ストロボ



普段でも神秘的に青い髪は、陽の光が当たって一際鮮やかな彩をみせる。
薄い布から透けている肉体には一切の媚も穢れも無い。
翻った布の影はまるで羽のように広がって、その姿は天使そのものだ。

大きく引き伸ばした写真の、素肌が顕わになった2つの膨らみに男は恍惚として舌を這わせた。


「…綺麗、………きれい、……はぁ、…はぁ……」


股間に伸ばした右手を忙しなく動かして、うっとりと微笑む。
写真の人物は男と目を合わすことは勿論無いが、それでも男は嬉しそうに何度もその人物に向かって名を呼んだ。

写真は大きな釘で床に縫いとめられている。
その釘は、少年の向かいに立っている青年の心臓辺りに突き立てられていた。
青年の顔は、鋭利なもので幾つも引っかき傷がつけられ、既に顔の造形が解らないまでになっていた。







再来月に掲載予定だと届けられた記事のインタビュー内容を秀に散々にからかわれた。他に言うことねぇのかよ、なんて。
そこにあった写真をカメラで撮り、いつものように夜になるのを待ってからメールに添付して送ると、すぐに返信を知らせる着信音が鳴った。


『深爪はしちゃ駄目って言ったのに、この写真、また深爪じゃない。』


折角ちゃんと服を着た仕事を送ったのに最初に見るのがそこかよ、と当麻は笑いながら独り言を零し、すぐに返事を打った。


『つい切りすぎるんだよな。でもホラ、深く切っておけば伸びたなっていうところまでの時間が長いから。そういう合理性。』

『屁理屈捏ねるんじゃないの。深爪は爪にも指にも良くないわよ。それよりこのパスタ、美味しかった?』

『物凄く美味しかった。実はオカワリもした。』

『いいなぁ。母さんも食べたかったなあ。』

『何言ってんの。俺はお仕事で食べたのよ?』

『こんな幸せそうな顔して食べて、何がお仕事なの!』


ただの文章なのに、声まで聞こえてきそうな内容に当麻はまた笑う。


『(笑)。それより、そっちはどう?特に何も変わってない?』

『何にも変わってないわ』

『良くも?』

『安定してるのよ。それより当麻、征士くんに会った?』


不意に出された名前に思考が停止する。
どう答えて良いのか悩んでいると追い討ちのようにまたメールが届いた。


『当麻?会ったの?』


腹の底が、重い。
けれどメールを無視する事は出来ない。
仕方なく、当麻はどうにか文章を打った。


『前も電話で名前出してたけどさ、母さん、征士兄ちゃんに会いたいの?』

『そうじゃないわ。ただ、日本に戻って半年でしょう?会ったのかなと思ったの』

『     』

『返信が無いのは寝たからなの?それとも何か都合が悪いの?』

『寝てないし都合も悪くない。あのさ、母さん、本当は会いたいの?』

『結局最後に嘘を吐いたままになってるから気にしてるのよ。そもそも会えるわけないでしょ。日本に帰れないんだから。』

『征士兄ちゃんがそっちに行けば会えるだろ』


彼女は何一つ悪くないのだが、つい態度が雑になる。
すると返信はすぐに返された。


『どうしたの?』

『なにが』

『返信早いわね』

『3文字だけなんだから当たり前。それより何が?』

『あなた、機嫌が悪いみたい。何かあったの?』

『文面に機嫌が良いも悪いもないだろ。何もないよ。最近仕事が増えて疲れてるだけ。』

『嘘』

『返信早いね』

『茶化さないの。当麻、何かあったのね?まさかあの家の人間が何か言ってきたの?』

『     』




母親からのメールが届いてから3分ほど、当麻のメールは途切れた。
すると痺れを切らしたのか今度は電話が鳴り始める。
当麻は溜息を吐いた。


「………何、母さん」

「”あの家”の人間が、あなたに何か言ったのね!?」


声が険しい。
明らかに含まれた怒気に、当麻は二度目の溜息を吐いた。


「母さん、落ち着いてよ。興奮するのは良くない」

「落ち着けるわけないでしょう!?」


自分を追い出した事については今更どうでもいいが、宿った命に対しての仕打ちを母は未だに許していない。
まだ産まれてもいない頃から、彼らは彼女の大事な子供に向かって罵声を浴びせ続けたのだ。
それを許せるわけなどない。


「大丈夫だから。母さん、本当、大丈夫」

「……………………」

「何も言われてないよ。俺はずっと平穏」

「………本当に?」

「本当、誓って言う」

「…………………………わかったわ」

「うん」

「……ごめんね、当麻」

「いいよ。俺こそゴメン。それより母さん、大丈夫?」

「大丈夫よ」

「そう。…でもちょっと寝た方がいいかもね」

「………そうね。あなたも、そっちは夜でしょう?寝る?」

「うん。もう寝る」

「おやすみなさい」

「うん、おやすみ」





通話を終えた携帯電話を枕元に置くと、当麻はうつ伏せてシーツに埋もれた。
溜息しか出てこない。


日本に戻ったのが半年前。
13年も離れている間に景色は随分と変わっていた。
アメリカにいた頃にも生まれた国の事はニュースで時折は見たが、それでも実際目にすると驚くことも多かった。

知り合いなんて誰もいない。
唯一知るのは伊達征士という男だけだが彼を頼るわけには行かない。
下手に接触を持って彼の立場を悪くはしたくなかったし、話が悪いほうに転べば母親の居場所が伊達家の人間にバレてしまう可能性だってある。
どちらにせよモデルになれば、母親によく似た自分の存在は彼らの知る所になるだろうがそれは覚悟の上だ。
何を言われても、誰が来ても素知らぬ顔で自分のすべき事を遣り遂げればいい。

そう思って、半年前、日本に帰ってきた。

覚悟はとっくにしていた。
それでもやっぱり。


「…初っ端ってのが効いたのかなぁ」


解りきっていたことだ。気にするまでもないと思っていたが、やはり引っ掛かっていたのかも知れない。


”アンタなんて生まれなければ良かったのに”


モデルとして最初の仕事をこなした翌日に、どうやって探し当てたのか知らないが、現れた人物が言った言葉。
無視を決め込んで相手にしなかった。相手は顔を歪めて罵声を続けたがそれでも取り合わなかった。

きっと明日も明後日も来る。そう思っていた。
だから腹に力を入れて備えた。
何を言われても、何をされても、絶対に目的は果たす。その為に、単身日本に帰ってきたのだから。

だがその人は来なかった。
次の日も、その次の日も。


あの家の人間に何かいわれたのかと言う母親の問いには、少し嘘を吐いた。
けれど平穏だというのは本当だ。
何があったのか知らないがあれ以来あの家の、伊達家の人間は当麻の前に現れていない。
征士を除いて。

拍子抜けしたが、それならそれで有難い。自分の成すべき事を順調にこなせる。
そうやって喜んでいた矢先に、征士が現れた。
もうずっと会ってはいなかったが彼だと一目で解った。

勿論、”征士兄ちゃん”の事は信頼していた。だがそれでも突然現れた”伊達家”の人間に、思わず悲鳴をあげ、そして警戒した。
彼がそこに現れた事情は理解できた。なら別に構わないと思った。


彼は悪くない。
母も悪くない。
ただ、あの言葉が悪いのだ。それに苛立つ自分が悪いのだ。


解ってはいてもどうしようもない。


「俺が生まれたのを喜んでくれたのって、母さんと征士兄ちゃんだけだ……………」


あ、親父もいたか。と思い出したように呟く当麻の表情は苦々しいものだった。
渡米して暫くの後に女を作って自分と母親を捨てた男は今では完全に音信不通だが、今更会いたいとも思わないので、当麻にとってそれは
さして問題ではない。


「俺って案外、不幸な星の下に生まれたのかもね」


そう悲観的に考えて、それを追い払うように寝返りを打った。


「違うな。違う違う。飛び級しちゃって将来を嘱望されちゃうくらい天才なのに、半年で売れっ子モデルになれちゃうくらい見た目がイイんだ。
寧ろ俺ってラッキーだ」


だから俺の音痴は愛嬌だ。
そう言ってから口端に無理矢理笑みを作る。
人間、気持ちが沈んでいても無理に笑えばそれに心がついてくるものだ。

自分以外に誰もいない部屋で満面の笑みを作り続けた当麻は、暫くして頬が疲れたといって誰に聞かせるでもない文句を言い、
そしてそれからものの数分で眠りに落ちた。




*****
丸くなって眠る。