スペース・ラブ
「あの映画のラストは評論家には酷評だったけど、俺はアレで良かったと思うんだよなぁ、今でも」
「それは私も同感だ。あそこで結局、ビリーがヘイリーバッグに勝てなかったからこそだと思う」
当麻は持ち出したテーピングで征士の手首を固定しながら、昔の記憶を辿るような目をする。
今は帰還したばかりの征士の手当てをする傍ら、幼い頃、深夜のテレビで見た古い映画の話で盛り上がっている最中だ。
「な。アソコで勝ってたら、ただの”良かったね”って話にしかならないよな」
「ああ。…長年のライバルだったヘイリーバッグが最後にビリーに話しかけるだろう?あのシーンを観て、私は解らないなりに泣いたものだ」
「”悩んでんのか”、ネ」
そう言って当麻がクスクスと笑い出す。
つい30分間ほど前まで征士は現場にいた。
今回はテロではなく通常の犯罪で、それも単独犯だったために彼1人が向かったのだが、現場に着けば相手はなんと元格闘技選手だった。
様々な利権が絡み、純粋に格闘技だけで完結できなくなってしまった業界にいつしか虚しさを感じた彼の犯行は、
プロモーター襲撃という非常にシンプルなものだったが、その代わりに捕縛までの時間が非常にかかった。
彼の要求は唯一つ。
心のままに闘いたいのだ、と。
何を言おうと何を思想に持とうとも犯罪は犯罪だ。
そんな物は無視してさっさと捕らえてしまった方がいい。
中心部でもある街では何も分刻みで犯罪が起こっているわけではないが、いつ何時何があるか解らない。
待機させているハンターだって万年不足気味なのだから、さっさと片付けてもらわなければ困る。
だが征士は自らの得物である太刀を置き、そしてモニターの向こうにいる当麻に伺うように聞いてきた。
「少し、時間を貰っていいか」
と。
征士が言うには、その格闘技者と同じく地方の出身で、尚且つ自身も武道を嗜んでいた身だから気持ちは何となく解る、というのだ。
その言葉に当麻は眉間に深く皺を刻み、目をきつく閉じてコメカミに手を当てた。
2人の会話はヘッドセットを通じて交わされるため他のオペレーターには聞こえないが、彼の仕草の意味するところを彼ら全員はよく知っている。
お前、ふざけんなよ。
そういう気持ちを抱えている時の癖だ。
今まではそういう仕草をしても深く息を吐いてから、なるべく優しい口調で通信相手を説得してきた当麻だったが、征士に対しては遠慮が無い。
下手をしたら怒号が飛ぶかもしれないと全員肝を冷やしてそれを見守った。
だが実際は。
「……………骨1本くらい折られて帰って来い」
そしたら許す。
などと物騒な取引1つで許可してしまった。
転属して2ヶ月、征士はすっかり優秀なハンターとして周囲に認識されているため、勿論そんな怪我をして帰ってこられては困る。
ただでさえ人手不足なのだ。これ以上の欠員は、非常に困る。
捕縛に時間がかかるのも困るが、欠員だけは本当にやめて頂きたい。
それに本来の怪我ではなくオペレーターからの要求での怪我だなんて、それこそ医務室のあの、怒ると案外恐ろしい青年がブチ切れかねない。
先ほどとは違う意味で肝を冷やしたオペレーターたちには、当麻の言葉に征士がなんと答えたのか知る術はなかったが、
直後に当麻が噴出し、もう好きにしろと呟いたのを見て何となく大丈夫かと安心した。
さて、ではその結果はどうだったのか。
そこから長い長い殴り合いの開始だった。
既に当麻は彼をサポートすることはやめ、ただ傍観者となる事を決め込んだらしく暢気にマグ片手にモニターを眺めつつ、時折、
おお、とか、うわ、とか、完全に観戦者なっていた。
”元”とは言え彼は強さで名を馳せた格闘技者だ。
そして征士も優秀なハンターだ。さぞ見ごたえのある”試合”だったのだろう。
その試合は、格闘技者としての彼の心が満たされた頃に、彼自らの降参の意思で幕が引かれた。
そうして彼を伴い、征士が漸くの帰還を果たしたのがつい30分ほど前だ。
流石に骨を折ってはいなかったが征士の身体はあちこちに痣が出来ているし、頬も殴られたのだろう、いつもより顔が腫れて見えた。
それに前髪で隠れている右目も、瞼を切ったのかして血が流れていて痛々しい。
だが当麻はソレを笑いを堪えた表情で向かえ、そして征士も何かに対して笑っていた。
意味が解らないがきっと聞いても答えてくれないのだろう事を解っている同室の仲間たちは大人しく仕事に戻る。
2人だけにしか解らないような会話や雰囲気にはもう慣れっこだった。
その視界の外で、当麻が手当てをしている合間に征士が何かを呟き、その度に当麻が笑って、お前いい加減にしろよ、と言うのが聞こえてくる。
「アレはなぁ……あのシーンはなぁ…」
当麻がまた笑う。
言った征士もくすくすと笑っている。
「あれが完全にヘイリーバッグのアドリブだというのをお前も知っていたんだな」
「知ってた知ってた。あんまりにも良かったから俺、あの映画のこと色々調べたんだよ。そしたら当時の資料にそう書いてあって…」
「あの一言だけ、妙に”ヘイリーバッグ”らしくなかったからな。だがそこから続く台詞が感動的で……」
「征士も調べたんだ?」
「ああ」
言ってまた、額がくっつきそうな距離で。
「それにしたってお前、犯罪者とは言え相手が真剣な時に何であんな台詞、言ったんだよ」
「あんな?」
「”悩んでんのか”って」
「いや、お前はモニター越しだったから解らなかったかもしれないが、実際に彼と対面したら何だか姿形は似ていないのに、ビリーと重なってつい」
「”つい”で言うんじゃねーよ」
「だがあの映画を知らなければ別に何と言う台詞ではないだろう?それで笑ったのだから当麻も大概だ」
「でもお前…」
「それに普通の言葉としても聞き流せた筈なのに、反応したのはお前の責任だろう」
殴られても美しさの全く損なわれない顔で征士が微笑むと、当麻は一瞬だけ言葉に詰まり、言いだしっぺの方が性質が悪いだの、
それでもその台詞を選んだのはお前だだのとブツブツ言っているがその顔は赤い。
元々面食いの当麻に、征士の顔は卑怯の一言に尽きるのだ。
「………で、でもさ。俺、ディックにビリーが負けた下りは要らなかったって思うんだよ」
「何故?」
「何か、…あそこだけもたついた感じがないか?こう、…もどかしくて苛々するって言うか…テンポも悪いし無くてもいいシーンだったろ」
話題の転換を試みて、同じ映画の中盤辺りの話をすると、それには征士が首を傾げて見せた。
「そうか?」
「あれ?お前はそう思わなかった?」
「ああ。あれはビリーの抱えるもどかしさを、観ていて同じようにもどかしくなって…見終わってからだが、ああ成る程と納得したが」
征士がそう言うと、当麻は黙って大きなタレ目をゆっくりと瞬かせた。
「…?どうした?」
「いや、俺、そんな風に思わなかったから…」
「…うむ」
「何ていうか……ああ成る程って、今、思った」
「…そうなのか?」
「うん。言われてみたら、ああー、って。…あー、何かスゲェ、あ、俺、ちょっとまた観たくなってきた…!でももう近所のショップに無かったんだよなぁ…」
「私の実家にコピーしたものがあった筈だ。今度妹に送ってきてもらおうか?」
「え、いいの?」
「ああ、構わん」
やったー!と言いながら会話に夢中になっていた当麻は、オペレーションルームのドアが開き、来訪者があったのにも、
その来訪者が背後に近付いていたのにも気付かなかった。
「っわ!」
「っぎゃあ!!」
背後から突然声をかけられ、肩を叩かれた当麻は驚きのあまり椅子から飛び退き、落ちそうになったのを向かいの征士が慌てて抱きとめた。
その瞬間に痛みで征士が顔を顰めたのが解り、それに謝罪をしてから当麻が振り返るとそこには栗色をした長い髪の女性が立っている。
「随分と楽しそうじゃない」
にっこりと笑う女性は上品なスーツを嫌味なく着こなしている。
その彼女の姿を見るなり当麻も穏やかな笑みを浮かべた。
「ナスティ、帰ってきたんだ」
「ええ、ただいま」
そう言って立ち上がると彼女を軽く抱き締める。
ナスティと呼ばれた女性も同じように当麻の身体を抱き返した。
それを征士が座ったまま、少し険を含んだ視線で見上げると、またナスティが笑う。
「番犬が怒ってるみたいだから…」
「番犬?」
そう言って漸く当麻を離した。
「そう、伸からね、あなたが最近大きな犬を飼ってるって聞いたから」
「犬ぅ?何だそれ」
「いるじゃない、ほら。それを見に来たのよ」
ナスティの視線を辿って振り返るとそこには手当ての途中のままになっている征士がいた。
彼女の言う”犬”に気付いた当麻は嫌そうに顔を顰めてみせる。
「あら、なぁにその顔」
「犬って…征士は犬じゃなくて人間だろ」
「でもあなたが随分と気に入って傍に置いてる、まるで忠犬みたいなのがいるって言ってたわよ」
「…伸が?」
「伸が」
人の好い、だが中々に食えない性格の彼を思い浮かべ、当麻は溜息を吐いた。
「まぁ………いいや。紹介するよ、ナスティ。コイツは征士。転属して此処で新人ハンターやってる。
で、征士。こっちはナスティ。外交部門で一番のお偉いさん」
「一番は朱天よ」
「でもあのオッサン、頭も顔も性格も固すぎて交渉事はナスティに殆ど任せっきりじゃないか」
「適材適所。彼にしかできない外交だって沢山あるのよ?」
口調は嗜めてはいるが、表情は柔和なままのナスティが征士に手を差し伸べ握手を求める。
征士も痛む足を庇うように立ち上がってその手を握り返した。
「当麻といつもいるんですって?」
「ええ」
「当麻の事がお気に入りなのかしら?」
「まぁ」
何か言いたげな口調の彼女に征士は短く答えるだけに留めた。
すると彼女はそんな征士の事など気にも留めないのか、再び当麻に向き直る。
「あなたにしては珍しいわね。誰かを傍に置くなんて」
「置いてんじゃないって。コイツが何かにつけて傍にいるだけ。それに俺、別に誰も置かないなんて言ってないってば…」
「あら、でも彼の事は特別気に入ってるんでしょ?」
その言葉にまた当麻の顔が歪む。
「気に入ってなんか、な・い、ね!」
子供っぽい物言いにまたナスティは笑った。
「だ、そうよ。征士?」
からかうような視線で征士を見ると、だが彼は別に気分を害した風でもなく、寧ろ緩く笑みを浮かべていた。
「そうか。だが私が前に作ったオープンオムレツはどうだ?」
「…………気に入ったけどさ…」
「では昨夜作ったタンシチューは?」
「……アレも、…好き」
「ならいい」
そう言って征士は綺麗に微笑む。
対して答える当麻は顔を赤くして征士の視線から逃れるように俯き気味にし、視線を必死に逸らしていた。
その遣り取りをナスティは面白そうに見つめている。
誰も口を開かないから、そこで妙な間が出来てしまった。
「………………でも、」
そこに当麻がボソリと口を開く。
「その………前に作ってくれた筑前煮の方が、………好き、かな」
「ちくぜんに……っ!」
オペレーターたちが我慢した笑いを遠慮しなかったのはナスティで、それは当麻の反応にか、それとも容貌に全く似合わない料理をした征士へ、
なのかは謎だったが、彼女は兎に角、部屋中に響くような大きな笑い声を上げてしまった。
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作った筑前煮をタッパーに詰めて、朝一番に当麻に渡しました。温めて食べろ、と。