ホムンクルス
この検査をしました。あれも調べました。もしやと思ってこちらも入念に点検したのですが、一切の原因が解りません。
そう書かれた用紙と共に1体の作業用アンドロイドがトーマの研究所に送りつけられてきた。
機械製品のエラーの原因究明がトーマの元へ来るのなら、イレギュラー化したアンドロイドの原因究明も彼の元へくる。
ただそれを専門としているわけではないと堂々と本人が言っているから、粗方の調査は余所で済ませた状態で。
しかしそれがトーマの仕事を減らす事は無かった。
つらつらと書かれた用紙と、ゴロリと台に横たわったセージよりも遥かに大きな機体に思わず溜息が漏れてしまった。
「調べましたって言うけど……」
こちらの手を煩わさないようにとしてくれているのは嬉しいのだが、結局そこに書かれた文字列を読む時間がいる。
文書は企業からの依頼らしい丁寧で、言い換えれば慇懃で遠回しな言葉遣いのために枚数ばかりがやたらと多い。
それに大抵の場合が膨大な時間をかけて見当違いの検査をしてくれたお陰で、トーマの元へ来た時には、
早急に対応したいから、と申し訳程度の時間しか与えてもらえないことが多い。
若い上に天才と言うせいで、特別視されていると言うかナメられていると言うか……頭痛の種である。
今回運び込まれたアンドロイドは、地下の掘削作業現場で使われていたものだ。
狭い場合は人間の作業員が入るのが普通だが、彼らが作業していた場所はすぐ近くに温泉でもあるのかして非常に高温の上、
硫黄の匂いが充満していて人間では耐えられない。
そういう場合、大抵はアンドロイドではなく大型の機械が使われることが多いが、そうするには中が狭くてそれらも運び込めない。
そこで依頼主は、アンドロイドを発注したそうだ。
2メートルはゆうにある機体だったが、彼らが作業するには充分な広さはあったと言う。
その現場での作業は2週間ほどは順調に進んでいたのだが、それが少しずつ滞り、そして1ヶ月経たないうちに完全に頓挫してしまっていた。
何事かと防護服に身を包んだ職員を派遣してみれば、アンドロイドたちは互いを攻撃しあっていたというではないか。
危うく職員も襲われかけたのだが、彼らの活動を停止する装置を持ち込んでいたために無事だった。
そのアンドロイドのうちの、比較的、綺麗に形の残っているものが送られてきたのだが、トーマはそれを見て再び溜息を漏らす。
「硫黄の匂いだろぉ?」
独り言。
研究室にセージが入るのは、自身の点検の時のみだ。
集中したいトーマは、極力こういう時には1人でいたい。
それにセージはトーマの身の回りの世話をしているのだから、彼もこういう時は1人で家事をこなしていたいそうだ。
彼曰く、トーマがいるといつまでもシーツが洗濯出来ない、そうで。
書類には丁寧に目を通した。
そして一緒に送られてきているディスクでその時の立体画像を点検する。
「……やっぱりな」
何でこんな事に気付かないかな、と呟いてアンドロイドの頭の部分を開いて中に直接ケーブルを繋いだ。
モニターに一斉に英数字が流れてきて、その中からある設定を探し出す。
「ほら!」
彼らは作業用のアンドロイドだ。
家庭用のものよりも性格付けは遥かに雑な作りになっているが、安全性においては同等に設定されている。
人に対してもそうだし、それは彼ら自身についてもそうだ。
アンドロイドが自身の安全を守るために設定されるものは、感覚について。
ボディの耐久温度を超える高温・低温に対して、同じく耐久力を超える衝撃に対して。
異音を聞き取れるように聴覚、異物に気付けるように視覚、異臭を感じるように嗅覚。
使用する状況や個体によって感知する度合いは同じシリーズのアンドロイドでもその都度違っているのだが、
大抵これらの項目が設定されてから出荷される。
今回の原因は、嗅覚だった。
硫黄の匂いがキツイ現場に送り込むというのに、嗅覚が日常生活で問題なく活動できるレベルに設定されていたのだ。
なのに現場に到着して起動され、そこで新たに覚えさせられた情報の中に、簡単に言えば「この匂いは硫黄だから問題は無い」という
指示が加えられていた。
日常生活レベルでは異臭とも言える硫黄の匂いに嗅覚は異常だと告げているのに、判断を下すメインのシステムが問題ないという指示を
与え続けている。
そうなると相反する情報に挟まれてしまい、彼らにはそれが徐々にトレスとなっていく。
人間の抱えるストレスとは厳密には異なるのだが、アンドロイドは精密機械なのだからストレスには弱い。
しかも今回の彼らは作業のために1週間ほどなら睡眠状態に入らずとも活動できるように作られている。
つまり1週間分のストレスを抱え込み、そして現場と地上を往復する時間の削減のために、やはり現場で睡眠をとる。
すると休んでいる間も微量のストレスを受け続ける状態になり、それがシステムエラーの原因を生んでいた。
「こんな単純なエラーを何で気付かずに、大袈裟な部分ばっかり見るかな!」
アンドロイドが機械として進化すればするほど、一度何か違う動作を起こすと過剰に反応する連中が増えたとトーマは頭を抱える。
もっとシンプルな筈なのに、何故か複雑に捉えようとする。
人間と同じように作ろうとして、なのに機械という認識が根付いているせいだといつもトーマは思っていた。
自分たちと同じに考えてみればいいのに。
何が不快で何が苦痛か、それを考えればすぐに解るのに。と。
彼らは機械ではないのだ。人間や昆虫が同じ命ある生物であるように、彼らもまた新しい命だと思えばいいのだ。
顛末は随分とお粗末ではあったが、兎に角今回の仕事は終った。超ハイスピードで。
原因を調べるよりも、大量の資料とデータを見ていた時間のほうが倍以上あった。
ちっとも心地よくない疲労感だけが残ってしまい、顔を顰める。
そのタイミングで、自宅の方からコールがかかった。
仕事用とは別のモニターにセージの姿が映し出される。
「…なに?」
「何だその顔は」
「仕事が終ったんだよ。そっとしといてくれ」
「そうか、では丁度良かった。食事の準備が出来たからこちらへ来い」
「来いって…」
不遜な物言いに、また顔を顰めてしまう。
作ったのは自分で、セージは作られた側なのだが彼はどうも偉そうだ。
それを本気で怒る気はないが、時々には引っ掛かる。
「先に食ってろよ。俺は少し休んで食べるから」
「駄目だ。来い」
主導権は俺にあると言外に示してみせたが、セージは相変わらずだ。
真顔のまま来るよう命じてくる。
「…………お前ねぇ…俺は疲れてんの」
「そこまで疲れているようには見えん。食事を優先しろ」
「何で」
「規則正しい生活は健康な人生の第一歩だ」
「…………」
ジジ臭ぇな…。そう思ったが黙る事にした。
今ある話題以上の事を言えば、それも律儀に反論されるのだ。
自分で作っておいて何だが、妙ちくりんな奴に仕上がったものだとトーマは呆れていいのか、それとも自我が出来上がっていると喜んでいいのか
悩んでしまう。
「それに」
「…それに?」
「食事は温かい内に、一人よりも誰かと共に食べる方がいい」
「わー、グラタンだ!」
今年35歳になったとは思えないようなキラキラとした笑顔でトーマは食卓に着いた。
結局セージの一言に負けて自宅へと戻ってきた。
確かに彼の言う事は正しい。
食事は温かいほうが美味しいし、それに誰かと食べるほうが断然いい。
そもそもそれを最初に望んだのは自分だとトーマも解っている。
家に誰かがいるのに食卓を一緒に囲めない寂しさはもう沢山なのだ。
「ね、エビ?」
「ああ、エビグラタンだ」
大好きなエビグラタン。それを聞いて益々喜んだトーマを、セージは優しい笑みで見守った。
「よっしゃよっしゃ、食べよう!」
「ではサラダも出そう。先に食べていてくれ」
「え、時間かかる?」
「いや、冷蔵庫から出すだけだ。すぐに戻る」
「はいはい」
言われたとおり素直に口に運ぶと、幸せだと思うほどの味が口いっぱいに広がる。
ホワイトソースから手作りされるセージの料理はとても美味しい。
彼はトーマ好みの味付けを、設定としてではなく舌で覚えていた。
設定ではないから微妙な体調の変化にもすぐに対応できる。非常に便利で利口なアンドロイドだ。
…変な拘りがある上に、小言が面倒ではあるけれど。
「サラダも残さず食べろよ?」
そう言ってトーマの視界に入るようにサラダを取り分けた小皿を置く。
途端に35歳の男の顔がまた歪んだ。
「セロリ…!」
「好き嫌いは許さん。食べろ」
「そりゃ俺だって大人だ、なるべくは食べようとは思うよ。でもセロリだけは駄目だ…!!」
嫌がりながらフォークで突き刺したせロリをセージの小皿に移そうとするが、当然、阻止されてしまう。
「好き嫌いは許さんと言っているだろう」
「ヤなんだって、この青臭さが苦手なの!」
「我慢して食べろ。栄養のためだ」
「栄養って……最悪、サプリメントがあるじゃないか!」
「駄目だ。そんなもので摂取するよりも、食品で摂取する方が体にはいいんだ。ホラ、私も食べるからお前もちゃんと食べろ」
「お前は好き嫌いないだろーが!」
「ある。甘いものはあまり好かん」
「嘘だ!この前、チョコ食べてただろ!」
「うむ。訂正だ。トーマが好むほどの甘味は好かん」
「…ム、ッカついた!今のは何かムカついた!大体お前は好き嫌いもクソも、そもそも栄養バランスなんて必要ないように作ってあるだろ!!」
不公平だ!と理不尽な物言いをする35歳を目の前に、セージは堂々と溜息を吐いてみせる。
”アンドロイドのくせに”。
「トーマが丁寧に作ってくれたお陰で、確かに私は食べれるものなら何でもエネルギーに出来るが、トーマはそうはいかんのだぞ。
ただでさえ忙しすぎて不摂生になりがちなのだ。それを手助け、管理するのが私の役目だ」
ご尤もな意見ではある。
その上、人工物とはいえこれほどの美貌の主に真剣に言われては何も言えない。
何故ならトーマは面食いだ。
「………………解ってるけどさぁ…」
だが素直に認めるのは何だか悔しい。
だから無駄に足掻いてみせる。続く言葉は何一つ浮かばないにしても。
するとまたセージが溜息を吐いて、真剣な目でトーマを見つめた。
「トーマ」
「………何だよ」
「お前が35にもなって結婚できない理由がよく解った。そういう性根を直せ」
「……………!!!」
天才。将来有望。そして男前。
35歳にしては若く見られる容姿のトーマはモテるが、確かに未だに独身だ。
それを突かれるのは少々、いや、実は結構痛い。
35歳といえばトーマの父親は既に5歳になる息子、自分がいた年齢でもある。
「うっるせぇな!!!誰のせいだと思ってんだよ!!!」
だがトーマにも言い分はある。
何も縁遠いのが自身の生活態度だけが原因ではない。
「私のせいだというのか」
「お前が全裸で出てきたり、女に無愛想すぎて俺ごと敬遠されがちなの!だから縁遠くなっちゃうの!」
「その程度でヘコたれる女にお前を任せられるものか。そんな話はもういいから早く食べろ。冷める」
自分から言っておいて勝手に切り上げるとは何事か。
そうは思っても何を言っても無駄な相手に思わず歯軋りしたくなるが、その前に腹が鳴いてしまった。
体は素直なもので、美味しい食べ物を要求している。
確かに美味しいもんなぁ…。
好みの味付けで、その上健康面まで気遣った料理を出してくれるセージ以上の存在が未だに見つからないのだ。
他の面でも色々とそういった事はあるから余計に縁遠くなるのだと、どこか言い訳のようにトーマは思いつつ、物凄く我慢をして
セロリを口へ放り込んだ。
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トーマ博士35歳。
セージの舌はグルメ仕様。