ストロボ
宣言どおり実行した二度寝は秀によって起こされた。
頭のてっぺんあたりでピコンと跳ねた髪を豪快に笑われ、お前の鼾凄ぇ間抜けだったと言って、携帯に録音しておいた音声を聞かせてやろうかと思ったのだが、
これはもっと彼が思わぬときに聞かせてその間抜け面を拝みたい。
その時の事を考えて当麻はぐっと我慢した。
適当にスウェットパンツを穿いて階下に降りると既に伸が帰っている。
髪も綺麗だし服も昨日のものと違っていることから、既に風呂も済ませたのだと解った。
「当麻、キミ二度寝したんだって?」
そう宣言したのを聞いていたのは征士だけだ。
伸のほうを向いたまま、視線だけを征士に送ったが彼はいつもどおりの無表情で其処にいた。
それがまた、妙に腹立たしい。
「…いーだろ、ちょっとくらい」
「別に悪いって言ってないよ、昨日は遅かったしね。でもこの寝癖、凄いね」
ピコンと主張している髪を寝かせるように何度か頭を撫でた伸の手は、少ししてすぐに離れた。
やけにニコニコとしている。
「何かいいことあったの?」
「んー、ちょっとね。それより当麻、もう少ししたら出ようと思うんだけど大丈夫?」
時計は昼前だ。
今日最初の仕事場までの時間を考えると出発には少し早い。
「……昼飯、外?」
「まぁそんな感じ」
「寝癖、ヤバイ?」
「大丈夫だよ。今日最初の仕事は雑誌のインタビューって言ったよね?先方さんがね、食べながら話しましょって言ってたから」
「ナニソレ、いいの?」
「当麻が食べるのが好きだって言ったら、じゃあリラックスしてもらった状態で、自然のままで進めたいって」
「へぇ」
「その途中で写真も撮るみたいだから、昼ご飯の前にメイクなんかも入るしそのままで出ても大丈夫だよ」
じゃあ本当にこのまま出ようかと考える。
だらしない格好だが、寝癖頭にはちょうどいい。
社長の許可さえ出れば問題はないはずだ。
「じゃ、俺、このまま行ってもいい?」
「んー………ま、それでも見栄えがいいからイイんじゃないかな。うん。何か可愛いから有りだね」
お伺いを立てるとすぐに許可は出た。
視界の端で征士が眉間に皺を寄せたが知るものか。寧ろ気分は良くなった。
可愛いという伸の言葉どおり、当麻のピコンと跳ねた寝癖と緩い格好は現場スタッフに大受けだった。
飾らない子ねと明らかに場で一番地位が上の女性スタッフがにこやかに言う。
豪快な寝癖だねぇ、とカメラ担当の男性スタッフがその寝癖を弄る。
ヘアメイク担当や衣装担当は遠巻きにキャアキャアと黄色い声を上げて少年の愛らしさに盛り上がった。
その度に当麻はヘニャっとした笑みを向けて、愛想を振りまく。
そしてその度に征士の眉間の皺がぎゅうぎゅうと寄るのだ。
「……すげぇなー…俺なんて頭に寝癖つけたままだったら、せいぜい取れるのは笑いくらいだぜ…」
後は、だらしねぇって怒られる。
そうぼやく秀に横で伸はまた、どちらかと言うとニヤニヤという表現が似合うような笑みを浮かべている。
「そう?母親なら可愛いって思ってくれるんじゃないかな」
「まさか!母ちゃんだったら、アンタ本当にだらしない子だね!って怒るよ、俺ん家の場合」
「そうかな」
「怒る怒る。つーか当麻はまだ17歳だから可愛がられるけど、俺、30だしな」
「確かに30歳でそれは怒られるかもしれないけど、キミだって17歳の当時なら可愛いって言われてたと思うよ?」
伸の言葉に、そうかな?と秀は考えたがすぐに、ソレは無いという結論に達する。
「……いや、やっぱ人によるって、絶対。当麻って40手前とかになっても可愛いって言われるタイプだと思う」
「そう?………あぁ、でもまぁそうかもね。ね?征士」
さっきから不機嫌オーラを出している男の背に声をかけると、一瞬その背がビクリと跳ねて、それにまた伸は笑った。
「…すまん、聞いていなかった。何の話だ?」
「この距離で聞いてないとか、お前、ちょっと気ぃ緩んでんのかよ。…当麻はオッサンになってもああやって可愛いって言ってもらえるタイプだよなって話」
「ほら、当麻って誰が見たって可愛いじゃない?それこそ男女問わずに可愛がられるタイプでしょ」
「…………………だらしないのは良くないことだ」
何だか見当違いの答えを寄越しているが、やはり征士の機嫌は良くないようだ。
慣れたとはいえ、少しは疲れてしまう。秀は溜息を吐いた。
「あ、当麻移動するみたいだよ。…秀」
さっきまで寝癖をタネに談笑の輪にいた当麻が、メイク担当に呼ばれて移動をするようで、視線だけで伸にソレを訴えた。
当麻が移動するのなら、警護に当たっている人間も当然、ついて行かなければばならない。
基本的にこういう時の役目は秀だ。
見目麗しい征士をつけるとスタッフも最初は喜ぶのだが、終始睨むような目で見られていると、まるで自分の仕事振りを審査されているようで緊張を強いられると
最終的には疲れてしまう。
それを気遣っていつも行動を共にするのは秀のほうだった。
「お、んじゃ行ってきます」
秀が追いつくと当麻がその横にピッタリとくっついて、何やら話している。
時々、笑い声を交えた会話はそのまま遠のいていった。
「そんなに睨まなくたっていいじゃない」
「…何がだ」
「眉間の皺、凄いよ?」
伸に指摘され眉間に触れると確かに深い皺が刻まれていて、征士は指でそれを伸ばした。
「今回はちゃんと服着ての仕事なんだからそんなに目くじら立てないでやってよ」
「私は何も言ってないだろう」
「言いたそうな顔をしてるんだもん」
「服を着ているのなら文句は無い」
「よく言うよ、当麻が愛想振りまくたびに怖い顔しといて」
伸は笑った。
今度こそハッキリとニヤニヤした顔だ。
「この顔は生まれつきだと言っているだろう」
「そんなことないと思うけどなぁ」
「……………」
「ね、それより子供の頃の当麻ってどんな子だったの?」
「何だ、藪から棒に」
それなりの日数を共に暮らしているがそんな話題を振られるのは、改めて考えると初めてだ。
それもこんなタイミングで急にだなんて、征士はまた眉間に皺を寄せた。
「また皺」
「………。…で、何なんだ急に」
「いや、だってさ。ふと思ったんだけど、キミは当麻が4歳の頃まで見てるわけじゃない?」
「まあな」
「前に飲んだときにキミの事は聞いたけど、そう言えば昔の当麻の事って聞いてなかったなと思って」
確かに征士が泥酔したあの日、伸と話した事といえば自分たちの事だけだったなと思い出した征士は、しかしやはりまた眉間に皺を寄せた。
「今話さなくてもいいだろう」
「でも僕忙しいからさ、思い立った時に行動しとかないとチャンス逃しちゃうんだよね」
その言葉に征士も、それもそうか、と妙に納得してしまう。
実際、夜中に呼び出された彼が帰って来たのは朝の話で、そうでなくても普段から家事をしている以外の時間の殆どは何かしら仕事をしている。
移動中の車の中でだって頻りに電話が入っているのだ。
それを考えれば彼のいう事は尤もなのかも知れない。
当麻の面倒を見てくれている、親代わりの人だ。
彼を可愛がってくれていることも征士だって解っている。
愛着も沸くのだろう、そうなれば彼の幼い頃のことも知りたくもなるのかもしれない。
「…そう、だな…………あれの子供の頃は………そうだなぁ…」
話そうとは思うのだが、征士は言い澱んでしまった。
可愛かった。そう、可愛かったのは確かだ。
親以外の人間をちゃんと認識できているのかどうかさえ解らない時期から自分を見ると無垢な笑みを浮かべ、指を差し出せばきゅっと握り返してきた小さな手。
はいはいを覚えると自分の元まで必死に近寄り、歩けるようになると今度は覚束無い足取りで、それでも一生懸命に向かって来てくれていた。
走れるようにまでなった頃には、自分が遊びに行くたびに玄関までパタパタと軽やかな足音を立てて迎えに来てくれていたのも覚えている。
そのどれもが最高の笑顔ばかりだった。
血の繋がりの無い者から見ても当麻は可愛かったのだから、親戚の征士からすればそれは更に可愛く見えていた。
だが素直に可愛かったという言葉が出てこない。
いや、出そうと思えば出せるのだが、それを言おうとすると今の当麻の姿が脳裏に浮かぶ。
今話題に出ているのは子供の頃の当麻のことだ。
なのに浮かんでいるのは今の当麻だ。例えば、寝癖をつけていたさっきの。
「あれ?可愛かったんじゃないの?」
なかなか言葉を続けない征士に、伸が不思議そうに聞いてくる。
それに征士も、可愛かった、と答えたいのだがどうしてもさっきの寝癖頭が頭から離れてくれない。
別にそのまま普通に可愛かったと答えればいいのだろうけれど、つい、どうしても、さっきの寝癖頭が可愛いという意識が沸いて来るものだから困ってしまう。
「………征士?」
いつまでも答えない征士に、いよいよ伸が不審がり始める。
「あ、いや、その……」
「可愛かったの?可愛くなかったの?」
「その…」
「何だよ、ハッキリ言ってよね」
「いや、その……か、……可愛か、った」
どうにか言葉にすると、左手に頬の感触が戻ってくる。
幼い頃に触れたものとは少し変わっていたけれど、それでも相変わらずで、何と言うか。
「………天使みたいだった」
古く、何の役にも立たないプライドばかりを有難がっている一族に嫌気が差し始めていた征士の心を癒してくれたのは、無垢な存在だった。
それは正しく天使だった。
けれど今、脳裏に映し出されているのは薄い布だけを纏っていた昨日の彼の姿だ。
「…そう」
やっぱりね、と言った伸は満足そうに笑っていた。
その隣で征士は溜息を吐いていたのだが、周囲から見ればそれは不思議な光景だった。
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スタッフの皆様は忙しなく自分の役割を果たしている傍ら、現場の隅のほうで会話している爽やか好青年の社長と、無愛想だけど美形のボディガードを
盗み見ながら、眼福、と思っている頃です。