らららカレンダー



正月も過ぎてぼちぼちと仕事が始まるこの季節になると、当麻喋る言葉の4割が「寒い」になってくる。
そういうところで季節を感じるというのに未だに首を捻る気持ちは征士の中に残っているものの、それでも10年も見聞きしてきた実績は
彼に首を捻るより前に、あぁもうそんな季節か…という感想を抱かせるようになってきていた。

2人で暮らす事になって、以前に住んでいた部屋よりも広くなったのはお互い様だ。
当麻が大学生の時から借りていた部屋は、どうせ帰っても寝るだけだからという理由で立地条件を最優先した結果、
本の多い彼にとっては本当に手狭な部屋だった。
一方、大学を卒業するまでは実家に住んでいた征士だが、彼も社会人になると同時に一人暮らしを始めていた。
何も今すぐでなくともと言う家族(主に母親)を押し切ってまで家を出たのは、もっとゆっくり当麻と過ごしたかったからだというのは今でも内緒だ。
(因みに大学生時代にはまだお付き合いはしておらず、この辺りが若さだよなぁと今でも当麻に思われる一因にもなっている)
兎に角、征士だって一人暮らしの部屋は、実家の自室分の広さがその借りた部屋の全てで、それも風呂もトイレも入れての広さだった。
尤も、それでも借りている一部屋の広さがイコール実家の自室の広さとするのは、つまり実家の部屋が広すぎると言うのも勿論、ある。
だがやはりお世辞にも広々とは言いがたい広さだ。
それなりに設備も整ってはいたが、所詮は一人暮らしから多くても二人暮し向けの賃貸マンションでしかない。

そんな彼らが2人で生活するに当たって選んだ部屋は、ファミリー向けのマンションだった。
当然、今までに比べて広い。
リビングダイニングの他に3部屋ある。
その内の1つは2人の仕事部屋で、もう1つは寝室としていた。
最初、当麻はこの2つをそれぞれの部屋にしてベッドも別々にするつもりでいたが、それは出来たばかりの恋人が首を縦に振らなかった。
それはさて置いて、では残りの1室は何か。
和室だ。来客時にはそこに通すこともあるし、そこで寝泊りしてもらうこともある。

その部屋に、新年早々に購入したもの。


「はぁ〜……幸せ…」


コタツを購入してから当麻の定番の位置はそこになっていた。
リビングダイニングのすぐ隣にある和室からは、テレビも見れるために卓上にはリモコンが常に置かれている。
他にあるものと言えば、コタツと言えば!と嬉しそうに当麻が用意した蜜柑がこれでもかというほど放り込まれた籠と、それからこれも
当麻の希望で置かれているお菓子の類。
そこに食べた後のゴミがないのは、ちゃんとコタツのすぐ傍にゴミ箱を用意しているからだ。
と言っても用意したのは征士なのだが。


「一人暮らしのままだったら味わえなかった幸せだ…」


しみじみと呟いて卓に頬ずりまでしている姿に、征士が呆れたように溜息を吐いた。
確かに1人暮らしの部屋ではどちらもコタツなんて買わなかっただろう。
幾ら暖かいと解っていてもある程度場所をとるし、他の季節の時には収納場所だって要るのだから邪魔な事に変わりはない。


「当麻、幸せを噛み締めるのはいいがそこで寝るなよ」

「寝ない寝ない。大丈夫」


何が大丈夫か、と征士は眉を顰める。
つい先日も、そしてその前の日も征士が風呂から上がってみればコタツに入ったまま気持ち良さそうに寝入っていた当麻だ。
それを忘れたとは言わせんぞと言いたいのだろう。
もう一つ言ってやるとしたら、誰がお前をベッドまで運んでやったと思っているのだと言いたいのだろう。
それが解って当麻は首を竦めた。


「今日は大丈夫、ホント、ちゃんとベッドで寝るから」


何の根拠もなく言う恋人に胡散臭いと言わんばかりの視線を送るのにも飽きたのか、征士も当麻と同じようにコタツに入り込む。


「確かに暖かくて気持ちがいいから寝てしまうのも解らんでもないがな」


冬は何度もベッドのシーツの寒さに身が竦む思いをする。
その事を考えれば暖かい上に、コタツ”布団”が予め用意されているこの場所は至福の場所と言っても過言ではない。
それを認める発言をするとすかさず当麻は目を輝かせて、だろ!?と言ってくるが、それを完全に認めてしまってはここで眠ることを許した事になる。
最初は暖かくとも完全に眠ってしまうと徐々にそれは暑苦しくなって汗をかき、そしてそれから逃れるために無意識に布団を撒くろうものなら
たちまち冷たい外気にさらされて風邪を引いてしまう。
そうでなくとも汗をかくことで脱水症状を起こす可能性だってあるのだから、当麻の健康を思えばこそと征士は意識して厳しい目を向けた。


「解らんでもない、と言っただけだ。解るとは言っていない」


冷たい言葉の裏にそういう心配が隠れていることを解っているから、当麻も口を尖らせて、はーい、と返事をするだけに留めた。
こういう時に甘やかされているなといつも思うが、恥ずかしい反面、とても心地よいからやめられない、とも。
年上なのは自分の方なのになという考えは、もう随分と前から薄れてきている。
当麻と征士の関係が”家庭教師と生徒”から”歳の離れた友人”になって、征士が大学に通い始めてからは特にそうだ。
プライドがなくなったわけではないが、それでもどこか征士に頼りがいを感じることが多い。
その理由は何だろうかなとぼんやりと考えていると、目の前にあった蜜柑の山から征士が1つを取った。


「あ、征士。俺も俺も」

「今剥いてやっている。少しは待たないか」


蜜柑を手にしたのは自分が食べるためではなかったようだ。
ちょうど口寂しくなるタイミングを確実に読んでいる彼にいつもの事ながら驚きつつ、その筋張った大きな手が綺麗に皮を向いていく様を眺めていた。

当麻の母方の親戚が送ってきた段ボール箱いっぱいの蜜柑は、熟れる直前まで木に生っていたお陰でとても甘い。
その代わりに房の1つ1つの皮が薄く、たまにはちきれんばかりの果汁が飛び出してくることもあった。
別に当麻の剥き方が下手なわけではないが、何と言うか、こう、…雑な事に変わりはない。
実験などで使う器具はとても器用に扱うのに、生活に密着したこととなると当麻は不器用なことが多い。


「白い筋、とっちゃ駄目だからな」


房に付着した筋を、過去の征士はとても丁寧に外していた。
ソコは身体にいいんだぞ!と言って注意したのは当麻だ。

それを征士の家族は息子の性格だという程度にして放っておいたようだが、彼には元々潔癖症のきらいがあった。
それは人間に対してもそうだったし、物に対してもそうだ。
許せないものは徹底的に許せない。そういう片鱗がそこに見て取れた。
だから瑞々しい橙色の果実に”モケモケ”と擬音つきで付いてそうな白い筋を、嫌そうに徹底的に剥がしていたのだ。
それを見かねて当麻が注意したのは征士がまだ高校生の頃だ。
何も身体にいいんだから絶対に食え、という意識からではない。
潔癖すぎる征士の性格を遠回しに指摘してやりたかったからだ。

部屋が綺麗なのは悪いことではない。良くない行いを見逃さないのも悪いことではない。
だが度が過ぎればそれは本人の心を蝕むし、それに人間関係にも問題が生じる。
少しずつとはいえ年々、そういう面が強くなっていた征士を止めるためのキッカケとして言った。

人に指摘されるまで自分のそういう面が過剰になっている事に気付かなかった征士だが、お陰で征士は今でも少々潔癖症気味だとしても、
それでも以前ほどではなくなった。
表面的に綺麗になっていることが必ずしも良い結果を生むわけではないし、人間にはそれぞれの個性と価値観があるのだと今は理解している。
何も全てを律儀に型にはめていくことが正しいとは限らないのだと。


それでも白い筋を取るなよと当麻が言ったのは、最早手癖のようになっている行動は無意識に辿ってしまう事があるからだ。
現に一昨日も同じように蜜柑を剥いていた時の征士はテレビを観ながら綺麗に筋を取っていた。
悪いことではないが、何となくそれが気になっていた当麻だ。


「解っている。…ホラ」


そう言って適度に白い筋の残った蜜柑が当麻の目の前に差し出された。
果汁を多分に含んだ房はぷっくりと膨らんで見るからに美味しそうだ。


「ありがとっ」


わーい、とやっとコタツの中から手を出して果実に手を伸ばした当麻はそこで、あれ?と動きを止めた。


「…?どうした?」

「え…?あ……うん、……蜜柑、こんなに大きかったっけ?って思って」

「何を言っているんだ?」


妙な事を言う当麻に征士が首を傾げたが、言った当麻も同じように首を傾げている。
俺、変なこと言ったよな、と呟いた。

送られてきた蜜柑はどれも物凄く大きな実ではないが、小ぶりでもない。
けれど確かにさっきまでは、どちらかと言うとこじんまりとしたように感じていたのだ。
なのに今、手を伸ばした蜜柑は手に収まるサイズに変わりはないが、どうもそんなに小さくは見えない。


「眺めていても大きさは変わらんぞ?」


皮を剥いたから小さく見えただけじゃないのか?と言って征士は自分の分の蜜柑を剥き始めている。
それを当麻はちらりと見て、今度は自分の前に出された蜜柑を手に取った。
やはり大きくはない。が、小さくもない。

そんなに小さいわけじゃないのになぁ…と思って食べやすいように房を分ける。
口に放り込むと期待通りの甘さが広がった。


考えても仕方が無いかと頭を切り替え、その美味しさを堪能していた当麻だったが突然動きを止めた。


「何だ、どうした」


隣にいる恋人の気配が唐突に変わった事に驚いた征士がそちらを見ると同時に、突然手を引っ張られて蜜柑を落としかける。
慌てて伸ばした左手で何とか受け止めることが出来たのに安堵の息を漏らすともう一度恋人に目をやる。


「どうしたんだ、当麻」

「征士、手、でかい」

「…はぁ?」


イキナリ何なんだと思っていると、右手を広げられて当麻の左手と合わせられる。
改めて言われてみれば、征士のほうが大きかった。但し、本当に僅かにだけ。


「確かに私のほうが大きいが、そんなに変わらんだろう」

「大きさはそうでも、厚みが違う!」


それも確かにそうだった。
だがだからと言って何が言いたいのか征士には全く解らない。


「いや、そもそも当麻は全体的に肉が薄いのだから、手だってそういうものなのではないのか?」


恋人関係になってもうすぐ2年になろうとしているが、それまでに触れ合うことは多々あった。
身体の厚み云々にしても最初は何かと落ち込んでいた当麻も、今ではそんな事がなくなっていたはずだ。
なのに今更手の厚みの話などして何だというのか。
まさかまた不公平だの何だのと言いがかりをつけられるのだろうかと思った征士だが、どうも彼の表情にはそういう感情はみれない。
代わりに、何と言えばいいのか、妙にスッキリした感がある。


「征士、手ぇ、大きくなってたんだなぁ」


意味の解らない征士を無視して当麻はとても嬉しそうにそれを眺めていた。



出会った当初は当然、当麻のほうが征士に比べて背も高かったし身体にも厚みがあった。
いつの間にそれが逆転したのかは解らないが、背は少しだけ、厚みに関しては結構差がつけられていたのは気付いていた。
そこは同じ男なのだ。成長期が来れば少年の身体は大人のものに変わっていくことくらい当麻だって解っていた。
けれど、手までは気付かなかった。

歳は自分のほうが上なのに、頼りがいを感じる理由。触れられると安心してしまう理由。

それは僅かな差で普段意識しない場所だったけれど、それでも確実に肌では感じていたこと。


「そうか………手だったか…」

「…?何がだ?」


嬉しそうに呟く当麻に、未だ意味が解らない征士が尋ねても当麻は、いいからいいから、と言うだけで何も教えてくれないかわりに、
その筋張った大きな手を大切なもののように撫でるのだった。




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大きな手と厚い胸、それから広い背中の征士さん。