らららカレンダー



9月になるとカレンダーの色使いが一気に秋めいたものになったが、実際の気温は全くもって残暑厳しく、日中に活動すれば
未だに汗でシャツが張り付くような毎日だ。


「いやー、征士のお陰でホント、助かったよ」


そう言って当麻がいつも持ち歩いているものとは違うカバンから、シャツを3枚出して洗濯機の傍の籠に放り込んだ。


「そうか。水の方はちゃんと飲んだか?」

「飲んだ飲んだ。アレ、ちょっと塩が入ってただろ?」

「ああ」

「お陰でぶっ倒れずに済んだ」


笑いながら空のマグボトルを差し出すと、征士はそれを受け取って流し台に運ぶ。



夏休みが明けた。
日に焼けた生徒達の顔からは、それぞれに楽しく過ごしたことがよく解る。
そのどこか浮かれた子供達に授業に集中するよう注意はするが、その楽しげな気持ちが伝染してつい教師たちも顔を綻ばせていたのは
10日ほど前の話だ。

9月半ば。
来月には運動会があり、それに向けてそれぞれに競技や行進の練習、そして学年全体で行う踊りの練習などに毎日明け暮れている。
そしてその一方で家庭訪問が始まっていた。

5月にも家庭訪問があった。これはそれぞれの生徒の家庭内での様子を把握するためだ。
9月の家庭訪問も同じ事だが、クラスに馴染み始めてからの変化を聞き取るためのそれは、やり方としては5月の時と何ら変わりはない。


当麻の勤めている学校は車通勤が許されていたので大半の教師が車での通勤をしていた。

が、家庭訪問での車の使用は禁止されている。
万が一の事故の事を考えているというのもあるが、駐車場問題や、道路状況によっては予定時間を大幅に遅れる可能性を見て、
それはやめるよう前々から言われていた。
だから代わりに自転車か徒歩での移動をする事になる。
小学校だから校区は割と狭い。やろうと思えば徒歩でも充分回れるが、どうしても自転車での移動を選びがちだ。
当麻も勿論、自転車を選んでいた。
折りたたみ式の自転車を車に持ち込み、授業が終わると車を校内に残して自転車に跨って各家庭を回っている。

だがこの残暑厳しい日だ。
5月の、初夏のあの涼しい空気の中を走るのとはワケが違う。
次の家を目指す道中で充分に汗まみれになってしまう。
特に指導があったわけではないが、やはり汗をかいたまま各家庭にお邪魔するのは、いくら玄関先で済ませるとは言ってもあまり印象が良くない。

だから征士は当麻のカバンの中に着替え用のシャツを3枚入れておいた。
それから水分補給用に、塩を一摘まみ入れたミネラルウォーターの入ったマグボトルを1つ。
非常にマメである。


「ホント、汗かいたシャツを着替えたら、結構気分がスッキリするもんだよな」

「そうだろう?」

「うん、いやもうホント、征士様様だよ」


にぃっこりと笑った当麻は、征士の作ったエビフライを食べながら嬉しそうだ。


「ところでシャツは3枚で足りたか?」

「うん、ちょうどいい枚数だった」

「そうか」


2人で向かい合って食事をしながら学校の話をする。
同棲(当麻曰く、同居)し始めたばかりの頃は少しでも生徒の事を話すと、征士がすぐにヤキモチを妬いて少々面倒だった。
それでも最近は慣れてきたのか、そこまで妬くことも減った。それを当麻は密かに、成長したな…と思っているが征士には勿論、言ったことはない。


「しかしよく3回も着替える場所があったな。正直、驚いている」


スーパーなどがあればその店内に設置されたトイレで着替えることも出来るが、住宅街だとそれは難しい。
公園があったとしてもそこにトイレがあるとは限らないのだ。
だから征士は、良くても2回ほどしか着替えるチャンスはないと思っていたのに、当麻は渡しておいたシャツ3枚をきっちり着替えてきていた。


「え?そんなん、どこでだって着替えられるって」


しかし当麻は間髪いれずに答えた。
あっけらかんと。


「人通りさえなけりゃ道端で着替えるくらい、平気」


その言葉に征士の動きが止まる。


「……道端、だと…?」

「うん。ホラ、昼間の住宅街って案外、人がいないんだよ。共働きの家庭が多いのかな?」

「壁も何もない往来で着替えたというのか?」

「へ?…あぁ、大丈夫大丈夫、女の人だったらちょっとアレだけど、俺は男だし」

「そういう問題ではない…っ!」


征士はつい声を荒げた。
だが当麻は相変わらずのトーンで、


「だから大丈夫だって、ちゃんと人がいないのを確認してから着替えたから猥褻罪とかで捕まったりなんか」


と続けたのに、 だからそういう問題ではない!と征士はそりゃとても怒鳴りたかったが、言っても無駄だという事はそれなりに長い付き合いで解っているので
諦めた。
代わりにニッコリと優しく笑いかける。彼の中で精一杯の笑みなので他人が見れば微笑んだ程度の笑みではあるが、それでも彼なりに精一杯の笑みだ。


「そうだな。教師がそんな事で捕まっては笑えんから気をつけるんだぞ」

「うん」




本当は自分の恋人が、誰が見てるかもしれない場所で惜しげもなく裸を晒していた事を懇々と説教したかったが、当麻と言う人間は
昔からどうも駄目だ。頓着しないというか、自分の事に疎すぎるというか。

容姿のことも、如何に魅力的な人物であるかという事も、当麻は一切、自分の事に頓着した様子がない。
身だしなみにはそれなりに気を遣ってはいるが、それだって自分の魅せ方を理解してしているのではなく、好きだから着ているという程度のものだ。
(センスは悪くないし自分に似合うものをちゃんと選んでいるので、結果としては充分ではあるとしても)

昔、勉強の合間に交わした何気ない会話で、征士が最も印象深いのは人参を生で食べたという話だ。

何でも提出するレポートやら、その時に気になっていたりハマっていたもの(例えばカブトムシの飼育)で忙しくなりすぎると、食事を作る時間がなくなり、
酷ければ食べることさえ忘れる事が何度かあったらしい。
そして空腹に気付いた時には、既に何かを作る時間さえ惜しいほどの飢餓感を持って冷蔵庫を漁る。
すると開けた先にあったのは人参だったそうだ。
せめてボイルでもすれば良かったのかもしれないが、兎に角腹が減っているからその時間さえ惜しい。
じっと人参を見つめ、まぁ食べれないわけじゃないし…と生で齧ったのだと当麻は笑いながら当時、話してくれた。

それが一度や二度ならまだしも、何度かあったのだから征士は幼いながらも、お前は馬か…っ!と頭を抱えてしまった。


当麻というのは兎に角、そういう人間だ。
本人にどうこうする気がないうちは言っても仕方がないのだ。
そもそもその、”どうこうする気”さえ起こるかどうかさえ賭けのような人間なのだから、ここで言っても仕方がない。
ならば彼に外で服を脱ぐのをやめさせる手段を講じればいいのだ。

征士は微笑んだままだ恋人に呼びかけた。


「当麻」

「んー?」

「食事が終わったら風呂の準備をしてやるから先に入るといい」

「え?いいのか?昨日も俺、先に入ったけど」

「構わん。疲れているし汗もかいただろう?食器も私が洗っておくからそのままにしていていいぞ」

「え、え、マジでいいのか?」

「ああ、構わんと言っている」

「わー、ホント、助かる!俺、結構疲れてたんだよなー」


ニコニコと嬉しそうにしている恋人の姿に、征士も嬉しそうだった。






使った食器を洗い終え、風呂も済ませた征士が寝室に入ると先にベッドに入っていた当麻は既に眠っていた。


「とうま」


声を抑え気味に呼びかけるが、ぐっすり眠っているのか反応は全くない。


「とうま」


肩を揺すって声をかけてみてもやはり起きない。
ふむ、と真剣な顔をした征士は、今度は掛け布団を蹴飛ばしている当麻の足元に歩み寄り、足裏を擽ってみた。


「………っ…ふ、………」


違和感に足を引っ込めはしたものの、それでも当麻は起きない。

本当に起きないのだろうか。
そう思った征士が次に手を出したのは当麻の股間だった。
柔らかなそこを2、3度揉んで見たが、当麻も、そして股間も反応しなかった。


「………。よし」


実行するなら今だ。そう悟った征士は当麻がパジャマ代わりに着ているTシャツを大胆に捲り上げると、そこに顔を寄せた。











「ぅわああああ!なん、な、なん、何だこりゃああ!!!」


翌朝。
寝惚けた顔のまま朝食を済ませ、着替えの為に一度リビングを離れた当麻が大きな悲鳴を上げた。
そして昨日と同じようにマグボトルに塩を一摘まみいれている征士の元へ、顔を真っ赤にして駆け寄ってくる。


「どうした、当麻」

「どうしたじゃねーよ!!お、お前だろ、こんな事したの!!!」


パンツ1丁の当麻が指差したのは自身の胸だった。
なだらかな起伏が見れるそこに点々と遺されていたのは。


「昨日、風呂の時点でこんなのなかった!どう見たってキスマークじゃねーか!」


恥ずかしい!と喚く当麻に対して征士はとても冷静だ。


「ああ、そうだな」


そして自分のした事を素直に認める発言をする。
それに肩透かしを食らった当麻は、一瞬黙ったがすぐにまた喚き始めた。

こんなんじゃ汗かいても着替えられない!だの、体育があるのにコソコソ着替えなきゃなんない!だのと言っているが、
勿論、征士に反省の気持ちなどない。
体育の授業に関しては少しは悪い気がしないでもないが、別に全教師が一斉に着替えるわけではないのだ。
コッソリ着替えるくらい余裕で出来るスペースはあるだろうと考える。

それよりも征士が阻止したかったのは、往来で着替える行為だ。
いつどこでどんな人間がそれを見ているか解ったものではない。
そんなところで魅力的な恋人が、色香の漂う素肌を惜しげもなく晒す事だけは阻止しなければならなかった。


「寝ている姿を見たらついムラっときてな。まぁキスマークを付けたら気が済んだから、それ以上の事はしていない」

「そういう問題じゃねぇ!」

「まあいいではないか」

「良くない!着替えられないだろ!俺、今日も家庭訪問なのに!!」


やはり道で着替えるつもりだったらしい当麻に、征士はこっそりと溜息を吐いた。
昨日のうちに行動に出ておいて正解だった。そう思いながら。




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これでも効果がなかったら、次は何をするのかは謎。