ストロボ
親が見ていたらば行儀が悪いと注意されたかも知れないが、遼はスプーンを咥えたままバレないように隣を盗み見た。
当麻はぼんやりとしたままだ。
衣装は色を合わせただけでまだ着替えていないから、彼はここに来た時のパーカー姿のままだ。
同性だと解っていても、つい見惚れてしまうのが当麻の魅力だった。
少し違うかもしれないが、仲良くしている遼だって何度「同じ男なのになぁ」と羨望の目で見たことか。
細い体躯は中性的だが決して女のようだというわけではない。だが色気はある。
話してみると頭の良さはその端々からも解るけれどそれをひけらかす様な真似はしない。かと思えば時々世間知らずだったりする。
強かで大胆、なのに抜けててどこか脆く感じる。
遼だって知り合ってそう長いわけではないが、目が離せない存在だとは思っていた。
その当麻が明らかに変だ。
よく思い出してみれば前の現場で会った時から少し変だった。
当麻は人間嫌いではないが、どこか人と触れ合う事に臆病な面があった。
仕事の上ではそうでもないけれど、プライベートとなるとさり気ない接触でさえ得意には見えなかった。
なのに前回会った時、当麻は遼がちょっとビックリしてしまうくらい積極的に触れてきた。
確かに現場で当麻と歳の近い人間は遼くらいだ。
だから他より親しくはしてたつもりだけど、それにしたって…と遼が考えていると、当麻が自分の方を向いていたのに驚く。
「え、な、…なに?」
「………アイス」
「…へ?」
「溶けてる」
「あっ…!」
手の温度でカップの中のアイスは溶け、どろりとした液体になりかけている。
それを遼は慌てて飲むようにかき込んだ。
横から小さな笑い声が聞こえてくるが、その表情はやはりどうもスッキリしていない。
どこか物憂げな空気を纏ったままの当麻に、遼はどうしていいのかこっそりと悩む。
先生はリラックスさせてあげてって言うけど…
チラリと横目で見て、半ば白旗を揚げてしまう。
無理だ。
確かに仲は良いけれど、口下手なのにどうやって何をすればいいのかと遼はいよいよ困っていく。
「遼って面白いよなぁ」
「そう…かな」
学校の友人にも偶に言われるが、一体何が面白いのか遼にはサッパリ解らない。
口下手だしトロいし時々周囲が見えなくなって友人に迷惑をかける事だってあるのに、それを面白いと言って済ませていいのだろうか。
遼が首を捻るとまた当麻が笑った。但し、力なく。
「…そんな風に笑わないでくれよ」
「だって面白いんだからしょうがないじゃん」
そういう意味で言ったんじゃないんだけど。
言葉にはしなかったけれど遼は強く思った。
「……………怒った?」
「怒らないよ……言われ慣れてるし」
言いたい事は違ったけれど怒ってはいないから遼は素直にそう答えた。
それを聞いた当麻は明らかにほっとした雰囲気を見せる。
今までこういう彼は、見た事がない。
いつだってそつなく動いていた筈だ。
大人に囲まれてもどんな話題を振られても的確に答え、器用にかわす。
触られること以外なら大抵は巧くこなしていた。
遼はいつもそんな当麻に、年下なのに大人だななんて感心していたものだ。
なのに、今日はやけに自信がなさ過ぎる。
「…とう」
「遼、あのさ」
何かあったのか。そう思い切って声をかけようとした遼の声に、当麻の声が重なった。
「え、あ……な、なに?」
発言権を譲る。
何か話したいのなら、無理に聞くのではないほうが良い。
「遼はさ……………その…………、………キスって、した事ある?」
「キ…、ス…」
口にしてから更にワンテンポ遅れて遼の顔が赤くなった。
「え、え、急にな、んで?」
狼狽えた遼は、随分と純情に育っているようだ。
必要以上に大声にならないようだけ気をつけて聞き返すと、当麻は何やら切羽詰ったような目で見つめ返してくる。
それが余計に遼を狼狽えさせる。
「ほ、…本当、当麻、急に何を……」
「その、だからさ、何ていうか…ハプニングとか親からとか、ノリでとかそういうんじゃなくて、……その、…ちゃんとしたキスってした事、ある?」
もう一度繰りかえされた質問に、遼は一度落ち着こうとゆっくりと息を吐く。
頬はまだ熱いし心臓は存在を強く主張してくるが、少しはマシになった。
身体を少し捻って、当麻の顔を正面から見る。
目が潤んで、自分では見えないけれどきっと自分と彼とは同じように顔が赤い。
何を言おうとしているのか解らないが、からかわれているのではないという事だけは解った。
「…………ちゃんとって……その、…好きな人とって…事?」
真正面から青い目を見て聞くと、当麻が小さく頷いた。唇は震えないよう、真一文字にきつく引き結ばれている。
やはり真剣なようだ。
「俺は、…まだした事、ない」
だから遼は正直に答えた。
そもそも冗談でもノリでもそんな事はした事がない。
それに親からのと当麻は言ったが、ごく一般的な日本の家庭に生まれ育った遼は、そんな欧米的なスキンシップをとった事もなかった。
「本当に?」
「こんな事で嘘吐いてどうするんだよ。………大体俺、彼女もまだ出来た事もないし…」
ちょっと恥ずかしいけど、と遼が続けた言葉に被せるように当麻が身を乗り出して。
「じゃあ、…俺と…してみる?」
「へ」
間抜けな声が出た。
当麻は今、何と言ったのだろうか。
遼はその顔をマジマジと見返す。
頬は赤いままだ。目だって潤んでいる。
健康的な色艶の唇に目を奪われ、遼はまた狼狽えてくる。
「とうま、と……?」
「…………」
どうにか声に出来たが、喉はカラカラだ。
当麻からの返事はない。
何かを思い詰めたような目で、ただ見つめ返してくるだけだ。
当麻は確かに綺麗だ。魅力的でもある。
中性的な雰囲気だからキスしているところを想像してみても嫌悪感もない。
遼の背中を汗が一筋流れ、喉がゴクリと鳴った。
「…………………いや?」
駄目押しで聞かれる。
その声は、まるで崖から突き落とす手のように感じて遼はますます追い詰められる。
「いや、…その………」
そういう意味で特別好きかと言われるとそうでもないが、キスくらいなら…と思わないでもない。
別に遼に元々そういう軽い考えは無く、寧ろ真面目すぎるとからかわれる程だったが、それでも当麻につい引き摺られそうになってしまう。
けれど、そうじゃない。
「当麻、その……………悪いんだけど…」
遼は当麻の視線から逃げるように俯いた。
「俺、…出来ない」
声が震えてしまう。
それでも当麻の反応を見たくなくて必死に言葉を繋いだ。
「そ、その、当麻のことが嫌だとかそういうんじゃなくって…!その…俺、写真、続けたいし…先生のこと、尊敬してるから……その、
昔の人みたいに …破門にされたくない、し…」
「……昔の?」
さっきまで逃れようのない色気を滲ませていた声が、きょとんとしたものに変わった事で遼の肩から一気に力が抜ける。
ほっとして顔をあげると、いつもの顔の当麻がいた。
「うん」
「昔のって……遼の先生が怒ったっていう、アレ?」
「そう」
「…その人って…何して怒られたんだ?」
モデルに手ぇ出したとか?と今の自分たちの状況から考えて当麻が聞くと、遼が勢い良く頷いた。
「そうらしい。手を出したっていうか……妊娠させちゃったって」
「クビになった助手が?」
「うん」
「そりゃ………相手の事務所との事とか考えるとマズイよなぁ」
さっき自分からとんでもない提案をしたくせに、もう頭は別の事に切り替わったのかして当麻は暢気に言う。
それに遼が苦笑いをした。
「そっかぁ……やっぱ遼の先生も相手の事務所から怒られたりしたのかな?大変だったろうな」
「あ、でも違う」
相手の事務所の大きさやそのモデルの価値によっては、彼が弟子である以上、自分がした事ではないとしても監督責任で彼自身の信用問題にも
関わってくるだろう。
それを思えば確かにその弟子はクビになっても仕方がない。
そう思って感想をそのまま口にすれば、遼が何かを思い出したような声を出した。
「違う?何が?」
「正確には相手、モデルじゃない」
「どういう事だ?」
「モデルの卵……みたいな感じ?」
「曖昧だな」
「えぇっと…だから、先生が見つけてきた子で、それで先生がまず写真を撮ってどこかの事務所に紹介しようと思った子だったって聞いた」
「じゃあ素人?」
「その時点では」
「へぇ……」
そりゃ難儀だな。壁にもたれて当麻は何気なく言った。
「うん、難儀だったって。だって相手、当時女子高生だったっていうんだ」
「女子高生!?」
その言葉に当麻が強く反応する。
女子高生という事は今の自分とそう歳が変わらないはずだ。
それがカメラマンにモデルにスカウトされ、その弟子と出来て妊娠だなんて。
「はぁ………何か、すげぇな」
「うん。……その、だから…」
「…?」
「お、俺、…当麻は綺麗だなって思うけど、……やっぱり写真は続けたいから……」
また苦しそうな声を出す遼に、当麻はへにゃっと笑ってみせた。
「いいよ、気にすんなって。……正直ちょっと、…何か気持ちに踏ん切りがつかないから遼で遊んでみただけ」
ごめんな、と言って笑っている当麻の顔を遼はじっと見返す。
遊んでみただけ、なんて言っているがとてもそうは見えなかった。
改めて冷静になってみると、今日の当麻は何か思い詰めている事があって、その延長線で自棄になっていたように思える。
だからきっと、それらから目を逸らしたくて自分にあんな事を言ったのだろう。
けれど自分が必要以上に狼狽えてしまったから、今度は自分を気遣ってくれているのだと遼は結論をだした。
自分より年下なのにな…と遼は苦い気持ちになる。
考えてみれば当麻は既に大学を卒業しているが、年齢で言えばまだ子供だ。
そんな相手に気を遣わせた事の方が遼には何だか心苦しい。
「俺で遊ぶなよー。遊ぶなら、ボディガードの…秀さん、だっけ?あの人にしろって」
だからせめて有難く相手の気遣いに甘え、そしてそうする事で当麻を甘やかす事にした。
「秀ではしょっちゅう遊んでるから、こういうのに引っ掛かってくんないの」
絶てた膝の上に肘を置き、そこに頬杖をついてそう言う当麻の頬を、「そんなになるまで遊ぶなよ」と遼は笑いながら突付いた。
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襖の向こうの2人。
遼は人から好意を持たれても中々気付かない子かと。