スペース・ラブ
さぁ久々に纏まった空き時間が出来たぞと、少し浮かれた足取りで仮眠室へ向かう当麻を呼び止めたのは征士だった。
征士が来てからというもの、当麻は1人になれる時間が極端に減った。
そりゃ征士といるのは悪い気はしない(寧ろ安心感がある…当麻は認めたくない感情のようだけれど)が、たまには1人になりたい。
…と言うのを征士に向かって遠慮なく素直に言う。すると征士はその言葉を聞き入れて1人にしてくれる。
1人になった当麻のする事といえば、自称・人間の三大欲求に素直な男はまず眠ることを優先する。
本人は三大欲求だと言い張っているが、実際は睡眠欲が6割、そして食欲が3.9割、残りの0.1割が性欲だろうというのが周囲の認識だ。
それくらい、当麻は実は眠るのが大好きだ。
だから大体の場合において彼は1人になれば仮眠室へ向かう。そしてぐっすりと、僅か10分でもぐっすりと眠る。
そして目覚めると、心臓が止まるという程ではないがある程度驚きはする距離で征士がその眠りを見守っている。
と言うのが征士が来てからの常だった。
初めてその状況に気付いた時の当麻は、偶然その時仮眠室にいた秀が今でもネタにするほど面白い悲鳴を上げた。
そしてありったけの罵詈雑言を彼に浴びせたのだが、それは効かなかったのか懲りなかったのか、征士は今でも当麻が仮眠室にいれば
そこに現れ、彼の眠りを見守っている。
あまりに気持ち良さそうに眠っているから癒されるのだと言って。
今日は征士がトレーニングルームに篭っているのを確認してから席を離れた。
トレーニングルームにある設備の1つでシュミレーションを行っているのを、バッチリ確認したはずだ。
なのに何故、部屋を出て仮眠室へ向かう途中で捕まるのだろうか。
自分には発信機か何か取り付けられてるのではないかと、思わず当麻は身体を検めてしまった。
「……何にもないか…」
「何を言っているんだ」
何でもねーよ、としかめっ面で返す当麻に対して、征士は相変わらず美貌をフルに活かした笑顔(但し当麻にしか向けない)を浮かべたままだ。
「で、何の用だよ」
その笑顔は面食いの当麻にはとても効力がある。
頬をちょっと染めて視線を逸らし気味に言う当麻を、征士はこれまた宝物を見るような目で見つめた。
「当麻はハンターとしても充分な腕だと聞いた」
嬉しそうに言う征士を、当麻は視界の端で確認する。
「まぁ…、ね」
「現場に出ないのは、此処が襲撃された時のためだとも」
「万が一の備え。それ言ったら秀や、医療部門の伸だってそうだ」
征士が何が言いたいのかイマイチ把握できず、当麻は征士のほうを向き直る。
睡眠大好き人間は、彼の言わんとする事をさっさと聞きだして仮眠室に篭りたい。
譬えそれに征士がついて来ようとも、もうある程度慣れた事だ。気恥ずかしくはあるが眠れないわけではない。
……寧ろ目覚めたときに居ない方が、ちょっと、不安になるかもしれないと思ってしまう自分には気付かないフリをして。
「当麻」
「何だよ」
「組み手をやらないか?」
見惚れるような微笑を浮かべて征士は言った。
当麻は再び顔を顰める。
「断る」
「何故」
「なぜって……」
身長こそ差は無いが、身体の厚みが征士と当麻では差がありすぎる。
自分の得手不得手を充分に理解し、その差を無いものとして立ち回るくらい、本部採用になっているくらいだから当麻には簡単な話だ。
だが以前、征士が元格闘技者とやりあっているのを見ている。
激しいまでの、言わば”漢の勝負”だった。
あんなものを見ては、怖いとまでは言わないが、出来る事ならやりあいたくはないというのが本音だ。
断る理由はそれだけではないが、兎に角あんなものを見せられたのだ。勘弁して頂きたい。
「……俺はファイタータイプじゃないから接近戦は得意じゃないの。スナイパータイプ」
面倒なので、幾つかある理由の1つを挙げる。
実際、ビットの扱いを見ても解るとおりに当麻はハンターとしてのタイプはスナイパーだ。
飛び道具系ならライフルでもハンドガンでもマシンガンでも、それにボウガンでも見事に使いこなす。
これからの相手の動きと弾の威力や射程距離、風向きなどを見て自分に有利な位置から冷静に狙うそれは、
太刀を持って懐に飛び込むのが得意な征士とは確かに真逆のスタイルだった。
「そうなのか?」
「見たら解るだろ、お前の身体の造りと全然違うの」
「…確かに当麻は細いな」
「うるせーよっ」
「……自分で振っておいて…」
「うるせー、うるせー!兎に角、俺はお前と逆のタイプなの!組み手なんかやるか、馬鹿」
食べても食べても、そして幾ら鍛えても、当麻の身体は征士のようにしっかりとした体躯にはなってくれなかった。
それは実は、密かにコンプレックスでもある。
何もそれが理由で今のスタイルをとっているわけではないが、それなりには気にしている事だ。
拗ねてそっぽを向けば何かまだ言ってくるだろうかと思った当麻だったが、予想外に征士は黙ってしまった。
不思議に思い、また顔を征士のほうに向けると酷く心配そうな彼がいて驚かされる。
「え、な、何だよ」
「当麻は……もし接近されたら、当麻はどうするんだ…」
何の心配だ。
当麻は溜息を吐いた。
どうも調子が狂ってしまう。
いつもの気楽な会話の時でも征士には時々、ズレているなと思う事がある。
大抵はそれが面白いのだが、どうもこういう時は面倒だ。
「得意じゃないってだけで、人並みにはできるって」
「では身を守ることは出来るのだな?」
「そりゃね」
「得物はあるのか?」
「レーザーナイフがある。なくてもある程度は捌けるけど…」
「他には」
「まぁ……ハンドガンも常に持ち歩いてるから問題はないよ」
「そうか。……良かった」
「良かったって…何が」
言ってから、あっしまった、と思ったがもう遅い。
心底、心配そうな顔をした征士の手が、当麻のほっそりとした手を優しく包んだ。
「私が傍に居ないときに当麻に万が一の事があったらと思って」
「……………っ!」
恥ずかしい。
黙れと怒鳴りたい。
だが言えない。
前までならそれこそ遠慮無しに、馬鹿だのアホだの厳しく罵ってその手を振り払っていたのに、どうも最近はそれが出来ない。
怒りよりも先に恥ずかしさがきてしまう。
そしてその中に、僅かばかりの嬉しさも。
彼の手が、大きくて優しいこの手が、どんな時でも有難く思えるようになってきてしまった。
真面目に、一生懸命に真正面から自分を見てくれている気がする。
いい大人なのだからと嘯いて様々な感情を適当にやり過ごしてきた自分を、その奥に押し込めてしまったモノを
無理に引きずり出すのではなく、見つけ出してくれる気がする。
だから、困る。
だから、言えない。
赤くなった顔を隠したくても両の手は征士に包まれてしまってそれが叶わず、せめて見られないようにと当麻は必死に俯いて
征士の視線から逃れた。
だから彼がこの時どんな表情をしていたか、どんな目で自分を見ているか知らなかった。
慈しむような視線の中に、抑えきれない欲を滲ませていたのを見たなら、或いは以前のように怒鳴る事が出来たかもしれないのに。
「では30分したら起こせばいいのだな?」
何とか当麻は仮眠室へ逃げ込む事が出来たが、結局それは征士を伴って、だった。
いつものことと見慣れた周囲の者たちは気にも留めないが、当麻は今でもなんだか恥ずかしい。
征士に足止めを喰らったせいで眠れる時間は随分と減ってしまったが、それでもここ最近にしては随分と仮眠できるほうだ。
立て込む時は立て込む仕事なので、休める時には徹底的に休んだほうがいい。
緊急で何かがあれば勿論起こされるが、それまでは眠ることが許される。
当麻が横になった簡易ベッドの傍に征士は椅子を持ってきてそこに腰を下ろし、淹れて来たコーヒーをブラックのままで飲んでいる。
いつもと同じ、その香りと彼の気配に心地よさを覚えてそのまま当麻はゆっくりと眠りに入っていった。
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廊下でも仮眠室でもいちゃいちゃし始める公務員。