ストロボ
「じゃあ今日は僕が運転するから」
出発時に、伸は嬉しそうにそう言って「は?」と言っている秀の手から車のキーをアッサリと奪った。
運転席に入り込んでエンジンをかける伸を暫く呆然と見ていた3人だが、それぞれに諦めたのか大人しく車に近付く。
「ストップ」
だがドアに手をかけた瞬間、伸の鋭い声が車庫に響いた。
「何だよ」
「ボディガードが2人揃って後部座席って変でしょ」
助手席に乗り込もうとしていた当麻を、伸は笑いながら牽制する。
確かに考えてみれば変は変だ。
言いたい事はあるようだが反論できない当麻は口を尖らせて、運転席の後ろに座ろうとしていた征士に視線を送った。
言葉は無い。
征士からの返事も。
だが思うところのある彼はそれだけで了解して、助手席に回りこもうと掴んでいたドアを放す。
するとまた、
「それもストップ」
と伸が言った。
「え、なに。どうしたらいいんだよ」
秀が言った。
今度は伸はそちらを向いて、当麻に向けたものとはまた種類の違う笑みを見せた。
それは拒否を許さない迫力があった。
「秀、暫くこの車線を走ってたらいいのかな」
「あー、混むみたいなのかして、もう1本向こうの車線に入れ的な指示出てる」
「右?でも入れそうにないしなぁ」
「まあこの先暫く行きゃ左折だし、今のままでもいいんじゃねぇの?」
運転席にいる伸は、カーナビの画面の守りを秀に任せて暢気に鼻唄交じりに運転している。
僕さぁ運転する時に隣で黙られてるの嫌なんだよね。
なんて言って伸は征士が助手席に座ることを拒否した。
そうなると助手席に座る人間は、秀しか選択肢が残されていない。
それは構わない。
だが秀は遠回しの指名を受けたとき、不安そうな顔をした。
キャラメルの箱を開けて後部座席の当麻に1粒渡すフリをしながら、様子を伺う。
ダメダこりゃ。
そう思った。
最近、当麻も征士も様子がおかしい。
話している時や遊んでいる時、勿論仕事をしているときの当麻は今までと何も変わらないのだが、意識がどこにも向かっていない時の様子が今までと
全く違っている。
ぼんやりとしていて、どことなく寂しそうだ。
そして征士は征士で、時々思い悩んだり自信をなくしたりしているように見えた。
今までの彼ならそんな姿を誰かに見せるような事はなかったというのに。
そんな2人は、家の中でお互いにぎこちない。
無理に無視したり、かと思えば何か言いたげにしてやっぱりやめたり。
ただ完全に何かに落ち込んだりしているというわけではないらしく、仕事中は相変わらずだった。
当麻は伸曰くの「あてつけ」行動に出ることもあるし、征士は相変わらず眉間に皺を刻んで険しい顔をしている。
絶賛そんな状態なので、秀としてはあまり2人を近付けないようにしてやりたかった。
きっと2人ともタイミング悪く落ち込みやすい期間だったのだろう。
そんな時にそんな2人を一緒にするとお互いがお互いを引っ張って、落ち込みが長期化する恐れもある。
だから助手席は征士に乗ってもらった方が良かったのだが、どういうワケだか伸がそれを許さなかった。
伸という人物は慣れ親しんだ相手には偶にイジワルを言うことはあっても、考え無しに何かをする人間じゃないというのは秀だって解ってはいる。
だからきっと何か思う所があってこの配置にしたのだろうけれど、それにしても。
「………当麻ー、キャラメル、食う?」
極力笑って話しかけると、物憂げな色を浮かべて窓の外を眺めていた青い目が、秀のほうを向いた。
「あ、」
「当麻、キャラメル食べたら勿体無いよ?」
受け取ろうと手を伸ばしかけた当麻を、ルームミラー越しに確認した伸が嗜めた。
「勿体無い?」
様子伺いのきっかけを阻止された秀は少し面白くない。
だが伸の言葉に何かがあるように聞こえてそちらに気持ちを傾けた。
「勿体無いんだって。…秀、キミもしかして今日の現場、ちゃんと確認してないね?」
伸が意図的に声を低くすると、秀が首を竦めた。
出かける直前まで当麻と遊んでいて、スケジュールの確認を怠ったのは確かに自分だ。
気ぃ緩んできてんな、俺。
「さぁ、今日一発目の仕事は何でしょうか。そうだなぁー……じゃ、征士」
伸は上機嫌なのか一人で勝手に進行して、征士を回答者に選ぶ。
「……期間限定のアイスのポスター撮りだ」
征士の紫の目に冷たく見られ、秀はいよいよ立つ瀬がない。
更に首を竦めて、反省を強いられた。
「アイスね、…ハイ」
「アイスって……リバティのアイス?」
助手席のシートを掴んでまで当麻が身を乗り出す。
後ろを向くために身体を捻ったままの秀と、危うく頭同士をぶつけそうになったのを、征士が無言で当麻の身体を引き戻して回避させた。
それを睨むような、戸惑うような目で見た当麻だがすぐに意識をアイスに戻す。
「え、ねぇ伸、アイスってリバティのやつ?」
「そうだよ、キミがずっと楽しみにしてた仕事だよ」
「楽しみ?何で?」
伸の答えに喜ぶ当麻。その意味が解らず秀が聞くと、漸く活き活きとした目に戻った当麻が意味もなく秀の頬を抓った。
「いふぁふぁ、あにふんらよ!」
「リバティのアイス!リバティのアイス!」
「当麻、秀で遊んじゃ駄目だよ」
見かねた伸が注意して漸く秀の頬は自由を取り戻した。
ヒリヒリとする箇所を擦る秀に、斜め後ろから刺さりそうなほど鋭い視線が送られているのを彼は気付いていた。
だが怖くて振り向く勇気が一切出ないのだ。
「……………当麻がここまで喜ぶという事は、食べる仕事か」
征士の確認は、当麻本人ではなく前に座っている伸に向けられた。
それに伸が口端で笑みを噛み殺しながら頷く。
「そういう事。当麻、この時期に撮るって事は大体想像付くと思うけど」
「グリーンティだろ!?」
甘いものを普段食べつけない征士には全く意図の掴めない会話だ。
だが当麻は相変わらず嬉しそうにしている。
流石に秀はここまでくれば何となく察しが着いたようで、あっと短い声を上げた。
「リバティのグリーンティがまた出るのか」
「だからそれが一体どうしたというんだ」
一人会話からおいて行かれた征士が不服そうに見た先は秀で、やはり当麻のほうを向こうとしない。
それについて秀は表情に出ないように気をつけながら慎重に振り返った。
「リバティっつーんは知ってる?」
「いいや」
「……お前ほんとーに甘いものとかスイーツ系に興味ゼロなのな…」
「別に興味がなくとも生きていけるだろう。で、何だ。そのリバティというのはアイスのメーカー名か」
そう、と今度は伸が答える。
当麻は既に窓の外に視線を戻していた。
「リバティは海外のアイスメーカーなんだけど、日本でも20代30代の女性を中心に人気があるんだよ。最近じゃ男性もファンが増えてきたかな?
兎に角そこのアイスって定番が数種類と、期間限定品がたまぁに出るんだけど、その期間限定部門でダントツ人気なのがグリーンティなんだ」
「ほぉ」
「で、その季節が近付いてきんだよ。因みにリバティはテレビCMはやらないんだ。出すのはいつも店舗に貼るか大看板かのポスターだけ。
いつも外国人モデル、それも女性を起用してたんだけど、当麻が今回のイメージキャラクターに選ばれたってワケ。凄いでしょ?」
「……………。…しかし今も、少し先にしても新茶の季節ではないではないか」
「そういうスタンスで出してるアイスじゃないんだよ」
「………………外国人に新茶の季節を知れというのが無理な相談か…」
「キミの容姿でそれ言うと物凄く面白い冗談に聞こえるから不思議だね」
「……………」
何の悪意もなく伸に言われ、征士は黙った。
言われずとも自分が日本人離れした派手な容姿だというのは、本人も重々承知だ。
「まぁ今日の最初のお仕事の現場がそれだからね。勿論、スタッフ全員分のアイスが差し入れであるからさぁ……当麻、おやつ、他に食べちゃ駄目だからね」
言葉の後半は後部座席に向かって言うと、視線は窓の外のままに当麻が頷いた。
伸はソレをルームミラー越しに確認して、また笑みを噛み殺した。
*****
お互いがお互いに意識しすぎ。