スペース・ラブ
「シカイセン議長、説明を願えますかな」
その言葉を受けたシカイセンが悶え苦しみながら倒れるのを、バダモンは大声で笑い出しそうになるのを必死に堪えて見ていた。
バダモンはテロリストに並々ならぬ憎しみを抱いていた。
遠い過去、愛する妻と一番末の愛しい我が子の命を奪った彼らが憎くて憎くて堪らなかった。
18年前、研究者とハンター6名を乗せた船に起こったマシントラブルによって両親を失い、1人取り残された子供がいると知った時も
胸が苦しくて仕方がなかった。
自身も家族を失っている身という事もあり、居ても立ってもいられなくなったバダモンは彼を迎えに行くと自ら名乗りを上げた。
校長に連れられてきた少年はまだ幼く、細い手足は大人の庇護が必要な年齢であることを如実に伝えている。
両親の身に何が起こったのかを伝えなければと思ったが、胸が苦しくて言葉を繋げる事が出来ない。
車に乗るよう勧める以外、何も言えずにいると、少年は黙って自分の後ろをついてきた。
移動する車中で一度その小さな手を握ったが、あまりに小さくか細いその手は、一層バダモンの胸を苦しめた。
幾ら思想があろうともテロが卑劣な行為に変わりはない。
こんなにも幼い子供から、いとも簡単に親を奪える彼らに同情などできない。
バダモンの中のテロリストに対する憎悪は増すばかりだった。
少年のためにも真相の解明を急いだバダモンは、マシントラブルの原因が内部の仕業によるものだと気付いた。
そしてその裏にいるのがシカイセンだという事にも。
彼は以前からテロリストと繋がっているのではないかと噂があった存在だった。
表に向けて発した事はないが、その頃からバダモンは議長のほかに内部調査室の室長という顔も持っていた。
議長以上のポストの人間はそれと同等以上の地位のある者でなければ糾弾する事が出来ない。
だが彼らは派閥を作り互いを補い合っている。
それを調べ、突き崩すのが内部調査室の仕事でもあったが、バダモンはそれらをある程度は容認している面があった。
派閥というものが必要になる事もあったし、それに何より彼自身の情熱の大半はテロリストの撲滅に向けられていたからだ。
しかしシカイセンがテロリストと繋がっているとなれば話は別だ。
だが幾ら調べてもその証拠はなく、バダモン自身も疑わしきは罰せずの精神でそれ以上彼を調べたりはしなかったのだが、直接手を下した者の記憶を
見てみれば何やら記憶自体を改竄した痕跡がある。
それをしつこく調べると、そこには指示を出すシカイセンの姿があったのだ。
テロリストは憎い。そしてそこに繋がる者も。
バダモンはそこである事を考えた。
シカイセンを利用し世論を味方につけテロリストを一気に追い詰める方法を。
しかしそれには贄が必要になる。
そしてそれは既に彼の頭の中にいた。
例の研究者とハンターの1人息子だ。
彼の目元は愛嬌があるといわれていた父のものに似て、それ以外のパーツは美しいと評判だった母に似ていた。
使える。そう思った。
先ずシカイセンに例の記憶に残されていた映像を見せ、共謀することを持ちかける。
彼は政府に一矢報いるために、そして自分は世間の注目を政府に集めるためにと言って。
その一方で少年の存在をさり気なく世間にアピールし、如何にテロが凄惨なものかという事を訴えかけた。
それは見事に功を奏した。
お陰でほぼ拮抗していた政府とテロリストたちへの評価は一気に傾きを見せた。
だがそれだけでは終わらなかった。
少年が、将来は政府で働きたいと言っているというのだ。
父親譲りの頭脳、そして母親譲りの身体能力。
生い立ちにしても容姿にしても文句なく、少年は使える存在だった。
彼が士官学校に入りハンターとして採用されるまでの間、バダモンはシカイセンに話を持ちかけ何度も船の捜索を邪魔させた。
彼が、羽柴当麻がハンターとして両親の遺体と再会する事に、意義があるのだ。
それまでの間に船が回収されては社会的に大きな効果が望めない。
だからバダモンは、テロリストとも密かに繋がりのあったシカイセンを利用し続けた。
運は更にバダモンに味方した。
士官学校に入った当麻が、あるシステム案を政府に対して出してきたのだ。
それは今までは成し得なかった超遠距離でも使える操作技術と、そしてそれに伴う予算案だった。
まだ学生でありながら充分に通用する内容のそれを見て、バダモンは一日も早く彼を正規採用できるよう上に働きかけた。
頭脳も身体能力も元より問題がないのだ。
その訴えが通るのにそう時間はかからなかった。
そして当麻は4年の歳月をかけて船を回収し、両親との再会を果たした。
だがここでも運はバダモンに味方した。
彼の両親が、例のウィルスに感染していたのだ。
世間の目を政府に向けるにはそれだけでも充分だったというのに、当麻自身が両親を献体すると言い出した。
その上薬の開発までやってのけた。
これ程いい存在はない。そう思った。思わず全身が痺れるのではないかと思うほどに、そう。
後は彼の生い立ちや経歴を大々的に公表して…と思ったのに、そこで躓いた。
当麻が頑なに表舞台に出る事を拒んだのだ。
何度か説得は試みたが、当麻が首を縦に振る事はなかった。
バダモンは一度は諦めた。
いや、諦めたフリをした。
公表する資料はそれとなく同情を引くような構成にしておいたし、当麻自身が引退すると言っていないのだ。
時間は幾らでもある。折を見て説得していけばいい。
そう思っていた。
薬にはT-54739451という数字の並んだ名が与えられていたが、そんな堅苦しく覚えにくい名では世間に浸透しない。
だから俗称を与える事にした。
シンプルで事実に則って、どこか野暮ったい名。
”スペース・ラブ”という俗称をそれに与えたのはバダモンだった。
それは成功した。
世間ではその名の方が広く知れ渡り、そしてその名の由来を調べた者達の口を伝って過去の悲劇もそこそこに広まった。
当麻自身に傷付いた様子が見えたがそれは寧ろバダモンには大歓迎だった。
傷付き苦しみながらも、それでも人々のために日夜働き続けている、整った容姿の青年。
それだけで十分な宣伝効果は見込めた。
後は当麻本人を口説き落とせばいいだけだった。
ただその糸口が掴めない。
賢いと思っていた彼はこちらの予想以上に賢く、巧みにその話題を避け続けたのだ。
どうしたものか。
そう思っていたときに、あるハンターを見つけた。
地方に所属している彼は、壮絶なまでの美貌を持っていた。
戦績を見れば可もなく不可もなくといった風だったが、案外何かあるかも知れない。
そう思って彼を本部での研修に参加させた。
初日はデータどおりの結果しか彼は残さなかった。
だが何があったのかは知らないが翌日から目を見張るほどの結果を残し続けた。
ただその1度では本部に呼ぶための説得力に欠ける。
だからその後も何度かそのハンターを、怪しまれない程度に研修に参加させ続けた。
そして4年かけて、漸く彼を本部所属にする事に成功した。
そのハンターは伊達征士といった。
悲劇の天才と美貌のハンター。
最初の担当は必ずオペレーションルームのチーフが担当する決まりになっている。
その後どうやって彼らを近づけようかと画策していたが、その必要はなかった。
ハンターの方が天才に執心するようになっていたからだ。
それにバダモンは満足していた。
これで彼らが親友、いや、それ以上の関係になってくれれば完璧だと思っていた。
ベース内でも噂は幾つも出ていた。
彼らが親しい。彼らが付き合っているのかも知れない。
それを耳にしたバダモンは、実験的にある男を使って当麻を襲わせてみた。
事がどう動くかと見守っていると、それから暫くもしないうちに彼らは更に仲を深めていた。
これは使える。そう思った。
幼い頃に両親を亡くし、再会した両親を献体に出し薬の開発に成功した青年は、深い孤独を背負っていた。
その青年が漸く心を許せる人を見つけ、そして。
そしてその人も、任務中の事故で失えば、それを世間はどう見るだろうか。
哀れな青年を、そしてそれでもまだ彼が戦おうとするテロリストたちに対して、世間はどう見るだろうか。
使い古されたシナリオではあったが、そういう物にこそ人は惹かれるものだ。
きっと恋人を失っても当麻が引退すると言わないことをバダモンは解っていた。
だからこそ彼らの関係がもっと進展すれば、いつかはそれを実行しようと思っていた。
その為には先ず、彼ら自身がある程度注目された存在でなければならない。
そこでまたシカイセンを利用する事にした。
彼は政府自体を憎んでいる。
政府の殆どを記憶している青年をある程度目立つ位置に引きずり出してから始末すれば、それは政府にとって痛手であり、
汚点にもなるはずだ。そう言って。
シカイセンは面白いほど簡単にその話に乗った。
そこでバダモンは先ず手始めとして、過去の音声ファイルを流出させる事にした。
勿論、直接手を下したのはシカイセンだ。
ただ彼はターゲットとなる青年を憐れんでいる節があった。
だから態と彼に出張させようと言い出した。彼が近くに居ると思うと罪悪感で実行できないと言って。
バダモンからすればそれは本当はどうでも良かったが、一応は共犯者なのだ。
彼の意見も聞いておく必要がある。だからバダモンは当麻に出張を言い渡しにいった。
ちょうどいいタイミングで彼とペアを組む美貌のハンターの故郷での案件があったのだ。
元々行き先はどこでも良かったから、まあいいかとそこを選んだ。
その選択は正しかったようで、彼らがどうも親密な関係になったらしいという噂がベースのあちこちで囁かれるようになっていた。
バダモンはこれに深く満足した。
順調に描いたとおりのシナリオを進んでいる。
そうなれば次はいよいよ彼ら2人の存在をもっと表舞台に引っ張り出す番だ。
シカイセンを通して繋がりのある連中を頼り、何人もの人を使って彼ら2人を襲わせた。
見目のいい彼らだ。
思ったとおりに2人は世間の注目を浴び始めた。
流した音声ファイルの効果も充分にあった。
しかしこうなってくると今度は内部犯の可能性が誰の目にも強くなってくる。
襲撃者のことも含め、犯人が挙げられないようでは内部調査室室長の顔を持つバダモンの立場が危うい。
そろそろシカイセンを切り捨てる時か。
そのための準備にバダモンは取り掛かった。
部下である悪奴弥守を使い、シカイセンを見張らせる。
この男は何を考えているか解らない部分もあったが、仕事はきちんとこなすので概ね信用できる。
その一方で何やら当麻が動いている事も気にはなっていた。
だが大きく動いている様子は見受けられない。
悪奴弥守からも特に報告がなかったのでそれは追々調べるとして、今は兎に角シカイセンを切り捨てる日をいつにするかに集中した。
そして結局、その大舞台の日を報告会の日に決めた。
それが、当麻が狙っていた日だとは知らずに。
だからバダモンは全て自分の思惑通りに事が運んでいると信じきっていた。
世間の目はある程度彼ら2人に集まっていたし、切り捨てるべき駒も充分に利用させてもらった。
必要になれば他にも利用できそうな議長はいるものだ。
シカイセンの代わりを用意する事は幾らでも出来る。
だからそう思っていたバダモンは悠長な、しかしどこか毅然とした態度で、
「シカイセン議長を誰かお運びしなさい。彼には説明してもらう義務があります。意識がないのならそのまま解析に回して結構です」
と言った自分の背後に誰かが立っているだなんて気付きもしなかったのだ。
いや、その部屋にいた誰もが気付かなかった。
気付いていたのは彼がそこに来る事を知っていた当麻と、柱の陰からその様を眺めていた悪奴弥守だけだった。
「解析は明日にしてもらおうか。それとバダモン議長、あなたにも説明をして欲しいことがあるんだが…いいか?」
低い声はバダモンの背後の、腰の曲がった彼の上あたりから聞こえた。
*****
18年前から始まっていた計画。