ストロボ



それじゃあそろそろ準備しようか。
そう言われ、当麻は奥に用意された衣装の置かれた部屋へ足を踏み入れた。そこでまず当麻を手招きしたのはメイク担当の女性だ。
今回はいつも以上にメイクを施される。
部屋に作りつけられた大きな鏡はその縁に沢山の照明がついていて、一般家庭向けではないのは明らかだ。
これも家屋を改装した時に作ったのだろう。
この家全体が撮影用になっている。それに当麻はどこか他人事のように感心していたが、鏡の前に座るなり胸が苦しくなってきた。


「じゃあまずベースを整えるわね」

「あ、あのさ…!」


あなたの場合はあんまり必要ないけどねと笑いながら言った女性に、当麻は要望が通るかは解らないが、頼みごとをしてみる事にした。


「…?なに、どうしたの?」

「あの、………鏡の前じゃなきゃ駄目、かな…?」

「え、どういう意味?」

「だからメイクするのって、鏡の前じゃなきゃ駄目?鏡ないとメイクしにくい?」

「………?別の場所でも出来るけど…ここ、何か嫌?」

「そうじゃないんだけどさ…」


口篭る少年に、年上のお姉さんはピンときたのか笑みを口端に浮かべる。


「そっか、メイクされる自分の顔、あんまり見たくないか」

「うん、…まぁ……そんな感じ」

「そうよね、当麻くん、初めてだもんねぇ、今回みたいにがっちりメイクされるの」

「…うん」


力なく頷くと、彼女は直接陽に当たらず、だが日光が届く場所を同じ室内に見つけてそこを指差し、あっちに行こうかと言ってくれる。
その気遣いに感謝しながら当麻は椅子から降りてその畳を目指した。



ファンデーションで色を整えられるのは何度か経験したことがある。
眉を触られるのも。ただ当麻の場合、眉も髪と同じ青だから、そうそうメイク道具としてある色ではなく、あったとしても自然に見せられるほど綺麗な
ものではない。
眉自体の形も整っているので少し整える程度だが、これも同じく経験がある。
ただこれから先の、頬に色をさしたり、飾るという意味でのメイクは初めてだ。
何だか皮膚の上にもう1枚皮を張られているような違和感は拭えず、何度かもぞもぞと動いてはその度に「じっとして」と苦笑いを含んだ声から注意を受けた。
少し上を向いてと言われて従うと、目の周りにも手が入る。
視界に近づいてくる指や道具にいちいち驚いていてはキリがないと解っていても、やはり動物の本能として目を閉じてしまいそうになる。


「あー、目、閉じないで…!」

「ごめん。…でも怖いんだよなぁ、…やっぱり」

「撮影で蛇やライオンと一緒にいられるのに、どうしてこういうのは怖いのよ」

「あれは目にはこないだろ?」

「意味わかんない」


他愛無い会話で気を紛らわしながら、今の状況に耐える。

メイクが済むと今度は衣装に着替えるために襖で仕切られただけの隣の部屋に移動した。
借りてきた衣装の数は多く、そこから今回の撮影に対するカメラマンの意気込みがわかる。
外国人の女性モデルしか使ってこなかった企業の初の試みという事もある。
カメラマン自身の長年の夢だった場所での撮影でもある。
それら全てを最高の形で仕上げるのが自分の仕事だという事は、当麻だって重々承知だ。
けれど、いざ衣装を目の前にすると不安になってくる。

自分はちゃんとやりきれるんだろうか…?

今までこんな不安を感じた事はない。
アメリカにいた頃の研究発表の場でも、大人顔負けの立ち居振る舞いで堂々とやってのけてきた。
どんな現場でも表現する事に集中してきた。不安なんて感じる事はなかった。

今、不安を感じる理由は解っている。
現場に征士がいる。これからの撮影を、彼が見る。
その視線に、耐えることが出来るんだろうか。
彼の何か言いたげな視線に、自分は。


「慣れないからちょっと苦しいかもしれないけど我慢してね」


衣装担当の男性は、見た目は男だが中身は女性だ。
優しく繊細な手つきで、けれど力強く衣装を当麻に纏わせていく。
途中で「あんた本当に綺麗ね」と褒められたり「細すぎるわねーあれだけ食べてんのに太れないって…太ろうと思ったらどれだけ食べなきゃいけないのよ」と
からかわれたりしながら、当麻もそれに笑いながら返すことで気を紛らわせる。


「あ、そうだ。忘れるところだったわ、あんた、パンツ脱いどいてね」

「え?」

「パンツライン、出たら格好悪いでしょ」


思わず自分がこれから着る予定の衣装を見る。
ラインなんて出るんだろうかと考えていたが、それは彼(彼女?)にも伝わったらしい。


「綺麗な刺繍が入ってるのに、そこに変な影が出来たら台無しでしょ?ほら、後ろ向いててあげるから脱ぎなさい」


そう言われた当麻はそれもそうかと納得して自ら下着を脱ぐ。
こういう事は現場では日常茶飯事だ。
まだ立った事はないが、ショーにもなればそれこそ下着なんて身に付けている者はいない。
身体全部が表現の場なのだから、一般的な恥ずかしいという概念は不要なのだ。

当麻は脱いだ下着を、自分の着替えの上にぽいっと放り投げた。


仕上げにぐいっと胸を締め付けられると、次はヘアメイクだ。
そういう人特有の手つきでエスコートされて、衣装部屋からメイクしていた部屋に戻される。

当麻の一番憂鬱な時がきた。


「これは遣り甲斐があるわ…!」


嬉しそうに言った彼女とは、今回のスタッフの中で一番長い付き合いだ。
にこにことして今回使う小道具を手にしている。
それに当麻は口元をヒクつかせたが彼女は気付かなかったようだ。


「当麻の髪は綺麗だけど短いから弄り甲斐がなかったのよねー」


鼻唄交じりでの言葉に、「だって俺、男だし…」と小さく反論したが、やはり彼女は気付かなかった。
聞こえてもどうしようもない事だから、当麻としてはどっちでも良かったのだがどこか寂しく感じる。


「さ、おいで」


先ほどと同じく鏡の前ではなく、畳みに座布団を用意した場所を示されたのはまだ救いだったかもしれない。
自分を見ないで済む。
当麻はそれに少しだけほっとして慣れない足取りでそこを目指した。









「当麻入りまーす」


覇気がなかった現場は、少しの休憩を挟んで既にいつもの緊張感が漲り始めている。
元気がなかったと聞いた当麻だが、仕事となれば気を立て直したらしい事に征士は安心した。
準備から何から入れれば1つの現場での滞在時間はそれなりになるのだが、純粋に撮影だけにかかる時間はその何分の一程度だ。
衣装の色合わせをして元気がなくなったというのなら、撮影が済めばすぐに着替えることで本人の気落ちも戻るだろうと考え、少しでも当麻にとっての
苦痛の時間が終わるよう、征士は普段あまり信じていない神仏に祈る事にした。
何の滞りなく撮影が終わりますように、と。
そして、自分の眉間の皺が寄って現場の空気を悪くしませんように、ともついでに。


当麻が現場に入ってきたらしいが、征士が立っている位置から人垣で見えない。
ただ他のスタッフが息を飲む様から相当な出来だというのはわかった。


「何か…俺も楽しみ」


秀が遠慮がちに小さく呟く。
征士も頷いて同意した。

照明器具の隙間から青い髪が見えた。
征士の視界の左側から右側へと当麻が移動している。
人や道具の切れた場所。そこから完全に当麻の姿が見えた。


「……………」


驚きに目を見開く。
知っている、けれど別のものの、それでもまた別の記憶に繋がる、光景。





そこには、嘗ての従姉妹の姿があった。





「………、…」


一瞬、本当に彼女かと思ったが違うとすぐに思考を止めた。

当麻だ。
女物の着物を着せられ、髪も青い色のウィッグを足されて結い上げられているだけ。そして女そのもののメイクを施されているが、それは確かに当麻だった。

母子はよく似ていると思ったがここまで似ているとは思わなかった征士だ。
思わず何か言いそうになったのを堪える。
現場を乱してはいけない。
それを弁えて黙りはしても、驚くことだけはどうしようもなかった。

思わず忘れていた呼吸を取り戻そうと息を飲むと、そのタイミングで当麻が俯きがちだった顔をあげ、征士のほうを向く。


「………っ」


当麻は一瞬、ひどく傷付いた表情を浮かべた。
そして近くにいた遼の腕を強く掴み、縋りつく。


「お、…俺、……やっぱり無理だ………!!!」





現場が静まり返った。
今までどんな現場でも無理だとか出来ないという言葉を言った事がない当麻の、突然の狼狽えように誰もが驚く。


「…とう、…ま?」


縋りつかれた遼は、自分の腕を掴む彼の手が震えている事に気付いた。
そして今にも泣きそうな顔になっていることにも。
朝からどこか様子がおかしかったことも、そして廊下で2人でいる時にもそれは同じだったことを考えると、撮影を一旦止めるか、それか最悪、中止した方が
いいのかも知れない。
だがそれを判断するのは遼ではない。
現場での一番権限があるのは、企業から直接依頼を受けた遼の先生である高橋だ。
彼の指示を仰ごうと、カメラの前を向いた。
すると師は、何とも言えない複雑な表情を浮かべている。

流石にマズイか、と不安になっている遼たちのもとへ、彼はゆったりと歩いてきた。


「当麻」


そして極力優しい声で、俯いてしまった少年に声をかける。


「……………」

「当麻、」

「………ゴメン、…なさい…」


小さく震えるたびに垂らした毛先がふるりと揺れ、それが妙に扇情的で遼は目を逸らした。


「当麻、謝らなくていいから。…ね?」

「…………めん……さい……」


あやすように言っても顔をあげない当麻に、高橋は溜息を吐いた。しょうがないね、という優しい顔で。
それから少し背伸びして彼の社長の姿を探す。


「……毛利さん」

「あ、はい。何でしょうか」

「この後の彼のスケジュールは詰まっていますか?」

「いいえ。夕方にファッション誌の撮影が2つ入っているだけですので、余裕はあります」

「そうですか」


顔を伸から当麻に戻した高橋は、まるで小さな子供にするようにその顔を覗き込むようして微笑んだ。


「当麻、少し僕と話をしようか」




*****
当麻のお母さんも、髪は青。