ストロボ
2人で秘密の話をしよう。
まるで悪戯を提案する少年のように笑った高橋の後について当麻も廊下を歩く。
この庭、綺麗だろう。といっても僕にはそういうセンスはないからね、知り合いの庭師の人にお願いをして手を入れてもらったんだ。
僕は今後、ここに生活の場を移そうと密かに考えていてね。どのスタジオからも遠いし事務所からも遠いから遼君たちみたいに僕を慕って来てくれてる
子たちには不便をかけるのは解ってるんだけど、やっぱり気に入った場所だからね。
そうだ、当麻。改装はしたけど実は畳だけはもっと前に傷んでるって言われて替えて以来、替えてないんだよ。当麻、きみはどう思う?替えた方がいいかな?
それともフローリングに替えてしまったほうがいいかな?
落ち込んだままの当麻を気遣うように高橋は沢山の言葉をかけた。
最初は何も言わなかった当麻だが、そのお陰で徐々に気持ちも楽になってきたのか、小さな返事だけでも返すようになってくる。
それに高橋が嬉しそうな笑みを浮かべた。
「さぁ、じゃあここに入ろうか」
そう言って高橋が立ち止まったのは廊下の突き当たりだ。
目の前には物置に使うような粗末な扉が1つだけ。
「………?」
目を涙で潤ませたままの当麻が不思議そうに首を捻ると、高橋はまた子供のように笑う。
「じゃーん。実は隠し部屋なんだよね」
取っ手を引くと、まず視界に入るのはただの壁だが、その右奥を覗くと確かに階段があった。
そこを上るよう仕草で促される。
「…………何で…こんな場所に…?」
「僕だって1人になりたい時はある。それこそ誰にも話しかけて欲しくない時だってね。そういう時の逃げ場所だ。ここなら誰にも見つからない。
居場所がバレないよう、2階部分には防音設備も整えてるから幾ら僕がそこで依頼主の悪口を言っても誰にも聞かれないんだよ」
秘密基地だ!とクスクスと笑う彼に、当麻も漸く薄っすらと笑みを浮かべる。
それにまた高橋も嬉しそうに笑った。
「さぁ、当麻。上がって」
「当麻、…どうしたんだろうな」
秀が不安げに言っている。
その視線の先は何度もカメラのチェックをしている遼だ。
2人がいつ戻ってきてもすぐに撮影に入れるよう、彼は真剣に自分に出来る事をこなしていた。
「あんなに狼狽えるなんて…俺ぁ初めて見たぜ」
お前、見たことある?と隣の征士を見ないままに問い掛けると、征士からは曖昧な返事しか返ってこなかった。
何も自分が困っても状況を変えられるわけではないと解っていても、秀は困り果ててしまう。
警護している人間としてはある一定の距離まで同行すべきだったのだが、それは高橋から断られた。
2人で話してくるから、と。
その彼に促されるように部屋を出て行った当麻の後姿は、それも完全に女性にしか見えなかった。
化粧1つであんなに変わるものだろうかと秀は、まるで思考の逃げ場を探すように考える。
そこで、そういえばこの仕事の初日に、若い頃の母親にそっくりだと征士から聞いていたなと思い出した。
「……そういや当麻って今17歳だったよな」
「…ああ」
やはり征士からの返事はどこか気が抜けている。
母親とそっくり。しかもその母親は征士の従姉妹だ。
彼女が当麻を産んだのが17歳で、行方不明になったのが当麻が4歳の時。という事は征士が最後に彼女を見たのは21歳の時だろうかと考えて、
そこで漸く隣の征士を見た。
「…何だ」
「なぁ、当麻ってお袋さんにそっくりだった?」
「前に似ていると言ったと思うが?」
「そうじゃなくってさ、さっきの当麻が似てたかって聞いてんの」
「…ああ。……………瓜二つだ。驚いた」
17歳の彼女なら、当麻を産んだ頃だろう。
親戚から嫌われ疎外され、きっと苦労も多かったはずだ。
その当時は赤子でも、若しかしたら記憶の奥底に辛い気持ちが残っていたのかもしれない。
母親と同じ姿の自分を見て、それを思い出してしまったのだろうか。
それを考えて秀は溜息を吐いた。
そこに「ピリリリリ、ピリリリリ、」という電子音が響く。
秀が音を探って斜め前の辺りを見ると、伸が携帯を手にしていた。
ディスプレイに表示された名を見て、伸は眉を顰めた。
「もしもし?」
「毛利さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです、羽柴さん」
電話の相手は当麻の母親だった。
普段、彼女からの電話は当麻に直接かかってくるので、こうして伸の携帯に電話が入ったのは契約をする時以来だ。
彼女のいるアメリカは確か夜中の筈、と伸は訝しむ。当麻から聞いている母親は、夜はちゃんと寝る人間だったはずだ。
だからこちらが夜の時間にしか連絡は取れないと聞いている。
絶対に、かけてはいけない、とも。
「どうされましたか?そちらは今、夜じゃないんですか?」
「そんな事はどうでもいいんです、毛利さん」
「………どうされました?」
切羽詰った彼女の声は、初めて聞くものだ。
どこか暢気で大らかで、そして少女めいていた嘗ての彼女と違い、そこには何か差し迫った事情が見えて伸は声を潜める。
「ファンデーションの広告を撮った写真家の名前はなんと言いますか?」
「ファンデーション?……最近のものでしょうか?」
「そうです。左上から男の人の手が伸びて、当麻の頬に触れている写真です」
「あれは高橋さんという方ですよ」
それがどうかされましたか?という伸の言葉に、更に何かに追われるような彼女の声が重なった。
「下の名前は?」
「下…?下は……………。…えぇっと、…真田くーん!」
改めて聞かれると名刺で見た覚えはあるが覚えていなかったなと伸は思い、通話口を手で押さえて遼に声をかける。
カメラの前にいた少年が振り返った。
「なんですか?」
「真田君、先生の下の名前、なんていったっけ?」
「かずおみ、です。たかはしかずおみ」
「ありがと。………羽柴さん、もしもし」
「はい」
「先程のカメラマンの方の名前ですが、 ”かずおみ”さんだそうです」
「その方、ずっとそのお名前で活動されてましたか?」
「え?」
「……………。…いっしん、という名で、活動していた事は…ないでしょうか…?」
伸はもう一度遼の方を向いた。
突然の問いかけの後、遼は伸のほうをずっと不思議そうに眺めていたままだった。
再び通話口を塞いだ伸は、そのまま遼にもう一度問い掛ける。
「真田君、先生って”いっしん”って名前で活動してたことってあるの?」
「いっしん、ですか?」
遼はカメラから離れてメモを片手に伸の元へやってきた。
「ありますよ。先生の名前の”かずおみ”ってこういう字を書くので」
そう言ってメモに”一臣”と書く。
「これの読みを替えて、”いっしん”。確か………例の弟子をクビにした頃まで使ってたハズだから、今から17年位前までその名前で活動してたと思います」
「羽柴さん、」
伸が声をかける。
電話の向こうの空気が張り詰めているのがわかった。
「羽柴さん、」
「……はい」
「”いっしん”という名で、活動されていたそうです」
どうして彼女がその名を知っているのか伸には答えは出せないが、ある可能性なら考えられる。
以前、征士と飲んでいるときに聞いた覚えがある。
当麻の父は、写真家だった。
理由は知らないが17年前にクビになった弟子。そして17年前に生まれた子供。
これは単なる偶然なのだろうか。
嫌な予感は伸の背後からその手を伸ばしてくる。
「羽柴さん、」
「毛利さん、お願い…!その人を息子に近づけないで……!!!!」
今にも泣きそうな悲痛な叫びの直後に、伸は咄嗟に振り返る。
既にボディガードたちは部屋を出た後らしく、もうそこに姿はなかった。
「…………。……羽柴さん…」
「毛利さん、お願い…!お願いだから息子を守って…!!」
「大丈夫です、…大丈夫、絶対に大丈夫です。お約束します」
嫌な汗が背を流れるのを感じながら、それでも伸ははっきりと約束した。
絶対に大丈夫な筈だ。
拳を握り締めて自分にも言い聞かせる。
征士は鼻が利く。そう、以前に秀が言っていたし、それを自分も見たではないか。
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猛ダッシュ。