ホムンクルス
「サブウェイで起こった車両緊急停止事故の、作業用アンドロイドが運び込まれるのが午後2時ごろだろ?昨日までに片付ける分は済んでて、
で、今が10時………」
言ってトーマはもう一度時計を見た。
いつものように朝の7時に起こされた後、朝食も着替えもいつものように済ませてある。
歯も磨いたし顔も洗った。午前の間はノンビリしてられる。
「って、あ、駄目だ」
…ハズだったが、さっき顔を洗っていたときに思った事を思い出して、うわぁと面倒臭そうに顔を顰めた。
「どうした」
「髪、伸びてきてるよな、俺」
肩を落としているとセージが声をかけてくれたので、そちらに向き直ると髪を一房ひょいと摘まんでみせる。
「髪?ああ、そういえば伸びているな」
「切った方がいいよな?」
「確かにそろそろ切らんと、目にかかって鬱陶しいだろう」
「いやお前が言うか」
いつも髪を短めに切っているトーマと違ってセージの髪はフッサフサで、しかも右目に髪がかかっている。
セージの髪は放熱システムが組み込まれている。
大抵のアンドロイドは「ぼんのくぼ」と呼ばれる項の中央付近の窪んだ箇所に、放熱のための大き目の孔が開いているのだが、
セージは髪の1本1本が放熱のための装置を担っていた。
そうする事で、頭部パーツも従来とは違って人間と同じく自然に出来る。
だがやはり髪で補うには通常以上の量が必要になり、お陰でセージは毛の量が多くなった。
しかも放熱するためのシステムが重なり合っていては非効率的だと、なるべく重ならないようにしようと配慮した結果、酷い癖毛のような髪型になってしまった。
妙な形にはならないようにと気を遣ったが、コレが限度だ。
実は最初は毛髪の1本1本がもっと長くてロングヘアーだったのだが、それはセージ本人が起動後に動きにくいと言って改善を求めてきた。
そのせいで今の髪型に収まっている。
幾ら試行錯誤しても前髪も長くなってしまい、しかも量が多いとなると視界を覆ってしまう。
アイセンサーは障害物があっても感知出来るようにはしてあるが、それでも快適とは言いがたい。
仕方なく、今のように片方の目を覆う事で妥協し、左目に極力の視力を与えるようにした。
兎に角、そのセージに髪が目にかかって鬱陶しいと言われると、正直に言って複雑ではある。
が、そこは人間とアンドロイドだ。仕方が無いかとトーマも苦笑いをした。
「でも切りに行く時間ないからなぁ……な、セージ、切ってくれよ」
何でも器用にこなすようになったセージにお願いをしてみる。
するとセージは首を傾げてみせた。
「来週なら切りに行く時間くらい作れるのではないのか?」
「来週じゃあなぁ…」
「何故。何か急ぐのか?」
そんな急に人間の髪は伸びんだろう?
不思議がって聞くと、トーマがうーんと唸って首の後ろを掻いた。
「何だ?」
「…いや、ほら。明日人に会うのに、幾らなんでもちょっとボサボサすぎるかなって」
「明日…」
明日と言われてセージの表情が険しくなった。
明日と言えば、例のインタビュアーに会う日だ。
その人に会うために、トーマは身形を整えるというのだ。
「………別に構わんのではないのか。不恰好ではない」
セージは自分の中の何かが低くなっていくのを自覚した。
人間で言うのなら、テンション、だろうか。
「や、でもそういう礼儀はちゃんとしてたいだろ?」
「いつも寝癖が付いていても平気なくせに何を今更、礼儀などと」
普段の事を指摘すると、またトーマは唸って、けれど今度は照れたように頬を掻いた。
「いや、やっぱりさ、若くて綺麗な女の人に会うんだから…見栄っての?それくらいは張りたいなぁって」
オジサンでも見栄くらいはさぁ、と笑うトーマがセージには許せなかった。
どこか浮かれているその姿に、感情を司るシステムが不定形なサインを送ってくる。
「………トーマ」
「でも露骨すぎるかな、…ってなに?」
低く名前を呼ぶと、独り言を止めてセージを見つめなおす。
青い目は2つ、キラキラとはしていないが澄んだ色をしていた。
「……………なん、…だよ」
ソファに座ったままのトーマに近付いて、困惑の色を浮かべている表情を見下ろす。
綺麗だと思う。
人間の美しさだと思う。
幸せだと思う。
憎らしいと思う。
可愛いと思う。
許せない、と思う。
欲しい、と思う。
「…セージ…?」
名を呼ばれた瞬間、何かが切れた。
トーマの体をソファの背凭れに押さえつけて、抵抗できないように細い両手を大きな片手で纏めて掴む。
あまりに突然の出来事に驚いているトーマにセージは顔を寄せた。
「トーマ」
「………な、…んなんだよっ!セージ、急になんだ!」
必死に両手の自由を取り戻そうともがくトーマだが、人間とアンドロイドだ。
力の差など歴然としたものだった。
ならばせめてと声で抵抗を示すもセージの表情は変わらない。
至近距離で見てもその美貌には粗なんてない。それが却って恐怖を煽った。
「おい、セージ!」
「……誕生日に欲しい物はないかと言っていたな」
「…は?」
状況にそぐわない言葉にトーマが素っ頓狂な声を出した。
お構い無しにセージは言葉を繰り返す。
「誕生日に欲しいもの。昨日、トーマは私に誕生日に欲しい物はないかと尋ねただろう」
「………あ、…ああ、うん。言ったよ」
何だよそんな事かよと安心したトーマは、何か欲しいものでも出来たのか?と状況は変わっていないのに、安心しきって聞き返した。
「ああ、ある」
「何だ?言ってみろよ」
「生殖器が欲しい」
何でも作ってやるよと張り切って彼の望みを尋ねれば、それは耳を疑うような単語だった。
「………セージ、今、お前、…なんて?」
「生殖器が欲しいと言った」
「せい、……しょく……」
聞き間違いじゃないよな、と頭の中で反芻して、やはり思い当たるものが”アレ”しかない事にトーマは腕はそのままに溜息を吐いてしまった。
「何で。お前、排泄の必要がないんだから無くたって困らないだろ」
「欲しいものは欲しいんだ」
「……なに、お前もしかして”アレ”がないの、気にしてたの?」
裸になる事に抵抗がない存在に、そんなモノを付けるのは少し迷いが生まれる。
何かの拍子に猥褻物陳列罪のアンドロイドになどなってしまっては笑い話では済まないではないか。
「でも排泄しないんだから使いもしないモノだろ…?邪魔にならないかな」
「人間の生殖器は排泄するためだけのものでは無いはずだ」
やんわりと断ろうとすると、その言葉尻にセージの声が重なった。
「………おまえ、…何言ってんだよ…」
「生殖器はその名のままだ。排泄器とは呼ばれていない」
「でもお前はアンドロイドだぞ、子供なんて作れないから、」
「人が性交渉をするのは子を作るためだけではないのだろう?」
セージの目もトーマの父の残した品の一つで、他のアンドロイドのものよりも遥かに人間に近い出来だ。
その目が真剣な色を含み、そして声には今まで聞いたことも無い艶が混じっている事にトーマは顔を強張らせた。
「誰かを愛する時にも使うはずだ」
耳元で囁かれる声に、背筋がゾクリと震える。
冷静な頭がマズイと警鐘を鳴らしている。
だが両手はセージに掴まれたままで自由を取り戻していない。
体も彼に圧し掛かられて、ソファに縫いとめられた状態だ。
これをマズイとは思ってもトーマにはそれを押し返すだけの力は無い。
「だ、……誰か好きな人でもできたのか?ああ、だったら昨日は彼女を作ってやろうかなんて悪い事言ったな、ゴメン」
せめて極力おどけてみせたのだが、声が震えた。
「彼女など要らない。……欲しいのは生殖器か、…それか、」
セージの空いたほうの手がトーマの股間に伸びて、布越しにソコを愛撫する。
「トーマだ」
「…お、っ……まえ…!!!」
ふざけるな。そう言おうと開いた口は、セージの唇で塞がれる。
リアルに作られた舌が口内に侵入してきて嬲られる。
最近は”ご無沙汰”だった体はセージの温かな手によって、簡単に快楽の兆しを見せ始めた。
「……ん、………、っ…ふ、…」
優しくも官能的な動きをみせる手の感触に、トーマの抵抗が薄れていく。
意識の殆どがセージの手で生み出される快楽に集中し始める。
頃合を見てセージは戒めていた手を放し、その手でシャツ越しにトーマの体を撫で、そして腰を擽ってゆっくりと手を彼の小さな尻に回した。
「…………っん…!」
布越しにぐいっと押された箇所で、セージの要求を知る。
生殖器を欲しがる、理由。
自分を欲しがる、理由。
トーマは自由になった手を、ゆっくりとセージの首に回した。
それに気付いたセージの腕に更に力が込められ、体が密着する。
呼吸が必要ない自分と違いトーマには酸素が必要だったと思い出したセージが一度唇を離した。
手は休めないままに。
唇を解放し、そして涙で濡れた瞳を間近に確認すると、青い目から涙が零れ落ちた。
「トーマ」
「……セージ、…………」
ごめん。
トーマが小さく謝った。
項を撫で上げた細い指が後頭部のあたりを弄り、そしてピッと小さな音が響くと、セージは自分の四肢が徐々に重くなっていくのを感じた。
トーマの顔が遠のいていく。
彼の体温が感じられなくなっていく。
視界に何故か天井が見える。
何が起こっているのか解らないセージを見下ろすトーマの姿が段々と暗くなって見えなくなってきた。
「……………」
”トーマ”。
名を呼んだはずが、声が出なかった。いや、唇を動かすことも出来なかった気がする。
そんなセージの耳に聞こえた彼の最後の声。
「……お前を………作るんじゃなかった…」
その声が泣いているように聞こえて、泣かないで欲しいと思いながらセージは真っ暗な闇に意識を落とした。
頬に落ちてきた涙の雫を感じることは、もう出来なかった。
*****
システムダウン。