ホムンクルス



目を覚ますとそこは研究室だった。
いつの間にか机に突っ伏して眠っていたらしく、痛んだ腰と首を撫で擦りながらトーマはぼんやりとした思考を無理矢理に起こした。


昨日、セージをシステムダウンさせた。
自立して動いてくれている時は人間より少し重いくらいの彼の体も、完全に機能を停止するとその重さは100kgを余裕で越える。
その彼を研究室に置いている機械運搬用の台車に載せて運び、余っていたアンドロイド用のカプセルに入れて蓋をした。
エラーの原因究明で運ばれたアンドロイド用に幾つか設置しているカプセルは、セージの体には少し大きかった。


時計を見ると10時を回っている。
外が明るいからまだ午前中らしい。
セージをカプセルに入れた後、約束の2時に、約束通りに作業用アンドロイドが運ばれてきた。
それのチェックを済ませてレポートはすぐに仕上げた。
仕事は終わったんだなと他人事のようにトーマは窓の外を眺める。


「……後で電話しないと」


インタビュアーに会うのは午後の3時だ。
完成した新しい生命についてインタビューを受けた時の最終チェックで会う約束だが、もうそのアンドロイドはいない。
あれは失敗したと伝えて、今回のインタビューをお蔵入りにしてもらわなければならない。
先に連絡をとっても良かったが、視界にあるセージの入ったカプセルが心を重くする。
こちらを何処かへ追いやる方が先だと、トーマは一度も使われたことの無い非常時用の扉をあけた。








大きな音を立てて床に落ちたセージを見下ろしたトーマは自分のした事に深く後悔した。


「ごめん、……ごめんな、…セージ…」


温かな手も優しい目も、美味しい食事も他愛無い会話も全部。全部くれたのに。
自分が彼に与えられたのは残酷な現実だけだったと思うと謝っても謝り足りなかった。




トーマの父は、身体の一部を失くした人間のために機械を使った義肢を作っている人間だった。
彼らが体を失う以前と何ら変わらない生活を送れるようにという気遣いが込められた義肢は、皮膚も、関節の動きも、
そして体への負担も、人間のものと全く変わらないと評判だった。

トーマの母は生まれつき体が弱い人で、息子を産んで4年で他界した。

忙しい父。そして既にいない母。
そんなトーマの世話をしてくれたのは、家庭用アンドロイドだった。
それは購入したものではなく、父の作だ。
元々が補助としての義肢を作成していた彼だから、人工知能について少しの知識を得ればアンドロイドを作る事は容易だった。

だがそのアンドロイドの外観は、あれほどに精巧な義肢を作る彼にしては異例の、機械がむき出しのボディをしていた。
名前も女性型のボディから”レディ”と安直につけられていた。


「ねぇ、父さん、どうしてレディに皮膚や髪をあげないの?」


幼いトーマは何度も尋ねた。
マスターが発注の際に個性があることを拒んで、ロボットという姿のままのアンドロイドはそう珍しくは無い。
だからレディが特別不憫なわけではないのだが、技術のある父への疑問は当然のように沸いていた。

だがそう尋ねる度、父は曖昧な笑みを浮かべてトーマの頭をあやすように撫でるだけだった。



レディは声も機械音声だった。
料理は美味しかったけれど、食卓で向かい合って座ってはくれるけれど、いつも食べるのはトーマ1人だったし抑揚の無い音声で返される声では、
会話は楽しめるものではなかった。

父親が忙しい。
それは解っていた。寂しくないと言えば嘘になるが、人の役に立つ仕事をしている彼を誇りにも思っていた。
研究所に何度か連れて行ってもらった時も、誰に聞いても尊敬できる人だと言われてトーマは嬉しくて仕方なかった。
けれど父がレディに向ける態度はいつだって機械に対するもののみで、どこか冷たささえ感じた。

父のそういった面が不思議で、そして少し嫌いだった。
同じ家の中にいる存在をまるで物の様に扱う姿に、いつも疑問と僅かな怒りを覚えていた。



父の義肢を見て、彼に本格的なアンドロイドの作成を希望する声は多かった。
だが彼は首を縦には振らなかった。
その父が、ある時急にアンドロイド作成に乗り出した。

その時トーマは18歳で、天才である父の血を濃く継いだ彼もまた、天才だった。
学生でありながら自宅に構えた父個人の研究所でそのアンドロイドの作成を手伝っていた。
ただ父がどんな依頼を受けて、どんなアンドロイドを作ろうとしているのかまでは知らなかった。
それは大人になった今も知らないままだ。

解っていることといえば今までのアンドロイドと違って、より人間に近付けようとしていたことくらいだった。


その父も、トーマが20歳の時に事故で亡くなった。
同席していたレディも、その時一緒に失った。


食卓は1人。
変わらない生活だったが、寂しさは以前より増した。
どうしたらいいのか。考える必要なんてなかった。

アンドロイドを作ればいいのだ。
ちゃんと皮膚を張って髪を与え、体温も人に近く、食事を共に出来る、従える対象としてではなく共に暮らす相手を。


経験でアンドロイドなら作る事は出来た。
父の残してくれた人工の皮膚や瞳を使うことも出来た。
ただ作りたいのはロボットではない。そう、新しい命だ。
自分を孤独から救ってくれる、共に暮らしてくれる相手だ。

「彼らを全く人間と同じ、一つの命として受け入れればいい」
1人の人間を育てるように1体1体丁寧に、愛情を込めて大切に。
トーマはそう思い、それを実行する事に決めた。







カプセルで眠るセージは、誰にも見つかることの無い場所へ隠すことにした。
いっそ壊してしまおうかとも思ったが、そんな事ができるはずもない。
見つからない場所の更に奥へ隠して、厳重にロックも施して。カプセルと一緒に、入れておくものも用意して。


静かに眠る姿を見つめ、彼にロボット三原則を従来どおりに適用しなかったのは失敗だったと自身に対して酷く腹が立った。

誰にも公表する気はないが、実はセージには人の安全に対してのリミッターがない。
人間と同じように自分の命を守るためのリミッターはあるが、人に対しては最初からない。
製作を発表した時はつけると言ったが、あれは表向きの言葉だ。でなければ危険視されるのが目に見えていた。
それを避けるためにああは言ったが、実際のセージにはそんな物は存在していない。

だから彼はやろうと思えば何の迷いも無く人の命を奪うことが出来る。

彼は新しい生命として生まれた。
生まれた人間にだってそんなリミッターは無い。倫理観を持ってそれを無意識下で制御しているだけだ。
だから新しい生命体の彼にだってそんな物は必要ない。
そう思って最初から設定していなかった。

実際、セージは家に不審者が侵入した時だって取り押さえただけで相手には怪我一つ負わせていない。
人間との力の差を理解しているからこそ彼は人間を傷つけない。害を与えない。
だから大丈夫だと思っていた。

なのにセージは昨日、自分の体を押さえつけ、そして。



昨日の事を鮮明に思い出して、トーマは苦い顔をした。


後悔。
それしか出来なかった。

自分は人間で、彼はアンドロイドだ。
幾ら新しい生命体と言っても、老いていつかは命が尽きる自分と、半永久的に生き続ける彼。
そんな彼に抱かせてしまった想い。

避ける事の出来ない、いつか必ず訪れる”別れの日”。
その日が来るのが近いのかそれとも遠い未来なのかは解らないが、せめて彼が悲しみを受ける前に自分が終わらせるしかなかった。

彼を傷つけた。この苦しみは、生み出した自分の責任だとトーマは深く項垂れた。





全てを終えた後でキャンセルを伝えようとテレビ局に連絡を取ったが、既に彼女は社を出た後だと言われてしまった。
彼女の個人的な番号は勿論知らない。
真っ直ぐにホテルに向かうと言っていたと言われ、電話の相手に礼を言って切ると、トーマは車のキーを手に家を後にした。




*****
博士の後悔。