スペース・ラブ



「当麻、キミ、痩せたね」

「そうか?…まあそうかもな」


昼休憩に居合わせたのは医療部門に配属された伸で、彼とは士官学校からの付き合いだった。
伸は当麻より7ヶ月先に士官学校に入っていたが、卒業自体は当麻より2年ほど遅く、ハンターを1年経験したあとで異動になった人物だ。
当初より医療部門への配属を希望していた彼は目聡く、久々に合う友人の異変に気付いたようだ。


「現場に出なくなって4年だからな。トレーニングだってしてないし……筋肉が減ってきたから痩せたように見えるのかも」


そう言って当麻は笑ったが伸の目は細められただけで笑みの形は作らなかった。


「そういう風には見えないね。………ちゃんと食べてる?」

「食べてるよ。て言うか今も目の前で食べてるだろ」


憮然として自分のトレイを指した当麻の指に従って伸が視線を落とせば、そこには2人前近い量のカルボナーラがあった。
こってりとしたクリームがたっぷりとかかっており、正直見ているだけでも胸焼けを起こしそうで、伸は眉間に皺を寄せて遠慮なく口元を押さえる。


「…栄養バランスって言葉をキミは知っているかい?」

「しょうがないだろ、時間ないんだから。今は手っ取り早く腹に溜まるもの食べとかなきゃいけないの、俺は」

「…………そう。まぁ解ってるならいいんだけど…疲れてるようにも見えたから」

「そりゃ疲れてるよ。こっちは休みなく薬の開発やってんだからさ」

「……忙しいんだね」

「まあね」


そう言った当麻がフォークに絡めたパスタを口に運ぶのを、伸は暫く観察した。

痩せている。この数日で目に見えて解るほどに当麻は痩せていた。
明らかな変化に周囲も気付いてはいるが、今彼が取り掛かっている問題は彼自身にとって非常にデリケートな問題で、そこに踏み込むには
かなりの勇気が必要だった。
だから伸も、これでもかなり気合を入れて切り出したつもりだったのだ。
若しかしたら食事さえままならない精神状態にまで追い詰められているのかもしれないと遠まわしに聞いてみたが、
本人の言うように食事は取っているのは確かなようだ。
食べている途中に苦しそうにする素振りもなければ、食事に嫌悪を示すような表情も浮かべていない。
だが美しかった髪や肌には僅かながらに傷みが見える。
もしかしたら、と伸はもう一度気合を入れなおして向かいに座る青年を見た。


「当麻、寝てる?」


さっきよりも声のトーンを落として聞けば、フォークを持つ当麻の手がピタリと動きを止めた。
俯き加減だった顔が正面の伸に向けられる。


「………正直言うと、寝てない」

「駄目だよ、あんまり」

「寝れないんだよ」


あまり根を詰めるなと言おうとすれば、この言葉だ。
伸は思わず目を瞠ってしまった。
やはり精神的なものかと不安になった伸が口を開くより先に、当麻が慌てて言葉を続けた。


「あ、違う。そういう意味じゃない」


ひらひらと手を振り、苦笑いを浮かべる。


「俺ってここ最近ずっとベース内での寝泊りが続いてるだろ?でも仮眠室のベッドさ、枕もシーツも俺の好みじゃないんだよ。
だからちゃんと眠れないし、そのせいで無駄に睡眠時間が長くなって…で、それだったら今は時間も惜しい時だし、起きて仕事してよっかなって」

「とうま」

「でも大丈夫。もう駄目だ眠くて死ぬ!ってくらいまでなったら、仮眠室でも俺、眠れちゃうから」


どっちにせよ人間は睡魔には勝てないんだよと当麻は笑ったが、伸はその笑いに付き合ってやる事が出来なかった。





献体された当麻の両親の身体を切り開いて行ったのは、当麻だった。

今回の件に関して献体する代わりに全行程に参加させて欲しいという彼の意向は、上層部の恩情もあってすんなりと許可された。
そしてまず身体を部位ごとに切断して保存しつつ解析を進めていく事になったのだが、その時に当麻自身から申し出があった。
自分の親なので、せめて自分の手でやらせて欲しい、と。

周囲は反対した。勿論それは彼を気遣っての事だ。
各部位ごとにという事は、つまり胴体から手足を切り離す事になるし、それは頭部も切り離す事になる。
血の繋がった者にそんな残酷な事をさせるわけにはいかないと何度も周囲は彼を説得したが、それに当麻が頷く事はなかった。
どれほど周囲が言い聞かせようとも、彼は自分がやりたいという意思を曲げる事はなかった。

結局その頑固さに周囲が折れた。時間がないのは事実なのだ。
献体された2つの遺体の待つ施術室に当麻が入っていくのを見送る人の中に、伸もいた。

全てを切り分けるのに時間が少しかかったのは、彼にも葛藤があったからだろうとは誰もが思った事だ。
だから誰もその事に批判など思うはずもなかった。
作業を終えて当麻が部屋から出てきたのを見つけると言葉少なに彼に労わりの言葉をかけ、それと入れ替わるように
各スタッフが打ち合わせどおりに担当する部位を持ち出すために入室した。

切り口は全て見事なもので、パーツも運び出しやすいように並べられていた。



当麻の父は元々新薬の開発に携わっていた人間だから、恐らく息子も彼との会話から薬に関して知る事は多かったのだろう。
現場で当麻が足手まといになる事はなく、寧ろあまりにも有能な彼はいつしかそこで指揮をとるようになっていた。

毎日毎日、当麻は忙しそうだった。
他のスタッフに聞けば、誰もが忙しいらしく彼らも自宅にはもう何日も帰っていないという事だったから何も当麻1人が忙しいわけではない。
けれど他のスタッフが心配しているように、当麻は他よりも働き詰めだった。
あるスタッフが尋ねれば、俺はまだ若いですからネ、なんて生意気に笑って答えられたと言う。
またあるスタッフが尋ねれば、時間がないと思うと落ち着かないんです、と苦笑交じりの答えがあったと言う。
他だと、両親の気持ちを考えればこうするのが最善なんだと、真剣に答えられた事もあったそうだ。

きっとどれも嘘ではないのだろう。
けれど完全な真実とも言えない。
伸の目には、当麻は何も考えないで済むように自分を追い立てているようにしか見えなかった。


「………当麻、キミにも休養は必要だと思うよ」

「もうすぐで薬が完成しそうなんだ。何回も試行錯誤してやっとだぜ?あとチョットだからさ」


だから小言はまた今度と言わんばかりの当麻に、伸は溜息を吐いた。
今は何を言っても聞く耳を持つ気はないらしい。
しかしこのままでは本当に当麻が倒れてしまう。酷ければ精神を病んでしまう可能性だって。

何か手はないかと考えた伸は、ある事を思いついた。


「じゃあさ、当麻」


頬杖をついてなるべく優しい笑みを浮かべて。


「薬が出来たら、そのお祝いにご飯でも食べに行こう。勿論、僕の奢りで」


にっこりと笑う伸は、誰からも好かれる好青年だった。
だが彼の性格自体は結構食えないものだ。
それを知っているから当麻は顔を顰めた。


「………いいよ、別に」

「いいじゃない。キミとご飯食べに行くのも久々だしさ。ね?決まり。店は僕が探しとくから」


頑固に見えて実は押し切られると弱い当麻はそれ以上逆らう事が出来ず、渋々ではあるが承諾した。



当麻の言ったとおり、薬は完成した。
すぐに生産ラインに乗せ一気に数を増やしていく。
漸くの政府の対応と、そして率先して開発した人物の控えめな態度に殆どの者が好感を持った結果、政府自体の評価も上がった。
それに伴い政府に加盟するエリアも増え、そしてテロリストに対する風当たりは当然強くなった。
その陰には勿論、政府自体がT-54739451開発の裏話というべきものをチラつかせた経緯もある。

10年前に人類の為に失われた尊い7つの命。
漸く回収できた船の中で、寄り添って眠りに就いていた1組の仲睦まじい夫婦。
彼らから”プリンセス”の感染が認められ、そしてその彼らの遺志を継いだ子供が下した英断。
人々のためを思いやった、深いまでの愛。
最後のときまで共にあろうとした、夫婦の愛。
そして両親の意思を継ぎ、自身も辛いだろうにその意思を優先させた、親に対する愛。

それらから、作られた薬はいつしか”スペース・ラブ”という俗称が付けられた。


「……センスの欠片もないな」


折角綺麗な数字が並んでるのに、と当麻は1人、朝からニュースに悪態をついた。
久々に帰る事が出来た自宅は相変わらず静まり返ったままだ。

薬が完成して生産ラインが確保されたことを見届けると、開発に携わったスタッフは1週間の休みを貰った。
それからもう半月が経とうとしている。当麻も今は朝から仕事に向かい、夜には自宅に帰る生活に戻っていた。
昨夜帰宅する途中である程度買い溜めをしておいた中からスコーンを選び、蜂蜜をたっぷりかけて、カフェオレを供に食べる。
10年前からさして変わらない日常なのに、胸にはポッカリと穴が開いたような感覚しかなかった。

何が愛だ。
そんなものだけで片付けられる感情なら、こんな苦い思いはないはずだ。

苛立った気持ちそのままに四肢を投げ出していると、急にその胸をムカツキが襲ってくる。
当麻は慌てて立ち上がるとトイレに駆け込み、さっきまで食べていたもの全てを吐き出した。
吐いても吐いても気持ち悪さは消えず、もう吐くものが胃液しかなくなっても身体は何かを吐き出そうと必死になっている。


「…………はぁ……、はぁ……………はぁ、…クソっ」


伸が一方的に取り付けた食事の約束はお互いに何かと忙しかった事もあり、延びに延びて週末にやっと果たされる事になったのだが、
こんな調子で大丈夫なのだろうかとまるで他人事のように当麻は考えていた。




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経歴では当麻のほうが先輩になるんですが、やっぱり伸の方がお兄ちゃん。