らららカレンダー
征士は南瓜に包丁を入れて耐熱皿に移すと、その上からラップをかけて電子レンジに入れた。
その間に人参の皮を剥いて乱切りにしていく。
当麻には風呂に入れる柚子を買いに行かせた。
寒いから嫌だと渋っていたが、その間に南瓜と人参の煮物を作っておくからと言うと態度を急変させて、彼の冬の定番になっている
白のダウンジャケットを羽織って、財布を手にさっさと家を出て行ったのには思わず笑ってしまった。
今年の冬至の日は、日曜日だった。
当麻の勤めている小学校は一昨日から冬休みだ。
昔は24日に終業式があったがその前日が祝日となり、そしてそれが月曜日と重なったために、土曜から3連休だった。
その後に終業式の為だけに登校日を設けるのも妙だという事からさっさと済ませてしまったらしい。
子供達からすればそれは嬉しい事だが、教師達からすれば堪ったものではない。
ただでさえ土曜日が休校なのだ。登校日は減ったが、しかし授業で教えなければならない内容は山とある。
詰め込みすぎても子供達の理解が追いつかなければ何の意味もないし、かといって時間に限りがある。
そんな中で必死に配分を考えて授業を行っていくのだから、12月の頭から密かに教師達は焦っていた。
夏休み前には余裕のあった当麻だったが、今回はそこまで余裕がなかった。
行事ごとが多かったのがネックだよなぁと本人はブツブツ言っていたが、その時に彼が主に上げる行事が例の音楽会のことばかりだというのが
征士には可笑しくて仕方がない。
音楽会の日、帰って来た当麻の表情に安堵と疲弊がありありと浮かんでいたのを思い出していると、電子レンジが電子音を響かせた。
「……よし」
硬い南瓜は一度温めておくと調理しやすい。
この知識の入手先は親からではなく、中学生の時にこっそりと買った料理本からだ。
10年前の事を思い出して、征士は先ほどまでとはまた違う笑みを浮かべた。
「実家から南瓜貰ったんだけど、どうやって食べたら良いと思う?」
勉強の合間に”当麻先生”がそう聞いてきた。
人参を生で齧った話が遂に二桁に上った事について征士が懇々と説教をしてから、彼は時々食材の調理法方を聞いてくる。
一人暮らしだという家庭教師は、驚くほど博識で(失礼な話)その外見からは想像も付かないほどに聡明な人物なのだが、
どうも生活という面においては少々、いや、中学生の征士から見てもかなり頼りない人間だった。
「一番簡単なのは煮物です」
「煮物って難しいイメージがあるなぁ。ホラ、よく女の子に肉じゃがとか煮物が出来たらお嫁さんになれるよって言ってるだろ?」
違うの?と青い目をパチクリとさせると、年上だと解っていても征士には可愛く見えてしまい、それが何だか恥ずかしくてそっと目を逸らした。
「調味料の分量を間違えず、時々様子を見れば大抵は失敗しません」
「そうなんだ。でも南瓜って硬いよな。昨日、冷蔵庫に入れるために切ったんだけど凄い硬くてめっちゃ疲れた」
「……どんな状態で貰ったんですか?」
「丸ごと1個」
「丸ごと……」
1人暮らしの人間に渡すには多すぎないか?と征士は思ったが、もう手元にある以上そこについて話しても仕方がないと、そこは置いておく事にした。
「それをどのサイズまで切ったんですか?」
「取敢えず4等分した。…あ、それなら切る前に征士の家に持ってくれば良かったな。何も俺が食べる理由は無かったんだし」
「でも先生のご両親は、先生に食べて欲しくて送ってきたんでしょう?」
いやいや、と苦笑いを浮かべて当麻は手をヒラヒラと振った。
その合間にいつ見たのか知らないが、征士の手元を指差して「そこの故事成語の起源、間違えてるぞ」と訂正をしてくる。
征士は慌てて消しゴムでそこを消した。
「お袋の親戚で趣味で農園やってる人がいて、その人が作ったんだって。で、山のように送ってきたから俺にもどうにかしろってさ。
正直、一人暮らしだし食材は助かるんだけど流石にどうしていいのか解らんしなぁ…」
まぁ切る時点で硬すぎて投げちゃったんだけどな、とまた困ったように笑うのを征士は視界の端で見ていた。
「…電子レンジを使うと良いですよ」
「え?」
「電子レンジ。ある程度切ったものをレンジで温めると切りやすくなるし、調理しやすくなります」
実際にした事はないけれど、この前こっそりと買った料理本の最初のほうのページにマメ知識として載っていた内容を、
征士はいつもの凛とした声よりも随分と控えめに言った。
「……………」
「…………当麻先生?」
急に黙った家庭教師を不思議に思ってそちらを向くと、驚いたようにタレ目を見開いた男が其処にいた。
「………え、何か……」
「いや、…前から時々思ってたけど征士、詳しいなって思って…」
言われた途端、征士は自分の顔が強張ったのが解った。
やってしまった。
心の中に急に黒いものが広がっていく。
「その、…あの……」
「若しかして料理、好きなのか?」
「……っ」
図星だ。
家族からも親戚からも、そしてそれ以外の人間からも、誰からも文武両道で旧家の跡取りらしいとされている自分が、料理に興味があるだなんて
きっと”らしくない”と笑われてしまう。
だから家族にさえも内緒にしてきたのに、この縛られることのない性質の彼相手につい喋りすぎてしまったと後悔する。
否、何よりも心に正直な彼に変な人間だと思われるのは怖い。そう思うと後悔は増してくる。
どうしよう、そう思っていると隣に座っている当麻が目を輝かせて笑った。
「凄いなー!俺、家庭科の成績は悪くなかったけど調理実習は専ら食べる専門だったからさ、…お前、凄いなー!」
「…へ」
「勉強が出来て運動も出来てしかも男前で料理まで出来たら、お前、将来モテ過ぎるぞ!」
何が楽しいのか笑っている当麻の前で、征士はこの状況に頭が追いついていないのか固まったままだ。
一頻りテンション高く言葉を続けていた当麻がそれに気付いて、アレ?と言って首を捻った。
「どうした?」
「その…………だって、…男なのに料理が好きって……変じゃないですか?」
「何で」
「だって…料理は女の人のする事です…」
ぼそぼそと言うと、些か大きなリアクションで当麻は、えー!っと頭を抱えた。
「今時そんな考え、ないって」
「でも私の家では母と姉しかやりません」
「妹さんは?」
「まだ小学生ですから…」
「あ、そっか」
「……………」
「でも征士は料理が好きなんだろ?」
「…………………はい」
「最初にお前のお爺ちゃんから通知表見せてもらったけど、家庭科も5がついてたもんな」
「……はい…」
悪いことではないのだが、責められているような気がして返事をする征士の声が段々と小さくなっていく。
そしていつもは真っ直ぐに伸ばされた背も悲しいほどに丸まっていった。
「うん」
「……………何でしょうか…」
「隠す必要、ないよ」
「……………」
「だって好きなんだろう?悪いことじゃないんだ、いいじゃん、堂々と胸張ってたら」
「でも………」
「どうしたよ、征士らしくない」
「…………………幼稚園の頃、ままごと遊びだって姉に笑われました。今度もきっと…」
近所の女の子に混じってままごと遊びをしていたのを姉が見て笑った記憶が征士には強烈に残っていた。
その時の征士はお父さん役だったのにプラスチック製の包丁を持っていたのが原因だと姉は後から言っていたから余計だ。
「…俺、笑わないけどなぁ」
「……………え、」
「もし征士のお姉さんが笑っても、俺は別に笑わないよ」
「…本当に?」
「うん。だって俺には出来ない事を出来るんだ。それって凄いって思う」
その時の真摯な言葉と、真剣な表情の中で目だけは優しく笑っていた事に征士は随分と心が救われた。
だから今は無理でも、せめて大学生になって一人暮らしを始めたら好きなだけ料理をしようと決める事が出来た。
だがその日は思ったよりも早く訪れた。
祖父母は所用で出かけ、父親は仕事へ、そして姉も妹も遊びに出てしまっていた時だ。
母親が征士を呼んだ。
どこから呼ばれているのかと思い廊下を進んでいくと、そこは台所だった。
「征士さーん、いないのー?」
「………何でしょうか」
「あぁ、良かった。お母さん、今手が放せないの。そこにあるゴボウをサラダ用に切ってくれる?」
てんぷらを揚げている彼女は手どころか目も離せないらしく、指先だけでまな板の傍においてあるゴボウを示した。
包丁なら下の開きを開けたところにあるから、と素っ気無く言われ征士は戸惑ってしまう。
「…え、あの……」
「ゴボウのサラダにしようと思って後でも大丈夫と思ってたんだけど、さっきお爺様から電話があってもうすぐ帰ってくるんですって。
お腹が減ってるらしくって帰ったらすぐにご飯が食べたいって言うんだけど、てんぷらを揚げてるから…征士さん、そっちはお願いしてもいいかしら?」
「あ、……はい」
捲し立てるように言われ、征士は状況が飲み込めないままに開きから包丁を出してゴボウを手に取ると、包丁の背を使って
ゴボウの皮を削いでいった。
「ありがとう。とても助かるわ」
「…いいえ……」
母親は寡黙な人間ではないが、息子の征士より、姉や妹との方が同じ女同士で会話の多い人だったからすぐに沈黙になってしまう。
てんぷらの揚がる音とゴボウを切る音だけが台所に流れていた。
「切りました」
「そう、じゃあボイルしておいた人参もあるからそっちもお願いしていいかしら?」
「…はい」
手に取った人参をサラダ用に細かく切っていく。
特に指示されずとも家庭科の授業と、そしてこっそり眺めていた料理の本でどうするべきか征士には解っていた。
「……上手ねぇ」
するといつの間にてんぷらを揚げ終わったのか、母親がその手元を見ていた。
それに征士の頬が一気に赤くなる。
だが母親はそれに気付かなかったようだ。
「……当麻先生の仰っていた通りね」
「え」
料理が好きなことを内緒にしてくれとは頼んでいなかった。
それは彼が言いふらすなんて思いもしなかったからだ。なのに母親には伝わっている。
その事に征士は少なからずショックを受けた。
「先生が、何か…」
声が微かに震える。
羞恥と、そして裏切られたことへの怒りで。
「ええ。先日仰っていたわ。”征士くん、お姉さんみたいにお母さんのお手伝いがしたいみたいですよ”って」
「…おて…つだい…?」
だが母親の言葉で感情は空回りを見せる。
「先生、褒めて下さってたわ。征士くんは優しい子ですねって。頭も良いから家庭科の授業でやった事をちゃんと覚えているようですし、
一度彼にも手伝わせてあげたらどうですかって先生が」
「そう、言ってたんですか?先生が?」
「そうよ。うちは家族が多いから弥生さんばかりが手伝わされているのを、あなた気にしてくれてたのね。
先生に言われるまで私、ちっとも気付かなかったわ」
ありがとう。そう母親は付け加えた。
「先生、あなたの事をよく見てくださってるのね」
「…はい」
「まだお若いのに本当に立派な方だわ。さすがお爺様が連れてきただけの事はあるわね」
「そうですね」
「そうだ、今度何かお礼をしましょうか。大袈裟なものだと却って困るでしょうし…何が良いかしら?先生、何がお好きかあなた知ってる?」
その後、彼にしたお礼が、南瓜の煮物だった。
それも彼が処理に困っていた分を持ち込んでもらって、そして征士が1人で調理をしたものだ。
手渡すとタッパーを開けるなり、その場で一つ摘まんで口に入れた当麻は旨い旨いととても喜んでくれた。
それが今でも征士の中で幸せな記憶の1つとして残っている。
あれ以来、毎年冬至の日が近付くと必ず南瓜の煮物を彼に渡してきた。
彼が自分の先生でなくなってからも、ずっと。
今年初めて、冬至の日に一緒に南瓜の煮つけを食べる。
当麻に対して感じていた歳の差は昔よりも薄れてきているが、愛しさは年々強くなっている。
”先生”だった彼を、そういう意味で好きになった瞬間は覚えていないが、あの日の事がキッカケの1つだという事は征士も解ってる。
そういう小さなことが沢山積み重なって、気が付くと戻れないほどに彼にのめり込んでいた。
「………よし。後はトロ火で煮詰めれば完成だな」
圧力鍋を使えば早いのだが、征士はそれを極力使わない。
時間をかけて煮込む間を待つのも彼には大事な時間で、そしてその時間が大好きだった。
「ただいまー!」
玄関から当麻の声が聞こえてくる。
寒い寒いと言っている様は年上なのに何故か子供のようで微笑ましい。
台所に入ってきた当麻はまだダウンジャケットを着たままだった。
指を伸ばして頬に触れると冷たさが伝わってくる。
「おかえり」
言って征士は、当麻の冷えた唇に自分のものを重ねた。
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夜は柚子湯に一緒に入ります。