スペース・ラブ
「僕、キミが当麻にキスしてるところ、見ちゃった」
珍しくトレーニングルームに入ってきた伸は何の前フリもなく征士にそう告げた。
だが征士は顔色一つ変えずに彼を見つめ返しただけだった。
「見ていたのか」
「見ていた、んじゃなくって、見ちゃった、ね。偶然だよ」
ガラスで仕切られた向こう側では、何人ものハンターが入り乱れて市街地戦のシュミレーションをしているのが見える。
征士はその手前の部屋でちょうど休憩をしている最中だった。
その隣に伸も腰を下ろし、そして持っていたカップの紅茶を一口啜った。
「仮眠室でああいうコトしてるのバレたら、キミ、出入り禁止になるかもよ?」
仮眠室は簡素な仕切りがあり、それぞれが個室になっている。
中に誰がいるか解るようにはなっているし、緊急時の為に鍵をかけることも出来ないが静かに眠れる環境は整えてある。
必ず1部屋に1人のみ入室というわけではないが、仮眠室を”そういう行為”に使うのは勿論、規律違反だ。
今回、征士はそれに及んだわけではないが、抵触しかねない行為に変わりは無い。
だから忠告するために伸は来たのだが、それを聞いても征士の表情はやはり変わらなかった。
実は変わっていたのかもしれないが、彼の表情は殆ど動かない。当麻の前以外では。
「あの時は誰もいない事を確認したつもりだったのだがな。…以後、周囲には充分に気をつけよう」
「時間的にも短くなかったし、キミ、相当夢中になってたんじゃないの?それより周囲に気を付けるんじゃなくて、行為を慎みなよ」
2人して正面を向いたまま、ガラス1枚で隔てられたハンターたちの動きを見たままの会話は、内容が内容なだけに伸はそれなりに気遣い
声を潜めているが、征士はあまり気にしていないのかも知れない。
凛とした声を、堂々と響かせ、そして言うべき言葉を言った後はまたいつもの必要最低限以外は話さない彼に戻った。
「…………ねぇ、征士」
途切れた会話を続けたのは伸だった。
「その……寝てる当麻にさ、ああいう事するくらいなら……本当、言えば?」
「確かにあの時は我慢が利かなかったのは認める。だが、わ」
「”私が彼に許されているのは傍にいることだけだ”、でしょ?解ってるけどサァ……ていうかソレ、何なの」
呆れたように伸は溜息を吐いた。
「それって何かの約束なわけ?」
からかうように言った言葉だったが、征士はそれに頷いて見せた。
それに伸が目を瞠る。
「どういうコト?」
「それは言えんが、約束でもあるし、誓いでもある」
「でもさ、」
「それに最初からきちんとやり直していくのが一番いい」
それはどう意味だろうか。
やり直すという言葉に気を取られている隙に征士が部屋を出て行ってしまった。
それに伸が気付いたのは、ドアが閉まる音を聞いてからだった。
「………くそ、また逃げられた」
やっぱり征士は可愛くないよなぁ、とぼやいて椅子から立ち上がる。
一応の戦闘要員ではあるのだから伸もトレーニングの必要がないわけではないが、長時間ここにいても今は仕方が無い。
飲み物を取るために自分の仕事場を離れ、そして征士を見かけたから忠告しに来ただけなのだ。
さっさと戻らねば仕事は山程ある。
「あそこもある意味戦場だからなぁ…」
忙しいが異動したいとは思わない自分を適当に褒めつつ、伸も部屋を後にした。
征士がオペレーションルームに向かうと、眼帯を付けた男と部屋の入り口で擦れ違った。
「………?今のは?」
見慣れない人物を不思議に思って青い後姿に尋ねると、彼は振り向きもせずに、螺呪羅、と答えた。
「…らじゅら?」
「そう、ゲリラ部隊の部隊長」
当麻は事も無げに言うが、あまり大っぴらに言っていい部隊ではない。
連邦政府は表向き、軍事力を持っていない事になっている。
その分ハンターたちがそれに近い武力を持っており、何かの折には自衛手段として彼らを使う事もあると公表している。
あくまで、”自衛手段”で、軍事的な介入はしないというのが政府の公式であり、そこに暮らす人間達の認識だ。
だが実際はそうではない。
有事の際の戦闘を行うのは勿論ハンターで間違ってはいないのだが、彼らが所属しているのは明らかに”軍”で、
区別の為にハンターではなくソルジャーと呼ばれている。
彼らはハンターが持つものより遥かに威力の高い重火器を扱うし、戦闘スタイルも同じ白兵戦でも随分と違う。
戦車部隊や戦闘機部隊などもあるほどだ。
それに先ほど当麻が言っていたゲリラ部隊の他に野戦部隊や夜襲部隊というものもある。
彼らは自衛手段としているのではなく、戦地へ赴き軍事介入を今もしている。
因みに正式名称として知っているものは上層部のごく一部ではあるが、”暗部”と呼ばれる暗殺専門の部隊もあるという噂もハンター内でちらほらと出ている。
ただこの事実を知っているのはこの中央部にあるベースの者のみで、地方のハンターたちは全く知らない。
政府は軍事力としての人材を持っていない。それをそのまま信じている。
今ではもう慣れてしまったが征士も本部に来たばかりの時は驚いたものだ。
その時は、そんなものが必要なのかと思わず当麻に聞き返してしまった。
彼の答えとしては軍力としての自衛手段を持たない国は遅かれ早かれそれ以上の力でもって潰されるし、不要な争いを生むきっかけにもなるという、
酷く淡々としたものを返されただけだったが、その時の当麻の視線は酷く冷たかった。
それが征士には心苦しかった。
やはり彼はテロリストが心底憎いのだろうか。
そう、思わず聞いてしまいそうになったが、それには聞くより先に当麻の方から聞きたい答えが返って来た。
憎いとは思うけど、それは個人の感情じゃない。そんな感情があったらハンターベースで働いてなんかいない。
それが本心からの言葉なのか、偽った言葉なのかはその時の表情からは全く読み取れなかったが、それ以上の詮索を嫌がっている事は解ったので、
征士はそれ以上何も言わず、そうか、とだけ短く返して会話を切り上げた。
それよりも先程のゲリラ部隊の彼だ。
ベース内に彼らが帰還するための部屋や報告や会議のための部屋も勿論あるらしいが、それは存在が明るみに出るのを避けるために知らされていない。
入り口も、帰還ルートも全てハンターたちの使っているものとは違うとも聞く。
勿論、オペレーターたちはほぼ全ての部署への伝達や補助をするのでそれらをある程度把握しているが、やはり全てではない。
存在を伏せられている彼らではあるが必要に迫られてベース内でもたまに歩いている。
しかしバレるワケには当然いかないので、その時は地方からきたハンターのフリなどをしている事が多い。
だが先程の彼はそうではなさそうだ。
堂々と他と異なる雰囲気そのままに出歩いていた。
そもそも誰だと聞かれて素直に当麻が彼の正体を明かしている時点で、少しおかしい。
いや、それだけ征士を信頼していると考えてもいいのかも知れない。
確かに征士は信頼できる人間だ。たとえまだ本部直属になって数ヶ月とは言え。
「その彼が何故」
「赴任先でちょっと面白い話を耳にしたからって教えに来てくれたんだ」
「……通信で遣り取りすればいいだろう」
「あー、駄目駄目。どこで傍受されるか解ったモンじゃないし、それにあいつらが行く場所って大概通信できないんだよ」
「だからと言って…」
「いいだろ、別に。それより征士、コレ、食う?」
漸く振り返った当麻が手にしていたのは子供の頃に食べた、懐かしいグミキャンディだった。
「……何故またこんなものが…」
「今朝さぁ、家出た直後にちょっと食べたくなって寄り道したんだよな」
「”ちょっと”?」
声に出して、改めて当麻の手元を見る。
色とりどりの熊らしきフォルムのグミが入っているのは、どうみてバケツサイズの容器だ。
「……ちょっと、でコレなのか?」
「このサイズしか売って無かったんだよ、近所のコンビニ」
どういうコンビニだ。
思いはしても征士は黙った。
それを抱えた当麻の顔が、若干、弱っているのだ。
「………………」
周囲に視線を走らせると、他のオペレーターの席にもペーパーが敷かれ、そしてそこにはカラフルな熊が幾つも見えた。
「………食べ切れないのか」
「流石に気持ち悪くなってきた。さっき螺呪羅にも食わせたんだけど、アイツ全然役に立たないんだよ」
どうやら少量しか食べてくれなかったらしい男に、ブーブーと文句を言っている当麻の隣に椅子を出して征士が座る。
「食べてくれんの?」
「少しだけならな。私もこういうものは得意ではない」
「根性見せてくれよー」
そう言って甘えるような視線を送ってくる当麻に征士は口元を緩める。
膝がつくほどに距離を縮めても、顔を寄せても当麻は征士を避けない。
パーソナルスペースが人より広い筈の当麻だが、征士がそこに踏み込むことを、身構えることなく自然に受け入れている。
それに気付くたびに征士はこうして幸せな気持ちになるのだ。
だから、せめてあの男よりは食べよう、などと健気に誓いを立てつつ、彼の手にある大きすぎる容器に手を入れた。
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他の職員は問答無用で各席に置いて行かれました。グミ。
助け合いって大事なことだと思うんだよ、とか言いながら。