっかで足並み揃えてんだろうなって思ってさ。それでネットの掲示板に出入りしてたんだよ」
当麻の事を書いたものは多く、そこに何かあると踏んだ秀はその全てに毎日書き込みをした。
すると段々と文面から同じく毎日書き込みをしている人間が見えてくる。
その常連に近付き親しくなっていくと、遂に先日、その”会員制”のチャットルームへの招待を受けた。
今度はそこに張り付いて周囲と同じように熱心に当麻の事を書き込んでいると、周囲からも仲間と認められて誘いを受ける。
コンドームを送るための誘いだ。
だから、送り先が解らない、と秀は答えた。
すると彼らは事務所の住所を教えてくれた。
何人か名乗り出た連中のIPを抜き出していると、今度はもっと酷い書き込みをした者が出た。
非公開にしている事務所社長の住所だ。
しかも公表されていないのに当麻がそこにいる事も、その書き込んだ人物は知っていた。
「ここに直接送るって……こいつ、書いてるじゃないか…!」
「そうだな」
確かにこの文面は頂けない。
だがしかし。
「だったら尚更、当麻を今1人にしちゃマズイじゃない!」
「でも伸、鍵開けんなって言ってたろ?」
「言ったけど…!」
「大丈夫。家に入る前に、郵便受けから庭から全部調べろって征士に言っといたから」
「だからって……」
「それよりも警察が先だ。伸。当麻に知られたくないって言ってたろ?今しかアイツにバレずに出かけるタイミングがねぇ」
「………行ったってこれだけじゃ相手にされないんじゃないのかい…?」
「それが今回は相手にしてくれるんだよ」
「…何で?あんな事があった後だから?」
伸が不安げに尋ねると、秀が自信たっぷりの笑みを口の端に乗せた。
車線変更をしながら目的地を目指す。
「…そのチャットルームは入室した時だけだけど、名前の横にIPアドレスが表示されんだ。だから住所を書いた奴の書き込みを遡って調べて、
IPアドレスを”そういうの”に詳しい知り合いに調べてもらった。……前にコンビニで当麻を襲った男だった」
「……っ!?え、で、でも彼は…」
「確かにもう当麻に近付かないって約束させられてたな。…守れると思うか?」
守れるかどうかは本人次第だ。
どんな人間にも良心はある筈だからと、伸はそれを信じたい。
だがそうはいかなかったようだ。
「守れなかったどころか、他人の個人情報をネット上で公表してやがる。しかもまた同じ事をやろうとしてな」
性質が悪ぃ、と秀は吐き捨てるように言った。
「……でも…それで何か変わるの?」
「大きくは変わらねぇけど、逮捕者が出れば現実を見る奴も出てくる。そこに出入りしてるヤツ全部が行動するとは限らねぇ。冗談だと思ってるヤツもいる。
妄想だけで終わるヤツもいる。でも数がいりゃ調子に乗る馬鹿もいる。大抵そういうヤツらは現実で逮捕者が出りゃ目ぇ覚ますもんだ」
「……………ここに出入りしてるのがバレたらまずいって?」
「思うヤツも出るだろうな。どう対処するかは警察に任せる事になるが、ちったぁ効く筈だ」
どこか苛立つような秀の声を聞きながら、伸はもう一度パソコンに目をやった。
「……ところで秀」
「何だよ」
「これ、…このチャットが開催されてるのって大抵夜中なんだね」
「全員のプライベートは知らねぇけど、中には学生だったり仕事してたりのも出入りしてるみたいだからな。一見、普通のヤツでもそういうモンだ」
「そうかもね。……でもキミもいつも夜中にログインしてる」
「しょうがねぇよ。誰もいねぇのに入ったってログだけで流れた分は見れねぇんだから」
ログだけでもいいけど、対処は早い方がいいだろ?と言う彼を、伸はもう一度見た。
目の下に、やっぱり隈がある。
「……秀、これ、…何日前から?」
「…へ?」
「キミ、これは完全に勤務規定外の事だ」
「規定外っちゃ規定外だけど……俺の仕事は”当麻を護る事”だからなぁ」
「でも時間外だよ。当麻が休んでる時はキミも休んでいいって言ったじゃない」
「………そうは言うけど…」
信号待ちで車が止まる。
秀は照れたように頬を掻いた。
「何つーか……毎日ああやって一緒にいると、何か、…当麻が弟みたいに思えてきてよぉ……アイツ、生意気だけど悪いやつじゃねぇし」
「それで、…それで当麻のために自分の睡眠時間を削ってたの?」
「……………まぁ…。あ、でも征士にも当麻にも言うなよ!?アイツら、そういうの気にするだろうから!」
「秀、前見て。信号、青になったから」
「お、おう…」
画面に表示されているチャットルームは、夜中の2時や3時になっても賑わっている。
彼はいつもこれに付き合っていたのだろう。
恐らく彼のものと思われる書き込みは、他の常連達に混じって同じように毎日続いていた。
「………ありがとう」
「…ま、警察に行って対応してもらってから言ってくれって」
だはは、とまた照れる。
その横顔を見ながら伸も微笑んだ。
「ところでさぁ」
「あん?」
「秀、運転代わるよ。そこの路肩に止めて」
「いや、いいって。社長が運転してボディガードが助手席って何か変だろ」
「そういう意味じゃないよ…!寝不足の人間の運転なんて怖くてオチオチ助手席に座ってられないって言ってるの!僕を殺す気か!!!」
「っだー!!危ねぇ!危ねぇから、ハンドル!手ぇ放せ!!!事故る!事故っちゃう!!!」
*****
秀が徹夜したり朝起きてこなかった本当の理由。