らららカレンダー



「明日は4時に出発するから、3時半には起こすぞ」


食事時に突然そう言われ、当麻は思わず箸を持つ手を止めてしまった。


「え、そんな早くに…?」


漸く言葉を出して時計を確認する。
明日からの連休に備えて徹底的に仕事を片付けてきた当麻が恋人の征士と暮らす家に帰りついたのは夜の8時半で、
食事を摂っている今は9時前だ。
食べ終わって一服して風呂に入って出てくるなら恐らく10時。
そこから明日からの旅行の準備を始めて、何やかんやムニャムニャとするとして、早くとも就寝は12時前後。
なのに起床が3時半とは…。

考えただけでウンザリしてしまう。

しかし冷静に考えてみれば、クラス担任になってからの忙しさは怒涛の勢いで、正直、ロクに征士を構っていなかった。
それに自分自身もゆっくりと休むという事が出来ていなかった。
だから明日からの旅行はとても楽しみにしていたのは本当だ。

まあ仕方がないか。
当麻は声には出さずに溜息だけ吐いて、再び食事に戻った。



5月2日の木曜日のことだった。




風呂を済ませて部屋に戻ると、荷物の大半が纏まっている。
征士の分と、それと自分の分。
男2人の旅行だから化粧品や必要不可欠な品なんてものは少なく、日数分の着替えと僅かな身の回り品という至ってシンプルな荷造りだ。
しかしだからと言って全て征士に任せてしまった事に申し訳なくなってしまう。


「征士、俺、自分でやるのに…」

「構わん、気にするな」

「いや、だって明日の運転もお前がするって言うしさ…なぁ、やっぱり明日、途中で運転、交代しよう」


お前ばっかり悪いよ、と言いかけるのを見越してそれを征士が素早く遮った。


「何を言うか。お前は今日まで仕事だったんだぞ」


そう、小学校教師をしている当麻はカレンダー通りの、それでも今年は振り替え休日のために1日多い4連休なのに対して、
企業に勤めている征士は先週の土曜日からぶち抜きでの超大型連休真っ只中だ。


「でも旅館の予約も全部お前任せだったし」

「私が言い出したことなのだから、それも気にしなくていい」

「でも、」

「当麻」


床に座り込んで当麻の分の着替えをカバンに綺麗に詰めていた征士が立ち上がり、まだ濡れたままの当麻の髪を一房掴み取った。


「慣れない状況で一生懸命働いているお前にゆっくりして欲しくて計画したんだ。お前はただ楽しんでくれればいい」

「…………征士…」

「それに私は未だ20代だからな。無理が利く」


口端に意地の悪い笑みを浮かべて言うと、漸く当麻から申し訳無さそうな表情が消えて、代わりにその細い指で頬を抓られる。


「悪かったな、30で!俺だって未だ無理くらいできるわいっ」

「無理は出来ても早起きは無理だろう?ほら、髪を乾かしてもう寝た方がいい。明日は早いぞ」


かっわいくねーのー!と言い、それでも笑いながら再び洗面所に消えていった当麻の背を見送った征士は、さっきまでの笑みを引っ込めて、
眉間に深い皺を刻んだ。



ゴールデンウィークの旅行を計画したのは、征士だ。
日常の会話の中でさり気なく当麻の行きたい場所やしたい事を聞きだし、人の少ない、だが寂れたというわけではない宿を押さえ、
念のために前もって車を点検整備に出しておいた。
それもこれも、この連休を恋人とたっぷり堪能するためだ。

当麻は連休にまで仕事なんてないって、と暢気に言っていたが、何を言うかというのが征士の意見だった。
仕事なんてしなくとも仕事の延長線のような事態に陥るのがお前ではないか、という言葉はぐっと堪えて。
下手に仕事の事を突付いて口論なんかになっては堪ったものではない。
折角の連休が台無しになってしまう。

付き合って2回目のゴールデンウィーク、同棲し始めてから初めての旅行なのだ。
征士は自分の下着を握る手に無意識に力を篭めていた。



征士のこの旅行計画は、先々週の土曜日のある事がきっかけだった。

折角の土曜日。
始業式が済んで授業は時間割どおりになっていき、教室内も少しずつ落ち着き始めた頃だった。
折角の土曜日だ、やっと恋人と2人でのんびりと過ごせると思っていた征士に告げられた、悲しいお報せ。


「悪い、今日はグランドでドッヂボールして遊ぶ約束しちゃったんだよ」


頭が良くて優しくて休み時間もたまに一緒に遊んでくれていつもニッコリ笑ってて(これは当麻に言わせると「仕事ですから」という事らしいが…) 、
給食も綺麗に食べてしまう羽柴先生は、征士の危惧していた通り、あっという間に3年2組の生徒達に好かれてしまっていた。

子供は邪気がないが故に、大人の心の根っこを見抜くことが多い。
その彼らに好かれるという教師というのは素晴しい事だ。
征士だって自分の恋人が生徒から嫌われたり馬鹿にされたりするのは、何だか嫌だ。
だが好かれすぎではないのかと時々思ってしまう。

だって生徒からのプレゼント(例えば綺麗に折れた会心の作の折鶴や、渾身の似顔絵など)が多い。

確かに征士が小学生の頃と違って今の土曜日というのは学校が休みだ。
それに休みだからグランドも解放されている。それは解る。
だが土曜日に、折角の休みの日に、生徒と遊ぶ約束をしているだなんて…!と征士はかなりショックを受けた。
そしてその時に気付いたのだ。
このままでは、連休中も子供達に当麻を取られてしまう可能性がある、と。
このままでは、生徒たちからの「羽柴せんせーどっか遊びに行こうよー」攻撃に恋人を奪われてしまう可能性がある、と。



それから征士はすぐさま今年のゴールデンウィークについての計画を立てた。

兎に角、旅行だ。日帰りではなく、連泊する程度の旅行に出よう。
それから出来る限り東京から離れた方がいい。
近所だと何かで呼び出しがあった場合にすぐ帰れてしまう。これは避けたい。
そしてあまり家族旅行で来ないような土地、もしくは人の少ない土地がいい。
旅先で生徒に会ったりしたら、その僅かな間でも彼らに”大好きな先生”を譲ってやらねばならなくなる。何せこちらは大人なのだから。

そんなこちらの条件と、当麻の何となくの希望をかなえる土地が長野だった。

長野へ何をしに行くんですかと言われれば、「自然と触れ合って癒されてきます、あと蕎麦です(これは主に当麻の意見) 」。
…というのはまぁさらっと言う理由で、ちょっと言ってしまうと宿には見晴らしのいい露天風呂があり、取ってある部屋にも家族風呂(これも露天)がある。
そこで美味しいものを食べてお酒も飲んで、折角素晴しい風呂が付いているのだから何なら2人で入って後は…と言うのが征士の根っこにあった。


だが僅か2週間しかないとなると所謂いい宿は既に満室の筈だ。
そこで征士は、あまり使いたくなかったが実家の伝手を頼る事にした。

征士の実家は地元でも有名な旧家で、そして幾つもの会社を持っているようなお家柄である。
社会人経験の浅い20代半ばの男なら相当奮発して更に運がなければ手が届かないような宿でも、声をかければ部屋くらいすぐに用意できてしまう。
”そういう人たち御用達の部屋”が、用意されるわけだ。
既に家を出て、その上恋人と同棲までしているのだから征士だって本当は実家を頼らずに自分の力で準備したかったが如何せん、
今回ばかりは仕方がない。

先ず伊達家に連絡を入れ、当麻先生が疲れているようなのでゆっくり静養させてやりたいという旨を伝える。
すると、嘗て総領息子の家庭教師をしてくれていた男を、下手すれば血の繋がった跡取り以上に気に入っている実家の連中は、
それは大事なことですねとちょっとした騒ぎになり、そしてすぐに素敵な宿を紹介してくれた。

少々情けないのは承知の上だが、それでもやはり征士は思わず溜息を吐いてしまう。
次は必ず自力で宿を用意しよう。 そう誓うのだった。


それにしてもこの旅行を思いついてすぐに宿を押さえ、そして当麻が妙な予定を入れてしまわないうちに彼に伝えておいたのは正解だった。
征士の思ったとおり当麻は生徒達から連休中に遊ぼうと何度か誘われたと言うではないか。
断るのはちょっと心苦しかったと当麻は言ったが、征士は胸を張りたい気持ちでいっぱいだった。






「これで、…後は明日、髭剃りと携帯の充電器を入れたら準備完了か」


2つ並んだ旅行カバンを見た征士は満足そうだ。
子供達にとられたくない気持ちが発端で計画した旅行だが、当麻が楽しみにしてくれているというのはやはり嬉しい。
今日は早々に休んで明日は車の中でも彼を寝かせて、サービスエリアで軽く食べて、長野に着いたら蕎麦を食べに行って、
それから、それから。

色々と考えていると顔には出ずとも征士も浮かれてくる。
そんな彼の隣にいつの間にか髪を乾かし終えた当麻がしゃがみ込んでいた。


「………何だ、驚くではないか。無言で…」

「んー。いや、征士楽しそうだなーって思って」


言われて返す言葉が巧く見つからず、征士は黙ってしまった。
昔から愛想がないと言われ続けた征士は、あまり感情が表に出るほうではない。
表情も硬く、整いすぎた容姿から敬遠されがちでもあった。
その征士の表情や感情を、当麻はちゃんと気付いてくれる。
だから征士も彼の前では素直に感情を見せる事が出来る。

そういう所が、好きなんだ。征士はいつもそう思う。


「そりゃお前のために計画したようなものだが、私だって当然、楽しみにしているんだからな」


幸せを噛み締めながら青い髪に指を梳き入れる。
乾いた髪はさらりとした感触を返してくれた。
それに一層笑みを深めると、当麻も同じように笑ってくれた。


「よし、ちゃんと髪も乾いているな」

「乾かし方を散々、お前に修正されたからな」

「当麻の乾かし方はいい加減過ぎたんだ。…さあ、明日は早いんだ。もう寝よう」


荷物も纏めたし、もう今日する事といえば眠ることくらいだ。
先に立ち上がった征士は、未だしゃがみ込んだままの当麻に手を差し伸べる。
だが当麻はそれを見つめるだけで、いつまで経ってもその手を取ろうとしない。


「……?どうした?」


不思議に思って聞くと、しゃがんだままの当麻が上目遣いで征士を見上げた。


「…え、いや……」

「明日は早いぞ?眠らんのか?」

「うん、いや、寝るけどさ……」


視線を逸らした当麻が、照れたように頬をかいた。


「…?」

「その………今日は、…ヤんないの?」




*****
結局、ヤりました。そして寝坊もしませんでした。