ストロボ



「兎に角、キミたちには住み込みで警護してもらうからね」


自らが運転する車の中で伸はルームミラー越しに後部座席に座る2人へそう言い放った。
元々そう聞いている依頼だから秀は素直に頷いたが、征士は何の反応もない。
それに助手席のナスティが苦笑いをした。


「はい、質問」


秀だ。


「はい、じゃあ秀くん」


比較するまでもなく好意的な秀のおどけた声に、伸も軽い口調で返す。





「俺らが寝泊りできるくらいの部屋があるって事だよな?」

「そうだよ」


すぐに答えると秀はズルズルとシートに沈み、はぁと溜息を零す。


「…?どうしたんだい?」

「いやぁ、スゲェ稼ぎがいいんだなと思って。当麻」


メディアへの露出が急激に増えたのはここ三ヶ月ほど前で、デビューの時期も殆ど変わらない。
モデルになるために様々な勉強を始めたのだって半年前だと確か妹達が騒いでいたのにと秀は益々、息が漏れてしまう。

俺なんてまだ実家住みだぜ…

それが解ったのかそうではないのかは判らないが、伸が違うよと笑った。


「当麻は僕の家に、僕と住んでるんだ」

「…社長と?」


今度は征士だった。
若干、未だに棘を含んでいるような気がするのは伸だけではない筈だ。


「そう、あの子の日本での保護者は僕だからね」

「社長さんの家じゃ当然か」


ちょっと安心した秀だ。
だがすぐに社長ってやっぱ儲かるのね、なんて考えてしまう。

一般的なモデル事務所がどうかは知らないが、新人なのに異例としか言いようのないスピードでギャラが跳ね上がっているとか何とか、
確か芸能ニュースで見たような気がするのだ。
その彼を抱えている事務所なら、さぞ儲かっているのだろう。
セレブレティが主な顧客の警備会社に20にも満たない子供の警護を頼むほどだ。そりゃそうなのだろう。
当麻個人も心配だろうが、何かあっては事務所としても大損害だ。

だがそんな秀の考えをよそに、ナスティが心配そうな声をかけた。


「でもあなた、大丈夫なの?」

「何がだい?あぁ、支払いなら大丈夫だよ。当麻のお陰でね」

「そうじゃないわ。………アレ以降、沢山苦労もあったでしょうに、今は当麻のことにほぼかかりっきり。ちゃんと休めてるの?」


彼とナスティは大学時代の友人だと確か聞いていたが、と秀はふと思う。
どうも女性というのは元より母性本能で、同い年くらいまでが相手だとどうあっても年上のようになるのだろうか。
そう言えば近所の幼馴染もよく自分に知ったような口を聞くな、と考えていると、征士が口を挟んだ。


「アレ以降、とは?」


だがそれをナスティが視線だけで嗜める。
しかし伸はほんの少しだけ笑って、まぁどうせ関わってくるといずれ知られる話だし、と口を開いた。


「僕の事務所は、元は姉夫婦が経営していた事務所なんだ」

「ほお」

「だから僕の住んでる今の家も、姉さんたちのもの」

「じゃあ事務所も家も、全部譲り受けたん?」


だとしたらその姉達はどこへ行ったと言うのだろうか。
秀だけでなく、無表情なりに征士も興味を引かれたらしいことは気配で解った。


「譲り受けたっていうか……遺産相続、かな」

「…遺産?」

「伸のお姉さま夫婦はね、…2年前に不幸な事故でお亡くなりになってるのよ」


ナスティが小さく言った。
どう反応していいのか解らず、秀は複雑な表情を浮かべた。


「まぁそれでね、僕もそれまで勤めてた会社を辞めて、事務所を引き継いだんだけど…」


姉夫婦から話は聞いていたし、経理関係の事はたまに手伝ったりもしていた。
だが実際に全てを回すとなると勝手が何一つ解らない。
業界でも屈指の大所帯だった事務所は暫くの間はネームバリューもあって保ったが、あれよあれよと言う間に経営状態は悪くなっていき、
抱えていた人気モデルたちの何人かは事務所を移籍する事になった。
全員ではないから当然、数人は残っていたが、それでもどうにかできるレベルではない。
新しい経営者が素人だと知ると、業界は鮮やかなまでに冷たかった。
そんな中をどうにかこうにか必死にやってきて、転機が訪れたのは半年前。

当麻が、伸の事務所にやってきた時だった。


「いきなり来てね、モデル志望だって言うんだ」


突然現れた少年は、一目でも見れば忘れようもないほどのインパクトと、ただ居るだけで人心を掴むカリスマ性を持っていた。
モデルとしての魅せ方を何も学んでいない時点でこうだ。これはとんでもない原石だと伸は驚いた。

だが残念な事に伸の事務所は正直、弱小と言われる中でも更に弱い立場へと追いやられていた。
だからこんなところではなく、もっと大きな場所へ行くべきだと思った。
これほどの素材だ。埋もれさせるのは惜しすぎる。
モデルという生きた芸術品に敬意を払っていた姉夫婦が今の立場だったとしても、同じ事をしただろう。

だから伸はもっと大きな事務所へと言い、自分のところから何人かモデルを引き取ってくれた、トップを誇る事務所の連絡先を渡そうとした。

だが、当麻は言ったのだ。
「どこも相手にしてくれなかった」。


嘘だというのはすぐに解った。
こんなにも圧倒的な存在感を見せ付けているのに、それを相手にしないなど余程の馬鹿だ。
そんな間抜けはこの業界、少なくともトップにはいない。
どういうわけかよく解らないが、妙な嘘を吐く少年に理由を聞こうとしたがもう一度当麻は繰り返した。

「モデルをやりたい。ここで雇ってくれ」と。





変な子だよね、と伸は笑った。


「じゃあ面接するから履歴書を見せてって言ったら、出してきた経歴もオカシ過ぎるしさ。何でアメリカで大学卒業までしてるのに、
モデルになるなんて言い出したのやら…」

「でもそのお陰で事務所、持ち直したんすね」

「そう。当麻が自分の価値を引き上げると同時に、うちの事務所の価値も盛り返した。大した子だよ」

「……先ほど、日本での保護者は自分だと言っていたな。当麻のご両親はどうしているんだ」


突然、征士が話を変えた。
気になっていたのだろうかと秀は隣を見るが、別にどうという顔もしていない。


「当麻のお母さんはアメリカにいるよ」

「しかし彼は未成年だ。モデルをするには親の了解が要るだろう。母親はアメリカだというが、父親はどうした」


また伸がルームミラー越しに征士を見た。

業界を嫌っていたり、なのに妙に詳しかったり。
一体何者だろうかと見つめてみる。
もしかして元モデルだろうかと考えたが、それはすぐに否定する。
こんなにも強烈な美貌だ。一度でも世に出ていれば当麻同様、忘れようがない。
では地方で活躍するタレントや若しくは裏方関係の仕事をしていた可能性を睨んだが、それだってすぐに注目されてどこかで引き立てられるだろう。
それを思うと、大きな意味での業界とさえ全く関係のないのだろう事は解る。

だが、妙だ。
ずっと刺々しい。
元からこういった性格なのかもしれないが、そんな人間をナスティが雇うとも思えない。

考えるだけ時間の無駄かな、と伸は思考を切り捨てた。


「当麻の家族構成について勝手に話すわけにはいかないから、簡単にだけ言うよ。当麻は母子家庭だ。母1人子1人のね。
お父さんは当麻が幼い頃に出て行ったらしい。お母さんはアメリカで生活している。だから僕は連絡を取り合って、それで許可を得た」


まるで、お解かり?と言うように伸は口早に話した。


「母1人子1人というなら、何故その母親と離れて日本へ帰ってきた」


だが征士はまだ食い下がる。
本当に変な男だなと思ったが、もう面倒だ。知ってる事は全て話しておかないとこの男の質問攻めは終わりそうにないなと腹を括る。


「僕もよくは知らないけど、お母さんはあっちに住む理由があって当麻は帰国を望んだ。でもお母さんに自分は元気だって伝えたくて、
どうやればいいかって考えた結果が、モデルだったんだって」

「何故」

「”有名になればメディアに取り上げられる。雑誌に載る”」

「他にも手段はあるだろう。何故モデルだ」


まるでモデルを根本的に否定するような口調に、車内の空気が僅かに張り詰める。
自分のそれまでの仕事を捨ててまで姉夫婦の跡を継ぐほどだから、伸というのは姉夫婦へも、そしてモデルという職業に対しても敬意を持っている事は
容易に想像できた。
両者の間には奇妙に冷たい壁が出来る。


「当麻曰く、演技は苦手だから役者は出来ないし、極度の音痴だから歌手なんて以ての外だった。だから、だってさ」


さぁ、着いたよ。
伸が言った。
車はいつの間にか地下駐車場へは言っていたらしいが、それさえ気付かないほどに空気は硬かった。




*****
秀、板ばさみの予感。