スペース・ラブ
半ば”政府のもの”でもあるそこは、毎日手入れをする者がいてくれるお陰でとても綺麗だった。
人気の無い場所に静かに踏み入れると、当麻はそのうちの1つの前で止まり、そっと花束を置く。
何かを伝えるように冷たい石じっと見つめ、その後で目を閉じた。
今度の誕生日、一緒に過ごせなくてゴメンね。
18年前の母親の声が今でも耳から離れない。
すまない。そう短く詫びた父親の声も。
「別に謝る必要なんてなかったのに」
漸く口に出来たのはそんな言葉でしかなかった。
当麻の両親は、政府が所有している墓地で眠っている。
父さんと母さんは仲が良かったから一緒に眠らせてやって欲しいんです。
あの時の言葉はそのまま受け入れてもらえたお陰で、彼らは1つの石に2人仲良く名前を並べている。
だがそこには彼らの遺体も、遺品も何も入ってはいない。
ただの、空っぽの石。
それでも毎回、当麻はそこに花を置き、そして手を合わせる。
目を閉じて伝える近況は元気だとか仕事が忙しいとか、そんな他愛のないことばかりで、それが済むとすぐにその場を離れ、
羽織っていた薄手のコートの裾を翻して墓地の入り口まで引き返す。
本当は他にも伝えたい事はあったが、それを彼らに伝える事は出来なかった。
今でも後悔する事があるだなんて。
きっと彼らが生きていたならそうしただろうと思い、その意思を尊重した筈なのに、後悔などと。
当麻の両親は政府だけではなく、コロニーで生きる全ての人にとって”英雄”だった。
彼らの眠る墓地は生前の功績を讃えられた者が眠る場所で、そして今でも入り口にある献花台には花が捧げられている。
それを見るたびに当麻は誇らしくなるが、その反面、とても息苦しくもなる。
後悔する事がある。
たったそれだけの言葉だ。
誰にだって、きっと過去の英雄達にもそういう瞬間はあっただろう。
彼らも若しかしたらその言葉を何度か口にしたかもしれない。
だが当麻はたったそれだけの言葉を口にすることもできず、それが自分をゆっくりと追い詰めていると解っていてもどうする事も出来ないままでいた。
後悔、だなんて。
両親が望んだのは自らの使命を果たすこと。
政府が望んだのは1人でも多くの命を救うこと。そして解りやすい、アイコンとしての英雄という名の偶像を作り上げること。
当麻は両親の意思を尊重し、そして政府の望むとおりに少しでも早く彼らを救う術を求めた。
ただ偶像崇拝の対象にされる事は嫌だったので、持ち前の知能を活かし言葉巧みにかわして逃げた。
自分はただの一職員として当たり前のことをしただけだと、何の感情も込めずに柔らかく、だが頑なに突っぱねて。
それでも完全に逃げ切れるものではない。
実際、政府が管轄している資料を漁れば当時の記録は多少なりとも出てくる。
あくまで”記録”としての文書だから過度な装飾や物語性などは一切排除されているが、そのうちの1つを目にした時、
淡々とした文字の中に何処かしら大人のイヤラシさを見つけて当麻は眉間に皺を寄せ、嫌悪と共にその資料をさっさと閉じた。
それらは調べようと思えば誰にでも簡単に引き出せるものだ。
そのせいで中には当麻を聖人君子のような目で見てくる者もいる。
だからそれらに対しては過去のことには一切触れさせず、適当に”身近な人間”を装うことでそういった視線を向けられないようにしてきた。
普通に生活し普通に笑い、酒を飲めば浮かれ時にはだらしない姿を見せて。
他の誰とも変わらない、ただ一人の平凡な、少しばかり頭が良いだけの人間として振舞ってきた。
そう見てもらえるよう、ある程度偽ってきた。
息苦しい。
そう思う事は多々あった。
しかしどうする事も出来ないままでいる。
後悔していると、もしどこかで吐き出すことが出来るのなら、誰かに自分のこの懺悔にも近い言葉を聞いてもらえるのなら、もしかしたら。
けれどそれを誰が望むというのだろうか。
そんな自分を誰が受け入れてくれるというのだろうか。
元より誰かと深く関わる、或いはさり気なく関わるというのが苦手な当麻に、今更本音で付き合う方法など解る筈が無かった。
「……………………、腹、減ってんのカナ」
さっきからどうも考えが後ろ向きでいけない。
声にはせずに呟いて、それを空腹のせいにする。
歩きながら軽く腹を撫でれば、ぐぅ、と主人の気持ちを汲み取るかのように腹の虫が鳴いてくれた。
それに元気付けられて気持ちを切り替え、じゃあ何を食べようかな、と考えたところで不意に征士の顔が思い浮かんだ。
「……いや、いやいやいや、…いや、今いらないだろ、アイツは」
頭を振り、本部に来てから自分にベッタリとくっついている美丈夫の事を必死に頭から追い払う。
最近、ふとした折に征士のを事を考えてしまっている自分を当麻は苦々しく思っていた。
確かに彼との会話は楽しいし、一緒に居ても困る事が無い。
他へはどうだか知らないが少なくとも当麻にとって性格に害はないし、面食いの自分でも感心するほどにイイオトコだ。
最初の出会いがああでなければ、手放しで受け入れられただろう。
そう思っていた。だが最近ではそういう考えも薄れてきている。
彼への好感ではなく、嫌悪の方が。
さり気なく触れてくる手も他よりも踏み込まれる距離も、優しく向けられる視線も全てに安らぎを覚えつつある最近に当麻は戸惑う。
ベース内で再会して暫くの間、当麻は征士の事をとことん警戒していた。
彼は忘れると言って部屋を出て行ったが、再会した時の手つきや視線は明らかに忘れるつもりが無いモノだった。
それに普段から不必要なほどに顔を近づけてくるし身体にもさり気なく触ってくる事が多い。
無かった事にして欲しいと言った自分に対して忘れると言った彼だ。
だがあの朝、とても良かったと言った彼でもある。
また何かの折に迫ってくるつもりではなかろうかと最初は警戒していた。
時にはあからさまな程に邪険にも扱った。
しかし征士はそんな事は気にしなかった。
それに何を言っても怒ることも無かった。
確かにスキンシップ過多だとは思うし、伸には結構な頻度でからかわれる。
それでも実際の征士は当麻にとって嫌な事は絶対にしてこない。
触れるだけ。傍にいるだけ。
ただ、それだけ。
もういい加減、いい大人になった自分をどこか甘やかしてくれる、ただそれだけの存在。
そんな征士を、最近ではただ”好ましい”という以上に何かを思いそうになる自分を当麻は居心地悪く感じてしまう。
料理の上手い、美人の恋人が欲しいと願ったあの日、彼とは一体どういう出会い方をしたのだろうか。
何も覚えていない自分がもどかしい。
何を話したのだろうか。
どうして彼はあんなにも優しく接してくれるのだろうか。
以前、征士は当麻の両親の事を知っているような事を匂わす発言をした。
彼もあの文書を見たのだろうか。
見たから、そしてそれに関して自分が何かを言ったから、だからあんなにも優しいのだろうか。
そう思うと今まで抱えてきたものとは別の苦しさを感じてしまう。
「………。ダメダな、何か」
両親の元を訪れた時とはまた別の種類のネガティブさに引き摺られていく心を、どうにかして食い止める為に思考の全てを食べることへと傾けた。
「何か旨い物、旨い物。どっかこの辺でイイ店なかったかな…」
周囲に人が居ないのをいい事に、無理矢理に明るい声を出して自分の気持ちを引き上げる。
1人での食事は味気ない気もするが、そんなの昔からだとその感情も無理に黙らせた。
どうせ今日は午後から仕事に行くと前もって伝えてあるのだから、ゆっくりと昼を食べてもいい。
家に帰って食べる事だって出来る。
何なら昨日、ベース内で征士に渡されたランチジャーの物を食べたっていい。
中身は野菜がたっぷり入ったミネストローネだった。
最近は朝晩が寒いから温かくて栄養のある物を食べた方がいいと言って渡されたそれは、かなりの量があった。
大食漢の自分の腹具合に合わせてくれたのだろうか。
それとも翌日も食べれるように多めに作ってくれたのだろうか。
そのあたりの事は何も言ってくれなかったから彼の真意は判らないが、兎に角それは昨夜食べてもまだ残っている。
それを食べに帰るのもいい。
時間はまだある。
それかベースの近くまで移動して、その近辺で食事をするのも悪くは無いだろう。
あの辺りは中々にイイ店が揃っている。
料理は料理だ。1人で食べても大勢で食べても、作り手が同じなら味に違いは無いはずだ。
そんな事を考えているとまるで催促するように、ぐぅ、とまた腹の虫が鳴いた。
「ちょっとくらい待ってくれよ。俺にも悩ませろ」
薄い腹をぺしりと叩いて当麻は苦笑いを浮かべる。
途端、視界が滲んで胸が痛んだ。
「………30超えたら急に身体にガタが来たとか涙脆くなったとかよく聞くけど…本当だな」
ちょっと歩いただけでこんなに苦しくなるなんて今度の健康診断で何か出てくるんじゃないか。
誰に聞かせるでもなく、態とふざけた口調で言ってみたが最後は声が掠れた。
それが何故だかひどく惨めに感じられて、当麻はその場に膝を抱えるようにしゃがみ込むと、声を殺して一人、泣いた。
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よく晴れた、雲1つ無い青空の下で。