スペース・ラブ
柳生の屋敷を出た征士は興奮で早くなりそうな足を必至に抑えつつ、当麻を迎えにベースへと向かった。
エントランスに入った時にタイミングよく胸ポケットに入れていた電話が鳴る。相手は当麻だった。
終わったから迎えに来てーと言った彼は、見上げるとエントランスと中庭が見える例のスペースに座っている。
征士が振り返るよう言うと電話を手にしたままの彼が振り返り、そして一瞬驚いた後で嬉しそうに手を振っていた。
2人はそのまま真っ直ぐには帰らずに、彼らが初めて会ったバーに立ち寄った。
あの件以来、実は一度も訪れていなかったが、それでも店の暖かな雰囲気は何も変わっていなかった。
「……本当に誕生日プレゼントになったんだね」
マスターが嬉しそうに笑って言ってくれた。
2人が一緒に居る事に驚きを見せなかったあたり、彼もニュースの映像を見たのだろう。
彼らを知っている人間が見れば、幾ら映像が粗くともそれが誰かすぐにわかる。
それでもその事には一切触れず、それこそ本当に「大丈夫ですか?」という心配の声さえかけないの事に、征士も当麻も有難く思っていた。
この店では誰もが誰でもない。
ただこの店の酒と料理が好きで、そしてこの店の雰囲気が好きで集まっているだけの客仲間という店。
若しかしたら隣に座っている見知らぬ女が、翌日にはテロリストとして2人の前に立つ事になっても今は関係ないし、相手も知ったことではない。
勿論それが指名手配中の人物ともなれば話は別だが、それでも店内で事を起こそうという気にはならない。
相手が店を出るまで待って、そこで初めて対峙する。
店の中ではあくまで、誰でもないままにしていたい。そんな気にさせてくれる店だった。
腹が減ってたまんない、と言う当麻は頼んだグラタンが出てくるまでの間を先に出されたミモレットを食べてやり過ごし、それが空になると
今度は征士が自分の分を彼に差し出した。
それを見ていた他の客に優しいねーとからかわれ当麻は耳を赤くし、俺は成長期なの!と言い張ったが彼の実年齢はとうにバレている。
見た目だけで言えば20代前半、下手をするとまだ学生ですと言っても通りそうな当麻だが、何せこの店で20代最後の誕生日を盛大に
祝われた過去があるのだ。
今更そんな嘘をついても無駄というものだった。
「彼は料理が上手なのかな?」
マスターの問いに、何故か当麻が誇らしげに首を縦に振った。
「何でも作れる」
「そりゃ大したモンだ」
「いえ、言うほどではありませんが……まぁ彼よりは作れるほうだと思います」
「美人なだけじゃなくて謙虚、しかも茶目っ気もあるのか…。なるほど、そりゃ常連だったお兄さんが最近顔を見せないわけだ」
マスターが気を悪くした風でもなく笑って言うと、当麻がバツが悪そうに俯いた。
「何となく来づらかったんだよ…」
「此処で恋人を見つけておいて?」
仕事の面でも感情の面でも色々ありすぎたために自然と足が遠のいてしまった事を暗に詫びれば、他の常連客から、からかいの声が飛ぶ。
返す言葉が見つからず顔を真っ赤にした当麻の目の前に、頼んでいたグラタンが出されると、彼はそれに集中することで逃げを選んだ。
隣にいる美丈夫が周囲が見惚れるほどの優しい笑みを浮かべてそれを見ていたのだが、集中していた当麻は勿論知らない。
バーである程度酒と会話を楽しんだ後は、素直に家に帰った。
この日は朝も、バーに向かうまでも、それからバーから帰って来る途中にも一度も襲われることもなかった。
勿論、盗撮も。
「博士が近いうちに2人で遊びに来るよう言っていたぞ」
帰る間際に穏やかな笑みと共に言われた言葉を恋人に伝えると、彼は酔いとはまた違う意味で頬を染めた。
その様が愛らしくて征士は当麻の頬に口付ける。
くすぐったそうに、そして幸せそうに笑っていた当麻だったが、すぐにその笑みは引っ込められた。
「……で、どうだった?」
甘さが一切感じられない声で、真剣に征士を見つめてくる青い目。
この切り替えの速さはどこから来るのだろうかと征士は頭の片隅で考える。
「お前の望んだものが映っていた」
告げれば喜ぶかと思っていたのに、当麻の眉間には深い皺が刻まれた。
「……………………そうか」
「…?どうした?」
「…………。………ごめん、征士。先に謝っとく」
次に痛ましげな表情を見せた当麻は、そのまま征士の色の白い頬に自分の手を這わせた。
同じ島国出身者独特の名残を見せる名を持ってはいるものの、当麻と征士の肌の色は随分と違う。
征士が最も数の多いとされている白い肌をしているのに対し、当麻の肌は彼の名と同じく島国近隣の者がもつ彩を色濃く残していた。
黒いものよりは明るく、白いものよりは強いその肌は、美容に気遣う女性には随分と人気のあるものだ。
「何故…何を謝る」
「きっとこれからお前に沢山、迷惑をかけるかも知れない」
「迷惑と思うかどうかは私が決めることだ」
「危険な目にだって遭わせると思う」
「私の腕を侮っているのか?それくらい何の問題もない。それにお前1人を危険な目にあわせる方が私には拷問だ」
嫌な予感を匂わせる発言をする当麻の、自分の頬に当てられた手を握り返して征士は一つ一つに言い返していった。
本心だ。嘘はない。
若し、万が一にも彼が危惧しているような事を避けるために自分と距離を置こうというのならば、その考えこそが征士には深い傷になる。
傍に居ると誓ったのは何も彼のためを思ってだけではない。自分のためだけでもない。
彼のためでもあり、自分のためでもあるのだ。
離れる気など、毛の先ほどもない。
空いたほうの手を同じように当麻の頬に這わせる。
今はさらりとした感触のそこは、夜に抱き合っている時は汗ばんでしっとりとしている。
どちらの感触も、征士のお気に入りだった。
こうして触れることも、その時に触れることが出来るのも、すべて自分だけに許された行為だ。
そんな優越感を知ってしまったのに離れるなどと、誰が。
真摯に見つめ返すがそれでも当麻は相変わらず痛ましげな表情を浮かべたままだ。
それを見ていたくなくて、何かを言う前に唇を塞ごうとした時に、僅かに彼の口端がヒクリと動くに気付いた。
「それにきっと俺はお前をこき使う」
「……………それは否定せんな」
気遣っているように見せて、要は最後の言葉を承諾させるための演技。
口端に浮かぶ笑みを堪えていたのがその証拠だ。
それに気付いて良かったと内心胸を撫で下ろしつつも、征士はその肉の薄い頬を抓る。
「イタタタ、イタイ」
「お前にこき使われてアッチに行きコッチに行きで私の筋肉は休む暇がないからな。もっと痛い思いをしているぞ」
「何言ってんだこの筋肉馬鹿が。あの程度で筋肉痛になるようなヤワな体してないだろ。ってイタイ、離せヨ」
「お前に私の筋肉の悲鳴が聞こえるもんか」
「筋肉と会話できんのかよ、怖ぇな、筋肉野郎は」
じゃれあって縺れるようにしてソファに座り込む。
一頻り遊んで気が済むと、当麻が征士に身体を預けてきた。
「……………ちょっと気合入れたほうがいい時期だ」
「…やはりそろそろか?」
「うん」
小作りな頭を抱き寄せると髪からは甘い匂いがした。
てっきり彼の使っているシャンプーの匂いだとばかり思っていたが、一緒に暮らしてみても征士の髪から同じ匂いがしたことはない。
どうやら彼そのものの匂いのようだ。
「……せいじ」
「何だ」
「先に動くのは、俺を消したい人間だ」
「…………」
「で、その後あんまり間を置かずに俺を祀り上げたい方が動く」
「何故わかる?」
いつも思うことだが、どういう思考回路をしていればそういう事が読めるのか征士には不思議でならなかった。
言われれば納得もいくのだが、何のヒントもなければそれさえ判らないような事が多い。
「お誂え向きの舞台が近々あるんだ。1つはそれを狙ってる」
「それがお前を消す時か?」
抱いた青い髪に唇を落とす。
「いいや。捨て駒を捨てるときさ」
「……………では消したい人間ではないほうが捨て駒だと?」
「ううん。捨て駒は俺を消したいほう。そっちはもっと先に動く」
「それはいつ?」
尋ねると、当麻はニッと笑った。
「それよりもさ、」
「とうま、」
「いいんだ。それよりも明日の墓参り、勿論征士も一緒に来てくれるよな?」
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「明日の天気は晴れ。風もない穏やかな一日となるでしょう」