ストロボ
麻里ちゃん。
確かにそう言われた。
それは、当麻の母の名だ。
何故その名を知っているのか尋ねようとした当麻の背に、強い衝撃が走る。
「………ぃ…った…!」
硬い床に叩きつけられた。
痛みに顰めていた顔を上げ、目を開けるとすぐ傍の床から釘が飛び出ていて当麻はぎょっとする。
「…………っ!?」
その釘の刺さった先を確かめると、それは何と下にある写真に打ち付けられていた。
それも、被写体の心臓の辺りに。
「…………な、……んで…」
その被写体は征士だ。
以前、彼に手伝ってもらったポスター撮りの時の写真だ。
その写真の征士の胸に、大きな釘が深々と刺さっている。
しかも混乱からブレた視界に入り込んできた征士の顔は、無残にも沢山の引っかき傷で既に原形を留めていなかった。
「あぁ、それは大丈夫だよ。僕は別に彼に恨みはないんだ」
声は、相変わらず嬉しそうだ。
廊下を歩いている時とも変わらないし、現場でスタッフと話している時とも変わらない声色だ。
だがこの部屋は狂気で満ちている。
当麻は震える身体に力を入れて、上半身を起こした。
「そりゃ僕だって麻里ちゃんとの事を邪魔されたら怒るけど…でもね、彼に怨みが無いのは本当なんだよ。従兄弟なんだってね。じゃあ仲良くしなくちゃね。
ただね、麻里ちゃんの写真が欲しかっただけなんだけど違うものも入ったからさ、それを見ないようにしただけだから」
だから気にしないで。
言葉を続けている高橋を振り返って、当麻は言いようのない恐怖を感じた。
声はいつもどおりだ。
口元も優しく笑っている。
ただ彼の目の奥には歪んだ感情に満たされ、そして手には何か見慣れないものを持っていた。
「……なん、で……母さんの名前、……知って……」
震える声で問い掛けた。
だが高橋は笑みを浮かべたまま、首を捻った。
「母さん?何を言ってるんだい、”麻里ちゃん”」
「ちが、……お、俺……母さんじゃ……」
少しずつ高橋が近づいてくる。
当麻は這ってそれから逃れようとした。
「それよりね、麻里ちゃん。僕はここに住もうと思うんだ。だけどね、一人暮らしは寂しいだろう?だから何か一緒に暮らすモノが欲しくってね…」
にじり寄った男は嬉しそうに笑うと、地べたを這う当麻の下半身に狙いを定め、細い足首を掴み上げた。
「だから、キミを飼おうと思うんだよね」
喜色をそのまま滲ませ、掴んだ足首に革製のベルトを巻きつける。
そのベルトに繋がっているのは半端な長さの鎖だ。その反対側には手錠が付けられている。
そしてその手錠を、壁から出ている用途不明のフックにガチャリと繋いだ。
「……や、………やめ……!」
このままでは拙いと当麻は抵抗を試みた。
まだ自由の残っている右足を振り上げ、高橋の出っ張った腹を蹴る。
硬さも弾力もなく、だるんとした場所に一発、綺麗に当たった。
だがそれに怯むことなく高橋はその足を掴み上げ、すぐ後ろにある棚からもう1つの革ベルトを出してくる。
「…い、いや、………嫌だ……!嫌だ、やめて………!やめろ……!!!」
涙混じりの声で必死に懇願したが、高橋は相変わらず狂ったような笑みを浮かべたままだ。
そして左足と同じように当麻の足は反対の壁にあるフックに繋ぎとめられた。
「麻里ちゃん、…凄く綺麗だね、可愛いよ」
左右に割り開かれた脚のせいで、当麻の下半身が男の目の前に晒し出される。
男は自由を奪った獲物の左足の甲を撫で、右の足先に舌を這わせた。
その感触に嫌悪感と恐怖を覚え、当麻は歯の根もあわないほどに怯え震える。
度を越えた恐怖に声を上げることすら出来ない。
そんな当麻の脚を高橋は味わうように撫でた。
足首から脹脛に滑った手は何度もその感触を愉しんでいる。
目には狂気を浮かべたまま、足の指を1つ1つ丁寧に舐め上げられる。
手が膝裏を過ぎて腿に辿り着くと、そこで漸く当麻は自分に迫っている危険がこの程度ではない事に気付いた。
「や……だ……!!!」
慌てて自由の利く手で着物を押さえる。
たっぷりとした上質の布は手からさらりと滑って巧く掴むことが出来ないが、それでも諦めるわけにはいかない。
衣装の都合上、今は下着を身に付けていないのだ。
選んだ職業柄、人前で裸になる事はあってもそんな目で見られるために脱いでいるのではない。だから今までは平気だった。
だが今は違う。
明らかに欲情した目で見られ、肌を撫でられている。
羞恥と恐怖がない交ぜになって当麻は必死に抵抗した。
すると高橋の手がそこから離れる。
舐められていた足も離され、本人も立ち上がる。
やめてくれる気になったのだろうかと少し安心した当麻だが、彼が後ろの棚から持ち出したものを見て、再び恐怖に突き落とされた。
「そうそう。麻里ちゃんの綺麗な姿、撮っとかなくっちゃね」
片手にはカメラを持っている。
もう片方の手には……
「これ、入るかナァ……ねぇ、麻里ちゃん、どう思う?」
実物を見るのは初めてだが、大学に在籍していた頃、まだ子供の当麻をからかって同級生が見せてきた雑誌でそれを見たことならあった。
「……い、……いや、……!そんなの……無理…!」
所謂、バイブだ。
そんなもの、挿れられた事なんて当然ない。
涙を振り零して必死に訴えると、高橋は頷いた。
「そうだよね。麻里ちゃんは天使だもんね。こんな汚いモノ、使っちゃ駄目だよね」
そう言ってそれは棚に戻された。
だがカメラは手に持ったままだ。
レンズカバーを外し、そして彼はそれを構える。
「わぁ、綺麗だよ麻里ちゃん。泣き顔も綺麗だ」
無邪気に喜びながら、男は床に倒れたままの少年の表情をアップで何度も撮った。
それに飽きると今度は全体を写す。
そして下半身にもレンズを近づけてそこでもシャッターを何度も切った。
「麻里ちゃんは本当に綺麗だね。僕の天使だ。……あぁ、…綺麗だ、本当に………綺麗、…綺麗」
男の吐く息が段々と荒くなる。
頬を高潮させ、口端から泡の混じった唾液を垂らし、額に脂を浮かせて最早うわ言のように言葉を繰り返す。
カメラを持つ手が震え、シャッターを切る感覚が広くなっていくと、遂にそれを床に落とした。
ごつっという鈍い音がしたが、当麻にはソレがどこか遠くで鳴っているようにしか聞こえない。
只管に、目の前にいる生物に怯えるしなかった。
高橋の手がズボンに伸び、ジッパーを降ろすと自らの欲の塊を引き出す。
加齢のために黒ずんだ肌よりも若干赤みを帯びたソレは、既に硬さを持って頭を天井に向けている。
「ねぇ、麻里ちゃん。ずっと言えなかったけどね、僕はずっとずっと、ずぅっと、…君が好きだったんだよ。ねぇ、麻里ちゃん。受け入れてくれるよね、
僕の気持ち。ねえ?……………麻里ちゃん」
「……俺………母さ……………じゃな………」
「何を言ってるの?麻里ちゃん。僕だよ、わからない?キミは麻里ちゃんなんだよ?」
話しかけながら、自身に伸ばした右手を忙しなく動かす。
先の方からだらしなく先走りが溢れて、表面が滑っている。
「麻里ちゃん、毎日毎日2人だけで暮らそうね。大事にするよ、本当だ。約束する。写真もいっぱい撮ってあげるね。麻里ちゃんは綺麗だから楽しみだね。
今はまだ僕の事を特別に思ってくれなくてもいいよ。徐々に僕を受け入れてくれればいいんだ。わかるね?麻里ちゃん」
鼻を膨らませ、ふぅふぅという息が音になって聞こえるほど呼吸が大きくなる。
目は茫洋として焦点が合わないまま当麻を見つめ続けている。
それが怖くて、当麻は出来る限り必死に自分の身体を男の目から隠し続けた。
助けて………!助けて、……!!!
叫び声を上げたくても、恐怖で固まった喉は音を作ってくれないし、唇は開かない。
だからその代わりに縋る思いで、子供の頃に思っていた”神様”に救いを求めた。
助けて、………
征士兄ちゃん……っ!!!
階段を上りきるとまた扉がある。
だがこれは下にあったものより随分とマシなものだ。
踏み込み方によっては、中の状況を悪くさせる場合がある。
逸る気持ちを抑えつつ征士は扉に耳を寄せた。
音は、何も聞こえない。
だがここに当麻はいるはずだ。
背骨を這い上がった表現のしようもない感覚が、そのまま自分の項を上ってざわざわと蠢いている。
こういう時の勘は、信じた方がいい。
征士が最初にこの感覚に気付いたのは、従姉妹が引っ越すと言った時だった。
あの時はその違和感が何を知らせているのか解らずに放っておいたが、結果は今の通りだ。
良くないことがある。その時に来るこの感覚を、征士はそれ以来、見逃さないようにしてきた。
その感覚が今、強く蠢いている。
突入は慎重に?
扉を開くと同時に飛び込む?
僅かに考えた後で征士は扉に手を伸ばす。
ノブを握った右の腕に突き刺さるような痛みが走ったが構うものか。ガチャリと音が鳴ると同時に勢い良く扉を手前に引き、獲物を見る鷹のように視野を絞って
これから目の前にくる光景に備えた。
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高橋一臣さん、DTです。