らららカレンダー
「明日は学校にお菓子、持ってきちゃ駄目だからなー」
2月の13日の終礼。
翌日のバレンタインデーを意識して当麻は生徒に向けて言った。
小学3年生は子供といえど、女の子は”おませさん”だ。男の子が特にそこに意味を見出さなくても、女の子は違う。
昔に比べて学校は自由になっただろうが、それでもお菓子や漫画の持ち込みは禁止している。授業に直接必要がないからだ。
「じゃあチョコあげたい子はいつあげたらいいのー?」
「放課後、一回家に帰ってからだな」
「先生にあげるために持ってきてもダメー?」
手を挙げて尋ねた生徒は悪戯っぽく笑っている。それに当麻も困ったような笑みを浮かべて、ダメ、と返した。
「そんなんじゃ先生にあげられないじゃなーい」
なんて言っているが、本気で言ってないのは百も承知だ。
ちょっとしたからかいと、そして隙あらば好きな子に、学校で渡すための機会を伺う為の発言だと解っていても、
その隙さえ与えない答えを当麻は呈示した。
「先生は大好きな人から貰うから、他の子からは貰わないの」
「私を理由にしないで欲しい」
いつの間にか目線を下げなくとも目が合うようになった彼は、真剣な、そして大人の男の声でそう当麻に言った。
当麻の手には、先ほど征士が渡したばかりの綺麗な包みが握られている。
征士が料理が得意だと知ったのは彼が中学2年、つまり当麻が家庭教師に就いた学年の時で、その初めてのバレンタインの時に
彼から手作りのクッキーを手渡された。
甘い食べもの、特にお菓子が大好きな当麻はそれを喜んで受け取りつつも、でも何で?と尋ねた。
姉のバレンタインの手伝いをして余った分ですと征士は答えた。
征士から当麻へのバレンタインの贈り物は、それから毎年続いた。
お世話になっていますから。何かを作るのは楽しいですから。理由は様々で。
それは当麻が大学を卒業し、そして就職が決まって征士の家庭教師でなくなってからも変わらなかった。
当麻だって勿論、毎年貰ってばかりで悪いとは思っていた。だからちゃんと申し出だってした。
自分の味の好みは知られていても征士の味の好みは解らない。
その当時の当麻の征士のイメージは好き嫌いなく何でも食べる子、というものだったが、それでも万が一という事がある。
だから当麻は、征士は何が欲しい?と尋ねた。
だが征士からの返事は、好きでしていることだからいい、だとか、何かを作る口実にもなっているからいい、という事で、
結局この時期に当麻から何かを受け取る事はなかった。
征士が大学卒業を控えたその年のバレンタインの日、当麻の仕事終わりに待ち合わせをした。
未だ学生で自由に出来る時間の多い征士が先に待っていることは常だ。
きっと今日も待たせてるんだろうなぁ…と当麻は人の間を縫いながら、急ぎ足で待ち合わせ場所に向かった。
少し離れた場所からでも征士のいる場所はすぐに解る。
さり気なく後ろを振り返っている女性やどこか浮ついた雰囲気の女性、そして明らかに頬を染めている女性の多い場所には必ず征士がいる。
美少年と形容するに相応しかった少年は、大人に成長するにつれ美丈夫というに値する青年になっていた。
そんな彼が、今日と言う日に誰かを待っている雰囲気を持っていればいつも以上に彼を盗み見る女性は多い。
…いた。
当麻の思ったとおり遠巻きに、けれど遠慮しない周囲の視線を集めた征士は、待ち合わせ場所に指定した時計台の下に立っていた。
寒さで身を縮めているものが多い中、真っ直ぐに背を伸ばしその美貌を惜しげもなく披露している。
勿論、本人にそのつもりは全くないとしても、周囲には眼福ものの容姿だ。
誰だって振り返ってしまうだろうし、当麻だってもし征士と面識がないのであれば何度も振り返っただろう。
何てったって当麻は自他共に認める面食いなのだ。
バレンタインの今日は、やはり街中にはカップルが多い。
きっと周囲の誰もが、征士が恋人を待っているのだと思っているのだろうと思うと、何だか妙な申し訳なさを抱えて当麻は征士に向かって足を進めた。
会う相手が元・先生だもんなぁ、なんて苦笑いをしながら。
「ごめん、待たせた」
最近、待ち合わせの時にいつも言っている言葉を最初にかけた。
すると征士もまるでそれが決まった挨拶のように薄っすらと笑い、そして「気にするな」と返す。
いつもの遣り取りだ。
”先生”と”生徒”の関係の最後の日、また会ってくれるのかと聞いた征士に、当麻は当たり前だと答えた。
そしてその言葉どおりにまた会ってくれた当麻は征士に向かって、もう”先生”と”生徒”じゃないんだから、と言って先生と呼ぶこと、そして
敬語で話しかける事を禁止した。
友達とそんな風に話す?なんて言って。
最初は慣れない名前呼びや、目上に対して敬語を使うのが普通という感覚の征士はそのルールにかなり苦労していたようだが、
それが当麻には何だか妙に可愛く見えた。妙に落ち着いた彼の、年相応の姿を見た気がして。
だがいつの間にか2人の身長に差がなくなった頃には、会話に混じるぎこちなさは無くなって、今ではすっかり普通のものだ。
どこかたどたどしく話しかけてきていた嘗ての日々を懐かしく思い出していた当麻の目の前に、綺麗にラッピングされた包みが差し出された。
「当麻、これを」
中学2年生の時を最初に始まったバレンタインの贈り物は、変わらず毎年続いていた。
クッキーの他に、生チョコやトリュフ、フォンダンショコラと中身は違っていたが、征士の手作りであることだけはいつも同じだった。
「ありがと。今年も手作り?」
嬉しそうに目を輝かせて受け取った当麻を、どこか真剣な眼差しで見つめた征士は、そうだ、と硬い声で返事をしたがそれに
当麻が気付いた様子は無かった。
「いっつも悪いな。俺、結構楽しみなんだよね。市販のんより断然、征士のんが旨いし」
包みを抱え、今年は何だろうなと浮かれている姿に、征士は、とうま、と呼びかける。
すると青い目が不思議そうに征士を見つめ返した。
「なに?」
「その…当麻、聞いて欲しい事がある」
「うん。いいよ。なに?」
「……その……とうま、…」
珍しく緊張した様子を見せる征士に、そこで漸く当麻も気が付いた。
何かあったのだろうかと思いつつ、首を傾げて話しの続きを促してみる。
「…当麻、」
「うん。なに?」
あまりに改まって呼びかけられたものだから、何か悩んでるのか?と当麻が尋ねようとしたと同時に、征士は口を開いた。
あなたが、好きだ。
と。
「……え、」
「ずっと好きだった。いつからかは自分でも解らない。だがもうずっと好きだった。本気だ」
声変わりをして低くなった声で、凛とした真剣な眼差しで、征士は真摯にそう伝えた。
その気が無いのなら正直に断ってくれていい、と。
そして、その代わり、と続けた。
「当麻の気持ちで断って欲しい。…私を、理由にしないで欲しい」
その日は最初の約束どおり2人で映画を観て、その後で酒を飲みながら食事をした。
だが家に帰った当麻の記憶には映画も店の料理も何も残っていなかった。
征士の真剣な眼差しと、心臓を鷲掴みにされたような告白を除いて。
ずっと好きだった。
その言葉が耳に残っていて、それが妙に恥ずかしくて当麻は帰り着くなり上着も脱がずにベッドに倒れこんだ。
頬が熱いのは酒のせいだろうかと、どこか逃避めいた気持ちで考えてしまう。
人並み以上の容姿と人並み外れた頭脳の持ち主の当麻は、誰から見ても魅力的な人間で、好きだと言われること自体は多かった。
改めて征士に告げた事は無かったが、それなりにも恋人はいた。
ただその誰もが長続きしなかった。理由は簡単だ。恋人が出来たばかりの時の浮かれた気持ちが落ち着いてきた頃になると、
当麻の中で妙な違和感を感じ始めるのだ。
その違和感の正体は、いつだってその相手が”最高に居心地のいい相手”ではないという所から生まれ出ていた。
じゃあその”最高”を知っているのか?と考えてみると、…いた。
征士だ。
元より口数が少なく物静かな彼は、用が無ければ黙りっぱなしの当麻に対して過剰に会話を求める事は無かったし、
いつだって真面目で一生懸命な姿は好ましく思えた。
時には驚くほどに頑固な面も見せたが、それは1つの考えに固執しているのではなく、彼の中にある譲れない信念が元だというのも
良く言えば柔軟、悪く言えばいい加減な当麻から見ても十分な美点であった。
性格も落ち着いているし、最近ではどこか頼り甲斐まで時々見せるようになっている。
しかも征士は面食いの当麻から見ても文句なしの美形だ。見ていて飽きない。
だがその想いを受け入れるかと言われると考えてしまう。
征士はまだ若い。
しかも幾つものグループを持つ有名企業の跡取り息子だ。
歳も近くて身分も相応しくて、そして自分のような男ではなく、ちゃんと子を産める聡明な女性と共にあるべきはずだ。
一時の迷いだとしても、征士のような人間には少しの瑕も許してはならないはずだ。
そこまで考えて当麻は溜息を漏らした。
頬がまだ熱い。脈も速くなってる気がする。
「……私を理由にするなって言っても……」
彼には酷かもしれないが断らなければならないのだろう。
けれど、さっきから何度考えても征士を理由にしてばかりいる自分に気付く。
溜息がまた漏れた。
征士との事をこれほどまでに考えた事は無かった。
家庭教師の仕事は当麻の大学の卒業と同時に終わった。
征士が高校1年のときだった。
もう先生じゃなくなるからと告げた自分に必死にまた会ってくれるのかと聞いた彼と、何かを考えるより先に当たり前だと答えた自分。
毎回連絡をくれるのも、どこかへ出かけようと誘ってくるのも彼からだった。
電話は無視することも出来たのに、彼女とのデート中でも律儀に出たのは?
遊びに行く先が展覧会や博物館と落ち着いた場所が多かったのは確かに嬉しかったが、毎回誘いに乗っていたのは?
日付が誕生日になった途端、真っ先に電話で祝いの言葉をかけられて嬉しかったのは?
毎年バレンタインが近くなると、たとえ恋人がいても別れてしまっていたのは…?
目尻から涙が零れたのはアルコールの取りすぎで体温が上がったからだと言い訳をしてみたが、酩酊感など無く、頭はハッキリとしている。
「俺、サイテーな”先生”だ」
相手は”生徒”なのに。
断らなければならない相手なのに。
なのに。
あれから2年経ったけれど、と当麻はハンドルを握りながら考えていた。
征士の想いはどうやら気の迷いでもなかったようだし、自分も概ね幸せだ。
そもそも同棲さえしていないのに長くとも3ヶ月で恋人と別れていた自分にしては、同棲して1年近く経つというのに未だ付き合いが
続いているというのは相当の快挙に思えてきて、思わず噴出してしまった。
「明日、金曜日かぁ…」
バレンタイン本番の14日が金曜では、恐らくあちこち恋人たちで溢れかえるのだろう。
「ま、どうせ今年は征士が何か料理作ってくれて、そんで映画か何か借りてきて後はまぁ……ってとこなんだろうな」
知り合った当初はまだ中学生で幼さを残していた征士は、いつの間にか立派な大人になっている。
いつも視線を下ろして見ていた相手が、ベッドの上で圧し掛かってくるなんて当時は想像もしなかったことだ。
それを思うと頬がまた熱くなったのが自分でも解って、当麻は誰に聞かせるでもなく咳払いをした。
知り合って10年。
付き合って2年近くなる。
毎年貰ってばっかだよなぁ。
そう考えて、当麻はいつもの帰り道から外れて2人お気に入りのケーキショップに車を走らせる。
甘いチョコレートケーキ、それもホール丸ごとを目の前にして眉間に皺を寄せる征士を想像すると、当麻は笑うのを堪え切れなかった。
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征士が作ってくれた分は当麻だけが食べます。
当麻が買って来た分は、征士がギブアップした時点で当麻が食べます。