スペース・ラブ
「………、今度の誕生日、一緒に過ごせなくてゴメンね」
「いいよ、…家族みんなが揃ってたことだって珍しいじゃない」
「そうだけど……でも、……もう、…………の、お祝い、してあげられない」
「いいって。父さんも母さんも、……大事な仕事だろう?俺は大丈夫だよ」
「……、すまない」
「…俺、…………父さんのことも母さんのことも、誇りに思ってるよ」
「………、」
「……、」
「……だからさ、俺、…絶対、…絶対、2人のこと、見つけるから…」
「……、…すまない……」
「俺、大人になったら2人のこと見つけて、ちゃんと………会いに行くから、…」
「………、…………ありがとう、ごめんね。……ごめんね」
「父さんも母さんも、それまで絶対一緒にいてよ?バラバラにいたら俺、探すのに時間かかっちゃうかも知れないから」
「……、わかった。ありがとう。…待ってるから。お前が来るのを、ずっと待ってるよ」
「………、………!」
当麻は自分の顔が引き攣っているのが判った。
硬く握り締めた掌には爪が食い込んでいる。
椅子に腰掛けたままの身体はまるで他人の物のように言う事を聞かないし意識はどこか遠くから冷静に自分を見ていたけれど、
それでも背中を伝った汗と沸騰しそうな血液は紛れもなく自分の感覚だった。
「……何で、……こんな物が……」
漸く出せた声は掠れていた。
昼休みが終わり議長室へ向かった当麻を出迎えたのは、いつもよりも数段顔色を失くしたバダモン議長だった。
彼は当麻の姿を認めるなり老齢の為に震える手で必死に己の身体を支えながら上質のソファから立ち上がり、
そして細い目いっぱいに悲哀を浮かべてその来訪を受け入れた。
これを、と言って差し出されたのはモニターで、表示されていたのはとあるサイトだった。
動画や音声ファイルが、様々な人種、様々な場所から投稿されるその場所に上げられた、あるファイル。
タイトルは、”スペース・ラブ”とあった。
嫌な予感と、腹に溜まっていく不気味な感触を押さえ込んでそれを開いた当麻の耳に入ってきたのは随分と古く、
音声自体も途切れ途切れになっている、画像のない音声ファイルだった。
子供の声と、その両親と思しき男女の声。
子供の名を呼んだと思われる部分は巧みに消されているし録音された場所も日付も明記されていないが、
当麻にはそれがいつ、どこで交わされた会話か、そして誰が喋っているのか、ハッキリと解っていた。
18年前のその、会話。
紛れもない、自分と両親の最後の会話だ。
当時、もうすぐで12歳になるという当麻はまだ声変わりをしていなかった。
今でも征士に比べるまでもなく低いとは言いがたい声は、当時でも同年代の同性よりも高く、性別もそこから割り出すのは難しいものだった。
その自分の声と、耳について離れない両親の声。
それらは確かに録音されている事は当時でも解っていたが、外部に流出しないように政府が大事に保管している筈のものだ。
それが何故か、人目につくところに上げられている。
その事についても腹立たしかったが、それ以上に自分の大切な過去を、無粋な手で触れられたことへの怒りの方が強かった。
「何で、こんなモンが出てるんですか…」
静かな分、怒りは深い。
それを察してバダモンは目を伏せた。
解りません。そう答えた彼の声は弱々しい。
「ただ最近の流れは妙だと感じ始めたので調べたのです」
政府への加入するエリアが増えるのは良いことだ。
それと同時に反テロ意識が強まっていくのも。
だがあまりにその速度が速すぎる。
最初は外交部門の今までの地道な努力が遂に実を結んだと喜んではいたが、それはあまりにも長く続きすぎている。
今までは事ある毎に嫌味を言っていたコメンテーターでさえも、最近は気持ちが悪いほどに好意的だ。
それに居心地の悪さを覚え始めた頃、朱天から情報があった。
どうも過去の音声ファイルが流出しているようだ。
言われてアンダーグラウンドな場所を探したが中々見つからず、まさかと思いメジャーな所を探せばそれはすぐに見つかった。
それも、流出してはいけないものが。
投稿者によって添えられているコメントは、『スペース・ラブ開発者とその家族。テロや今の平和の陰にあった悲劇』。
それがまた余計に当麻の怒りを助長する。
悲劇といわれれば悲劇だ。
ドラマ仕立てで執筆すれば万人の涙を誘うだろう。
だが自分の人生をそんな対象にして欲しくはない。
両親の意思を尊重し、彼らの意思を継いだ結果があの薬であり、そして今の自分の苦しみだ。
陳腐な言葉や安い同情など欲しくはない。
そんなものだけで表現できるものではないし、勝手に立ち入られたくもない。
それをまるでエンターテイメントのように扱われた事に当麻は腹立たしくて堪らない。
「誰、……ですか」
流出させた人物は。
外部からは侵入できない場所にあるはずのファイルだ。
どう考えても内部の者の仕業だ。
何のためにかは知らない。
いや、あの同情を引きたそうなコメントから考えればテロリストが憎い人物が、少しでも世論を政府の味方にする為にしたとも考えられる。
しかしそうなると一番疑わしいのは目の前にいるバダモンだ。
だがその彼が当麻にこれを紹介した。
ならば彼は関与していないのだろうか。
今朝の献花台の事を思い出す。
あの量だ。
先月はあそこまでではなかった。
ファイルの上げられた日は解らないが、そこから考えると、これが広く認識されだしてまだ1ヶ月弱だという事は解る。
そう言えば遼が最近励ましを受けると言っていた。
それにはやはりコレが関係しているのだろう。
だがその一方で、数時間前に自分は襲撃を受けたというのを当麻は冷静な頭で思い出した。
反テロ意識を煽っているように見せかけて、テロリストたちへの開発者の存在を表沙汰にする為に使った可能性も捨てきれない。
内通者がいたと考えた場合、情報を絞っていけばその開発者が当麻だと辿り着けないこともない。
それを思えば最もカリスマ性の強かった組織の崇高な目的を阻止した当麻が憎いのも頷ける。
逆恨みでしかないと解っていても、その存在を消したくなる輩が出てきても不思議ではない。
「内通者に関しては今、上層部で調べています。時間はかかるかもしれませんが、羽柴チーフの目の前に犯人を突き出すことも」
「それは不要です。俺の仕事の範囲ではないでしょう?………それよりも、ファイルについては?」
「実は既に上層部のほうでネット上のものは削除をしていて、閲覧は不可になっています。今ここにあるのはその時に保存しておいたものです」
「………そうですか」
「これをあなたに見せることに躊躇いはありました。ですが何も知らないより知っておいたほうが良い。
あなたなら、真実を知ることを望むと思ったものですから…」
「……そうですね。…………ありがとうございます」
「それから今朝、ハンターのバイクが2台、トラブルを起こしたと聞いています」
「ええ、それについては俺の耳にも入っています」
「ならば話は早い。この件とバイクの件、どう見ますか?」
バダモンは小声になった。
内通者を疑うのは、あまり良くはない。音声ファイルの件はどう考えてもそうだろうが、バイクの件は未だ判断が出せないのだ。
身内同士で腹の探りあいなどしていて、いざという時に足並みが揃わなくなっては笑い話にもならない。
「………正直に言えと?」
「…あなたには酷かもしれませんが、そのつもりでこのファイルを見せました」
「…なるほどね。…………………内部に、疑いはあるでしょうね」
「……………」
「ただそれはドッグの人間とは限らない。まだそこまでの判断材料はないはずです」
「確かに」
「でも…」
そこから探った方が良いのは確かでしょう。
そう言った当麻の声はもう震えてはいなかった。
議長室から戻った当麻の顔色が悪い事に気付いたのは征士だけだった。
表情も、声も仕草も全ていつも通りで、文字通りで言えば顔色だってそう変化していなかったのだが、征士には顔色が悪く見えた。
それを聞いて良いものかどうか悩んだが周囲に人がいる事と当麻の性格を考えて此処での追求は控える事にして、
代わりに秀から来ていた伝言を伝える。
「最近、メカニックチームに異動になったヤツがか?」
チームリーダーとして秀が仲間1人1人に面談をした結果、バイクに細工を施したと自供した人物が出たというのだ。
本当は全員がシロだと信じて、そして上層部にそれを伝える材料として行った面談で思わぬものが出てしまった。
秀は心底落ち込んだ様子でここに通信を入れてきたという。
「ああ。若手で仕事覚えも良かったから誰からも可愛がられていたそうだが、実は反政府意識が強いエリア出身だったらしくてな。
自らが内部に入り込んで何かしら打撃を与えるチャンスを伺っていたらしい」
「………馬鹿馬鹿しい…!」
吐き捨てるように言うその表情も、どこかいつもよりも憎しみが篭っている。
何かあったのだろうかと不安になる征士に気付いたのか、当麻はすぐにケロリとした顔を見せて、
「で、約束のカフェオレはいつ入れてくれんの?」
といつものように、甘えた声で要求した。
つまり、これ以上立ち入って欲しくないのだろう。
征士としては本当は今すぐにでも何があったのか確かめて慰めてやりたい気がするのだが、今下手に突付けば頑なに心を閉ざされそうで、
暫くは諦める事にし、代わりにちゃんと要求に応えた。
「待ってる間に冷めてしまっては勿体無いと思ってな。……ではこれから入れてこよう」
笑って髪を撫でると、気持ち良さそうに青い目が細められた。
その仕草はいつもと全く同じだったので、それだけには安心して征士はオペレーションルームから出て行った。
*****
5分にも満たない最後の親子の会話。