ホムンクルス
自宅の電話が鳴り、セージが出た。
「はい」
「…トーマ博士のお宅でしょうか」
「そうですが…どちら様でしょうか」
聞き返したがセージは声の主が誰か気付いていた。
先日、インタビューを受けた女性のものに間違いない。
するとやはり電話の相手はその時のインタビュアーだと名乗った。
会社勤めしている人間ならとっくに活動している時間だが、トーマは未だベッドで眠っている。
いつもならセージに起こされている時間になっても彼が寝ている理由は、急遽持ち込まれた仕事から漸く解放されたのは明け方で、
幾らなんでもそこで起こすのは可哀想だとセージが判断したからだ。
何も指示を出さずともそういう気の使い方が出来るのもセージならではだった。
「その節はお世話になりました。ところで今日はどういったご用件でしょうか」
あまり会話を長引かせてトーマの眠りを妨害しては悪いとセージは早々に用件は何かと尋ねた。
その露骨なまでの潔さに、相手は一瞬怯んだもののすぐに調子を取り戻す。
「先日のインタビュー映像の編集が終わりまして、その最終チェックをお願いしたいのでまたお時間を頂きたいのですが」
「チェック?そういったものはプロでもあるあなた方の判断で行うものではないのですか?博士が同席する理由はないはずです」
「通常はそうなのですが、今回はあなたという稀有でデリケートな存在の事もありますので、やはりご本人様の了承を頂きたく…」
トーマが天才で著名な人物だとは言え、業界では若手といわれている人物相手に幾らなんでも気を遣いすぎだと不審がるセージに、
尚も相手は食い下がってくる。
「博士が多忙だというのはご存知だったと思いますが」
だから以前のインタビューの前にも彼女達の方から言っていた単語を突きつけてやった。
「それは重々承知なのですが、大事な事に変わりはありません。あなたも同席してくださって結構ですから」
同席”して下さって結構です”から。
その言葉にセージは自分の予想が正しかった事を認識する。
彼女はインタビューの時点からどうも不審だったのだ。
やけにトーマに熱っぽい視線を送っていたが、やはりそうかと納得する。
何年か前なら気付かなかった感情だが、”そういう事”も理解できるようになった今ならハッキリと感じ取ることが出来た。
「場所は以前と同じホテルでお願いしたいのですが、如何でしょうか」
「ですから博士は多忙だと申し上げています」
気に入らない。
素直にそう思い、そして素直にそれを声に滲ませて表向きの理由を告げる。
「何も今日すぐ、というワケではありません。少しだけお時間をいただければそれで、」
「ですから」
「はいはい、お電話変わりましたよ。えーっと、どちら様?」
いい加減しつこいなとセージが明らかに苛立った瞬間、手にしていた受話器を背後から奪われてしまう。
振り返ると寝癖でボサボサになった髪のトーマがそこに立っていた。
あーあーその節はどうもー。え?あぁはい、あ、そーですか。そうですねぇ…じゃあ明後日でどうでしょうか。
あ、オッケー?そうですか、どうもどうも、はいはい、あー午後3時ですね。はい、わかりました。
え?あ、お気になさらず。いえいえ、大丈夫ですよ。では、明後日。はい、どうもー。
愛想のいい声で、比較的明るい声で受け答えを終えたトーマは、自分を見つめたままのセージに焦点を合わせた。
「…忙しいのだろう」
明らかにセージは不機嫌だ。
感情の発現がこれまでのアンドロイドよりも人間に近いセージは、こういう時にとても顕著にそれが表れる。
人前では冷静に振舞っているが、トーマに対しては感情の表現に遠慮が無い。
「忙しいけど、大事なコトだからな」
「彼女に会う事がか」
間髪入れずに。
それにトーマの目が見開かれる。
「は?何言ってんだよ」
「態々出向くほどの事ではないだろう」
「出向くことだよ。大事な事だって言ってるだろ」
「彼女がか」
「何でそうなるんだ。そうじゃない。映りを確かめたいんだよ」
「自分のか」
まるで拗ねた子供のような態度に、何だか笑いそうになるのを堪えて真面目な顔を作ると、トーマはきちんとセージに伝える。
「お前のだよ。俺の自信作がどう映ってるのか、どう映されてるのか見たくてしょうがないだけ」
睡眠時間が足りなければ幾ら言っても堂々と2度寝を決め込むはずのトーマが寝室に戻る様子がないので、
セージは何か軽食でも用意しようかとキッチンに立つ。
そして思い出したようにソファに座っているトーマを振り返った。
「トーマ」
「んー?」
「腹の調子はどうだ」
眠気はないようだが、睡眠不足には違いないのだ。
頭が冴えているからと言って体も同じとは限らない。
食事内容を選ぶ必要性がある。
「そうだなー…減ってる。割と」
「…そうか」
ならば食欲はあるのだろうと判断が付く。
だが起き抜けで、しかも疲れているのは確かなのだから、あまり負担になる物は胃に入れないほうがいいだろう。
業界では兎も角、一般的に見てトーマは決して若いとは言えない年齢になっているのだから。
サラダとサンドウィッチ、それから彼好みの半熟の目玉焼きあたりがいいかと考えて、その前にフルーツジュースを飲ませておこうと
冷蔵庫を開けた。
中にはアップルジュースと、先日発売されたばかりのオレンジジュースが並んでいる。
さぁどちらの方がいいだろうかと、オレンジジュースの味を確かめた。
「……………」
確かに謳い文句どおり濃厚な味だが、酸味がきつくもある。
疲れている胃には流石に向かないかとアップルジュースを大き目のグラスに注いだ。
食事が出来たことを告げると、いつものように目をキラキラさせてトーマが食卓に着く。
目玉焼きの半熟具合を確かめて満足そうな顔をすると、両手を合わせて「いただきます」と言った。
「んまーい」
「そうか。それは良かった」
歳を重ねて大人になっても、トーマの目はキラキラとしている。
流石にいつもというワケではないが、それでも嬉しそうにしている時の彼の目ほど美しいものはないとセージは思う。
いや、何も目だけではない。
笑ったときに出来る目尻の皺も、その美しさを一層際立たせているとさえ思えた。
「…なぁ、セージ」
「………なんだ」
見惚れていて反応が遅れてしまった。
だがトーマはそれを別に気にした風ではなかった。
「次のお前の誕生日、何か欲しい物はないか?」
「誕生日…?」
「そう、誕生日」
誕生日、と言われてその意義にセージはいつも悩んでしまう。
アンドロイドの”誕生日”というのはひどく曖昧だ。
設計図が出来上がった日がそれなのか、信号が繋がって意識を持った時点がそれなのか、それとも全てのケーブルを外して
両足で立ち上がった日がそれなのか。若しくはマスターの手に譲渡された日がその日となるのか。
これはどのアンドロイドもそうだった。どのタイミングを”誕生日”とするかは最早人間の主観に任せるしかない。
と言っても、律儀に”誕生日”を祝ってもらっているアンドロイドなど、大半が家庭用のものだけなのだけれど。
「トーマ」
「なに?」
何かある?と聞き返してくる目はまた輝いている。
嬉しいのだろう事は解るのだが、何がそんなに嬉しいのかがセージには理解が出来ない。
「その、そう言ってくれるのは嬉しいのだが、私の”誕生日”はまだ先のはずだ」
トーマの誕生日が10月。
そしてセージが”生まれた”のは6月だ。
先日トーマが35歳になったばかりなのだから、セージの”誕生日”はまだまだ先。
随分と気の早い話だとセージは伝えた。
「まぁそうなんだけど」
「5月になってからでも間に合う話題ではないのか?」
「そうなんだけど」
「……何だ」
「いや、ホラ。何か作るにしても用意するにしても、間に合わなくなっちゃう可能性もあるだろ?俺、忙しいし。だからリクエストは
先に聞いておいたほうがいいかなって思って」
確かに日に日にトーマは忙しくなっている。
特に先日、セージの存在を”新しい生命体”として発表することを決めてからは。
これが正式にメディアに公表されると、今よりももっと忙しくなる事は目に見えていた。
「そんなに忙しいのなら、何も無理をして祝ってくれなくても私は構わんのに」
トーマがセージの誕生日だと決めたのは6月9日。
11年前のその日、セージは両目を開け、そして初めて世界を見た。
多忙なのだから気にしないで欲しいと伝えても、トーマは納得しない。変なところで頑固なのはお互い様だ。
「駄目駄目。何がいい?そーだ、ペット作ろうか?犬でも猫でも何でも」
「いや、別に要らない」
ペットなんて飼わずとも充分に手の掛かる存在はいるのだというのは、流石にセージでも言うべきではないというのは解っていた。
折角楽しそうにしているのに、態々機嫌を損ねるような事をいう必要は無い。
「んー……あ、じゃあ彼女なんてどうだ?綺麗な子を作ってやるぞ」
ニッコリ笑って言い放たれた言葉に、セージの中で何かがカチリと鳴る。
「それも要らない」
だからさっきよりも語気を強めて言った。
要らない。そう、要らないのだ。
そんな存在など、自分には。
「……そう?でもなぁ…」
だが尚も言い募るトーマに、セージは少しだけ考えてみる。
何か欲しいもの。
欲しいもの。
……欲しいもの?
欲しい。
「…トーマ」
「何だ?」
「では、皺をくれ」
はぁ?とトーマは素っ頓狂な声を出した。
何の冗談かとセージの顔を伺うが、どうも本気らしいと知ると今度は溜息を吐く。
「皺って…何でまた」
「綺麗だからだ」
「はぁ?ホント、意味が解らないんだけど俺」
「だから私の顔に皺をくれ。出来れば目尻がいい」
そう言って自分の目尻を指差す姿に、トーマは眩暈を覚える。
「セージ、あのさぁ…」
「何だ」
「お前の皮膚って、親父が作った技術の粋を集めた、最高に上等なスキンを使ってるんだよ」
「ああ。トーマのお父様は本当に良い腕を持っていらっしゃったな」
「うん。その親父の残してくれた、とっても良いお肌と、俺の最高の美的感覚で作ったお綺麗な顔をしてるワケだ、お前は」
「…………私の美的感覚で言えばそれほどでもないのだが」
「うるせぃ!俺のセンスを否定するな!…兎に角、お前には”美”ってモンが備わってるんだよ」
「……………」
「そこにさ、何で皺なんか要るわけ?老化の兆しだぞ?細胞の衰えの証だぞ?そんなん、要らないだろ」
「………駄目か?」
駄目かと言われて駄目だとは言いきれないが、何と言うか、嫌だ。というのは人間の理由だ。
折角綺麗に作られた、永遠に損なわれることの無い完璧な美に、一体何が楽しくて皺なんて作るのか。
「んー……技術的に難しくは無いけど…あのさ、どうしてもって言うなら俺もソレ考えとくけどさ、お前も他に何か考えといてくれよ」
気が進みきれません。
そう言外に告げてくるトーマに、セージはガッカリした気持ちになりつつ、自分もサンドウィッチを口に含んだ。
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美的センスで言えば自分のほうが正しいとどちらも思っていそうな2人。似たもの同士。