ホムンクルス
中心部に灯った明かりが勢いをつけて広がっていく。
曖昧だった細部がハッキリと理解できて、そして暗闇から一気に引き上げられた。
体外から侵入してきた情報の波を逆走して確認した日付に驚き、セージは勢いよく体を起こした。
「……今、何年だ…!?」
近くに居た人物の髪の色が青ではなく、栗色だった事にショックを受けながらも確認したかった事を口にする。
「今かい?」
栗色の髪の人物は突然の事に動じる様子もなく、僅かに微笑んで今が西暦何年の何月何日かを教えてくれた。
しかし直後にそれを聞いたセージの表情が強張っていくのを、おお、と感嘆の声を上げながら観察してくる。
「凄いね、本当に人間みたいな反応だ」
「……嘘だろう」
「人間みたいってこと?お世辞じゃないよ、本当の事で、」
「そうではない…!私は……私はそんなに長い間眠っていたのか…!?」
聞き返してから呆然としてしまう。
セージが活動を停止させられてから、既に153年が経過していた。
「驚いた?…まぁ驚くよね」
言いながら栗色の髪の人物はセージにつけていたコードを外していく。
「………………博士は……、…トーマは…」
「あぁ、天才のトーマ博士ね。そんなの、とっくに亡くなってるよ」
彼、人間でしょ?と言われて反論も出来ない。
「……………そうか…」
短くそう答えた。
自分が彼を欲した。
結果として彼を傷付け、怒らせた。
何があっても最後まで彼を守り傍にいようと誓っていたのに、その人の最期を見送ることさえ自分は出来なかったのだ。
それを改めて痛感し、セージは項垂れる。
「…ねぇ、そんなに落ち込まないでよ。ちょっとお願いがあるんだよね、僕は」
そんな様子などお構いなしの青年を睨む気力さえ、今のセージには沸いて来ない。
あるのは、いっそあのまま眠らせてくれればよかったのにという恨めしい気持ちだけだ。
「僕はシン。よろしくね」
「…………………………落とせ」
「……ん?」
「私のシステムを、もう一度落とせ」
「何でさ。こっちは苦労してキミを探し出して、これまた苦労してロック解除してやっとキミが起きたって言うのに」
「やかましい!!私を落とせ!それが無理なら、私をスクラップにしろ!!!!」
トーマのいない世界など、無いに等しい。
そんな世界に1人残されて一体どうしろと言うのか。
「トーマ博士のこと、そんなに好きだったんだね」
自棄になって叫ぶセージに、シンはさっきまでの愛想を引っ込め、冷静な目で静かに言った。
「……なに…?」
「トーマ博士のことさ。キミ、”手を出した”んだね。ビックリした」
「…何故、それを………」
153年だ。
トーマがそんな事を言いふらすとは思えないし、仮に話したとしてもどう見てもシンと名乗った青年は人間で、そんなに長く生きられるとは思えない。
「ゴメンね、勝手に見ちゃ悪いのは解ってるんだけど、まぁ何ていうか僕の仕事上?研究上?…あー、性格上かもね、兎に角、
見るしかなかったって言うか、…ま、見ちゃった。キミの記録」
言ってモニターを指差す。
今は何も映っていないが、先ほど抜かれたケーブルを通じてあそこに最後に見た記録が映し出されていたかと思うと、
セージは恥ずかしく思うと同時に、身勝手な行いに腹が立ってくる。
眉根を寄せて頬を染めていたトーマのあの表情を彼も見たのだ。これが腹を立てずにいられるかというものだ。
「だから、ゴメンって。ね、それより僕、お願いがあるんだけどさ」
「聞く義理が無い」
一方的に起こして、勝手に記録を見て。そんな相手の頼みを聞いてやる理由などどこにもない。
「ねぇってば」
「私には眠り以外に望むものはない」
自身の安全を守るためのリミッターだけは設定されていたセージは、自らのシステムを落とすことが出来ない。
誰かの手を借りなければ静止さえ出来ないのだ。
「解ったらさっさと私を眠らせろ」
「…トーマ博士がいつ、どうやって亡くなったのかに興味ないの?」
謝る時には人好きのしそうな爽やかな口調だったくせに、また静かな声に戻る。
このシンという青年はそれを使い分けることで相手の懐に飛び込むのが巧いように感じて、セージは遠慮なく舌打ちをした。
悔しいが実際、興味が無いと言えば嘘になる。
「へぇ、キミ、舌打ちできるんだ。見た目のために申し訳程度でつけられた舌じゃないって事か…凄いね」
「そんな事はどうでもいい。………それよりも、…トーマはいつ、どうやって亡くなったんだ」
せめて長く生きて、あんな事を望んだ自分が言うのはおかしいが、出来れば伴侶を得て沢山の家族に囲まれて最期を見届けられていて欲しいと思った。
いつか自分に話してくれた、過去のような寂しい思いをせずに最期の時を迎えてくれていればいいと思った。
「トーマ博士はね、事故で亡くなったんだよ」
そんなセージの気持ちが解ったのか、シンは遠慮がちに、静かで優しい声で言った。
彼の言った言葉はそれでもセージの中で鋭く深く付き刺さる。
「…事故……?」
「そう。ハイウェイを自家用車で走行中に、居眠り運転の超大型トラックに巻き込まれる形でね」
「そんな、」
「ただこの事故には今も疑問が残っていてね。立件しきれなかったから事故で処理されてるけど……故意の可能性もあるって噂さ。
…それから……これが慰めになるかどうか解らないけど、彼は即死だったって記録に残ってるよ。ぐしゃぐしゃになった車の中で、…多分、
苦しむ間もなく逝ったんだと思う」
「そんな、…そんな…、」
「因みにトーマ博士が亡くなったのは、35歳の時。日付は、10月24日だ」
「………そん、………な」
35歳の10月24日。
それを聞いてセージは何も言葉が思いつかなくなった。
10月24日。それは。
「キミがシステムダウンした次の日だね」
シンの声が遠くで聞こえている気がする。
自分が傍にいたかった人は自分が傷つけた翌日に、事故でその命を失っていた。
あんな真似さえしなければ避けられたかもしれないのに。自分が傍にいれば彼の命だけは守れたかもしれないのに。
シンの言うとおり、苦しむ間もなく逝ったというのはせめてもの救いかもしれない。
けれど時間が経ちすぎている。
あの綺麗な青い目を奪った相手を憎もうにも、相手だってとっくに寿命が尽きているだろう。
そう思うと余計にやるせない気持ちになってくる。
「………ねぇ、セージ。僕と取引をしないかい?」
「…………………頼む、私を眠らせてくれ」
「それは困るよ。僕の研究の進歩にキミの存在は必要な要素の1つなんだ」
「…頼む、お願いだ。私がトーマをどれほど思っていたか解っているのなら、眠らせて……いや、スクラップにしてくれ。せめて気持ちだけでも彼と共に逝きたい」
「だから駄目だって。セージ、僕の話を聞いてよ」
「…頼む、………頼むから……!」
シンに縋りつき頼む。
この辛い思いが彼を傷つけた罰だと言うのなら受け入れなければならないのかも知れない。
けれど耐えられない。彼を失ったと言うだけでももう充分、生きる意義が無い。
「セージ、聞いて」
縋ったセージの手を握り、シンは強く言った。
話を聞け、と。
「僕の研究は、死者の蘇りだ」
「…死者の…?」
「勿論、非科学的な方法じゃない。正確には生前のその人の記憶を遺体からアウトプットして、機械の体にインプットするんだ。
この手法は確立しているし、一部の人間にだけど利用もされている。安全性も成功確率も非常に高いものだよ」
「…それが、……何だ」
「……。僕はさっき、僕の研究の進歩にはキミが必要だって言ったよね?」
「…………………」
「キミほど人間に近いアンドロイドはいない。折角蘇らせてもロボットに近いんじゃ、この技術の完成度はまだまだ低い。
だから僕はキミを解析したい。ところが博士の技術は見ただけじゃ何一つ解明できない。僕には、キミだけじゃなくて博士も必要だ。
ところが僕の研究には性質上、制限が多い。誰彼構わず蘇らせるワケにはいかない。選ばれた人じゃなきゃいけないし、それに
近しい誰かの許可がいる」
「…許可……」
「博士の蘇りに認可が下りたはいいけど、困った事に博士は独身だったし一人っ子だった。親戚も見当たらない。近しい誰かは、
彼と暮らしていたアンドロイドしかいない」
「…………」
「僕の研究にはまず博士が必要だ。そしてキミにも博士が必要だ。解るね?」
「………………………取引、と言ったな…?」
「ああ、そうさ。僕はキミと取引がしたい」
完璧なアンドロイドであるセージはその存在はあったハズだが、結局公表されなかった。
発表の直前で開発者である博士は命を落とし、そして彼の研究所は直後に何者かによって爆発物を仕掛けられてほぼ全壊の被害を受けた。
博士の元へは以前にも爆発物が送り付けられたこともあり、何者かが博士を消そうとしたのではという見解もあったが、
結局は犯人も、意図も、そして何もかもが跡形も無く消えたのだから、今も真相は解らないままだ。
とにかくそんな状態だったからデータも、そしてどうなったのかは知らないがアンドロイドの姿も見当たらない。
そうなってしまうと、まるで本当の人間のようだったと人伝に言われる彼に使用された技術の全ても知る術がない。
最初こそは躍起になって探した者もいたが、最終的には見つけることが出来ず、半ば伝説のような存在になってしまっていた。
「そんな中、僕は運良く見つけたんだよ。トーマ博士の残した、キミの居場所に関するデータを。それから、キミ本体を」
研究所に地下があり、そこを抜けた先にセージを保管したカプセルは、念入りなカムフラージュと頑丈なロックの下に保存されていた。
そして万が一にも彼がイレギュラー化した場合に備えて彼を止める手段を記されたデータも。
「けど、肝心の技術に関しては何も残されていなかった。でもね、代わりに色々探して見つけたんだ」
「………何を?」
「トーマ博士が遺した、自分の”記憶”さ」
毎晩、眠る前にトーマは自分の記憶をデータ化して残していたのだとシンは言った。
もしもいつか、自分の命が尽きた場合に備えて彼は何を思い何を考え、どう一日を過ごしていたのかを、データとして遺していたのだと。
「それがあれば充分、博士を再現できる。僕のやってる研究は、キミみたいなアンドロイドのように1つの命を最初から作れなくても、
その人の人生の続きを作ることなら出来る。だからトーマ博士に機械の体を与えて生き返らせることなら出来る」
「…………………本当…か?」
「本当だよ。博士の思考も好みも何もかも、生前の彼の続きを、153年経ったけど博士は生きることが出来る」
それを聞いて、セージは無い筈の鼓動が早まった気がした。
トーマと再び会える。
しかも自分と同じ機械の体になった彼に。
ずっと一緒にいられる。自分を置いて年老いていく彼に焦りを覚える必要なんて、もうない。
「悪い話じゃないと思うけど?」
シンが少し悪戯っぽく笑った。
それにつられてセージも笑みを浮かべる。
が、直後にその表情が曇った。
「…?どうしたの?」
「………駄目だ」
「どうして」
「私はトーマを怒らせた。…きっと彼はもう二度と私に会いたくないのだと思う」
「…どうして?」
「私の記録をお前も見たのだろう?彼は私を作った事を後悔していた。……その後悔の続きを、彼に背負わせたくは無い…」
再び項垂れたセージに、シンは大袈裟に溜息を吐いてみせた。
そして一度その場を離れ、再び彼の傍に戻ってきたと思ったら、遠慮無しに目の前に1通の封筒を突きつける。
「………?」
「これ、勝手に見ちゃ悪いと思ったけど、コレも見た。強烈な内容だった」
「……それが、…何だ?」
聞き返したセージに、シンは今度は封筒を胸元に突きつけ受け取るよう差し向ける。
「…………」
「読みなよ」
「…………」
「何してんだよ!落ち込む暇があるなら早く読めよ!」
さっきまでより明らかに必死になった声で言われ、セージはそれに追い立てられるように封筒を開けた。
中から手紙が2枚、出てくる。
セージの作られた時代でも珍しい、手書きの文書だった。
それに目を通していく。
シンはそれを黙って見守った。
徐々にセージの表情が諦めから驚きに変わっていく。
そして読み終えたのだろう、セージが顔を上げてシンを見た。
それを見てシンはもう一度セージに尋ねた。
「ねぇ、僕と取引をしない?悪い話じゃないと思うんだ」
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シン博士は丁寧で優しいけれど、怒ると物凄く怖い。滅多に怒らないけど。