らららカレンダー



仕事帰りの征士は家に真っ直ぐ帰らず、途中にある文房具の豊富な店に入っていった。

普通のハサミの他に波型に切れるものを見つけたが、その用途がいまいち解らない。
針の要らないホッチキスは経済的だなと感心したのだが、纏められる枚数が少なく、これでは仕事では使えないなと諦めた。
その後ですぐ、そうではないと思い出して足を進めたが、くるくると回るタイプのラックに懐かしい各教科専用のノートを見つけてつい目を細めた。
確か裏面に小話のようなものが載っていたなと懐かしさから手に取る。
10年以上前には自分も使っていたものだが、馴染んだ物とは微妙に違っている。
自分が使っていた時代は昆虫や動物の写真が表紙だった筈だが、今はアニメのキャラクターが描かれていた。
ふと、当麻は今もこれを手にしているのかと思うと知らず笑みが零れる。

暫くそのラックの傍にいた征士だが、いかん、と用事を思い出してノートを元の位置に戻す。
シンプルなものから可愛いキャラクターの描かれた手帳の横を過ぎて征士が辿り着いたのは。


「……写真を一緒に飾れるものもあるのか…」


色紙を飾るための台があるスペースだった。
普通に額に入れられるものもあるし、まるで写真のように気軽に立てかけられるものもある。
征士が手に取った2つ折の物は、片面に色紙を、そして片面には写真を納めることが出来るものだった。

これがいいか。
そう思ってレジに持って行こうとした時に、別のものが目に入った。


「…?」


自分が手に持っている物と、今目の前にある物。
その両方を暫く見比べて、そして征士は手にしていたものを元あった場所に戻した。








恋人の当麻が勤めている小学校は、5年から6年に上がる時だけがクラスも担任も持ち上がりなのだが、1年から4年までは毎年改編が入る。
だから3年2組の生徒達は大好きな羽柴先生とお別れになった。

その最後でもある終業式の日、嬉しさと寂しさの入り混じった顔で帰ってきた当麻の手には、出勤の際には無かった紙袋が1つ。
それは何かと征士が問うと当麻は少し無理のある笑顔で「みんながくれた」と袋を差し出した。


「…これは……」


中にあったのは沢山の文字が書かれた色紙が1枚。
それから、ただ金の折り紙を張っただけの、けれど恋人にとっては何よりも価値のあるお手製の金メダルが入っていた。



整理整頓された部屋を好む征士と、自分の興味外のものは本当に全く関心を示さない当麻。
この2人の暮らしには、他の家庭で見られる装飾品などが全くなかった。

だがこの1年の間に様々な物が増えた。
手作りのクマに、色も大きさも、そして出来映えもマチマチな折鶴。
青いクレヨンを大量に消費した似顔絵。それから赤白帽を被った生徒と担任の写真。
勿論、2人で写った写真も幾つかは並べてある。




征士が当麻と出会ったときはただの家庭教師と生徒という関係だった。
そしてそれはそのまま征士の高校受験が終われば解消される筈だった。少なくとも祖父はそのつもりのようだったし、当麻もそれは同じだった。
期間の延長を申し出たのは征士からだ。まだもう少し先生に教わりたいです、と。
その要望は通り、当麻が大学を卒業する際まで彼らの関係は続いた。

そして当麻が遂に大学を卒業する時、征士は彼に尋ねた。また会ってくれるのか、と。
当麻はそれに当たり前だと答えてくれた。

征士はこの時既に、当麻に対してどうしようもない想いを抱えていた。
けれどそれを告げるには自分があまりに幼いことも理解していた。
当麻は賢い人間だったが、同時に生活においては何と言うか”緩い”人間だ。
だが彼は自分の信念には誠実な人間だ。
子供の頃から教師を志していた彼に、未だ高校生の自分が想いを告げても受け入れてもらえないことは、簡単に予想ができた。

だから征士は大人になるまで、せめて自分が社会人になるまではその想いを隠し通すと決めた。

大学卒業を目前に、少しフライング気味ではあるが想いを告げた時、彼が戸惑うことも予想できていた。
同性だという事もある。年齢差の事もある。想いの違いだってあるだろう。
それらで断られるのならいい。
ただ、自分の立場を理由に断られることだけは絶対にして欲しくなかった。
自分を理由にしないで欲しい。 だから、そう告げた。
結局返事を貰えるまで1ヶ月近くかかった。そしてその間も征士は会うことだけはやめなかった。
無理に迫るつもりも無ければ返事を急かすつもりも無かったが、一度でも想いを口にしてしまうと会えないことに我慢が出来なかった。

因みにこの間の事を後から当麻に言わせると、「無言で口説かれてる気分だった」そうだ。
確かに熱を込めた視線で見つめていた自覚のある征士はそれを認めつつ、けれど未だにその事に関しては無言を貫いている。
自分の青さを思い知らされるようで恥ずかしい。


兎に角、征士の想いは受け入れられ、当麻との関係が”先生”と”生徒”から”恋人同士”に変わった。

だがそうなってもどこか当麻の中に戸惑いが感じられていた。
決して征士に対して想いがないというワケではないのに、時々遠慮がちになる。
それが伊達家の跡継ぎ問題が根底にあるという事に、征士は付き合ってすぐに気が付いた。

どうすればいいのだろうか。征士が答えを出すのにそう時間はかからなかった。


「一緒に暮らそう」


当麻にそう告げたのは自分の誕生日も過ぎた頃で、密かに家族に対しては了承を得ていた。
しかしそれを何かと理由を告げて当麻は拒み、征士も同じように何かと理由をつけて説得を続けた。

そうこうしているうちに当麻がクラス担任を受け持つことが決まり、そして忙しくなることを理由に一緒に暮らすことを了承させたのが去年の2月頃だ。

当麻は今の状態を、同居だという。
征士はその度にそれを、同棲だと訂正する。

だが密かに征士は、これを結婚と同義だと考えていた。

伊達家の人間に、自分は女性と家庭を持つつもりも、そして子を成すつもりもない事を伝え受け入れてもらった後で、
当麻には内緒で羽柴家にもその了承は得ていた。
何があっても彼を幸せにしますと真剣に告げる青年に、公務員なのにどこかズレた価値観の当麻の父は突然の申し出に動じることもなく、
「キミも幸せになりなさい」と、息子とよく似た真っ直ぐな目で言ってくれた。



そうして始まった教職に就く恋人との暮らしは、元教え子としては嫉妬の連続でもあった。

嘗て自分が憧れたように彼を想う生徒が出てくるかもしれない。小学生といえど油断はならない。
大人気ないと言われればそれまでだが、こればかりは性分だ。仕方がない。

今でもリビングに飾られた品々に時折妬く事はあるが、それはこの1年で随分とマシになった。
落ち着いてきたのではなく、慣らされた。若しくは、諦めるようになってきた。
自分の愛した人は、出会う前から教師になりたかったのだ。
つまり、そういう人を愛したのだ。
そしてその人は魅力的な教師だった。では仕方がない。
いつしか征士は自然にそう思うようになってきた。
それにそこまで愛される人を自分が愛し、そしてその人に特別に愛されているのが自分だという事に最近では満足するようになってきた。


部屋にはあまり不要なものは飾りたくはなかった。
けれど子供達の贈り物を無碍にするわけにもいかない。
何と言ってもそれらが教師としての当麻を形成する一部でもあるのだから。

最近、征士はリビングに置く棚を買おうかと思い始めている。
来年度も当麻はクラス担任を受け持つ事は随分と前に決まっていた。
きっとまた更に物が増えることが予想されるのだから、それなら飾り棚を用意した方が見栄えもいい。
それに何よりこうして物が増えるたびに、2人で生活している事が実感できると最近、気付いた。


因みに飾る場所はリビングだと決めているが、これは2人の意見だ。

仕事部屋は忙しさがピークに達するときにはお互いの荷物で溢れかえってしまう。
そんな部屋に飾っては、下手をすれば作品を崩しかねないし、紛失の可能性だってある。
幾ら征士が細かい性格でも、ぐしゃぐしゃになった書類の束の間に何かが挟まっていたのでは気付かずに捨ててしまうかも知れない。


ではどこに飾るのが適切なのだろうか。

和室は来客があれば通す事もある部屋だ。それに典型的な日本家屋で育った征士にとってはある意味最も心落ち着く場所だ。
そこに色とりどりの手作り品が置かれたりしたら、和むかもしれないが、やっぱり落ち着かないかも知れない。

寝室は以ての外だ。
そこは眠る以外に、恋人として濃密な時間を過ごす場所でもある。
征士はそこに第三者を匂わす様なものを持ち込みたくなかった。
当麻はそんな事をしている場所に、子供達の、何と言うか純粋なものを持ち込みたくなかった。
別に征士との関係が恥ずかしいとか疚しいわけではなくとも、男に抱かれて喘いでいる自分の傍には置いていたくはないのが本音だ。


その結果としての、リビングだった。






「ただいま」


征士が帰ると、先に当麻が帰っていて「おかえり」と声をかけてくれる。
つい先日、3学期が終わったために教師も少しは落ち着いている。と言っても来週には新学期の準備でまた帰宅が遅い日々が続くのだが。

台所からはカレーの匂いがしてきた。
お子様味覚の当麻の好物の1つはカレーだが、彼が作ると甘い目に作ってしまう。
それに征士は、ルウは隠しておくべきだったかと苦笑いをした。
甘いものが嫌いと言うほどではないが、やはりカレーは辛いほうが好きだ。


「今日はカレーか」

「うん。大丈夫、ちゃんと人参に火は通してある」


だから安心しろと言う彼に、征士も笑いながら当たり前だと返した。


「後は火を止めてちょっと時間を置けば完成っと」


蓋をして満足そうな当麻の背後に征士が近付いた。
そして先ほど購入したばかりの包みを差し出す。


「……?なに、これ」

「いいから開けて見ろ」


薄っすらと微笑んだ征士を訝しみつつ文房具店の名の書かれた袋を開けていく。


「………ファイル?」


中から出てきたのは黒い表紙のファイルだ。だが通常よく見るA4サイズの物よりも大きい。
中に挟まっているクリアファイルも少々厚みがあって頑丈そうだが、どう見ても何かを入れるためのファイルだ。それは解った。
だがそれを今、恋人から渡される意味が解らない。


「これ、どうしたらいいんだ?」

「ちゃんと確認しろ」


まだ笑みを浮かべたままの征士の指が、ファイルの背に挟まった紙を指差した。


「…”色紙も入ります”?」


そこまでヒントを与えても相変わらず要領を得ない様子の恋人に、征士の笑みが心なしか苦笑いに変わったように見える。


「貰ってきただろう、ついこの前」

「この前?」


何を?と当麻が首を傾げる。
それをみた征士の笑みは今度こそ完全に苦笑いになった。


「終業式の日に、生徒達からの寄せ書きが書かれた色紙を持って帰ってきただろう?」

「あ」

「それを保存できるように買って来た」


答えを聞いた当麻だが、しかしまだ納得のいかない顔をしている。
そんな事は征士はとっくに予想済みだ。


「…え、でも俺が貰ったのは」

「今年は1枚だが、来年も担任を受け持つのだろう?だったらまた貰うだろう。その度に保存していけるように、ファイルを買った」

「………………」

「何だ」

「………いや、今年はもらえたけどさ、……その…次ももらえると思ってるみたいで図々しくないか?」


当麻は困惑の表情だ。
そして同時に嬉しそうでもある。


「当麻なら貰えるに決まっている」


誇らしげに伝えれば。


「何でお前が自信満々なんだよ」


照れた声が返される。
それが愛しい。


「私の人生で最も尊敬する”先生”だからな。ほら、あそこに剥き出しで置いたままの色紙を早速入れたらどうだ?」


促してやると、当麻が優しく笑った。


「…何だ?」

「いや、…嬉しいなぁって」

「言っておくがさっきのはお世辞などではないからな」

「そうじゃないよ、…それも嬉しいけど…」

「では何だ」


今度は征士が首を傾げる番だった。
だが当麻は答えないまま、ファイルを手に色紙を置いてあるサイドボードに近付くと、丁寧な手つきで最初のページに色紙を挟み込んだ。
そして運動会の時の写真も一緒に入れる。それは征士が撮ってくれたものだった。



子供の成長は早いと言うが本当だ。
出会った時は自分より背が低くて身体つきも頼りなかったのに、抱き締められると安心する程大きくなっていたし、
子供らしかった声は今では大人の色気を持った低い声になっている。
昔から己の中に譲れない信念を持っていて大人びていたが、嫉妬深くて子供相手にムキになるような所だけが少し難だった。
が、それもいつの間にか随分と成長していたようだ。
それが嬉しくて堪らない。
それをふいに目の当たりに出来るほど、傍に居られることが嬉しくて堪らない。


「お前、本当イイ男になっちゃったよなぁ」

「……意味が解らん」

「解らなくていいよ。それよりカレー食べよう、俺、腹減った」


振り返って言うと、解らないなりに満足した顔の征士がいたので、擦れ違い様に軽いキスをして当麻はキッチンに戻って行った。




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ファイルの事は実はよく解ってませんが、そういうのがあったらイイな的に。いつも以上にフィクション過多。