らららカレンダー
昨日の夜、情熱的で激しい思いを分かち合った恋人は、現在、マンションの前で何やら話し込んでいる。
征士はそれを、面白くないという感情を思いっきり素直に全身で表しつつベランダから見下ろしていた。
大きな彼の手には缶ビールが握られている。
部屋の中には既に2本、空になった缶が転がっていた。
6月9日、日曜日。
征士の誕生日だ。
前日の8日は土曜日で、同居して初めての誕生日だったから2人して浮かれ、前夜祭だメデタイ!なんて意味の解らないテンションで昼前から騒ぎ、
夜には2人仲良くキッチンに並んで楽しく食事の準備をしてたり、風呂も一緒に入ったり、それでもってベッドでも相当に盛り上がったりしていた。
前日でもこれだ。
誕生日当日は朝からワインなんか飲んだりして、一日イチャイチャして過ごそうと2人で決めていた。
なのに、当麻は今、2人の暮らす部屋がある12階から征士が見下ろした地上に立っている。
テーブルに出しておいたワインは一旦冷蔵庫に戻され、いつになったら使われるのか解らないワイングラスが2つ並ぶだけだ。
先生、少しだけ会ってください。
そう連絡が来たのは朝8時のことだった。
電話から漏れ聞こえた相手の声は幼かったことから、それが当麻の勤めている小学校の生徒のものだと征士は気付き
寝転んだままに眉間に皺を寄せたが、彼に背を向けて子機を握っている当麻はそれに気付く事はなかった。
それまで惰眠を貪っていた当麻はその電話で完全に浮かれた気持ちが吹っ飛んで、大慌てでシャワーを浴び、服を着ていく。
これから行きますという子供の声に焦っているせいでシャツのボタンが巧く留めれない彼を手伝いながら、征士が相手について尋ねた。
「休みの日の朝から何だ」
「転校するんだって、それで最後に俺に挨拶したいからって」
「転校…?また急な話だな。お前のクラスの生徒ではないのか?」
「5年の子」
やっと留まったボタンの礼を言って当麻は姿見の前に立った。
首筋や胸元を確認して、服から昨夜の痕跡が見えない事に明らかに安心した瞬間に、来訪を告げるチャイムが鳴った。
5年の子。
当麻はそう言っていた。
それに最初は首を捻っていた征士だったが、漸く合点がいったらしく、なるほど、とだけ呟く。
当麻はクラス担任になる前は補助として様々な学校行事の際の手伝いや、プール授業など突然の事故の可能性がある場合にも参加して
様々な学年の子供達の世話をしていた。
だから初めての担任で受け持っているのが3年生とは言っても、彼を知っている生徒は多い。
そもそも当麻は生徒達に人気のある教師だった。
優しくて勉強の教え方が上手くて、時々は休み時間に一緒に遊んでくれる。
男子生徒からは楽しいお兄さん、女子生徒からはカッコイイお兄さん、という感覚が近かったのかも知れない。
そんな風に慕われている彼だから他学年とはいえ、最後に会っておきたいのだろう。
だが合点がいっても納得できたわけではない。
征士が階下を見下ろすと、ちょうど当麻が姿を見せたところだった。
彼を待っていたのは5年というには少し小柄で、立ち姿からも内気な性格が伺える様な子供だ。
少し離れた位置に1台の車と、その傍らに母親らしき人物の姿もあった。
その少年の手にラッピングされた袋があるのに気付いて、征士はまた眉間に皺を刻んだ。
そんな事は知らない当麻は少年の前に屈みこみ、目の高さを合わせて何事か話し込んでいる。
話し声は聞こえてこないが時折頷いたり、優しく肩に触れてやったり、そして合間に2人して笑っているらしいのに、征士の眉間の皺は深くなるばかり。
長くなりそうだと判断した征士は、苛立ちをそのままに冷蔵庫に向かうと缶ビールを手にベランダに再び戻った。
「え、お前、何飲んでんの」
やっと当麻が戻ってきたのは1時間ほど経った頃だった。
見ていることさえ腹立たしくなってきた征士は途中で部屋に戻り、そこで完全に1人で飲み始めていた。
その間にあけたビールは5本。結構なペースだ。
当麻の手に先程の少年が持っていた袋があるのを認めて、またまた眉間に皺を刻む。
やはりアレは彼へのプレゼントだったかと思うと征士は更に苛々としてしまう。
大体、誕生日の朝に主役を放っておいて1時間も他の男と話し込んでいるだけでも腹が立つのに、その相手からのプレゼントを大事そうに抱えているのも
気に入らない。
なのに征士のそんな気持ちなど知りもしない当麻は、征士が先に、それもビールを飲んでいる事に呆れ果てているようだった。
「待ってる間退屈だったのだ。別に構わんだろう?」
「構わんって……お前、ワイン飲むんだぞ?ビールなんかで腹膨らますなよ」
「だから退屈だったと言っている」
「二度寝でもすりゃ良かったのに」
「お前ではない」
「あ、そー」
酔っ払い相手に何を言っても仕方がない、と当麻は早々にこの話題を切り上げ、それでもソファに座る征士の隣に腰を下ろすと
先ほど受け取った包みを開けていく。
中から出てきたのは黒にも見える濃い青の毛糸で編まれたクマのヌイグルミだった。
それを袋から完全に出すときに一緒に入っていたメッセージカードが床に落ちたが、ヌイグルミを優しい目で見ていた当麻はそれに気付かなかった。
代わりに征士がそれを拾い上げると、剥き出しのカードに書かれた文字が見る気がなくとも見えてしまった。
『大好きな先生へ。ありがとうございました』
子供らしい、ちょっと汚い字で書かれたメッセージを認めた途端、征士の苛立ちは遂にドカンと爆発した。
当麻の手から乱暴にヌイグルミを奪うと、残った手で細い顎を掴み、無理矢理に自分の方を向かせる。
「…あっ」
「これは何だ」
突然の行動と、ヌイグルミの首根っこを掴むという乱雑さに抗議の声を上げようとした当麻だったが、自分を見ている征士の紫の目が
射抜くような激しさを持っている事を知ると、言葉を失ってしまった。
それに追い討ちをかけるようにもう一度征士が低く問う。
「これは、何だ。答えろ、当麻」
既製品にしてはどこか歪なヌイグルミは、誰の手の物かは知らないが、手作り品であることだけはわかる。
そんな物を、担任でもない”大好きな”先生に渡す少年の意図を含めて、問う。
「な…何って、クマだよ」
「それは解る」
「……ヌイグルミだって…」
「それも解っている」
「じゃあ、何って答えたら」
「当麻」
意味が解らないと不貞腐れようとしたが、それさえ遮られる。
征士の目は相変わらず厳しい。
「あの子は、何だ」
質問の方向が少しだけ変わった。
あの子、と言われたのが先程の生徒のことだと解り、そして何となく征士の怒りの根源に気付いた当麻は顎を掴まれたまま溜息を吐いた。
「何って生徒だよ、うちの学校の5年生」
「それは今朝聞いた。そうではない、あの子は一体何なんだ。お前とどういう関係だ」
「どういうって……」
また溜息を吐いた。自分の考えは正しかったらしい、と。
「去年、ちょっと関わった子だよ」
「ちょっと関わっただけで態々引越しの日に会いに来るのか?担任を受け持った事があるわけでもないのに?
それとも彼は全ての教師に対してしているのか?ご苦労なことだな」
「征士」
解りやすい棘を含んだ物言いを咎めると、征士も少し冷静になったのか漸く顎から手を離した。
顎を掴んでいた手は、酔いのせいか力加減が甘く、痛みが残っている。
それを擦りながらも当麻は視線だけは征士から逸らさなかった。
「あの子は去年、登校拒否をしてたんだよ。担任じゃどうにもならなかったから、補助で俺が行って…ちょっと仲良くしてたんだ」
言いながら、やんわりと征士の手からヌイグルミを奪い返すと再び優しい目でそれを見つめて、痛かったよなぁ?と首を擦ってやる。
大人気ない行動に出たという自覚は勿論、征士にもあったがそれでもやはり、そういう視線を自分以外に向けられるのはあまりいい気がしない。
ましてや今日は自分の誕生日なのだ。
解ってはいても征士はその点をまるで免罪符のようにして、寛大になどなれない。
流石にそれは解ったのか、当麻が苦笑いをした。
「相手は生徒だぞ?」
「私だって元はお前の生徒だ」
「まだ子供じゃないか」
「いずれ大人になる。子供の成長が早いと私に言ったのはお前じゃないか」
「あのなぁ、征士」
さっきから嫉妬の塊になっている美丈夫の頭を自分の胸元に抱き寄せると、旋毛に唇を落とした。
「お前は俺の恋人だろ?」
「………………そうだ」
「それで俺はお前の恋人だ」
「…………ああ」
「皆が皆、お前みたいに俺を思うわけじゃないんだから」
「……………」
そんな事、解るもんか。
言葉にはしなかったがまるでそれを伝えるかのように、征士は当麻の腰に抱きついた。
それが擽ったいのかそれともおかしいのか、今は表情の見えない当麻が笑った。
「……あの子には優しくしたんだろう…?」
「優しくって………登校拒否児童だったから他の子と対応がちょっと違っただけ」
「……………嘘だ」
プレゼントをあんな目で見ておいて。
征士はそう恨めしそうに呟いた。
「………………………だってしょうがないだろ」
それでも、そんな事はないという返事が返ってくるものだと思っていた征士は、当麻の言葉に驚いて顔を上げた。
しょうがない。とは?
あの子に優しく接した事を認めるというのだろうか。
一体、何を、どこまで、他の子と違う対応を。
まさか子供相手に色っぽい事をする筈はない。けれど、明らかな贔屓をしたのだろうか。
では、何故。
「……あの子は、手芸が得意な子だったんだ」
「………………………」
「好きなことなのに、男なのに手芸が好きだって事を悪いことだと思ってて、……ずっと自分を抑圧してた」
言いながら征士の金の髪に指を梳き入れていく。
「……昔のお前に重なって見えて、放っておけなかったんだ」
小さく、囁くように言うと髪を撫でる手が一層優しくなり、美しい曲線を描く額に口付けた。
「でも大丈夫だよ」
「……何がだ」
「俺がこういう事をするのは征士だけだ」
「……………………」
胸に抱かれたままの体勢から伸び上がると、素直に唇を重ねてくれる。
それに甘えてそのまま身体をソファに横たえて、漸く征士も笑う事が出来た。
「では、こういう事も?」
「………ワインは?」
シャツのボタンに手をかけると、朝から飲み損ねているワインに話を戻される。
「後でも構わんだろう?」
「お前だけ先に飲んでるくせに」
「ワインは開けてない」
「でもビール飲んだ」
それは不公平だと告げたが征士はシャツのボタンを外していってしまう。
「おい、征士」
止まる様子のない相手に抗議の意味で声を上げると、今度はズボンのベルトに手をかけていた征士の動きがやっと止まった。
「ではワインを持ってきてやるから服を脱いでおいてくれ」
「……………何で」
「裸のお前が見たい」
「…あぁーのなぁ…」
「私の誕生日なんだぞ」
どんな要求だ。
そう呆れはしたが、まぁいいか、と何となく受け入れてしまう。
誕生日だ。しょうがない。我侭くらい、聞いてやろう。
けれど自分だけと言うのは何だか嫌だ。
だから代わりに征士にも裸になるよう伝える。
不公平だ。そう付け加えて。
最初は困ったように眉尻を下げた征士だったが、当麻が自らベルトを引き抜いたのを見ると、気持ちを切り替えてシャツを脱ぎ捨てた。
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そして素っ裸で酒を飲む男2人。