らららカレンダー
「何だよ、来るなら来るって言ってくれれば……って違うか。今日は親が子供を観に来る日であって、教師を観に来る日じゃないんだぞ」
一応嗜めるような口調ではあるが、満更でもないのは当麻の表情からも解っていたので、
ジャージ姿の恋人を見ながら征士は薄い笑みを口元に浮かべていた。
3日前の天気予報が示したこの日は曇りのち雨の予報だったが、実際は綺麗な秋晴れだ。
その空の下を、征士はのんびりと歩いて当麻の務める小学校まで来た。
道中、この近隣では見かけない恐ろしいほどに容姿の整った人物を通り過ぎる誰もが見惚れていたのだが、
当然征士はそんな物は全く気に留める事はなかった。
振り返ってまで向けられる視線を無視して只管に駅から学校への道を辿る。
10月の第二週目の日曜日。
日曜日のこの日、学校では運動会が開かれていた。
駅から30分近い道をゆっくりと歩くと、暦の上では秋だがまだ暑さを存分に感じる。
額に浮いた汗を軽く拭うと校舎が見え、音楽が聞こえてくる。もっと近付くと校門が見えた。
そこをくぐり抜けて更に足を進めると子供達のはしゃぐ声も聞こえた。そしてそれを見守るように立っている青い髪が見えて、征士は目を細める。
学校関係者の関係者ではあるが、本来ここに立ち入って良い立場にない事は征士自身もよく解っていることなので、
校舎の陰の、ちゃんと目立たない位置に陣取っていたのだが派手な容姿ではそんなものは意味が無いに等しい。
すぐに当麻に見つかり、駆け寄られてしまった。そして冒頭の言葉をかけられる。
「何だよ、来るなら来るって言ってくれれば……って違うか。今日は親が子供を観に来る日であって、教師を観に来る日じゃないんだぞ」
そう言ったジャージ姿の当麻は、首からデジタルカメラをぶら下げていた。
それは先週、この日の為に2人で買いに行ったものだ。
征士や当麻が子供の頃に比べると、両親が揃っていない家庭が増えた。
理由は死別であったり離婚であったりと様々だが、それによって何か問題が起こるというのは当麻のクラスに限ってはなかった。
だがある日、母子家庭の子供が言ったのだ。お母さん運動会は見に来れないって、と。
その子の母は女医をしている。我が子の事は勿論大事だが、医者として立たねばならない事もあった。
そんな母の事を理解しているからこそ、その子は文句は言わなかったがやはり寂しいようだ。
それを理解した当麻は、ならば自分がその子供の写真を撮って後から母親に渡してやろうと思い提案した。
すると今度は大好きな先生に写真を撮ってもらいたい子供が自分も自分もと言い出してしまった。
彼の場合は事情がある。だが贔屓はしたくはない。
結果として、当麻のクラスの保護者は当日観に来ても、誰もカメラを持ってこない事になった。
代わりに担任である当麻が全生徒の写真を撮り、現像して後日彼らに配布する。
当日、教師として元から役割もある当麻は、その日は朝からてんてこ舞いだった。
漸く落ち着いたのが閉会式間際で、その一息ついたときに征士が現れたから余計に目がいったようだ。
「疲れているようだな」
「流石にネ」
前もってその話を聞いていた征士は、恐らく当麻がくたくたになっているだろうと予想してこの時間に現れた。
車通勤の彼だが、ひょっとしたら運転さえ辛いかもしれない。そう思って、迎えに来た。
のもあるが、それと同時に教師としての恋人の姿を見てみたくもなったのだ。
どんな顔で生徒に接しているのか。どんな風に誇りを持って仕事をしているのだろうか。
それから。
「あ、せんせーここにいた!」
「せんせー」
「はしばせんせーぇ」
次々に声が上がり、クラスの生徒と思われる子供達が一斉に駆け寄ってくる。
どの子供も担任の先生が大好きなのだというのがよく解る、愛らしい表情だ。
それに征士は満足そうな笑みを浮かべた。
無心に教師を慕う子供が可愛い。…だけではない。
”羽柴先生”。
以前、当麻がぽろりと零した言葉がある。
”当麻先生”って呼んだのは後にも先にもお前だけだ、と。
「人気者だな」
そう言いながら、征士はかなり満足していた。
本当に生徒達は誰一人として「当麻先生」と呼びかけていないのだ。
家庭教師をしてくれていた当麻だがそれは祖父に請われたからであって、元々は家庭教師のバイトなんてしていない。
だから当時も当麻先生は征士だけのものだったし、今ここでもそれは同じだった。
恋人を疑ったわけではない。ただ、それは純粋に嬉しかった。
こういう所を器が小さいと姉の弥生は見抜いているのかもしれないが、何にしても征士は嬉しいのだから仕方がない。
誰に何と言われようともどうしようもないものだ。
「ほら、みんな席に戻んなきゃダメだろ?もうすぐ閉会式だぞ」
「先生もいないじゃん」
校舎の陰に向かって駆けていった教師を追ってきた生徒達はからかうように言っている。
その誰もが可愛いのだろう、当麻は笑いながら、すぐ戻るよ、と答えていた。
それを見守っていた征士に気付いて生徒の1人が彼を見上げる。
大好きな先生と同じくらいの背丈の、見慣れない大人を。
「……せんせい、この人だぁれ?」
「私は、」
「先生の特別な人」
先生の友達だ、と言おうとした征士よりも先に当麻が答えた。
驚いて恋人を見たが、その横顔は教師の顔のままだった。
「当麻、」
この関係に何も疚しい気持ちはないが子供に素直に言うには何となく気が引けて小さく呼ぶと、当麻はまっすぐに征士を見つめ返してきた。
「だって生徒達に嘘はダメだって言ってるんだ。俺も嘘は言わない」
白組と赤組の2チームしかないのだから優勝と準優勝と言って表彰式を行うことを、大人になった今思えば何だか奇妙に感じるが、
その優勝旗と準優勝旗を受け取った6年生の代表が誇らしげに胸を張っていたのに、征士も何だか誇らしい気持ちになりながら思い出していた。
あの後、征士は当麻の首からカメラを取って、生徒達と当麻を並べて写真を撮ってやった。
当麻が撮っていたのでは、どうしても撮れないものだ。
彼の教え子だったことを自分が今でも誇りに思うように、彼の生徒達にも思って欲しい。
その記念の1つとして、写真を撮ってやりたくなった。
征士は今、教師用の下足室の前にあるベンチに腰掛けていた。
生徒や保護者達は帰宅しており、校内に残っている部外者は恐らく征士だけだろう。
当麻が連れだといってくれたお陰でここにいても誰も不審に思ったりはしない。
今日は来て良かった。
そう思ってまた、征士が緩い笑みを口元に浮かべていると、未だジャージ姿の当麻が下足室から出てきた。
「…?どうした、まだ何か片付けがあるのか?」
「ごめん、そうじゃないんだけど、もうちょっと待ってて。俺、汗かきまくったからシャワーだけ借りてくるからさ」
そしたらすぐに帰れるから近くの店で時間潰しててよ、と言って近寄ってくる当麻は確かに汗の匂いが仄かにする。
だがそれは不快な匂いではない。
いや、寧ろ。
「…せ、……征士?」
突然、自分の手首をしっかりと掴まれて当麻は戸惑う。
「荷物はそれで全部か?」
「う、…うん」
シャワーを浴びたらそのまますぐに帰るつもりだったらしい当麻は、着替えも何もかも手に持ってそこにいた。
「忘れ物はないんだな?」
「え、うん、そう…だけど、でも俺、」
「帰るぞ」
どこか有無を言わさない迫力で言う征士に、当麻は驚いて言葉を巧く繋げることが出来ない。
「え、っちょ、征士、え、アレ?お、おれ、シャワー」
引き摺られながらも必死に訴える。
だが征士は止まってくれる様子がないまま、駐車場へとずんずんと向かっていく。
そして当麻のカバンから出したキーで車のロックを解除すると、そのまま後部座席に彼の荷物を、そして助手席に彼を押し込めた。
「なぁ、征士、俺、汗かいたから、」
シートベルトを留められながらも当麻は状況が飲み込みきれず、運転席に回りこんだ征士に尚も訴えかける。
だが。
「帰るぞ」
やはり有無を言わさないように征士は短く言い、そして車を発進させてしまった。
「昨日はお疲れ様でした、羽柴先生」
下足室でにっこりと笑いながら声をかけてくれたのは保険医の柳生先生だ。
ハーフだという彼女は美しく、生徒からも、そして独り身の男性教員からも人気が高い。
それどころか彼女の優しい声色は、決まった相手のいる者でも好ましいと感じてしまうほどだ。
それは当麻だって例外ではない。
「……えぇ…先生も…」
だが普段なら聞き惚れるところ、今日の当麻はそうではないようだ。
運動会となると子供達の怪我もいつもより増える。だから彼女もいつも以上に忙しかった。
それを労うように声をかけた当麻だが、ハッキリ言ってその声に既にかなりの疲労が滲んでいる。
「先生、よほどお疲れのようですね。………筋肉痛なのかしら?」
どこか動きのおかしい当麻に気付いた柳生先生が首を傾げると、その向きに沿ってサラサラと長い髪が揺れた。
「え、……えぇ、……まぁ…そんな感じで…」
「まだお若いのに。あ、若いから翌日に反応が出ているのね」
うふふ、と笑っている彼女に合わせて当麻も笑ったが、その口元は完全に引き攣っていた。
昨日、わけが解らないままに自宅に連れ帰られた当麻は、玄関に辿り着くなり征士にその場で襲い掛かられた。
そこで一通りコトが終わると、シャワーを浴びようと言われ、元よりそのつもりだった当麻は昼間の疲労もあってフラフラしながらも浴室へ向かった。
その後ろに征士もついてきていて、何だと思っていたら今度はシャワーを浴びた直後にも襲われた。
更にリビングで、最後はベッドで。
ほぼなし崩しの形で抱かれてしまった当麻が(自分も楽しんだとはいえ)真っ当な苦情をベッドで告げると、征士はしれっとした顔で、
「お前の汗の匂いに欲情した」
と言ってのけ、そして当麻に何度もキスをした。
それに絆されてしまった当麻は、まぁいいか…とそのまま眠った。彼の手も唇も、そして体温も全てが心地よかったから。
までは良かったが、そのツケが次の日に来た。
腰が痛い。脚も痛い。肩も痛いし、もうアチコチが痛い。
何より、激しく抱かれ続けたせいで身体の奥が今もジンジンと痛い。
「先生、初めての担任だから張り切ってらっしゃったものね」
「…えぇ…」
「でももう三十路でしたっけ?」
「はい…」
「ふふ、もう20代の肉体とは違うんだから、来年は程々にになさらないと、ね?」
「ですよね……」
微笑ましいと言わんばかりの柳生先生の言葉に答えながらも当麻は、それは征士に言ってください…とずっと考えていた。
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5年生と6年生の学年主任をしている狛先生が柳生先生が好きだって、女子児童が言っています。