スペース・ラブ



日にちは遡って、征士が柳生の屋敷を訪れた日の話だ。
記憶を解析した映像を見たことはあるかという博士の問いに、征士は首を横に振った。
時折当麻が解析の手伝いをしているのは知っているし待ち時間を共に過ごすのはいつもの事だが、征士がその場に立ち会った事はない。
人の記憶を見るというのは、やはり個人情報の面から見ても慎重になった方がいい。だから決められた人間以外は立ち会う事を許されない。
尤も他人の記憶になど然程興味のない征士からすれば、立ち会えと命令でもされない限りその場に参加しようとは思わなかったのだが。

それはさて置き、人の記憶だ。
征士が持ち込んだチップを老人は慣れた手つきでモニターに繋ぎ読み込んでいく。
その間にしてくれた話がある。


人の記憶を映像化したとき、いくつかの層となって現れる。
人によって数に違いはあるが、大体7層から15層くらいまでというのが最も一般的だそうだ。

表層部にある記憶は色彩も音声も鮮明で、まるで高画質の記録メディアに録画したような映像なのだが、深層部に近付けば近付くほど
色味は薄れ、音声も不鮮明になっていく。
所謂、無意識の領域にあるものがこれに当たる。
この不鮮明な映像として現れるものの中にトラウマの原因があったりするものだと老人は付け加えた。
ついでに言えば、人に催眠術をかけたときに残された言葉や誘導した者の手の動きなどもその深層部の映像になって現れる。

記憶をただ見るだけならば、誰にでも出来る事だ。
では解析部門の人間が何をしているかと言うと、深層部に入り込んだ、不鮮明な記憶を読み取ること。
そして、改竄された痕跡の残る箇所を見つけ出す事が彼らの主な仕事だった。

記憶の改竄。しようと思えば技術がないわけではない。
高度な技術と時間を要するのだが、できる人間は皆無ではない。
ある部分の記憶を消して他と繋げるものと、元の映像に物でも人でも何かを付け加えるというのが尤もメジャーな手段ではあるが、
それさえも痕跡を見つけることは中々に難しい。
解析部門の人間はその分野のエキスパート揃いとはいえ、かなり巧妙なものとなるとその痕跡に気付けるのは実は那唖挫くらいしかいない。
他で探すとすれば、部門は違うものの当麻がそうだ。
こればかりは目を養うだけではどうにもできず、違和感を嗅ぎ取る嗅覚が必要になってくるため、すぐに習得できるものではない。
だからテロリストを大量に連れ帰ったときなどは人手が足りなくなるために当麻が呼びだされるというわけだ。


さて、その部分消去による改竄だがこれは本当にその部分の記憶を消してしまうので二度と戻すことも、本人の意識に刻むことも出来ない。
都合の悪いものが記憶に残っている場合に施される手段は、結果として記憶の持ち主に一時的な記憶喪失という形で残される。
それはそれで厄介だが、それよりも面倒な物がある。
表層部にあった記憶を深層部に沈めてしまう方法だ。
色味を落としていって音声も劣化させていくそれは、逆の事は今の技術ではまだ実現されていないというのを征士はその時に教えられたが、今は置いておく。

兎に角、元は鮮やかで本人も認識している記憶を奥底に沈めるとどうなるか。
似たもので言えば、暗示をかけられたような状態になる。
例えば犬が怖い人間に、犬が可愛いと思えるような映像を見せたとしよう。
その記憶が表層部にあるうちは幾ら本人が可愛いと思っても、どこか恐怖心が勝ってぎこちなくなる。
ところが可愛いと思った記憶を深層部に埋め込むと、息を吸うのと同じような感覚で犬が可愛いと思えるようになる。
勿論犬嫌いになってしまうような、トラウマになったような過去がある場合はそちらを消去してやらない限り、相反する感情を抱えて
精神的に不安定になってしまうが、そういった事がない場合、普通に最初から犬が好きだと思えるようになるというのだ。

これを応用すれば、大袈裟に言えば人の心や行動を操ることも出来てしまう。

例えば、知らない誰かをさも知っていたかのように、そして何の感情も持っていなかった相手を、憎むように仕向ける事も。





バダモンが振り返った先に立っていたのは豪奢な金の髪に、紫の瞳を持つハンターだった。
それに悲鳴を上げなかったのはこの場を仕切っているというプライドか、それとも単に驚きすぎたのかは謎である。

征士はその性格は兎も角として身に纏う色彩も、そしてその容姿そのものも派手の一言に尽きる男だった。
その彼が議長の立つ席に辿り着くまで誰もその存在に気付かなかった事に、部屋に居る人間の全てが我が目を疑っている。
それだけバダモンに集中していたという事にしたとしても、それでも背後に立って声を出すまで気づかない筈がない。
なのに、誰一人として征士の登場に気付かなかった。


「………どうして、…いや、…何故、」

「シカイセン議長を運ぶのは確かに急いだ方がいいだろうが、記憶の解析を行うのなら那唖挫のいる明日以降にしてもらおうか。
それからバダモン議長、先に質問したは私だ、答えろ。これは人の記憶を解析したものだが、これを態々改竄した理由を聞かせてもらいたい」


そう言ってディスクを彼の目の前に突きつけた。


「中身は、ある職員を夜道で襲った人物の記憶だ。最近連続した連中と違って既に釈放されているし、本人の供述にも不審な点が
見当たらなかったために改めて調べられることはなかったのだが、どうしても気になって先日、調べなおさせてもらった」

「…調べなおし…?しかしその彼のデータは既に調べて保存した後だったはず。今更、」

「確かにベース内にある物は上書き保存されていたから、記憶は新たに取り直した。解析もある専門家に依頼した」

「………専門家…?」

「ああ。脳の解析じたい、彼の考案だからな」


内心、狼狽えていたバダモンだったがその言葉である人物に思い当たり、そして冷静さを取り戻す。
記憶の解析を最初に始めたのは、柳生という博士だ。
そしてその男は今目の前にいる美丈夫の恋人とは長い付き合いの人物でもあった。


「態々かの人の許を訪れたというわけですか」

「別の用事があったから、そのついでだ」


意味ありげに口端を上げた征士に、バダモンも僅かに笑みを返す。


「話を戻すぞ。何故、態々彼の記憶の一部を表層部から深層部に移した」

「……さあ?何を仰っているのかよく解りません」

「記憶の持ち主である本人でさえ解らないように、それでも無意識下には残るように、襲撃依頼をされている記憶を深層部に沈め、
しかもご丁寧にその記憶の映像自体も上から手を加えてあったのは何故だ」

「ですから意味が解りません。それに此処に何故、あなたがいるのです。一介のハンターでしかないあなたには此処への入室許可がないはずです」

「許可なら得ている。それよりも答えろ。沈められた記憶にあなたが映っているのは何故だ」

「……………私には身に覚えがありません。深層部と言いましたがその映像はよく確認したのですか?本当に私だったのでしょうか?」

「最初に拾える映像として残っているのは、シカイセン議長だ」

「ならば、」

「だがそれはシカイセン議長ではなかった」


映像が粗いために何度も解析を繰り返した結果、男の視点から正面に座っていたのは確かにシカイセン議長だった。
だが違和感があった。だから征士はその根拠を何度も考え抜いた。


「映像を被せたから、違和感があったのだ」

「ほお?」

「これがプリントアウトしたものだが、」


そう言ってバダモンの目の前に1枚の紙を置く。
殆ど白くぼやけた画像は、だが確かにシカイセンの姿を映し出していた。


「……この妙な髭はシカイセン議長の特徴でしょう?」

「だが彼の口元を良く見ろ」

「………?」

「顎の辺りが自然すぎる」

「………益々言っている事が解りませんね」


バダモンは心底解らないという顔をした。
演技かもしれないが、していた。


「シカイセン議長は、入れ歯だ」

「……………は?」

「彼は入れ歯をしているが、サイズがあっていないのか何なのか、噛み締めるといつも顎の辺りに不自然な皺が寄っている。
試しに他の映像の彼と比較したが、それはいつもだ。なのにこの映像の彼は歯を噛み締めているのに、その皺がない。
どうやら 元の映像の人物は自前の歯らしいな」


以前当麻が、半ばふざけて寄越した情報を征士はきちんと覚えていた。

征士が指差したあたりは、確かに皺がない。
シカイセンの周囲に居た議長や担架を持ってきた警備員は、その言葉に思わず気を失っている老人を見た。
苦悶の表情のまま口元を引き攣らせて倒れた彼は、歯を食いしばったまま仰向けに倒れている。
確かにそこに不自然な皺が1本、大きく走っていた。


「その映像の奇妙な点を剥がしていけば、下にあったのはあなたの姿だ。これはどういう事だ」

「…………………」


始祖ともいえる柳生の手を借りてその部分の解析を進めてみると、始めから記憶を深層部に沈めるつもりだったのだろうか、
シカイセンの姿への修正は随分とお粗末で、言葉を選ばないでいいのなら「手抜き」という言葉がピッタリな代物だった。

そこに思い当たるものがあるのだろう。バダモンは黙りこくる。


「まあいい。ところでこの男が職員を襲った夜、解析部門のチーフである男が不在だったのは偶然か?」

「……職員の都合など私は知りえません」

「ではここ最近、襲ってきた連中の解析の日に、何故いつも彼の出張が重なっている?それは今日もだ。何故、その日にシカイセン議長の
解析を急ぐ?大事なことだ、那唖挫が帰ってきてからのほうがいい筈だ。そもそも彼の出張の原因はあなたの提案ではなかったか?」

「……………」

「細かい部分にまで気付く聡い彼がいては何か不都合があるのか?」


ここまで言った征士は、確証はないが解析部門にバダモンの息のかかった者がいる可能性も考えていた。
でなければ彼らだって無能ではないのだから、どれか1つくらいは不審な点を見つけているはずだ。
ただこれにはまだ決め手となるものが何もない。
余計な嫌疑をかけて要らぬ面倒を増やすわけにはいかず、相手からの自白を待つしかなかった。

上から見下ろす形で征士が目で問い詰めると、バダモンが自前の奥歯を噛み締めたのが頬の筋肉の動きで解った。
そこには不自然な皺など寄っていない。


「……………………糾弾しようというのですか」


だが彼はただ征士に言わせ続けたわけではなかった。

征士はハンターだ。そしてバダモンは議長だ。
仮に糾弾しようというのなら、バダモンが議長である限り、征士も同じく議長かそれ以上の地位についている必要がある。
一介のハンターにそれは許されていない。つまり、違法行為に当たる。
たとえ彼の言うとおりだったとしてバダモンが議長の職を解かれたとしても、糾弾されている時点では未だ議長だ。
ついでに言えば許可を得たと言っているが今回の議会を仕切っているのはバダモンで、その許可を与えるのも基本的には彼がする。
その彼に許可を出した覚えがない以上、征士が此処にいる事も立派な違法行為だ。

要するに征士の言っている事が正しかろうが正しくなかろうが、征士は今この場で2つの罪を犯した事になる。



いい状況だ。
バダモンは薄汚い笑みを浮かべた。

当初の予定と随分違ってしまったとは言え、筋書きに変更はない。

罪を犯している以上、征士は捕らえられるし罪に問われる。
そしてその裁量は今、糾弾されている立場のバダモンに与えられる。
それを軽くするのも重くするのもバダモンの言葉一つという事だ。

大方、恋人のために彼は行動に移ったのだろうとバダモンは読んでいた。
それはそれで大いに結構だ。
元の予定では彼にはいずれ殉職してもらおうと思っていたが、愛する人の為に一生牢獄に繋がれているというのも中々のシナリオだ。
自分のために恋人は罪を負い、彼とは一生会えないその苦しみを当麻に背負わす事が出来る。
ならば自分のしてきた事をここで公表され、議長としての地位を失おうとも一向に構わない。

バダモンの狙いはただ1つ。
当麻を使って政府に関心を引かせ、最終的にテロリストたちを根絶する事にあるのだから。

逆に征士がここで引き下がっても結果は同じだ。
許可なく議会に入ってきてしまった以上、彼が罪人である事に変わりはない。
証人ならこの部屋には山といる。


「それが事実かどうかはさて置いて、私を糾弾しようというのですね?」


自信たっぷりに問うた。
彼の返事がどうあれ、結果的に勝ったのは自分だという自信がバダモンにはあった。


「そうだ」


淀みない返事に、部屋の誰かが息を飲んだ。


「…私が議長と知っての発言ですか?」

「そうだ」

「これは傑作だ。あなたは恋人のために、一介のハンターの身でありながら私を糾弾しようというのですね!?」


相変わらず演技がかった言い回しでバダモンは言いきった。
彼が恋人のために、自分の事を顧みずに行動したという事を印象付ける必要があったからだ。


「恋人のためというのは合っているが、一介のハンターというわけではない」


だが征士の言葉でバダモンの表情は強張った。


「………なに?」

「だから、私はもうハンターではない」

「………何を言っている?」

「内部調査室に異動になった」


バダモンは、異動、という言葉を飲み込んでから、次に内部調査室という言葉を飲み込んだ。
内部調査室は表に出ていない部署だが、その存在は前々から噂としてあった。
人の口にその名が上る時、名前は微妙に違っている事が多かったがそれでも当てずっぽうで言えば当たらない事はない。

そう考えて、征士がハッタリをかましていると判断した。
何故なら調査室室長である自分はそんな話を一切聞いていない。


「…それは嘘ですね」

「嘘ではない」

「いいえ、嘘です。何故なら私こそがその内部調査室室長であり、その私の耳にそんな異動の話は届いていない!」


語気を強めた。
こうなっては仕方がない、調査室の存在も、そしてその室長であることも明かしたほうが有利だ。
たとえ周囲に判断がつかずとも、総長と補佐官はこの事を当然ながら知っている。
任命されて20年と少しになるが、任命してくれたのはこの場にも居る補佐官なのだから。
この場で彼らに確認すればすぐに返事は貰え、そして征士の嘘はすぐにバレる。

その自信があったのに、何故か征士に動揺した様子がない事で逆にバダモンが少し焦りを覚えた。


「…………何ですか、その落ち着きは」

「私が異動になったのは今日の正午だ」

「…………内示を、私は受け取っていません」

「急な人事だったからな」

「そんな言い訳が、」

「そう言えばもう1つ異動があったな」

「……………なに…?」


嫌な予感がした。
総長席に視線を送りたかったが、体が石になったように動かない。
バダモンの視線は、目の前の男に固まっていた。


「もう1人、私と一緒に今日の正午で内部調査室に異動になっている人間が居る」

「………な………ん、だと…?」

「確か彼は内部調査室の室長に就任したはずだ」

「………………馬鹿な……っ」

「まあ要するに私のボスはあなたではないという事だ。私の内示を受け取ったのも彼だったな、そう言えば」


なんなら補佐官どのに確認してみるか?と征士は冷たく言った。
そこで漸くバダモンは総長席に控えている補佐官の方に首を向けた。

まさか。そう思いながら。

すると補佐官は黙って首を縦に振った。
ゆっくりと、控えめだがハッキリと。


「そんな……っ!私は聞いていない!!」

「急な人事だと言った。それこそ調査のために明かすことも出来んほどにだ」

「しかし今日の正午であるならば、貴様がさっき話していた男の記憶を外部に依頼した事は違法に当たるのではないのか!!」

「やっと本性を見せたか。…これも調査の一環として、事前に許可を得ているものだ。何の問題もない」

「そんな……、そんな…そんなっ!」

「兎に角あなたは今はただの議長だ。室長ではない。そして私は調査室のメンバーだ。あなたが政府を欺いていた以上糾弾する権利、
否、義務が私にはある」


背筋を伸ばした征士はその容姿も手伝って、迫力がある。
腰の曲がった議長には尚更だった。


「新しい室長を紹介してやろうか……?今日の正午に、私と一緒に異動になったのは、」


羽柴当麻だ。




静まり返った部屋に、征士の低い声が響いた。
さっきまで凍りついたかのように瞬きさえ忘れていた人たちが、一斉に当麻の方を向く。
その中には、驚きに目を見開いた悪奴弥守の視線もあった。

冷静な眼差しでそれまで全く表情を動かさなかった当麻が、ここで漸く口端をぐいっと持ち上げて笑みの形を作って。


「どうも、オペレーションルームから異動になりまして内部調査室室長に就任した、羽柴当麻です」


青い髪の天才は、実に爽やかに挨拶をした。




*****
引継ぎが大変だったと当麻は言っていました。