スペース・ラブ
その議長は焦っていた。
先日、狙撃を任せておいたロレンスからの返事がない。
否、元々彼はこの任務が終われば”記録”が持ち出されることを避けるために自ら脳を撃ち抜いて自害すると言っていたのだから、
返事は元よりないのだろう。
だがおかしい。
予てより議論されてきた今年度の予算や政府の方針を発表する今日の議会に、ターゲットだった当麻の姿を見つけた。
それよりも前にニュースになっていなかったのだから、狙撃が失敗に終わったことを知っていた。
だが、それでもおかしい事がある。
彼が墓参りに行った日、どちらにせよロレンスの遺体を回収必要があった為に人の手配をしておいたのだが、向かった連中の誰もが、
そこにはもう誰もいなかったと言うのだ。
逃げたのだろうか。それならそれでも構わなかった。
当麻を狙うチャンスは彼らからすればあと何度かはあるのだから、何も無理に彼に押し付ける必要はない。
その議長にとってロレンスは駒であると同時に、大事な同志でもあった。
自分と同じく鬼になると言ってくれただけで嬉しかった。
だから人の命を奪う事に直前で怖くなって逃げたのであれば、それは構わなかった。
だが、そうではない。
現場に向かった誰もが言う、血痕があったというのが気にかかる。
正しくは、ロレンスが狙撃より前に何者かに始末され、その遺体を持ち出されたであろう事が解るから、気にかかるし焦ってしまう。
一体誰が。
最近、妙に動いている羽柴当麻本人が、だろうか。
己の身を守るために、番犬でもある恋人に始末させたのだろうか。
そうなれば自分の計画も今までしてきたことも、全てが表に出てしまう。
しかし仮にそうだったとしても議長である自分を、幾ら中心部に関わった人間とはいえオペレーションルームのチーフでしかない彼が
糾弾する事などできない。
可能性があるとすれば、あるのではないかと噂されている”然るべき部署”に彼が所属している場合だ。
もしそうだった場合、自分は間違いなく糾弾されるだろう。
だがどうもそうは思えない。
もしも彼がその立場にあったのなら、目立ってないだけで幾らでもその対象になる議長は存在している。
内部告発はとっくに彼らにも行われている筈だ。
彼はそういう性格の人間だし、どの派閥にも属していないのだから。
では一体、誰が、ロレンスを、何のために。
しかし、どちらにせよ誰かがロレンスを殺害し、その遺体を持ち出した。
恐らく脳の解析は済んでいるだろうから、自分が糾弾される日は近い。
そう思うと悔しかった。
もう少しで政府に、組織としても世間体としても痛手を負わせる事が出来たはずなのに、その手前でまさか自分が追い詰められるなどと。
その議長、…シカイセンは焦っていた。
議会は滞りなく進んでいく。
この議会と、そして半年後に行われる報告会は政府が持っている放送権利を使って、政府の管理下にある全エリアに放送されている。
朝の10時に始まって昼の12時で終了するそれは、タイムキーパーがついており毎年きっちり時間内に全行程を終えるよう秒単位で管理されていた。
シカイセンも勿論発表する内容はあったが気が気ではなく、自分の内容でさえマトモに終える事が出来たのか自分でも解っていない。
周囲が別におかしな顔をしなかったので恐らく失敗はなかったのだろうとは思うが、その視線の中に当麻のものがあると思うだけで足が震えた。
当麻の席は他の議長も座っている一角にあった。
本来この議会に出席できるのは総長を始めとする各エリアの議長、そして政府が所有する幾つかの機関のトップのみだ。
だがハンターベースに関して言えば群を抜いて規模が大きいために、幹部数名が揃って出席している。
その中に当麻もいた。正確には彼は幹部ではないのだが、それでも出席するよう上層部から直々のお達しで毎回そこにいる。
シカイセンの席の、斜め後ろのあたりのある一角。
そこからあの冷静な青い目が自分を見ているというだけで、震える。
賢い彼だ。此処最近の襲撃が自分の手によるものだという事に気付いているだろうと思うと、シカイセンはそちらを振り向くことさえ出来ないでいた。
チャンスは未だある。そう自らに言い聞かせても、やはり彼に策を練る時間を与えるのは賢明ではないと解っているから、震える。
「では、以上を持ちまして議会を閉会いたします」
進行役のバダモンの声が響いた。
シカイセンは全身の力が抜けるのを感じて、どっと疲れた。
緊張で渇いた喉を、各席に用意されていたミネラルウォーターで潤す。
糾弾があるとすればこの議会中の可能性が高かっただろうから、少なくともそれは免れたようだ。
自分が糾弾されるのは覚悟出来ても、エリア全体の人間全てを対象に言われるのは心苦しい。
この件については、自分が言い出したことなのだから。
何事もないように装いながら、席を立つ準備をする。
先程のバダモンの声を最後に放送は切られているから、どの議長も思い思いに身体を解していた。
「ところで」
そこに再びマイクを通したバダモンの声が響いた。
全員、何事かと仕草の途中で彼を見ている。
シカイセンだけは嫌な予感がして、乾いた掌に汗を滲ませた。
「この場で少しお話したいことがあるのですが、お時間を頂いてもよろしいですかな?」
その声には有無を言わさないものがあった。
年長の部類に入っている彼の申し出に反対するものは誰もいない。
「つい先日、私の元にあるデータが届きました」
細い目は何処を見ているのか解らない。
だが何となく、部屋全体を見渡したのは解った。
「誰かが誰かを狙撃しようとしている。そういう記憶の映像がありました」
バダモンの物言いは普段から遠まわしな所がある。
早く本題に入れという空気を誰かが見せたが、それでも彼の話は続いた。
それは政府が管理している墓地を狙っていた。
狙われていたのは此処最近で集中して狙われることの多かったある職員で、けれどその直前で何者かによって計画は阻止された。
一体何があったのだろうか。一体何故、その職員は狙われていたのだろうか。
狙撃手の記憶の中に何か手がかりはないかと解析を勧めていくと、ある議長の姿が残されていた。
バダモンは、非常に嘆かわしいことです、といつものようにオーバーに言った。
狙われた職員についての名は最後まで出さなかったが、それは政府の関係者なら誰でも気付いている事だったから、自然と視線は当麻に集中する。
放送の為に入出を許可されていたカメラスタッフ達も許可が下りるかどうかは解らないが、それでもスクープだと、過去にニュースで流れていた
青い髪の人物を探してそこにカメラを向けていた。
当麻は冷めた青い目で、何の感情も口端にも乗せずにただ前を向いて座っていた。
「シカイセン議長」
名を呼ばれ、シカイセンは自分の足から完全に力が抜けるのが解った。
裏切り者。
そう言いたかったが喉が巧く音を作ってくれない。
世間の目を政府に集めたい。そう言って、その部分に関しての利害関係は一致していたではないか。
そう言ったのはお前ではないか。
だからワシは、それに乗ったというのに、お前は。
裏切り者。
だが年老いた喉は巧く機能してくれなかった。
「何故、狙撃手の記憶の中にあなたが居たのでしょうか」
渇いた皮膚の上を、じっとりとした汗が噴出していくのが解る。
「何故、あなたは彼にその職員の写真を見せ、殺害するよう指示していたのでしょうか」
決して老いが理由ではなく彼の手足は激しく震えた。
「気になってここ最近の襲撃者達の記憶を検めてみたところ、何故、全ての記憶の中にあなたの姿があるのでしょうか」
シカイセン議長、説明を願えますかな。
そう言ってバダモンは黙った。
視線は真っ直ぐにシカイセンを見ている。
周囲の視線も同じように当麻から彼へと向ける先を変えていた。
どの目も、冷たく、非難を浮かべている。
裏切り者。裏切り者、裏切り者、…裏切り者。……。
裏切り者………!!
最初からバダモンは自分を捨て駒にするつもりだったのだと気付いたシカイセンは、血液が一気に沸騰する感覚を味わった。
同時に周囲からの無言の非難に息が苦しくなる。
渇いた喉は巧く言葉を繋げてくれない。
裏切り者。
そう叫んであの男の化けの皮を剥がしてやりたいのに、巧く言葉が出ない。
息が苦しくなってくる。
目の周りが熱い。涙が出るのとは全く違う感覚で、熱い。
息が苦しい。
酸素が上手く体に入ってこない。苦しい。
手足に力が入らない。
体が重いのか軽いのかさえ解らなくなってくる。
シカイセンは喉を掻き毟りながらも漸く当麻のいる方向を振り仰いだ。
彼がどんな目で自分を見ているのか、確認したくなったのだ。
憎しみだろうか、哀れみだろうか。
それとも嘲りだろうか。
ふらつく身体に鞭打って必死に彼の席へと向き直る。
斜め後ろ方向にいる青い髪の青年は、シカイセンの事など見向きもしていなかった。
ただ真っ直ぐに前を向いて、バダモンの事に集中している。
周囲の視線が自分にあった事も、カメラが全て自分を捉えていた事も全て気にした様子がない。
珍しい色をした瞳は表情をなくせば冷たい印象しか与えないのだが、その目は今、ただ真っ直ぐにバダモンだけを見ていた。
2つの冷たい青はしっかりとした意思を持って、強い眼差しで前だけを。
「……………っ…」
シカイセンは倒れる寸前に薄い笑みを口端に浮かべたのだが、周囲には苦しさから引き攣っているように見えたのかも知れない。
だが最早どうでもいいことだった。
あの哀れな青年が真実に気付いている。それだけでもう、充分だった。
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断罪の青。