ストロボ



門をくぐった征士は手始めに塀沿いに調べていく。設置されている郵便受けの中も裏も、全部隈なく。見えない場所は手で探る。
屋内に入る前に庭も見て回った。そのまま建物の周囲をぐるりと回って気になっていた2階を見上げる。
やはり一部分だけ窓が少なすぎるのが気になった。
偶々自分が見ている角度にだけ窓が少ないのかと思っていたが、回りこんだ箇所で見上げるとそこに窓は1つもない。
あの位置には明り取りというより換気だけを目的としたような窓が1つあるだけで、それ以外には見当たらない。
征士はそこに暫く立ち尽くす。

納戸なのだろうか。
いや、カメラマンなのだから暗室なのかもしれない。

そう捉えるのなら答えは出ている。
だが気になって仕方がない。
撮影用に買った建物だと言っていたが、本当にそうなのだろうか。


玄関を開けるとガラガラと大きな音を立てて戸が滑った。
造りは古いデザインをそのまま採用しているが、通常の古民家より大きな引き戸はどんな機材でも運び込めるようにしているのだろう。

人の気配のする方ではなく、征士はそのまま室内全部を見て回る事にした。

廊下も柱も、全て元にあったものを再利用しているらしく、見事に使い込まれた風合いがある。
威圧的で重厚な柱は嘗て暮らしていた実家を思い出させたが、それを見ても征士の眉間にはもう皺はなかった。



一通り1階を回って、2階も見たがこちらはすぐに終わった。

1階にあったのは通常の部屋以外には台所と風呂もあった。
2階は全て私室のようなものだったが、例の部屋だけ幾ら探しても見つからない。
締まっている部屋を勝手に開けて調べるような真似はしなかったから、そのうちの1部屋がそうだったのかも知れないが、すぐにその考えは捨てた。
外から見た限りでは2階はもっと広かったはずだ。位置を考えても外観と合わない。という事は実際に入って目にした間取りは全てではないことになる。
やはり見つけていない部屋が、ある。

それが気になって仕方がなかったが、ここは人の家だ。
プライベートな部屋くらいあっても構わないだろう。
結果として自分の仕事に関係しないのなら、そこを掘り下げるつもりは征士にはない。
だから2階の例の部屋については一先ず置いておく事にした。

では気になることがもうないかと言うと、実はそうでもない。
全ての部屋や廊下というわけではないが、時折妙なところにフックや手すりを見かける。
屋内の設備がある程度揃っていることを思えば、彼はここで生活することもあるというのは何となく解る。
持ち主であるカメラマンの高橋は確かにもう若くはない。幾ら若く見積もっても60歳前後だろう。
それを考えれば今後のために生活の補助としてそれらを用意していると言われればそうかも知れないが、だとしても妙に不便な位置についている気がしてくる。
そもそも手すりは兎も角、フックは何だ。

だが人の事だ。口を出す気はない。やはり妙だと思っても立ち入ることではないだろう。
仕方なく、征士は訝しみつつ人の気配のする部屋へ向かった。
今すべきことは状況の把握のみだ。考えることではない。







「…?…どうした?」


征士が広間に向かうと、いつも撮影現場にある活気が今日は鳴りを潜めている。
丁度近くに立っていた伸に尋ねると、こちらも少し困ったような顔をしていた。


「あぁ、征士かい」

「どうしたんだ、妙に静かではないか」

「…うん、ちょっとね」


言葉を濁し、周囲を見渡した伸は征士の袖を軽く引いて廊下に連れ出した。


「………どうした」


ただ事ではないのかと声を潜め聞くと、今度は伸は溜息を吐いた。


「衣装を合わせて出てきたら、ちょっと当麻の元気が無かったんだ」

「当麻の?何故」

「さあ?本人が何も言わないから知らない。ただ当麻も周りに気を使わせないようにってするから余計にみんな気まずくて…」

「今回の衣装で何か問題があったのか?」

「かもね。………でも僕も床においてある物を見たけど別に普通だったよ。それに裸じゃないんだ。恥ずかしいってことでもないみたい」

「…そう言えば”衣装の色合わせ”と言っていたな」


征士が見た限りで遼の先生である高橋との過去の2回の仕事では、当麻は衣装らしい衣装なんて着せられていなかった。
言われてみて気付いたが、今回は衣装がある。


「………まさかと思うが、服を着るのが嫌なわけではないよな?」

「当麻に露出趣味はないよ」


何言ってるのと言いたげな視線を向けられ、征士は小さく謝った。
そりゃそうだ。
そんなものがあったらショックだ。


「…で、今は何をしているんだ?」

「ちょっと気分転換に、撮影前にアイスを食べてるところ」

「そうか」

「そうなの。あ、そうそう。キミの分もクーラーボックスに入ってるから食べときなよ」

「私の分?」

「みんなの分あるって言ったでしょ?」

「いや、そうだが………当麻が食べているのではなかったのか?」


撮影時に差し入れられる菓子類が甘いものの場合、当麻は何の遠慮もなく征士の分まで食べてしまう。
嫌がらせではなくて、征士が甘いものを好まないのを覚えているからだ。
誰も食べないのなら食べるという甘党で食いしん坊の当麻は、征士を避けるようになってからもそれだけは相変わらずで、親戚のオジサンの分を何も聞かずに
自分の分にカウントしていたというのに、今回に限って彼は手をつけなかったらしい。


「うん、………だから余計にみんな、気にしてるんだ」


外国人モデルを使うことが常だった会社との仕事は初めてだが、カメラもメイクも衣装も、どのスタッフも見覚えのある者ばかりの現場だ。
勿論、当麻が征士の分まで食べてしまうことは誰もが知っている。
だからこそ当麻の異変に誰もが驚いた。


「それで当麻は今どこだ?」

「真田君と奥の廊下で食べてるよ」

「…奥?」

「うん。この現場で一番当麻と仲がいいスタッフは真田君だからね。先生が彼に、当麻をリラックスさせてあげてって言って2人でアイス食べてる。
天気も眺めもいいから最初は縁側で食べようとしたんだけど、肌が焼けて赤くなったら困るからってメイクさんに言われて仕方なく奥にいるんだよ」


そう言った伸は、先ほどまでいた部屋の更に奥を指差してみせた。
襖が閉まっているし向こうは何も見えないが、征士もそれに倣う。


「まぁ、…そういう状況。もう少ししたら撮影を開始する予定だね。…兎に角当麻から伝言だけは預かってるから」

「何と?」

「”グリーンティはそんなに甘くないから食べたら”って」

「なるほどな」


無視はされているが会話は聞いていてくれているらしい。
それが妙に可笑しくて征士は少し笑えてくる。
可愛いじゃないか。素直にそう思えた。


「…ところで伸」

「なんだい?」

「その、…カメラマンはここで暮らす予定でもあるのだろうか?」

「へ?」


突然の質問に伸が間抜けな声を出す。
征士が見ていたのはそんな伸の顔。ではなく、その奥に見えた妙なフックだ。
しかし伸はその視線の先には意識を向けず、突然意味の解らない事を言い出した男の顔をマジマジと見ていた。


「何、急に」

「いや、……何となく思っただけだ」

「何でまた」

「………………。いや、撮影用だと聞いた気がしたのだが、さっき内外全て見て回ったところ給湯器も新しかったし風呂も台所も全てやり直したばかりの
ようだったからな。気に入ったあまりにここに住む予定でもあるのかと思っただけだ」

「さぁ、それは知らないけど…でもさっき真田君が、先生はたまにここで寝泊りしてるみたいな事を言ってたからそれでかもね」

「ほお」

「でも買ってから随分経ってたから改装は大変だったみたい」

「随分前に買った?」

「うん」


伸がぺたりと柱に手を添える。
その柱も古かった。


「何でも買ったのは大体20年くらい前なんだって」

「……なに?」


征士の眉間に皺が寄った。
買ったのは20年前。それにしては設備が新しい。


「改装は最近なのか?」

「うん。3ヶ月前とか言ってた」

「誰が」

「真田君」


ならばその情報に誤りはないだろうと何となく思う。
しかし3ヶ月前とはまた…


「当麻のモデルデビューは確か3ヶ月前ではなかったか?」

「そ」

「………………」

「そんな複雑に考えなくていいと思うよ?」


苦笑いをした伸が指を伸ばして征士の眉間の皺をぐいっと押す。
その指を鬱陶しそうに払いのけると、征士は自分でも皺を伸ばし始めた。


「何が言いたいんだ?」

「キミ、何か考えてるなって思ったから」

「何を考えていると思ったんだ」

「知らないよ、キミの頭の中なんて。ただ何か悪く考えてるんだろうなとは思った。当麻関係で」

「…敏感になってもしかたないだろう。私の仕事は当麻を護ることだ」

「”親戚のオジサン”は心配性だね」

「…………少し引っ掛かっただけだ。それより何か知っているのか」


続きを促すと伸は事も無げに笑った。


「何でもね、いつか撮影に使いたいと思って20年前に買ったまでは良かったけどその機会はなかなか訪れないし、どういう写真が撮りたいっていうイメージもないまま
過ごしたんだって。それである日、他の人が撮ったものだけど当麻を見つけた。そしたらイメージが沸いてきて、それで急いで改装したのが3ヶ月前」

「機材が持ち込めるように改装するのは解るが、生活のための設備まで整える意味は何だ」

「さあ?愛着が沸いてたんじゃないかな。僕は詳しくは知らないよ。真田君から聞いた話だけだもの」


やっと念願がかなうって高橋さん張り切ってたよ、と伸は言った。
征士はそれを聞きながら眉間の皺と格闘していた。




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給湯器なんて地球に優しいエコ仕様という張り切りっぷり。