ストロボ



部屋中に貼られた写真や雑誌の切り抜きは、四面を埋めても足らずに天井にまで至っていた。
そこに写されているのはどれも違う写真、違う雰囲気だが共通していることが1つだけある。

写されているのはどれも、青い髪の人物だった。


「……はぁ、…はぁ、………綺麗だねぇ、…可愛いねぇ…」


部屋の主は恍惚とした表情で一番大きな写真に寄ると、その写真の頬の部分に舌を這わせ、笑みを象っている唇に自らのソレを重ねた。
同時に股間へやった右手を激しく動かし、一瞬だけ強張った身体は弛緩していく。
男は満足そうに笑って床にへたり込むと、天井にある写真を眺めて薄く笑った。

また、会いに行くからね。と。







机の上に出された写真を、渋い顔で見つめている男が居る。
それは真面目な表情でというより、明らかに良く思っていない顔だ。
その隣にいるまた別の男は対照的なもので、へー、だの、ほー、だの言って嬉しそうにその写真を眺めていた。


「ほら、2人とも。ちゃんとしてちょうだい。もうすぐ社長さんがいらっしゃるんだから」


そんな彼らの態度を嗜めたのは美しい女だった。
その声に1人は姿勢を正して「スンマセン」と謝り、仏頂面だった男のほうは何も言わずに組んでいた腕だけ解いた。

それを待っていたかのようにドアがノックされ、そして柔和な笑みを浮かべた男が入ってくる。
すると女が即座に立ち上がり、親しげに握手を交わした。


「久し振りだね、ナスティ。元気だったかい?」


握手した手を自然な仕草で握りなおしてソファに腰を下ろすよう進めると、ナスティと呼ばれた女はくすくすと笑い返した。


「ええ、私は元気よ。伸は相変わらずね」


社長業ってもっとガツガツした顔になるかと思っていたわ、と言うと伸と呼ばれた男もくすりと笑って、ガツガツしてるさ、と冗談を言った。

伸が着席すると、ナスティはすぐに表情を変え紹介するわね、と同席している男2人を示してみせる。
彼らを見る伸の表情も、先ほどまでの柔和なものよりも真剣な眼差しになっていた。


「こっちは、秀。体術のエキスパートよ。それからこっちが征士。彼も近接戦が得意だけれど、彼は大抵の器具も扱えるわ」


紹介された順に、会釈をする。

秀と呼ばれた男は真剣になってもどこか人好きのする隙のある顔立ちで、スーツの上からでもハッキリと解るほどにがっしりとした体躯をしていた。
そして征士と呼ばれた男は、こちらはまるでモデルでもしているのかと言うほどの美貌の持ち主で、こちらも秀に比べるとそれほどでもないが、
明らかに鍛えぬいた体躯をしているのが解った。
どちらも若くはないが、老齢というワケでもない。伸は仕事の癖で大体30前後だろうと当たりをつけた。


「そう、ありがとう。僕の我侭を聞いてくれて」


言葉は優しいが、声はどこか切迫している。
ナスティはそんな彼を労わるように殊更優しい声で話しかけた。


「じゃあ伸、早速だけれど今回の依頼内容の確認をさせてもらうわね?」


伸が頷いたのを確認してから、ナスティは机の上に置かれている1枚の写真を拾い上げた。


「今回のターゲットは、モデルの当麻。期限は暫定で半年とは決めているけれど、状況によっては契約期間の延期も有り。
特に注意を払う対象に固定はなく、彼に不用意に近付くもの全てが対象」


先ずはこれでいいかしら?と尋ねるナスティは仕事モードの表情だ。
言われた伸は真剣な、だがどこかやつれた表情を浮かべている。


「ああ。それで合ってるよ。当麻のスケジュールは事前に渡したとおり。変更があればその都度連絡するよ。……何かそちらから質問は?」

「何故、うちの警備会社に依頼を?」


間髪いれずに征士が問うた。
ナスティが仕草でそれを嗜めたが、征士は気にする様子がなかった。
伸はそちらに向き直る。


「まぁ彼の気持ちも解るよ。ナスティのところ……柳生警備は普段、それなりの地位にある人が身辺警護のために使う会社だ。
そこに、今一番注目されていると言っても一介のモデルが依頼をするのは確かに妙だからね」

「しかもまだ歳が若すぎる」


また征士は間髪をいれない。その言葉は、端々に棘があるように響いた。


「征士、よしなさい。護る対象に年齢は関係ないでしょう」

「そうは言うが、彼はまだ17歳だ。何か問題が起こったからこちらに依頼をしたんだろうが、それなら警察に連絡をするか、それか引退をすれば済む」

「征士…!」


秀が慌てて征士の口を塞いだ。
何て事をアッサリと口にするのかこの男は。そう思いながらついでに足を踏みつける。


「す、すいませんねぇ、コイツこういう業界が大嫌いなモンでして…!その上、流行にも疎いもんだからモデルの当麻が、どんだけ今人気か、
全っ然知らないんすわー!いや、ホント、うちなんて2人の妹らどころかお袋まで目の色変えてCMや雑誌見てるんですけどね!」


いやホントすんませんと懸命にフォローする秀の姿に、伸が漸く肩の力が抜けたように笑った。


「そうですか?ありがとうございます。そんなにファンだと仰ってくださるのなら、良ければあとで仕事先にだけ送っているポストカードをお渡ししますよ」


言いながら伸は、表情を戻して自分の脇に置いたカバンの1つを手に取った。


「……ナスティに直接依頼したのは、これがそもそもの原因です」


出てきたのは形も様々な封筒だった。
恐らくファンレターなのだろう。
見てもいいかしら?とナスティが尋ねると、伸は無言で頷いた。
彼女に続いて秀と、そして仕事は仕事だと征士も手に取る。


「…いやぁねぇ、気持ちの悪い内容…」


飛び込んできた卑猥で陰湿な文章に、ナスティの綺麗な表情が歪む。
秀も顔を顰めていた。征士だけは元々表情があまりないのか、僅かに眉間に皺を寄せただけだ。


「これ、全部そうなんですか?」

「ええ」

「…………確かに気持ち悪いが、こういったものはある程度知名度が上がれば届くものだろう?」


やはり征士の態度は刺々しい。まるで、これが嫌なら引退しろと言わんばかりだ。


「届きますよ、当然。うちの事務所でも他のモデルにだって届きます。ただ当麻の場合は数が多すぎる」

「他の、普通の手紙は?」

「…確かにそっちも他とは比べ物にならないけど、やっぱり他のモデルより明らかに多いよ」

「これ、全部目ぇ通してんすか?当麻は」


送り主の妄想による、自分と当麻の官能小説紛いの内容を認められた手紙をうっかり読んでしまった秀は、完全に汚いものを触るような手つきで
机にそれを戻していた。


「まさか、あの子にこんなもの見せられないよ。一度事務所のスタッフが全部チェックしてから、見せられる内容の物だけ渡しています」

「危険物が入っている可能性もあるものね」

「しかしそれだけで依頼を?」


過保護だなと小さく呟いたのを、また秀が足を踏んで黙らせた。
伸がそれに苦笑いを漏らす。


「先日、コンビニに寄りたいと言った当麻を車から降ろして駐車場で待っているとその僅かな距離で、当麻に粘着テープを貼り付けた輩が出たんです」

「粘着テープ?一体何のために、かしら?」

「貼られたのは唇の傍で、そいつはそれをすぐに剥がして自分の口元に持っていったんですよ」

「変態ストーカーか」

「ええ。…まぁ、すぐに付き人をしているスタッフが飛び出してそれは奪い返しましたし、犯人も取り押さえられましたけど」

「なら解決じゃないか。警察に突き出したのだろう?」

「当然。…でも、彼なんて何人もいるうちの1人ですよ」


言われて、3人同時に「彼?」と聞き返した。
そして秀だけはすぐに先ほどみた手紙を思い出して、ああ、と納得がいった。


「そういやさっきの気持ち悪い手紙、差出人の感じが男だったな」


直後に伸が深い溜息を吐いた。


「その写真、見てもらったら解ると思いますけど」


ナスティが机に戻していた写真を指差す。
モデルの当麻が写っていた。


「当麻は髪の色も、身体つきも他のモデルに比べて随分と中世的で神秘的な子だ。ファッションに興味のある女性人気は当然のこと、
そういったものに興味がない男性にまでその人気は及んでいるんです。…他にもそういった手合いの事は多くはあっても、女性相手なら
当麻だって自分で対処できます。幾ら華奢とは言っても彼だって男だ、女性くらいなら自分で取り押さえられる。でも大柄の男性相手じゃ…」

「だったら尚更、先日の事を含めて警察に行けばいいだろう」


どこまでも態度が硬い征士に、伸がカチンときたのは視線で解った。
秀は思わず所長であるナスティに助けを求めたが、彼女は動く様子がない。まだ、大丈夫という事だろうかと少しは安心するが、
やはり肝が冷えて堪ったものではない。


「警察には行きました。でもね、大した被害が出てないし、こういう人気職業じゃ当然のリスクだって取り合ってもらえ無かったんだよ!」

「まぁそうだろうな」

「……あったまきた、ナスティ、何なのこの人!僕ぁねえ、当麻のことが心配で依頼してるんだよ!なのに…!」

「そんなに心配なら人目にさらすような仕事をさせるな。そもそも彼はまだ高校生の年齢だろう?」

「ちっげーよ、征士。お前本当に知らねーなぁ。…当麻ってさ、超天才で、留学先のアメリカで飛び級してとっくに大学も出てんだよ。
だから、若いつっても他の同い年とはワケが違うんだよ。ね、社長さん」


動かない所長に安心した秀だが、やはり性格的に看過できず仲裁に入った。
それに伸が少しだけ落ち着きを取り戻したのか、失礼、と短く詫びる。
征士は、詫びなかった。


「僕が被害届けを出したのは手紙だけじゃないんだよ。こっちも見て」


先ほどとは違うカバンを取り、それは中に手をいれずに机の上に中身をひっくり返した。


「…………っ!?」

「……うげ、…」

「……………」


三者三様の反応に、伸はどうだ、と半ば捨て鉢な態度で見守る。
机に放り出されたモノに、最初に手を伸ばしたのは無表情のままの征士だった。


「……これは、……全て同一人物から?」

「だったら良かったんだけどね……」


伸はまた深い溜息を吐いた。
征士が拾い上げたものを、ナスティは汚らわしいと言わんばかりの目で見ている。


「違うと解っているという事は、DNA鑑定でもしたか」

「そうだよ。警察にそれ持って行って過去の犯罪者と照合してって頼んだけど、相手にしてもらえなかったから、せめて相手が何人か知るために
個人的に知り合いの病院で調べてもらった。全部が全部違うワケじゃないけど、十数人なんて可愛い答えでもなかった」


それだけ聞くと、征士はふうんと興味なさげに机に捨てるように置いた。
ぺしゃと音を立てて紙の上に落ちたのは、体液入りのコンドームだった。


「兎に角、警察は当てに出来ない。けれど当麻は護らなきゃいけない。だから、ナスティにお願いしたのさ」

「腕の立つのを2人、貸して欲しいってね。……ねぇ、伸。あなたの気持ちは解ったわ。でもね、征士じゃないけど…その子の仕事、減らせないの?」


征士とは違い、純粋に心配した眼差しでナスティが言ったが、伸は首を横に振った。


「当麻のスケジュールは向こう3年まで埋まってるんだ。この業界じゃ1度キャンセルすると、後が来なくなる。それは当麻に不本意な話だから…」

「そう」


深い事情はよく解らないが、どうやら仕事は続けたままの護衛になるという。
ナスティは疲れてしまった友人の姿に、こっそりと同情をした。


「解ったわ、伸。今回の依頼、正式に受けます。いいわね?2人とも」

「おぅっす」

「……………」

「征士」

「……わかりました」

「というわけでこちらはOKよ。大丈夫、秀も征士もプロだから仕事に私情は挟まないわ」


ナスティがそう言ったのに漸く完全に安心した伸は、ありがとうと礼を述べ、さっさと立ち上がった。


「それじゃあ本人に会いに行こうか。この近くのスタジオで今、撮影をしてるんだよ」




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モデルとボディガード。