スペース・ラブ
「ナスティ、俺、士官学校に入るよ」
16歳の誕生日を控えた当麻はその日も家に来て、一緒にお茶を楽しんでいた姉代わりの女性にそう告げた。
部屋は彼女の入れてくれたカモミールの香りで満たされており、その供のシンプルなバタークッキーを1つ、当麻は口に運んだ。
表情には何の気負いも無く、まるで当然のことのようにそう言った彼を、呼びかけられたナスティは痛ましい表情で見ていた。
「当麻、でも…」
「言っとくけど、何もテロリストに仕返しがしたいってんじゃないからな。ナスティだって知ってるだろ?
俺、昔から何でも良いから政府に関わる仕事がしたいって思ってたの」
「そうだけど…」
姉は心配そうだった。
確かに両親が健在だった頃から当麻は常にそう言っていたが、両親の身にあんな事があったからこそ彼にはもっと無関係な、
穏やかで命の心配のない仕事に就いて欲しいと密かに祖父と話していた。
それに希望はわかっていても、やはり両親と似た仕事に就くとどうしてもその事を思い出して彼が苦しむのではないかと危惧していたのだ。
「ねぇ、どうしてもハンターじゃなきゃ駄目なの?」
「駄目だね」
「どうして」
「内緒」
悪戯っぽく笑った青い目は、後ろ暗いものは何も映していなかった。
ハンターになる必要はあった。
そしてその為に士官学校へ通うことも必要だった。
最初は当麻も悩んだ。
政府に携わるには、一番手っ取り早いのが16歳になってすぐにハンターになる事だ。
それには地方での採用試験を受ければ済む話だが、直接関わることの出来る本部への異動は随分と先になってしまう。
ならば同じ16歳で士官学校へ通い、在学中に自分の存在をアピールして早々に卒業してしまう方が結果として幾分か早い。
だから当麻はどうしても士官学校へ通う必要があった。
ナスティがしている心配も解るが、だがもう当麻は本当に家族の事で泣いたりはしなかった。
天体望遠鏡が届いた日、それを受け取ってまた大泣きしたのを最後に当麻はもう泣かないと誓っていた。
泣いていても何にもならないし、それこそ両親に心配をかけるようで嫌だったからだ。
多少の反対を受けたものの、当麻は無事に士官学校に受かり、毎日訓練や勉学に追われた。
その合間を縫って両親の墓へ行き、今は未だ何もない石に懸命に話しかけ続けた。
もうすぐ会えるよ、と。
船と共に犠牲になった研究者とハンターの実名は伏せられていたが、それでも噂として漏れ出てしまうものはある。
例えば彼らの名は解らないが、今、その誰かの息子が士官学校に通っているという事だとか。
例えばそれが青い髪の、天才の事だとか。
それらは事実だったから聞かれれば当麻は否定しなかったが、その半面で全く取り合わなかった。
必要なものは同情ではないし、同様に欲しいものも同情ではない。
母親譲りの身体能力を発揮して与えられたチャンスで確実に結果を出し、その一方で父親譲りの頭脳を見せ付ける。
それだけにしか彼の気持ちは向いていなかった。
そして他の誰よりも抜きん出た彼が政府の目に留まるまでそう時間はかからなかった。
当麻が最初配属されたのは通常通りにハンターだった。
だがその暫く後には開発部門に異動になった。
在学中から彼は上層部に船の捜索と、それに必要な手立てについて何度も上申書を提出していたのが、漸くそれが認められたのだ。
戻ることの亡くなった船に続き探査も、そして船の捜索は公表していないだけで何度か行っていたが、度重なるテロリストからの妨害や
内部からの情報漏洩、今は未だないが再びの世間からの批判を恐れた政府のやり方はどれもこれも消極的としか言えない手段で、
当麻の考えた根本的な部分からの改定案に彼らが食いつく形になったのだ。
そしてそれを受け入れると同時に、責任者として当麻が抜擢された。それは異例の早さだった。
当麻はその時になって漸く心から笑った。
両親に会える。そう思うと嬉しくて仕方が無かった。
船を探し出すための新たな船は無人タイプだった。
それを本部から遠隔で操作し、そして巨大な棺と化した船ごと回収する。
そうすれば仮に妨害に遭っても新たな人的被害はないし、無人なのだから死者を出したとして世間から叩かれる事も無い。
今までその方法が取れなかったのは、単にどこまで流されたか解らないその船を探すために無人の船を操作しようにも、現在の技術では
遠隔操作が出来る距離に限界があり、どうしようもなかったからだ。
だが当麻の設計したシステムはそれをいとも簡単にクリアしていた。
船が見つかるのにはそれなりに時間がかかった。
だがそれでも当初の狙い通りに見つける事が出来、妨害に遭うこともなく無事に回収することもできた。
まず回収のための船ごとドッグに納める。
そして格納したドッグごと一度完全に隔離して真空状態にしてから船の内部の空気に含まれた物質を念入りに調べ、
今度はその空気と同じ成分を作り出してそれでドッグ内を満たす。
この10年の間、船の中に何らかの変化が起こっていても不思議は無い。
それを不用意に開けて二次被害を起こしては何の意味も無いのでそれは慎重に行われた。
それによって船の中は空気こそ多少違ってはいたが害が無いと解り、今度は中に入っての調査に段階を進めた。
それとは別に、嘗て船に乗っていたメンバーの遺族を再び集めた。
調査も大事だったがマシントラブルの原因を探るのは船本体の事で、中にある遺体に関してはあまり捜査は必要とされていない。
そちらは遺族に返すという目的しかないのだ。
それならば一日も早く家族に会いたいであろう人たちを呼んで引き合わせてやったほうが彼らのためでもあるし、
政府の評価にも繋がる。
そう踏んで当麻は彼らを呼んだ。
勿論、先に中に踏み込むのは解析スタッフの人間で、民間人である遺族は彼らの列の最後についていく形になる。
それを丁寧に説明して了承を得、それから念のための防護服に身を包んで船への乗り込みが始まった。
その中に、遺族としての当麻の姿もあった。
スタッフがハッチを開け、乗り込む。
それに遺族が続いた。
数人のスタッフは計器などの調査に移り、案内役のスタッフ1人だけが遺族と共にプライベートエリアへ進んでいく。
廊下を抜けると個室が幾つかあった。
その入り口全てに嘗て人類を救うために発った彼らの名前が掲げられていた。
一番手前の部屋のドアにスタッフが手をかける。
だが最初に中を覗く権利は遺族に譲られていた。
震える足で進んだ遺族は部屋の入り口で立ち止まって、そして膝から崩れ落ちると大声を上げて泣き始めた。
部屋のベッドに横たわっていた者は既に白骨化しており、生前の姿など見る影も無い。
それを悲しんでいるのかとスタッフは考えたが、実際は、それでも自分の手元に愛する家族が帰ってきたことを彼女が喜んでいるのだという事は、
同じ遺族たちはちゃんと解っていた。
彼女に続いて他のドアも開けられると、次々に遺族たちは変わり果てた家族に、それでも「おかえりなさい」と愛しげに声をかけていた。
残るドアは2つだ。
全ての遺族が既に対面を果たしており、残っているのは当麻だけになっていた。
流石に当麻は職員でもあるので、解析スタッフは彼にだけは自らドアを開ける権利を与えてくれた。
見上げたプレートには、最高のハンターと謳われた母の名前。
緊張で僅かに震える手に苦笑いをして当麻はゆっくりとドアを開けた。
覚悟は出来ている。
今までの遺体と同じように白骨化していようとも、腐敗して異臭を放っていようとも、当麻には受け入れる覚悟は出来ていた。
会いたくてたまらなかった彼らに、おかえりと言える日を思ってここまできたのだ。
覚悟など、とうに出来ている。
「………え、」
声を出したのは当麻のすぐ後ろに居た解析スタッフだ。
今までの遺体のどれもが自室のベッドに横たわっていたのは、恐らく食料も尽きて動くことさえままならなかったからだろう。
しかし当麻の母の遺体は自室にはなかった。
狼狽えるスタッフだったが、当麻はすぐに気付いた。
母親は此処に居ない。
実に彼女らしい選択だと思うと笑みさえ零れた。
「こっちじゃないみたいです」
そう言ってドアを閉め、そしてそのまま父の名が掲げられたドアを開けた。
仲の良かった両親だ。
そして自分が一緒に居てねとお願いしていたのだから、彼女も此処にいて当然だった。
「……………え、」
今度も声が上がったが、それは当麻のものだった。
両親は、いた。
予想通りに2人仲良く1つのベッドに横たわり、互いの身体を抱き寄せ合って、いた。
生前の姿のままに。
「……これは…」
背後で解析スタッフの声がした。
声をかければ今にも起きだしそうな彼らは、10年前に別れた時のままの姿でそこにいた。
それはつまり、奇しくもあのウィルスに感染していることを示していた。
誰も何も言わなかった。
誰も当麻に何も要求しなかった。
彼がこの為にどれほど懸命になっていたかをスタッフは皆知っていたし、同じ立場の遺族たちはこの日を待ち望んだ彼の気持ちを理解できた。
けれど当麻の心は急速に冷えて色も何もない、ただの闇に吸い込まれていった。
持ち続けていた希望の拠り所は、両親の身体を墓に入れてやることだった。
だが。
「………この遺体をすぐに解析に回しましょう」
「…羽柴、」
「被害は今も拡大しています。時間はありません」
「けど、」
「聞こえませんか?献体すると言っているんです」
周囲が気遣ってくれている事は解っていた。
だが、両親の希望や志は、人々を救うこと、だった。
だから。
「急ぎましょう。…彼らの任務をお忘れですか?」
後ろにいる人たちを振り返って出した声は、当麻自身でも思った以上に冷静なものだった。
*****
当麻22歳。