ストロボ



急な呼び出しは事務所のスタッフからで、内容は事務所のパソコンに不正アクセスの痕跡があったという事だった。

コンビニに寄った当麻に不審者が近付いたのは2度だ。
少しでも移動すればコンビニはすぐ見つかるし気軽に利用できるものだ。だからと言っていつどこの店に当麻が入るかなんて普通は解らない筈なのに、
何故か用意周到にもそれぞれ”道具”を持って襲い掛かられた。
1つはスタッフがすぐに取り押さえたし、もう1つについても征士と秀のお陰で当麻には何の被害も出ていない。
だがそれでも妙なものは妙だ。
スケジュールや移動ルートの詳細が、変更も含めてどこかに流されている可能性がある。
そう秀に言われ、伸は事務所のパソコンを調べるようにスタッフに依頼しておいた。
それが出てきたと同時に、警察からも以前厳重注意しておいた男が不正アクセスを認めたという連絡が入ったために、伸は結局朝日が昇っても自宅へ帰る事が
出来ないでいた。


「………今から帰ったら何時間寝れるかな」


移動時の運転を征士か秀に頼めばその間も眠れる。
今日、当麻の予定で何回移動があったかを思い出しながら伸は欠伸をかみ殺した。

社長は忙しい。
商社に勤めていたときの比ではない。
でも楽しくもある。
元々世話焼きだから向いていたのだろうとは、過去の同僚が言ってくれた言葉だ。


「さて、と…」


このまま帰っても構わなかったが、実は嬉しいことがあった。そんな気分のまま帰るのはちょっと勿体無い気がする。
それに面白いこともあった。
どうせならただ帰るより、その面白さを話しに行きたい。
そう思った伸は、眠い目を擦りながらも真っ直ぐ自宅には帰らず、タクシーを拾って別の場所を目指した。






「あら、こんな朝早くから…いらっしゃい。どうしたのかしら?」


出迎えてくれたのはナスティだ。
警護に当たる人間は現場での勤務時間になるが、事務所に常駐して処理をしているスタッフはどれも朝の8時半から仕事をしている。
それは所長のナスティも同じだ。

9時前に現れた伸に、ナスティは驚いた様子を隠そうとはしなかった。
それがまた伸の笑みを深くする。


「いやぁ、面白いことがあったからちょっと話したいなって思ってね」

「あなた悪い顔をしてるわよ?」


からかいで言えば、まあね、と軽く返され、それに笑いながらナスティは部屋へ彼をあげた。






「それで?」


温かい紅茶を出しながら用向きを尋ねると、伸がまた笑った。


「何から話したらいいかなあって今まだ考えてるんだけどさ」

「そんなに面白い話が沢山あるの?」


つられてナスティも笑う。
大学を卒業してからもずっと連絡を取っていたが、姉夫婦が亡くなってからの伸は目の回る忙しさで、ここ2年は連絡が途絶えがちだった。
久し振りに友人の悪い顔を見て、ナスティは少し安心する。


「そうだなぁ……まずさ、コレ、見てよ」


そう言ってジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出し、画像データを出してくる。
そこには薄っすらと透ける布を被った当麻と、その向かいで不自然な体勢の征士が写されていた。


「…なに?これ」


当麻は裸に見えるし、征士も上半身裸だ。
状況から撮影現場だというのは十中八九間違いないのだろうけれど、それにしても征士がそこに立っている理由が解らない。


「笑わない?征士がさ、腕だけだけど、モデルやったんだよ!?」


眠っていないせいで少々テンションが高くなっている伸は、ケタケタと笑って足を踏み鳴らしている。
その状況も含めてナスティは面白い。
しかし征士がモデルとは。


「よく引き受けたわね、征士。だって彼、モデルを毛嫌いしてるでしょう?」

「そう!でもね、仕方が無かったんだよ、色々事情が重なっちゃって。それにさぁ、」


伸は笑いながら、画像を大きくする。
掌サイズのディスプレイに映し出されたのは征士の横顔だった。


「アイツ、こんなに優しい顔してるんだよ!?僕、初めて見た!」


凄いよねー、と言っている伸の向かいでナスティは驚いている。
征士との付き合いは彼が入社してからずっとのもので、かれこれ8年ほどになるが、こんな表情は見たことが無い。
笑ったところさえ、実は見た事がないのだ。
征士といえば他のスタッフに聞いても同じ感想が帰ってくるが、そのどれもが「美形だけれど無表情」というものしかない。
それほどに表情の硬い男だった。

その男が、こんなにも優しい顔をするとは誰も思わなかったことだ。


「…………伸、凄いものを見たのね」

「だよね!?僕もさ、ビックリし過ぎてコレは撮らなきゃ!って思って。…あ、ちゃんと確認は取ったよ。撮ってもいいかなって」

「征士に?」

「まさか!カメラマンにだよ。まだ世間に出てない分のデータだからフライングは出来ないけど、個人で楽しむ分ならいいって許しが出たから撮ったんだ。
上手くいったらもう少し後でブログにでも載せようかと思ったんだけど、征士写しちゃったしね、コレは使えない」


笑いながら言っているが、当然だ。
家出中の伊達家の総領息子と、そして昔に勘当した羽柴の娘が生んだ子供が一緒に写っているだなんて、見る者が見たら相当なスキャンダルな画像に違いない。
特にあの伊達の人間を相手にする可能性が出てくる。話題にはなるが、今後の自分の人生を考えるとそれは避けるべき行為だ。
それでもこの画像をブログに上げる者がいるとすれば、スクープを探している芸能記者くらいだ。


「でも面白かったから、ナスティに見せてあげたくってさ!」

「…………あなた、それだけで来たんじゃないわね?」


尚も笑い続けている伸が本当に面白がっているものが何か、ナスティぼんやりとだが気付く。
指摘すると、伸の笑が収まった。
間違えなかったようだ。


「何がそんなに面白いのかしら?」


教えてよ、と身を乗り出すと、伸がにぃっと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「僕、社長になった時に、機会があればいつかは言ってみようと思ってた台詞があるんだよね」

「へえ。そんな事を考えながらお姉さまの跡を継いだの?」


意地悪く笑うと、伸が肩を竦める。
まさか、と言って。


「そうでも考えてなきゃ、やってらんなかったってのが本音だね。最初の頃の話だけど」


飛び込んだ畑違いの業界は右も左もわからず悩みが尽きなかったし、しかも大きく傾いた事務所をどうにか建て直そうと奮闘している最中は、何か心の逃げ道でも
用意しなければやってられない程に苦難が続いた。
その伸が密かに思い続けていた、言葉。


「僕、いつかキミに言うかもしれない」

「なんて?」

「”ウチの商品に手を出さないでくれる?”って」






一頻り笑って楽しい時間を過ごした伸だが、そろそろ睡魔が襲ってきた。
合間に仮眠もとらずに連続で27時間近く起きている。そのツケは大きい。
頭がズンズンと痛むのを感じた伸が「そろそろ帰るよ」と言うと、ナスティはスタッフに車で送るよう指示をした。


「いいよ、そんなの。僕が押しかけてきたんだから、タクシーでも拾って帰るからさ」

「いいのよ気にしなくて。私も面白いものが見れたんだし、今はウチのを2人も使ってくれてる大事な”お客様”なんだもの。それくらいサービスするわ」

「でも…」


悪ノリは嫌いではないから友人の前ではおどける伸でも、遠慮するべきところは弁えている。
だがナスティだって、たおやかな雰囲気からは想像できないほど内面は頑固だ。
時々足を縺れさせている友人をそのまま帰すような人間でもない。


「いいの。気分のいいまま少しでも眠ってちょうだい。あなた、働きすぎだもの。家に着いたらちゃんと起こすよう言っておくから」



結局、そういうナスティに押し切られて伸は柳生警備のロゴの入ったものではなく、ナスティ自身の私物の車の後部座席に身を沈める事になった。

気分がいい。
それは当麻のスケジュールの漏洩元が解ったからだけではない。
征士の見たこともない表情が見れたことだけでもない。
勿論、言いたかった台詞が言えそうだからというのでもない。


”買戻し”が出来る準備が整ったのだ。

伸の姉夫婦が経営していた事務所が傾いた時に出て行った人気モデルは8人。
それぞれが高額の移籍金を事務所に残して出て行った。
彼らの中には確かにこれからの自分の展望を視野に入れて、前向きに出て行った者もいる。
だが全員ではない。
世話になった事務所を守るために自らの価値を引き上げて、身売りをした者もいる。

伸は出て行く事を悪いとは言わなかった。
この世界にいる以上、上を目指すのはほぼ当然と言って差しさわりの無い事だ。
上に行けばそれに見合った待遇を受けるのも当然。それがトップクラスのステータスであり、その華やかさに誰もが憧れる。
だから更に良い条件を出す別の事務所に移る事は何も悪いことじゃない。
モデルという生きた美術品に敬意を持っている伸からすればそれは尚のこと、当たり前だった。
だから彼らが出て行くといったとき、これ以上何もしてやれない事務所に残れという方が残酷だという事をよく理解していた。
だがそれでも、この事務所を残したいと言ってくれた者もいた。
彼らは余所の事務所に”商品”として自らを売り、そして愛した事務所を去った。

そんな彼らの心情や境遇を理解してくれている者ばかりではない。
中には金で動いた人形だと揶揄する者もいる。その隙に付け入っていいように使っている者もいる。
それでも彼らは自らを売った以上、それらの環境にも耐えてモデルを続けていた。

そんな彼らを”買い戻し”するための準備が整ったのだ。
一気に全てを取り戻すことはまだ出来ない。
だが当麻が事務所に来てくれたお陰で、今はかなりの余裕がある。
その”余裕”で先ずは1人、”買い戻す”ことが出来る。
相手の事務所とはもう話はついている。後は時機を見るだけだ。

それが伸の心をどこまでも浮かれさせた。



口元に薄い笑みを浮かべて、伸はシートに沈み込む。

気分がいい。
当麻が来てから、本当に楽しいことが多い。
無理をすれば父子とも言える年齢の子供を突然迎え入れたのはそれなりに大変だったが、父母に続いて姉まで失って1人きりになってしまった生活に
変化を与えてくれた。
頭の良い子供は時には子供らしく、時には大人びて、そして伸が寂しさを感じているようならそっと寄り添ってくれることもある。

ナスティに見せた画像を再びディスプレイに呼び出して眺める。

優しい顔をして見つめる征士と、うっとりと微笑む当麻。
本当に綺麗な写真だ。


「……感謝してるんだよ」


何が理由でどんな目的があるのか知らないが、当麻は好き放題に振舞っているように見えて、事務所のために随分と頑張っているのは伸も気付いている。
それは本当に嬉しいし、有難いことだ。
けれどまだ若い彼が、こんなにも人のためにばかり動くのは惜しい気もしている。

もっと自分のために生きてくれよ。

そう思いながら目を閉じると、すぐに意識は薄れていった。




*****
社長は忙しいらしい。