ストロボ



昔は山奥の自然を満喫できるホテルとしてそこそこに人気のあったホテルは、害獣の出没によって一気に客足が遠退き、そして数年後には閉鎖となった。
その後は取り壊されること無く形だけが残され、こうして時々撮影で使われる程度だ。

征士は携帯を取り出すとディスプレイを眺め、溜息を吐いて再びジャケットの胸ポケットに仕舞った。

ホテルが賑わっていたのは携帯電話の普及よりずっと前の話だ。
人気が無くなったお陰でこんな山奥に中継用のアンテナなど設置されておらず、当然電波など届きようも無い。
長時間の滞在を予定していないスタッフが持ち込んだ通信手段は無線しかなく、外部への連絡はそうそうに取れない状態だ。
面倒な事が起こってからでは取り返しがつかない。
だから征士は念入りにホテルの周辺を探った。


「…………イノシシか…?」


土が掘り返された跡がいくつかある。
恐らく土の中にいるミミズ目当てに荒らしたのだろう。
ホテルに客がいた頃は、さぞ花壇の手入れに苦労しただろうなと思いながらその場を離れた。


ここへ来る道は、征士たちが使った山道しかないのは警護する人間からすれば非常に楽だが、一度懐まで侵入を許してしまうと厄介な事になる。
謂わば諸刃の剣のようなものだ。
だが幸い、周辺を見た限りでは不審な点は何もないし道中も周囲に気を配っていたが特に異様な気配は無かった。
それは秀も言っていたことだ。
いつもの要人警護とは毛色が違う今回の仕事は、危険度が低い。
その分、幾らかは気も楽ではあるが、親戚として色々と心配になる事は多かった。

大体、どういうワケだか征士が今のところ遭遇している現場は、全部の現場ではないものの、それでも当麻の肌の露出が多い気がしてならない。
街中で見るポスターや雑誌になると普通に衣装を着せてもらっているというのに、たまたまそういう時期なのだろうかと悩んでしまう。
眉間に皺を寄せて威嚇するなと伸からよく言われるが、幾ら若くて綺麗な肌だとはいえ、無垢な頃を知っている人間としては黙っていろと言うのが無理な相談だ。

だが征士だってプロだ。
当麻がプロとして仕事に臨んでいる事だけは解っている。いや、解ってやりたい。
だからこそ頑張って堪えているつもりなのだが、どうも難しい。
大体当麻は自分を使うのが巧すぎる。
先程の助手の青年に対してもごく自然な動きで腕をとっていた。
まさかと思うが大人を誑かして仕事を取っていないだろうなと考えて、征士はいかん、と頭を振った。
頭を切り替えようと場を離れたはずが余計な事を考えすぎている。



無理矢理に意識を変えようとして、征士は外からホテルを見上げた。

撮影に使われている部分と、あまり使われていない部分の差は歴然だった。
正面からも見える部分はカーテンも綺麗な物がつけられているが、回りこまない限り見えない場所は窓が割れたまま放置されていて、
そこから破れたカーテンが時々はためいているのが見える。


「………………」


ふいに幼い頃の当麻を思い出して、征士は笑いそうになった。
お化けが怖くて自分の足にしがみ付いて泣きそうにしていた子供は、今やすっかり生意気な口をきくようになっている。
可愛い顔はそのままだったが可愛げが無くなったなと溜息を吐いてから、だが色気が出てきたと考えて、征士は再び頭を振った。

何を考えているんだ。

もう一度、カーテンがはためいている窓を見上げる。


「今見せてもアイツは怖がるんだろうか」


態と懐かしいなと言わんばかりに声に出してからその場を離れた。







征士が現場となっているフロアに入っていくと、豪華な部屋には既に機材が全てセッティングされていた。
その中央で何度も助手の青年がテストをしている。
当麻の姿はそこには無かった。

征士に気付いた秀が軽く手を上げてくる。


「何か出た?」

「いや何も。それより当麻はどうした?」

「社長とあっち」


指差された先を見ると、どう見てもこの現場に似合わないスーツ姿のサラリーマンが2人と、少しこなれた雰囲気の男が1人いる。
雰囲気的にペコペコとしながら明らかに彼らより年下の伸に何か媚びているようだった。


「…あれは?」

「こんなとこまで追っかけてきた、当麻にイメージキャラクターを務めて欲しい企業のお偉いさんとコーディネーターか何かいうのん」

「何故こんな山奥まで態々」

「携帯が繋がんないから」

「帰ってからでもいいのでは?」

「俺に言うなや。ま、ホラ、毛利社長はお忙しい方で、そうそうお時間が取れないからって出向いて下さったらしーぜ」


ふうん、と征士は再び彼らのいる方向に目をやる。

困ったように笑いながら丁寧に接している伸と、そして既に準備が出来ているらしくガウンを羽織っている当麻がいる。
足元に目をやると素肌が見えたので、どうやら今回も肌の露出が多いようだと征士はまた眉間に皺を寄せた。
このままでは来年あたりには何もせずとも眉間に皺があるのが通常の顔になってしまうと危惧して、目を当麻の脚から引き剥がす。
代わりにスーツの男たちを見た。


「それにしてもあそこまで下手に出た雰囲気では伸も困るだろうに」


どう見ても彼らは50代だ。
自分の親より少し下くらいの年齢の、それも重役っぽい雰囲気の大人にああまでされては伸もどう対応していいのか悩んでいるのだろう。


「でもよ、当麻ってマジ賢いなって思ったけどな、俺は」


だが秀は違う感想を持ったようで暢気にそう言う。
征士が彼のほうに顔だけ向けると、秀の目がくるりと征士を見返した。


「だってさ、アイツ、自分で仕事取らねぇんだってよ」

「どういう事だ?」

「いやな、他のモデルは自分で直接仕事貰ってくる事もあって、伸もそれで全然構わねぇみたいなんだけど、当麻は幾ら言われても頷かねぇんだってよ」


代わりに彼は、社長に言ってよ、と言うらしい。
つまり、毛利社長の耳を通した仕事以外受けないと言うのだ。
確かに当麻はまだ未成年だから保護者代理の許可を得るのは当然必要だ。
だがそれでも話自体、彼を通さない限りは全く聞かないのだという。

強烈過ぎるカリスマ性を持った少年は、信頼する大人でもある伸を通してしか仕事をしない。
そうなるとモデルの当麻を使いたい相手は必然的に社長でもある毛利伸に、形だけでも頭を下げなければならなくなる。
一度はその価値が地に落ちた事務所だ。叩けば幾らでも有利に動かせる筈だが、柔和に見えて伸には隙が無い。
しかも知名度やギャラよりもモデルにとってその仕事が有益か否かを基準で考える彼相手に、無駄に高圧的な態度で交渉を持ち込めば、
たちまち話は断られる。実際にそれをした人間はいないそうだが、有無を言わさない雰囲気が伸にはあった。

その伸相手に頭を下げる。
すると他の連中もそうしなければ当麻を得ることが出来なくなる。
だったらいっそと当麻の起用を諦めた企画もあったが、見込んだほどの結果が伴わなかったらしい。
既にメディアも、そして彼らがターゲットとしている客たちも、当麻に価値を見出し始めている。
益々、当麻を得るためには事務所を引き継いで2年足らずの青年に頭を下げなければならなくなってくる。

と言っても伸自身の人柄は全く悪くは無い。寧ろ好感が持てるほどだ。
一度請けてくれた仕事は最後まできっちりしてくれるし、関わった人間全てに気を配ってくれる。
つまらない拘りや腹の足しにもならない自尊心さえ捨てれば、後は依頼した側にも気分良く仕事をさせてくれるのだ。


「……確かに賢いな」


事務所の価値は上がるし、当麻自身も騙される事は無い。
伸が最初に言っていた、当麻が自分の価値を引き上げると同時に事務所の価値も戻ったというのはこういう事かと征士は感心する。
それと同時に当麻の目的が気になった。

単にモデルがしたいというにしては、何かが引っ掛かってくる。
一体何のために彼はモデルという職種を選び、数ある事務所から嘘を吐いてまで伸の事務所を選んだのだろうか。

考えても仕方の無いことだとは解ってはいるが、何かよそ事でも考えていないとまた眉間に皺が寄りそうなのだ。
今日は大人しくしていると誓った以上、伸曰くの威嚇行動も慎むとも決めている。
当麻の機嫌が悪いままでいて、万が一何かがあった時にこちらの誘導に従ってくれないと困るのは征士と秀だ。
だから征士は交渉中の彼らを眺めつつ、ぼんやりと考えていた。



遠巻きのまま様子を伺っていると、スーツの2人が大袈裟な位に頭を下げ、伸も深々と頭を下げている。
慣れた雰囲気の男も頭を下げると、当麻も続いてペコンと頭を下げた。
どうやら交渉は纏まったようだ。

何度も礼を言いながら伸と握手を交わした男たちが出て行くと、伸が見た目にも解るほどに肩から力を抜いた。
隣で当麻も苦笑いをしている。

彼らも出ていったことだしそろそろ撮影開始だろうかと思って征士が振り向くと、そのすぐ後ろに音も立てずに助手の真田君が立っていて、 思わず征士は
眉間に皺を寄せてしまった。
征士の誓いを何となく汲み取っていた秀は、こりゃあと何時間保つか解んねーわ、とこっそり溜息を吐いた。




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ちょっと真田遼(19)が気に入らない伊達征士(31)。