スペース・ラブ



都市部から車で少し行った場所には閑静な高級住宅が立ち並ぶ。
著名人なども住んでいる区域の警備は厳しい。
その中を当麻は1人、ある屋敷を目指して進んでいた。

大きな門の奥には白亜の豪邸。
年代を感じさせるがそれ1つでも充分に価値のあるドアの前に立つと、まるで計ったように内側から扉が開く。


「お待ちしておりました」


恭しく出迎えたのは背筋の伸びた使用人の男だった。
彼に連れられた当麻は広いエントランスを抜け、廊下の先にある書斎へと案内される。


「博士にお変わりはありませんか?」


使用人に尋ねると彼は穏やかな笑みを浮かべ、客人に対して失礼のない程度に返事をした。


「それなら良かった」





尋ねてきた時と同じように使用人が扉を開け、中に入るよう促してくれるので当麻はそのまま足を進めた。
ここまで案内してくれた彼は一礼をして去っていく。
扉が完全に閉ざされたのを確認してから当麻は窓際に座っている人物に向き直った。


「ご無沙汰しています、博士」


博士と呼ばれた人物は車椅子を慣れた手つきで操作し、当麻を振り返る。


「やあ、元気にしておったかね、当麻」

「お陰様で。…随分と顔を見せなくて失礼しました」

「いや何、君も何かと忙しい身だとナスティから聞いておる。………それよりも大丈夫なのか?」


心配そうに言ったのは嘗て父の師でもあった柳生という老人だった。
最近、当麻の身の回りで起こっている事を、ニュースと孫娘から聞いている彼は心から心配してくれているようだ。


「ええ。まぁ……イイのが傍にいますので」


笑って言う当麻に、老人も笑った。


「ああ、例の番犬か」

「ナスティから?」

「ああ」

「困ったお姉ちゃんだ」


言葉ほど困っていない様子の当麻に、老人はまた笑う。


「……………やっと前に進めるようだな」


両親を亡くして以来、彼に付き纏っていた翳りが無くなっている事を見抜いて、優しい声がかけられた。
それに当麻も穏やかに笑い返す。


「ええ。…正直すぐにというわけではありませんが、もう大丈夫です」

「それも例の?」

「ええ、番犬のお陰で」


今度は2人で大笑いをした。
そこに、これもタイミングを計ったようにドアがノックされ、先程の使用人が飲み物と軽い食べ物を乗せたワゴンを押して入ってくる。
無駄のない、そして嫌味のない手つきでテーブルの上にセッティングしていくと、また一礼して去って行った。


「………お酒?昼間から?」


悪い爺さんだなーとからかうと、君も今日は車じゃないだろう?と年老いた男は悪びれずに返してきた。


「ま、博士のトコならいいお酒くらいあるかなーって思って来ましたから」

「そういう強かなところはどっちに似たのやら…」

「さあ?見本となる両親とはあまり過ごす時間がなかったものですから、俺独自の性質かも知れませんね」


グラスに注がれたものを一口含む。


「………清酒?」

「そうだ」

「どこで手に入れたんですか?」

「孫の傍にいる赤毛の犬が持ってきた。何でも実家が酒蔵らしい」

「あー……」


外交部門の責任者の顔を思い浮かべて思わず苦笑いが漏れた。
こういう気を回す事が出来るのに、どうして彼は肝心の言葉を彼女に伝えられないのだろうか。
それはどうやら孫思いの祖父も思っていたことらしく、当麻の表情から読み取った考えに、同じ笑みを浮かべていた。


「それよりも当麻。今日は1人のようだが大丈夫だったのか?番犬はどうした?」


最近の事を指しているのだろう事はすぐに解った。
ニュースに映像として姿を映されたのはあの1件だけだが、襲われることは減っていない。


「ええ。どうせ今来るのはどれもこれも素人でしょうから、番犬には別で行動してもらってます」

「……………上層部の手が回っているのか?」


内部事情を知っている博士の言葉に、当麻が視線で釘を刺した。


「一線を退いたあなたがそんな心配をしていると知ったら、総長が何か手を下さないとも限りませんよ?」


孫同然の青年に言われ、博士は肩を竦めて酒を口に含んだ。


「…まあ正直に言ってしまうと、そうなんですけどね」

「…………だから私は君も、ナスティもそうだ…政府の職員になる事に反対をしたというのに…」

「こればかりは仕方ありません。俺は両親を、ナスティはあなたを尊敬していたからこそ、同じ道を選んだんですから」


だからこそ、内部の腐敗が許せないのだ。
それは口にはしなかったが、恐らく老人は解っていたのだろう。


「しかし当麻、やけに自信があるようだが本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。今の段階ではまだただのショーですから」

「……?どういう事かね?」

「俺をもっと目立つ場所に引っ張り出してからが勝負なんでしょう。今の段階で命まで取られることはないし、後遺症が残るほどの
怪我を負わされることもない」

「全部、相手のシナリオか」

「ええ。でも俺はどうも生まれつき性格に難があるらしくて、素直にそれに流されるのは我慢がならないものですから」

「何かやるつもりか?」

「連中が未だ決めかねてるエックスデーを、俺が決めてやろうくらいには」


にっと笑った顔は愛らしいのに物騒だ。
博士はそこに、無邪気で天真爛漫だったのに、時折野獣のような激しさを見せた彼の母の面影を見た。


「……やはり君はどっちにも似ているよ」


普段はおっとりしているのに頭の回転が恐ろしく速かった父と、行動力決断力共に優れていた母。
外観だけでなく、彼は両親の性質をよく引き継いでいた。


「さて、……ではそろそろ、久々に此処を尋ねてきた理由を教えてもらえるかな?」


当麻がここを訪れなくなったのは、薬が開発されてからだ。
柳生という男にとって誇るべき弟子だった父を孫同然の青年が解体した事は、別に老人にとって彼と距離を置くような理由にはならなかったが、
やはり当麻としては自然と足が遠のいてしまっていた。


「そんな大層な理由はありませんよ。ただ2つほど、お願いを聞いてもらいたくて…」


首を傾げて可愛くオネダリをする彼に、老人は笑ってしまった。


「さて?年老いた私に聞いてやれるお願い事はあるかどうか、怪しいもんだが…?」

「博士でなければ誰が聞いてくれるんですか」


食えない笑みを浮かべているのはお互い様だ。
嘗て彼も政府に所属し、そして弟子のいる研究所とのパイプ役を担っていた男だ。
今でも強力なコネは持っているが、一筋縄でいく男でもない。


「では聞くだけ聞いてやろう。何だ?」

「まず1つは俺の番犬を後日此処にお伺いさせたいので、その許可を」

「……番犬を?何のために?」

「ヤだな、あなたから見て孫同然、俺からすれば祖父同然の人の元に恋人を向かわせると言っているんですよ?察しましょうよ」

「挨拶か?そんな甘いものを君が態々こんな場を設けてまで頼むとも思えん。それなら今日、2人で来ればいい事だ」

「さっきも言いましたが、番犬も忙しいんですよ」

「どうせそれも君の指示だろう?」


会話は引き延ばされているが、老人の表情は活き活きとしており楽しんでいるようだ。


「兎に角、俺の番犬が来ます。いいですか?」

「1人でか?」

「ええ。その時は俺も忙しいでしょうから1人で来ます」

「源一郎たちへの報告は済んだのかね?」


源一郎とは当麻の父の名だ。


「ええ。先日一緒に墓参りをして挨拶してきました」

「なるほどな」

「よろしいですか?」

「まあいいだろう。…挨拶だけか?」

「さあ?用があれば何か本人から言うでしょう」


あくまではぐらかす当麻に、博士は思わず苦笑いが漏れた。
食えん奴め。そう言うと当麻が笑った。


「では1つ目は聞き入れた。…2つ目は何だ」


つまみに出されたチーズを口に放り込んだ当麻は、それを飲み込むまで黙りとおした。
ついでに酒も呷る。


「…当麻、」

「………………うわ、コレ結構キツイな…」

「一気に飲むからだ。当麻、2つ目は何だ」


呆れつつも老人が再度問うと、酒で上気した頬を手で冷ましながら当麻が口を開いた。


「総長の補佐官殿に、取次ぎをお願いしたいんです」


一瞬、空気が張り詰めた。
総長補佐官となると、実質政府でのナンバー2の地位だ。


「………それを私に頼むのか?高くつくぞ?」

「対価は何がよろしいでしょうかね」

「……………さあ?何がいいだろうか」

「じゃあ……そうですね、赤毛の番犬のケツ、引っぱたいてやりましょうか?」




*****
朱天さん、お爺様は反対の意思はないというのに。