スペース・ラブ



征士はその日の朝、ニュースを見て驚いた。
画面では視聴者からの投稿を示す文字付きである映像が流されていた。
映像が粗いのは手持ちの記録メディアで慌てて撮った証拠だろう。
音声も拾ってはあるが内蔵型のマイクではそちらも綺麗には拾いきれていなかった。


「…………あの中にいたのか…」


ハッキリ映ってはいない為に一目ですぐに特定は出来ないが、それは確かに謎のライダーと対峙する自分と、その背に庇われた当麻の姿だった。







「とんだ災難だったな」


ベースに着いた征士に背後から声をかけたのは見知らぬ男だった。
朝のニュースを見てただ労いの言葉をかけたのだろうかと考えたが、どうもそういう雰囲気ではない。
三つ揃えのスーツを着た長髪の男は、髪の切りそろえ方から生真面目な面が、そして意志の強そうな眉からは頑固さが見て取れた。

何となく、彼が朱天ではなかろうかと思った征士の勘は当たっていた。
律儀に礼をして自ら名を名乗った彼は、未だ朝で人気の少ないテラスに征士を誘い、最初と同じ言葉を改めて向けた。


「………いや、…相手が素人で良かったと思っている」


これは正直な感想だ。
若しあそこで襲ってきたのが熟練者だった場合、あの程度の騒ぎでは済まなかったろうし、自分たちも怪我をしていたことだろう。
下手をすればギャラリーに被害が及んだ可能性もある。
昨日の事は一日を思い返せば色々あって大変だったが、それでもまだ救いはあった方だ。


「ところで今朝のあの映像のことだが」


朱天は少しだけ目を伏せ、そしてまた意志の強い眼差しを征士に向けた。


「…あれは素人の撮影か?」

「…………」


それは征士も少し引っ掛かっていたことだった。
記録メディアは画像も粗いしズームも不安定で、しかも周囲の声まで拾ってしまっているような代物だ。
プロが持つようなものではないのは解る。
だが構図や撮影時の角度を考えると緻密な計算と経験の上で撮影された気がしてならない。
偶々手持ちがなかったプロか、或いは素人を装ったプロか…

普段ならそこまで気にも留めないようなことだが、昨日は墓地内に侵入までしていた連中がいる。
そのどれもが当麻を狙っていた事を考えるとただのスクープ狙いとは思えない。


「…あなたはどう思っている?」


逆に聞き返したのは、昨日の事を経験している征士では余計な考えが入りそうだったからだ。
その点、朱天は今朝のニュースしか知らない。前後の出来事を知らないのだから、余計な判断材料を持っていないはずだ。
その彼の意見が聞きたかった。


「私はあのライダーとグルの奴が撮影した気がしてならん」


それは征士も考えた可能性だった。
献花台には沢山の人が花を供えに来ていた。
その列に混じってタイミングを計ればあの手のものなら撮れるだろう。
では、だが何のために?


「あのライダーの自供では単独犯という事だった」

「その場で聞いたのか?」

「あとで気になって問い合わせた」

「処置については?」

「まさか撮影されているだなんて思わなかったから、そこまで聞いていない」

「そうか」


そうして2人して黙り込む。
もとより無口な征士と、恐らくこちらも口数の少ない朱天だ。会話は長く保たない。
話す内容も尽きたのだからどちらかが立ち去れば済むのだが、どうも朱天のほうにまだ何か用がある雰囲気が見える。
かと言って征士には切り出す言葉がない。
仕方なく彼のタイミングを待っていると、漸く朱天が口を開いた。


「あいつは大丈夫なのか」


彼の言う、あいつ、というのが当麻のことだというのはすぐに解った。
だが大丈夫と言うのがどの程度で答えていいものか征士は迷う。

昨日の事があって、そして議長室から戻ってきてから当麻は少し様子がおかしい。
おかしいと言っても些細なことで、具体的にどうと聞かれると征士も困るのだが、兎に角、常とは少し違っていた。
しかしそれは仕事を終えて当麻を自宅まで送り届けてから顕著になった。
1人になりたそうな雰囲気を見せるのに、少しでも征士が離れると途端に不安そうな表情になる。
それを心配して傍に行くとまた狼狽えて落ち着きを失い、1人になりたそうにする。
明らかに何かあったはずだ。
なのに、結局当麻は何も言ってくれないままに征士は自宅へと帰っていった。


「……怪我をしているかという点においては、大丈夫だ」

「なるほどな」


その答えで大体理解したのか、朱天は苦笑いをしてそれ以上の質問をしなかった。


「……ナスティが心配している」


代わりに想う人の名を告げた。


「彼女が?」

「ああ。…彼女にとって当麻は弟のような存在だ。心配なのだろう」

「ニュースの事か?」


彼らの関係がどの程度のものかは知らないが、朝のニュースを見てすぐに会話を交わす距離にあったのだろうか。
他人の事に口を出すつもりはなかったが、何か不自然なものを感じて征士が問うと、朱天が目を僅かに瞠った。


「………。聞いていないのか?」

「何をだ」

「当麻から、……その、音声ファイルのことだ」

「音声ファイルだと?何のことだ?」

「昨日議長からの呼び出しはなかったか?」


それは、あった。
そしてその直後に彼はおかしくなっている。


「……何か、…そのファイルに何かあったのか?」


低くて冷たい声を、征士は出していた。









朱天と別れた征士はハンターの待機するミーティングルームではなく、真っ直ぐにオペレーションルームを目指した。

当麻の過去の、両親との最後の会話が流出していたのを発見したのはナスティだと朱天は言っていた。
最近、何処へいっても政府への感情が好意的、或いは同情的なものだったのが彼らには気になって仕方なかったらしい。
それで何か原因があるのではないかと念入りに調べるとそれは程なくして発見された。
まだ幼い、しかし気丈に両親を安心させようとする子供の声と、そして謝り続ける両親の声。
子供の頃の当麻の声を知らない朱天には最初解らなかったが、隣に座っていたナスティの反応で何となく察しがついた。
彼の幼少期を知る彼女は顔色をなくし眉を顰め、そして形の良い唇を戦慄かせて、ひどい…と呟いたのだという。

ひどい。
そうだ、酷い話だ。
両親を失い、そして両親を自ら手放し充分に傷付いてきた彼を、まだ世間は傷つけたりないと言うのだろうか。
どうして昨夜、彼は言ってくれなかったのだろうか。言えなかったのだろうか。
それとも自分は未だ、彼を安心させてやるには力が足りないのだろうか。

征士は様々な感情が腹の底に溜まって噴出しそうになるのを必死に堪えて、今は兎に角、恋人の姿を求めて廊下を進んだ。



扉を開けて通いなれた部屋に入ると、当麻はいつものように入り口に背を向ける形で椅子に座っていた。
ただ少しばかり覇気が足りない。確かに彼は溌剌とした人物ではないが、仕事に対して無気力な人間ではない。
それが解っているのだろう、同じ部屋のスタッフの誰も彼もが困惑の色を浮かべ、征士の姿を見るなり救いを求める視線を向けてきた。


「…当麻」


後ろに立って声をかけると、座ったまま首を反らした彼の青い目がくるりと自分を見上げてくる。
目が合うと嬉しそうにニッコリと笑った。


「あ、征士。おはよ」


だがその笑みは痛々しい。
自身の感情を繕いきれないほどに、傷付き疲れたのだろうか。
そう思うと、征士は腹に溜まった感情がどくりと脈打ったのが解った。


「なんだよ、怖い顔して」

「…………とうま」


名を呼んで返事がくる前に、椅子に座ったままの身体をきつく抱き締める。
突然の事に、当然当麻は全身で抵抗するが覆いかぶさられるような体勢では分が悪い。
身体の厚みからして元から違うのだから、どう足掻いても彼の腕からは逃れられない。


「おい、征士…!何だよ急に…っ!離せ、離せってば!」


だからせめて必死に声を上げて抵抗した。
力強い腕は有難いけれど。
優しく迎えてくれる温かな胸は有難いけれど。


「恥ずかしいだろ!」


彼の突然の行動の意味が何となく解るから、そしてその優しさに泣きそうになるから、困る。
こんな所で、いい大人が泣くだなんて、恥ずかしいから、困る。

けれど征士はそんな当麻の気持ちなどお構い無しにぎゅうぎゅうと抱き締める腕を強める。


「私がこうしたいんだ。暫くこうさせてくれ」


言って鼻先を当麻の青い髪に埋める。
仄かにしたハチミツの匂いが、先日2人で買いに行ったものの匂いだと気付いて、征士の腹の底に溜まった感情はまた動き始め、
なのに出口も向かう先さえも決められずにグルグルとその場で澱み続けた。




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レンゲの蜂蜜。蓮華の花言葉は「私の苦しみを和らげる」。