スペース・ラブ



当麻が書いてくれた地図を片手に、征士はナスティの祖父の家を目指していた。
因みに手に収まる電子ツールや、ネット上で幾らでも探せる地図を使わなかったのは、地元の人のみが知る近道があるからだ。
…と言うのと、地図を描きながら説明をするのを理由にくっついていたかったからというのもある。

最近の当麻は基本的に人目さえなければ征士とくっついていたがる傾向がある。
本人はどうという事もないという顔をしているが、やはり気持ちの上で不安やストレスはあるのだろう。
襲われることも盗撮されることも、全て征士がきれいに片付けているものの何も思わないわけではない。
その証拠に夜眠る時の、肌を求め合わないときでも、まるでその存在を確かめるように身体を寄せてくる。


「此処を、…曲がるのか」


当麻が書いてくれた目印を頼りに進路を左にとった。
すると間もなく白亜の豪邸が見えてくる。
生い茂る木々と、坂道と言う地形が邪魔をしてさっきまで全く見えなかったことが不思議なほどの豪邸だった。






「ご主人様がお待ちしております。どうぞこちらへ…」


髪を後ろに撫で付けた使用人の男に従って、征士は書斎へと足を踏み入れた。
年季と、そしてその価値を思わせる艶やかな扉を開ければ、そこには大量の書籍がまず目に飛び込んで、その奥にいる
車椅子に座った老人の姿に気付くのが遅れた。


「きみが征士君か……。さあこっちにきて、座りなさい」


穏やかな老人を見ていると嘗て政府で鬼の様に腕を奮っていた人間とは思えず、征士は少し戸惑ってしまう。
引退して長いというから、その時間が彼を変えたのか、それとも政府に属していた頃はそうせざるを得なかっただけなのかは解らないが、
考えても仕方もないかとすぐに気持ちを切り替えた。


「今日はお時間を頂き、ありがとうございます」


座る前に綺麗にお辞儀をした征士を老人は不思議そうに見上げ、そしてその後すぐに大笑いした。
訝しむ征士に、彼は詫びの言葉を入れてから、当麻と違いすぎてつい、と言った。


「当麻は奔放な所があるから……いや、まさか選んだ相手がこんなにも律儀で硬い男だとは思わんかった」

「はぁ…………」


言われている言葉はそのまま自覚もしていることだが、こう面と向かって言われるとどういう反応をしていいのか解らない。
曖昧な表情になった征士は、慌てて持参していた手土産を相手の前に出す。


「遅くなりました。あの、これを……」


その包みで大体の見当がついたのか、老人の表情がパッと明るくなる。
そのときの表情は、何となく孫にも受け継がれているように見えた。

嬉々とした手つきで包みを開け、出てきた箱に書かれた文字を見て彼は嬉しいという感情を素直に表した。


「をかだ屋のカラスミか!」


足を悪くしたいまでも酒を好む彼の、最高に愛している供はちゃんと当麻が教えてくれていた。
気が利くだの、当麻の入れ知恵かだのと彼は言いながらも嬉しそうに、その箱をためつすがめつ見ていた。


「………………」


だが途中でその手が止まる。
箱の底、それもよく見なければ解らないところに何かが挟まっているのに気付いたようだ。
先ほどと打って変わって険しさの混じった視線を征士に向けたが、正面に座る美丈夫は相変わらず真顔でそこにいるだけだった。
反応の薄い相手からの答えを待つのを早々に諦めた老人は、その隙間に指を添え、器用にも爪を利用して挟まっている物を引き出した。


「……………これも、当麻の入れ知恵か?」

「……私は今日、あなたにお願いをするために此処に来ました」

「お前ら2人揃ってそういう話しか持ってこんのか」


出てきたチップを眺めながら出された言葉はぞんざいだったが、その目も声も寧ろどこか状況を楽しんでいるように見える。


「……私が今まで何をしてきた人間かは…知っている、という事だな?」

「直接は存じ上げませんでしたが、当麻から聞かせていただきました」


そうか、と言って柳生姓の男は車椅子の背凭れに深く背を預けた。




政府に属する人間で、それも上層部となれば柳生という男の事を知らない人間は居ない。
彼が如何に今の政府に貢献したか、そして如何に恐ろしい技術を確立したか。

若い頃から天才と呼び声高かった彼は、脳の研究に明け暮れていた。
人の脳に電子信号が流れるというのであれば、それを解明したい。未だ謎の多いのが人の脳だ、それを知りたい。
最初はそういう純粋な好奇心だった。
そしてそれがある程度形になってくると、今度はもっと別の欲求が生まれた。
人の記憶を、記録として残したい。
それは事故や事件の被害者となって不遇の死を遂げた者の持つ記憶や、過去への興味、突き詰めれば真実を覗きたいという気持ちだった。
勿論、それも純粋な好奇心と、そして彼なりの正義感だった。

もし死者の脳から記憶を取り出せたら、死人に口無し、なんて事はなくなるのではないだろうか。
犯罪グループの誰かの記憶を取り出せば、そこに名を連ねる者たちを、犯罪をいち早く阻止することが出来るのではないだろうか。

そうすれば、1人でも多くの人の命を守る事が出来るのではないか。

そう考えた彼は自身の研究を抱えて政府の門を叩いた。
その時に対応した人間が現在の総長補佐官をしている男だったのだが、それは当時はどうでもいい事だ。
当時の彼は未だそういう地位にはなかったし、総長自体も今の男ではない。

兎に角、そうして彼は脳の解析と言う技術を持ち込み、それを政府内のみにおいて認めさせた。
それと同時に有能だった彼はいつしか研究者ではなく、政府の人間になっていった。

人の記憶を引き出す。
例えば事故で死んだ者の記憶を取り出せば、相手がたとえ逃げていてもその脳に刻まれた映像から割り出すことが容易くなる。
例えば何者かによって命を奪われた者の記憶を取り出せば、ある程度犯人の情報は手に入る。
それに、例えば当麻のように長く両親を失っていても、彼らが最後に思ったこと見たもの、そしてした会話全てを知る事が出来る。
真実や大切な思い出を正しく伝えてくれるその技術は、神の技術だと言われた。
だがその一方で人の領域に他人が勝手に踏み入るのだからと、やはり批判の声も多くあった。
その上それがいつの間にか犯罪組織にもその技術が流れてしまったせいで、最早政府と犯罪者の戦いは一層激しくなってしまった。
脳さえ無事なら命など二の次になってしまったのだから。

それに迷い悩んだ彼は、表からは見えない政府内の露骨な蹴落としあいや派閥争いへの嫌悪が引き金となって、引退を決意した。


彼の今までの功績と研究を考えれば、この警備の厳しい地区に居を構えるよう勧めた政府は正しい判断をしたと言われている。
だがそこには内部を知りすぎた彼を監視するという意味合いもあった事を、彼自身も、そして彼の子供も気付いていた。
だから老人は年老いた今も息子夫婦を近くに呼ばずに、使用人数人だけと暮らしている。
寂しいと言えば寂しいが、自分と血を分けた家族を守るためには仕方が無かった。

だから孫娘のナスティが政府の職員になることも、自分と暮らすと言い出したことも彼には考えられないことだったし、勿論、事情を話して反対もした。
だが誰に似たのか彼女は頑固にも譲らず、最後は自分の望むままに人生の進路をとった。

お爺様の研究が決して悪魔の技術ではないことを全ての人に理解してもらう、と言って。



「……そういえば今日は当麻はどうしている?」


チップの縁を指でなぞりながら聞いた。


「彼は仕事が残っていると言って、今日はベースに行っています」

「一人で?」

「はい。ベースまでは送っていきましたが…中にはハンターも常駐していますし、そう危険もないでしょう」

「まだ、ショーなのか?」

「当麻はそう言っています」

「そうか」


ならば、まだ大丈夫なのだろう。
そう考えてもう一度チップを見つめた。


「……これが引き金には?」

「私は中を見ていませんし、当麻ほど賢くもないので正直判りません。ただ、…」


宝石を埋め込んだかのような紫の目が一旦瞼の裏に隠れ、そしてゆっくりとまた姿を見せる。


「当麻の急ぎ方を見ていると、そろそろ本番に移る頃なのかも知れません」

「…………そうか……」

「はい」

「…………ところで征士君、今日は時間はあるのかね?」


手の中にあったチップを握りなおして尋ねると、征士は無言で頷いた。


「当麻の方も時間がかかると言っていたので、迎えに行くのは恐らく夕方以降になります」

「それまでは番犬も自由時間が許されているわけか」


番犬という言葉に、先ほどまではピクリともしなかった征士の眉が僅かに動く。
恐らく孫娘の顔を思い浮かべて苦虫を噛み潰したのだろうと思い至って、その祖父は思わず笑ってしまった。


「………物にもよるが、チップに落としてくれているのなら解析にはそう時間はかからん」


大体2時間ほどで完了できる。
そう告げると征士もそれは予想していたらしく、また無言で頷いた。
それを確認してから主が呼ぶとすぐに先程の使用人が姿を見せ、主に言われたものを持ち込むために姿を消した。

彼が出て行ったのを見送ってからたっぷり時間を置いて、老人は征士に向き直る。


「ところで」


その表情にはどこか茶目っ気が見える。
これも孫娘にどこか似ていた。


「チップの件は”用事”として……”お願い”は何だろうかね?」




*****
博士、未だに本当の孫のほうには「下さい」のお願いが来ないので、もう一人の孫の方の「下さい」と遣り取りがしたい。