ホムンクルス
しゃがみ込んで草をむしる。
少しの間でも手入れをしなければこの中庭はすぐに草が生い茂ってしまうのだが、こう何度も繰り返していると力強く芽吹くこの草を抜く事が
何だか悪いような気がしてくる。
だが、草に栄養を摂られると、近くに植えている花が綺麗に咲いてくれない。
この中庭に咲く花を、彼が好きだったと言っていたのだ。それを綺麗に咲かせてやりたい。
だから、すまん。
心の中で謝りながらセージは草を抜いた。
強い日差しが照りつけてくる。
もう何時間も同じ姿勢でいる。
アンドロイドのセージには、日差しの温度は解ってもそれが苦しいほどに熱いとは思わないし、ずっと同じ姿勢に飽きる事はあっても
それで疲れると言う事は無い。
少しだけエネルギーを補充しようか。
そう思って立ち上がったと同時に、バタンと大きな音を立てて建物内へと繋がる扉が開けられた。
「セージ!!!」
自分を呼ぶ声に頬が緩む。
最後に聞いた時よりも、僅かにだけ高い声。
「セージ、俺は遂にやったぞ!!!」
声のするほうを振り返ると、白衣を着た青い髪の人物が自分目掛けて真っ直ぐに駆けてくる。
「どうした、トーマ」
シンの技術によって体を与えられたトーマは、彼と共に研究を進める傍らで、セージに使った技術を使いながら自分の体を
少しずつ調整している最中だ。
「俺は遂に自分の”舌”を取り戻したぞ!!!」
成分じゃなくて味で各メーカーの微妙な差が解るようになった!と市販の板チョコのパッケージ数個を嬉しそうに見せてくる。
その目は過去と同じようにキラキラと輝いていた。
「ほぉ…それで?」
「それで?それで、だと?お前、アホか!食事が齎す幸福度をイマイチ理解してないな!」
食事について一生懸命語っている彼の姿は、セージが最後に見たものより随分と若い。
セージの外観設定が実は24歳だと解り、どうせなら同じ歳の方がいいとシンに我侭を言ってトーマを24歳当時の姿で作ってもらった。
ただセージは随分と落ち着いた性格に育っていたので、同じ24歳でも2体が並ぶと到底同じ歳には見えない。
トーマは非常に悔しがっているが、こればかりはどうしようもない。それが個性と言うものだ。
「だから旨いって感じるのは人生においてとても大事なんだ。そして俺は、俺本来の味覚を取り戻した。どうだ、凄いだろう」
「ああ、凄い凄い」
「お前…適当に言うなよ」
彼の甘党ぶりは正直呆れて物も言えないのだが、あまり適当に扱って機嫌を損ねると忙しいのを理由に研究室から出てきてくれなくなってしまう。
天岩戸を開けるのは結構骨が折れる事だというのを思い出して、セージは話題の転換を図った。
「ところで他の感覚は全部取り戻せたのか?」
「え?…うん、ちゃんと戻った。視力も24歳当時のモンだから作業中に眼鏡も要らないし、耳も鼻もシンの設定で大丈夫だったろ?
暑いも寒いもちゃーんと感じてるし…って外、暑いなぁ…」
お前、こんなトコロで作業しててよく平気だな、とトーマは額を拭ってから汗はもう出ないのだと気付いて笑った。
一緒にセージも笑う。
「ではあと必要なのは、生殖器だけだな」
そして笑顔のままで告げた。
アンドロイドにはそんな物は必要ないからとやはりシンもそれは作らなかった。
腰を抱き寄せてそっと手を伸ばした股間は平らだ。
そんなトコロを撫でるセージの手をトーマは容赦なく叩く。
「アンドロイド作成者が2人揃って要らないって判断してるものを欲しがるな!それを欲しがるアンドロイドもいないってのに…
そもそもそんなの付いてるアンドロイドって、”そういう目的”専用のやつしかいなんだぞ……お前は異端過ぎる」
だいたい俺は”そういう目的”専用じゃない。
頬を染めてぷいっと横を向く仕草が妙に可愛い。
それがセージの心を酷く擽るのだという事は、きっと彼は理解できていないのだろう。
「異端とは心外な………そうだ、本当に舌を取り戻したのか私も確認してやろう」
言うが早いか、セージは抱き寄せる力を一層強めて細い体を力いっぱいに抱くと、口付けを仕掛けて口内を嬲る。
「………っ、…………!」
必死に抵抗してセージの胸を叩くが、その程度ではビクともしない。
シンが手掛けているのはあくまで”生前と同じ姿”のアンドロイド製作だ。
必要以上の力も知能も、ロボット的な要素の一切が排除されている。
現場作業や介護目的のアンドロイドよりもパーツはシンプルになる分、ボディ自体も人間と同等サイズで作ることが可能だ。
お陰でトーマも機械の体にも関わらず細身だった。その代わりと言っては何だが、力も当然、人並みしかない。
そんな具合だからセージに押さえ込まれると何も出来なくなる。
「…………………っ、…お、まえは、だから何で急にそういうコトするんだよ!」
漸く解放されたトーマの顔は真っ赤だ。
そんな顔で睨まれたところで何の迫力も無い。
そもそも睨まれたくらいで動じる性格のセージではない。
以前なら兎も角、今はもう彼の気持ちもちゃんと知っているのだから。
「私は舌の形状もちゃんと元に戻っているか確認しただけだ」
だから、そんな事をしれっと言う。
「確認って……お前に何が解る!」
「解るだろう。あの日触れたお前の舌の形や口の中はちゃんと私の中に”記録”されているんだからな」
「…て、…んめぇは……!!!」
「はいはいはい、そういうコトは外じゃなくて私室などの出来る限り人が来ないところでしてくれますかねー」
自分が出てきた扉から棘を含んでいる癖に爽やかな声が聞こえて、トーマはセージの腕の中で身を強張らせた。
そしてオイル切れのようなぎこちない動作で扉を振り返った。
「……し、シン…ちゃん…」
「シンちゃん呼びはやめて下さいって言いましたよね?博士」
「貴様、また覗いたな」
「覗いたなんてそれこそ心外だな。毎回毎回、目立つところでイチャつく方が悪いんだよ」
その言い回しに、結構前から見られていたのだと知ったトーマの顔が面白いほどに赤くなっていく。
言わなければ彼がアンドロイドだとは誰も気付かないほど人間的な反応に、シンは感心して同時に呆れる。
「はいはい、博士、今更ですからね。そんな事よりさっきのデータ、移し替えが無事に終わったみたいですよ」
この手の話題に初心な博士を調子の乗ってからかい、天岩戸になられて面倒な思いをしたのはセージだけではない。
シンはさっさと話題を変えて、ここに来た用向きを伝える。
「そういう事は先に言え!」
「もう、人が気を利かせて話題を切り上げてあげたのに引き摺らないで下さいよ。そもそも博士が熱を込めて味覚の重要性を説いていたから
僕もその講義を拝聴させていただいていたっていうのに、急に如何わしいことを始めたのは誰ですか」
「俺じゃない!セージ!セージがしたんだよ!見てたんなら解ってるだろ!」
「そうですね、はいはい。ほら、博士。行きますよ」
もういいからとシンは手招きをして先に扉をくぐって室内へ消えて行った。
それに続いたトーマだが、硬い床を踏む前に何かを思い出して振り返る。
振り返った先には、いつものようにセージが立っていた。
「どうした」
「…………それじゃ俺、行ってくるから」
「ああ。あまり根を詰めるなよ。機械の体になったとはいえ、睡眠は必要なんだからな」
「解ってる。……………」
「………どうした?」
仕事が控えていると言うのに、いつまでも去る様子の無いトーマを不思議に思ってセージが歩み寄ると、その首にトーマの腕がしがみついてくる。
突然の事にセージが驚くと、その隙を突いてトーマのほうから触れるだけのキスをされた。
「…………………何だ、急に」
嬉しいけれどこんな事は初めてだから、何かあるのかと訝しんでしまう。
尋ねるとトーマは相変わらず頬を染めたままだった。
「……………いいかなって」
「…何が?」
「………”生殖器”」
「……?」
「…その、…………………つけても、いいかなぁって……」
ちょっと思っただけ。
そう短く言うと、トーマはセージから離れて、まるで逃げるように研究室へと走っていってしまった。
残されたセージは暫く固まって、その後で珍しく耳まで赤くしてその場にしゃがみ込むのだった。
**END**
終わりがない幸せ。