ストロボ



まず視界に入ったのは、老いた背中。
そして下げられたズボン。
その身体の影から左右に伸びた形のいい脚は、壁に繋がれている。

それを見た瞬間、征士の全身の血が一気に沸騰した。




「やめろっ!!!」


咄嗟に伸ばしたのはいつもの癖で右腕だ。また痛みが走ったがそのままぶにゃっとした感触の首根っこを掴み、自分の傍に寄せるように後ろに引き倒す。
不様な悲鳴を上げた老体はそのまま壁に背中を強かに打ちつけ、引力に引き摺られて下がっていく。
醜い性器は力なくしおれている。
衣服に白いモノが飛び散った跡が見られて、征士は即座に部屋の中に目をやる。

髪もメイクもぐしゃぐしゃになった当麻が、いた。
着物には僅かに白濁したものが飛んでいる。

征士の眉間にまた、皺が寄せられた。

自分が引き倒した高橋をもう一度振り返る。
突然の事に何が起こったのか解らない彼は射精後の気だるさも手伝って、上手く身体を起こせないようだった。


「………、…っ!!!」


征士は力任せに鳩尾を蹴り上げて、その意識を奪った。








「…すまない、…遅くなった」


手錠は外すことが出来ないが、当麻の足首に付けられた革ベルトなら緩めることが出来る。
征士はすぐさま倒れたままの当麻に駆け寄り、その戒めを解いてやった。

触れた足が冷たい。
足首には擦れたために赤い跡が残っている。
それを優しく撫で擦りながら、征士は謝罪の言葉を口にした。


震えの止まらない身体を気遣いながら、部屋を見渡す。
気持ちの悪い部屋だ。
辺り一面に色んな表情の当麻がいる。
その大半が、波打っているのも気持ちが悪い。
しかも床にある写真は、自分の部分に酷い仕打ちをされているのも見えた。
その写真の当麻は尻の部分が波打っていて、それが余計に征士の腸を煮えくり返らせる。

さっき一発蹴ったが、それでも気が治まらない。
原型を失くすまで顔を殴ってやりたい気持ちになったが、それでは制裁としては正解ではない。
同じく床に落ちているカメラにはきっと、此処で彼が当麻に何をしていたのかが証拠として残っている筈だ。
それと共に彼を警察に突き出すのが一番の解決方法になるだろうと判断して、征士は堪えた。

今すべきことは、当麻を落ち着かせてやる事だ。




「当麻、」

「………………じゃない…」


大丈夫かと声をかけようとした矢先、俯いたままの当麻が蚊の鳴くような声で何かを言った。
それを拾おうと征士は顔を寄せた。


「……とうま?」

「…………………………俺、……母さんじゃない…」


いきなり何を言っているのだろうか。
あまりの恐怖にまだ錯乱しているのだろうか。
征士は訝しんでその顔を覗き込んだ。
大きな青い目からぽろぽろと涙が零れている。


「当たり前だろう、お前は当麻だ。…どうしたんだ…?」


なるべく優しく声をかけると、当麻は強く頭を振った。


「…めん、……」

「…どうした?」

「俺、…母さんじゃなくて、………ごめん…」


まただ。前と同じ事を当麻は言っている。
自分が母親じゃなければ一体なんだというのだろうか。何が悪いというのだろうか。
それが解らず、それでも何かに彼が囚われたままだという事だけは解る征士は溜息を吐いた。
それさえも悪い方向に受け止めたのか、当麻は益々項垂れていく。


「ごめん、……征士が、…助けたかったのも、……会いたかったのも母さんなのに…」


俺で、ごめん。

そう呟く当麻の身体を、征士は強く抱き寄せた。

右肩が痛んだ。骨をやったかも知れない。でもそんな事よりも大事なことだ。力を込める。
あんな目に遭ったばかりで当麻には恐怖にしかならないかもしれない。でも今、それは必要な筈だ。


「……………」

「何故、…そう思う」

「………?」

「何故、お前がお前の母でないのを悪いと思う。何故私が彼女に会いたいと勝手に思う」


しっかりと抱いた当麻は、幾重にも重ねた着物のせいで前に抱き締めたときよりも身体が厚く感じる。
それでも自分に力なく縋り付いて来た指の感触は細く、それが余計に征士の中の何かを引っ掻いた。


「私がいつ、それを悪いと言った。会いたいと言った」

「…………でも……」

「……。…誰かに、言われたのか」


腹立たしいが、大体の予測はつく。
その予測からは当麻の言う内容には辿り着けないが、どうせまた罵声を浴びせたのだろうと思うと征士はまた腹が立ってくる。


「……………」

「私の…母か、祖父か………そうだろう?」

「……………」

「何と言われた」

「……………」

「答えてくれ、当麻」

「………………………。…俺が生まれなかったら………」

「…………」

「…本当は母さんと征士が結婚してたって…」

「…………………。…待て」


けっこん。なんのことだ。

言葉を飲み込めず、征士は強く抱いていた腕を緩め、当麻の顔を正面から見つめた。
子供の目は涙で濡れている。


「俺がいたから、母さんと征士は結婚できなかったんだって……母さんと征士を邪魔したのは、俺だって……!」

「待て、当麻。何の話だ」

「征士のお母さんが言ってたんだよ…!俺が、俺が母さんを家族から引き離して、征士の幸せを奪ったって…!!俺なんて生まれなきゃ良かったって!!!」


征士は苛立ちと同時に眩暈を覚える。
結婚?意味が解らない。


「当麻、……それは、……」

「……………」

「その、………私はそんな話は知らない」

「………」

「お前の母親もきっとそうだ。いや、そもそも話がないどころか、お互いにそんな気持ちはこれっぽっちもない。昔も、今も」

「……でも、」

「………親や親戚達の、勝手な決めつけだ」


自分たちの血を何よりも尊ぶ一族らしい考えだと征士は溜息を吐いた。

どうせ他より少し仲の良かった2人を結び合わせれば、他の血も混じらず、一族から抜けることもないと考えていたのだろう。
思い切りの悪かった征士と違い、羽柴麻里は昔からどこか自由を求めている性分だった。
一族の中でも天才肌だった彼女を、きっと親戚連中は逃がしたくなかったのだろう。
だからこそ、一族の長の孫の中で唯一の男児である征士と彼女を結び合わせれば、血の流出を阻止できると考えたのだろう。


「下らん話だ」

「…………………でも、…」

「でも、何だ」

「……征士、……兄ちゃんはしょっちゅう家に遊びに来てたから…」

「あれはお前の母に会いに行っていたんじゃなくて、……」


言いかけて征士は留まった。
自分は今、何を言おうとした?
いや、言っても構わないだろう。嘘ではない。
血に執着する一族に疲れていたから、癒しを求めて会いに行っていたのだから。当麻に。
それは嘘ではない。
言っても構わない筈だ。
だが言えない。いや、言って良いのか解らない。
ほんの少し前に、自分たちの後ろで気を失っている男の歪んだ愛情を押し付けられかけていた少年に、汚い感情の混じった想いをちらつかせるような
事を言っていいのか、解らない。


「………」

「……母さんに会いに来てたんじゃない?」

「……あ、……ああ、そうだ。お前の母親に会いに行っていたんじゃない」

「じゃあ、…何で?」


抱き締めたままの存在が首を傾げると、また大きな青い目から涙が零れた。
それが触り心地の良さそうな頬を伝う。


「その、……………お、おま」


ここは思い切って言った方がいいのかもしれない。
そう思った征士は、詰まりながらも言葉を続けようとした。
…時だった。


ドン。
ミシリ。



「…え?」

「何か……聞こえたな」


征士は言いかけた言葉を飲み込み、そして当麻も聞こうとしていた言葉を一瞬で忘れ、2人は壁から聞こえる音に反応した。


ミシ。メリ。…ドン。ガッ。…ミシリ。


2人は仲良く並んで音のする壁を見る。
そこに貼られていたのは蛇に唇を寄せている当麻の写真だったが、それが妙に膨らみを持ち始めた。


「………え?」

「なんだ…?」


最初は緩かった膨らみは一度盛り上がるとどんどんとスピードを上げて、先ほどからの音と共に大きくなっていく。
そして写真は折れ曲がり、遂には破れ始める。


「え、…えぇ!?」

「………!?」


当麻は思わずぎゅうっと征士に抱きつき、征士もその身体を再び強く抱き寄せた。



メリ、ボロ。ボロボロ。


耐え切れなくなった写真が剥がれ、漆喰の壁が音を立てて大きく欠けた。
大きな穴が出来上がって、そこからにゅっと突然スコップが生える。




「とうまー!!とうまー!ここかぁ!!?」



秀の声だ。
2人は一気に力が抜けた。
征士が穴の向こうに目をやると、スコップを握ったままの秀の顔が見える。
自分が通れそうな穴にまで広げるつもりなのだろうか。


「………当麻も私もここだ」

「おぉ!征士もいたか!!!おい、2人とも無事か!?」


間に合ってよかったと、安心しきった秀が満面の笑みで手を振っている。
征士も当麻も、その姿に笑って返した。




*****
壁を調べた秀は、1回物置まで走ってもっかい戻ってきて壁をデストロイ。