スペース・ラブ
嘗て暮らしていた星を思わせる色の髪を持って生まれた子供を、彼らは当麻と名付けた。
父は政府が抱えている研究所の職員で、薬の開発に携わっていた。
母はハンターとして最高クラスの腕を持ち、都市の治安維持の為に働いていた。
両親は忙しく、あまり子供と一緒に過ごす時間を持てなかったが子供はそれに恨み言を言った事はない。
寂しいと思う以上に、両親の事を心から尊敬していたからだ。
それに父の師でもある柳生と名乗る老人が偶に家に来てくれていたし、彼の孫娘であるナスティという自分より少し年上の少女も
稀に同行して遊びに来てくれていたから1人で家に居ても寂しいと思う事はなかった。
子供は父に似て賢かった。
子供は母に似て身体能力に秀でていた。
そんな子供は両親を尊敬し、いつかは自分も彼らと同じように政府の人間として働き、人の役に立つ事を夢見ていた。
「当麻、すまないが今年の誕生日は一緒に過ごせそうもない」
ある日、珍しく一般家庭の食事の時間に帰ってきた父親がそう言った。
母の作ったオムライスを頬張っていると、彼女も同じく申し訳無さそうに頷いた。
最近氾濫しているウィルスの特定に成功し、そのルーツを探るために彼らが出向かなければならなくなったのだと。
愛する息子と共に過ごせないどころか、誕生日という特別な日にさえ一緒に居てやれないことを父は詫びたが、息子はけろりとしたものだった。
「いいよ。当日にいれたコトなんて今までもあんまりなかったし」
嫌味ではない。ただ事実ではある。
だからこそ息子は特に気にしていなかった。
「だってまた別の日で、2人ともいる日にお祝いしてくれるんだろ?」
「ああ」
そう、両親は常に忙しく、誕生日当日に祝う事が出来なかった年は毎回、家族が揃った日に息子を祝っていた。
だから今更それが遅れたとしても別に息子としては気にすることではない。
何も愛されていないわけではない事は解っている。
ただ彼らは多くの人の為に働く、誇るべき父母なのだと息子は知っていたから何の文句も不満もなかった。
それが叶わないと知ったのは、父との会話から1ヶ月も経たないうちのコトだった。
学校で授業を受けていると授業中にも拘らず校長が教室に入ってきた。
そして自分を、なんとも言えない表情で呼ぶのだ。
何か嫌な予感はしたが黙ってその後をついていく事にした。
連れて行かれたのは応接室で、高そうな机やソファがあったことを当麻は今でも覚えている。
そこで自分を待っていたのが政府の人間で、バダモンと名乗る議長だったことも。
「非常に言いにくいのですが…」
そう言って切り出したものの目の前の人物は何も言わず、否、言えず、結局そのまま迎えの車に乗るよう促された。
自分を見送った校長も議長同様に痛ましいまでの視線を向けてくるだけで何も言わない。
それが当麻の不安を余計に煽った。
まさか。
そう思った。
両親の身に何かあったのだろうか。
いや、あったのだろう。あったからこそ呼ばれたのだろう。
では何が。
どちらかが怪我をしたのだろうか。
母と違って父は運動があまり得意ではないから、彼が怪我をした可能性はある。
いや、無茶な動きをするのはハンターである母の方だから、案外彼女が何か怪我をしたのかもしれない。
しかしそれだけであんな深刻な顔で呼び出されるものだろうか。
だとしたら、彼らはもう……
不安になって隣に座る議長を見上げた。
その視線に気付いた議長は隣の子供を見下ろし、そしてやはり何とも言えない目をして小さな手をそっと握った。
水分の不足しているようなカサカサの手は冷たく小刻みに震え、だがどこか湿っぽくも感じられた。
当麻は頭のいい子供だったから、それだけで自分の予想が現実のものだという確信を持った。
車は本部へと入っていく。
普段なら家族でも面会するのに面倒な手続きがあり、それが済んでも中には入れないはずなのにこの日は奥へと通された。
通り過ぎる人、通り過ぎる人、誰もが痛ましい目で当麻を見ている。
当麻を伴ったバダモンが滅多とないであろう来客を迎えるための部屋に入ると、先客の視線が一斉にそこへ向けられる。
その場にいた全員、目を赤くして泣き腫らした跡があった。
そしてその全員が当麻を見て、こんなにも幼い子供がという感情を向けているのに当麻も気付いていた。
職員の1人が当麻の目の前まできてしゃがみ込み、目線を合わせて幼い子供に言い聞かせるように現状を教えてくれた。
マシントラブルでもう船が戻れないこと、彼らはもうこのまま朽ちゆくしかないこと、そして彼らと話せるのはこれが最後だということ。
やっぱりそうだ。
だがその説明を受けても当麻はそう思うだけで、動揺はしなかった。
覚悟は車の中で既に出来ている。
そもそも元より危険な仕事だ。
”その時”はいつ訪れても不思議ではなかった。
ただ当麻の中で唯一喜ぶべき事があった。
まだ両親の命はあり、どちらとも会話が出来ることだった。
職員に促されて急ごしらえのモニターの前に連れて行かれる。
映っていたのは紛れもない、自分の愛する父親と母親だった。
「当麻君、今度の誕生日、一緒に過ごせなくてゴメンね」
母親が涙声で謝った。
そのすぐ隣で父親は唇を噛み締めている。
「いいよ、…家族みんなが揃ってたことだって珍しいじゃない」
嫌味でも何でもない。本当の事だし、そんな事を気に病みながら残された時間を過ごして欲しくはない。
彼らは人々の為に発ち、そしてそのために犠牲になろうというのだ。
誇りに思いこそすれ、帰ってこない彼らを恨む気持ちなど当麻にはない。
「そうだけど……でも、……もう、…当麻君の、お祝い、してあげられない」
「いいって。父さんも母さんも、……大事な仕事だろう?俺は大丈夫だよ」
「当麻、すまない」
漸く口を開いた父親も、やはり涙声だった。
「…俺、…………父さんのことも母さんのことも、誇りに思ってるよ」
「当麻君、」
「当麻、」
「……だからさ、俺、…絶対、…絶対、2人のこと、見つけるから…」
「当麻、…すまない……」
「俺、大人になったら2人のこと見つけて、ちゃんと………会いに行くから、…」
「当麻君、…………ありがとう、ごめんね。……ごめんね」
「父さんも母さんも、それまで絶対一緒にいてよ?バラバラにいたら俺、探すのに時間かかっちゃうかも知れないから」
「当麻、わかった。ありがとう。…待ってるから。お前が来るのを、ずっと待ってるよ」
「当麻君、当麻君!」
それ以上はもう会話にはならなかった。
両親は激しく嗚咽を漏らし、それでもどうにか笑おうとしていた。
その一方で息子の方は落ち着いて、やはり同じように笑おうとしていた。
お互いにお互いを安心させようとして、せめて最後に目に焼き付ける姿は笑顔であるようにと努めていた結果だった。
自分たちと違い一度に両親を失くす事になった少年を哀れに思ったのか、それとも自分たちの別れを思い出したのか部屋は鳴き声で満たされていた。
だが当麻は泣いてはいなかった。
寧ろ気持ちは既にある一点にのみ向いていた。
両親を失うことは当然悲しい。言いようのない感情がじくじくと溢れてくる。
だが父母と話し、既に目標が出来ていたから、その為に既に心はそちらに向かっていた。
一刻も早く政府に関わる人間になる。
そして両親にも話したとおりに、彼らを見つけ出す。
彼らを、彼らが生活していた土地に連れ帰ってやるという目標が、当麻には出来ていた。
だから泣いている暇などなかった。
こんな状況で申し訳ないのですがお墓の事を…と切り出した職員を、当然遺族となった者たちは批判した。
もう少し日を空けて話すべきだという彼らの意見は尤もだ。
ただ政府としてはこれから様々な事務処理に追われるし、墓の位置も、手配も全て早急に手をつけなければ全てが遅れてしまう。
そうなると今でもあまり良いとは言えない世論を更に悪い方へ扇動してしまう可能性があったから、なるべく早く進めておきたいのが本音だった。
何とも身勝手な意見なのだから当然遺族はそれに納得が出来ないでいたが、それでも誰よりも年若い当麻の、
「父さんと母さんは仲が良かったから一緒に眠らせてやって欲しいんです」
という言葉には誰もが閉口し、そして渋々ながらも彼に続くしかなくなってしまった。
結果で言えばそのお陰で彼らはそれぞれ気に入った位置に、気に入った石を選んで愛すべき者たちを眠らせることが出来たのだから
これはこれで良かったのかもしれない。
話を当時に戻せば、誰もが当麻を異様な目で見ていた。
両親にもう会えないというのに妙に落ち着いている子供は、確かに大人の目には奇異に映った。
だがそれも結局、幼さゆえに未だ現実として受け止められていないのだろうと誰もが結論付け、だが当麻からすればそうではないと思って
彼らは思い思いにその場を去った。
家に帰ると1人だった。
それはいつもの事だから慣れている。
ただいまという声に応える声がないことも、音のない部屋も、全ていつもと変わらない事だ。
それに当麻には考える事があったから、今更家に1人と言うことなど些細なことでしかなかった。
はずだった。
父親が気に入って昼寝のときに使っていたハンモックに乗り、母親が愛用していたブランケットを被ると急に胸が苦しくなってきた。
体中から水分が無くなってカラカラに渇いているのに、別のガサガサの何かで急激に隙間を埋められていく感覚。
苦しくて苦しくて救いを求めて強く握ったのはブランケットで、身体を包み込んでくれているものはハンモックだった。
それを全身で感じて、当麻はそこで漸く声を上げて泣いた。
1人は慣れていた。
けれどもう、この先ずっと独りだと思うと、悲しみや苦しみが一斉に押し寄せてきて、幼い身体はそれに堪えきれずに泣き続けた。
その晩、すぐに柳生博士と孫娘のナスティが家を訪ねてくれた。
ナスティは当麻を見るなり涙で顔をグシャグシャにして、自分よりも小さい少年の身体をきつく抱き締めた。
しかしもう、当麻は泣かなかった。
博士は高齢という事もあって毎日は来なかったが、孫娘のナスティは毎日当麻の様子を見に家に来てくれた。
話す内容は大した事ではない。
気遣ってくれているのだという事は当麻にも解っていたし、あの日に存分に泣きつくしたからもう大丈夫だと彼はやはり泣かなかった。
両親からの最後の誕生日プレゼントになった天体望遠鏡が届いたのは、それから3日後だった。
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当麻12歳の頃。