スペース・ラブ
「やぁ、おかえり」
ベースに帰還した征士を出迎えたのは、伸だった。
メカニックやハンターが犇く中に医療スタッフが着る白衣のままでいる為、とても目立つ。
ただでさえ誰から見ても爽やかで人当たりの良い容貌をしているのだ、普段でも人目を惹くと言うのに、それを頓着しないように
彼は笑顔を振りまきながら征士の傍に来た。
「もうビットは外した?」
「ああ。着いてすぐに回収されている」
「そう、良かった」
「何がだ」
ビットというのはハンターが出撃する際には必ず必要になるものだ。
合計8つのソレに付けられたセンサーやモニターでオペレーターが状況を把握し、ハンターのサポートをする為にある。
軽量で小さく、ハンターの動きに追従するように身体から少し離れた位置に浮遊しているため軽微なものしかないが、それなりの武器も装備されている。
「ビットがあったら当麻に聞かれちゃう」
「聞かれたくないことか」
「いや、そこまでじゃないよ。聞かれたら聞かれたで別に構わないんだけど、怒られるのは僕も嫌でね」
にっこりと笑って征士の身体をじっと眺め回し、そして残念と、口調ほど思ってもいなさそうに言った。
「…残念?」
「そー。ウチの女の子たちがさ、征士が医務室に来ないかずぅっと楽しみにしてるんだよ」
「………なるほど、当麻が聞けばふざけるなと怒りそうだな」
「まぁね、不謹慎極まりないもの。でもキミッたら此処に来て1ヶ月。ちぃっとも大きな怪我しないからさぁ」
征士が来て1ヶ月ほどが過ぎた。
ハンター本部でもある此処での”新人”というのは、最初から本部での配属を言い渡されたハンターと、そして地方でハンターになり、
その腕を認められて本部に召喚されるハンターとの2種類がある。
本部があるのは勿論、このコロニーの中心部で、そこには重要な建物も、人物も集中しているために危険度の高い犯罪が多く、
最初から本部採用となるハンターは素質も素養もかなりの高水準の者しかいない。
途中で転属となる者もかなりのレベルが求められるが、地方との差がありすぎるのだろうか、大抵最初の1ヶ月は自宅へは帰れずに
医務室と現場の往復になるものが多い。
最初から本部採用のハンターも大抵はそうだが、やはり転属組みのほうがそれは顕著だった。
征士も転属してきた人間だが彼はこの1ヶ月、大きな怪我もなく無事に自宅へ帰っている毎日だ。
「……私が怪我をしないのはオペレーターが優れているからだ」
「それってノロケ?」
「そういうわけでは…」
間髪入れない伸の言葉に、征士は苦笑いをしながら答えた。
征士のオペレーターは当麻だ。
新人の世話、特に転属組みの”新人”は、ここでの現場に慣れる意味もあって当麻がする。
そして慣れてきた頃に他のオペレーターに引き継ぐのが通例だった。
通常で大体2ヶ月。不安の残るものは3ヶ月ほど、そして勘の良い者であれば1ヶ月ほどで交代がある。
征士は勘も良いし飲み込みも早い。既に他のスタッフとも問題がない程度には馴染んでいる。
通常であれば既に他のオペレーターに代わっている頃なのだが、彼は未だに当麻とペアを組んでいた。
本当は2度ほど、代わった事がある。
征士が来て2週目を超えた頃だった。
当麻も、そして他のオペレーターも彼が充分やっていけると判断して他の女性オペレーターに代わったのだが、まるで駄目だった。
彼女は悪いオペレーターではなかった。
此処にいるオペレーターは地方のオペレーターよりも当然、ハンター同様にレベルが高い。
だが駄目だった。
彼女が悪いのではない。だが征士が悪いのでもない。
ただ、息が合わないのだ。
征士の勘は鋭く、判断するまでの時間も短い。
ハンターとして必要なのは戦闘能力だけではないのだから、彼のその能力は現場において重要になってくる。
そしてその判断の少し先を、そしてもっと広い視野をオペレーターは持たねばならないが、彼女がついていけなかったのだ。
征士が判断してから、少し遅れて指示が出る。それを待つから征士の反応が遅れる。
元々身体能力は高いから大きな怪我に繋がる事はなかったが、危ういことが1つの現場の間に幾つもあった。
本部に帰還した征士は酷く疲れているように見えたし、彼女もとても落ち込んでしまった。
だから次は彼女よりも判断の早い女性に切り替えた。
だがそれでも駄目だった。
当麻でなければ、彼に対応できない。そう誰もが思った。
だから彼のペアを当麻に戻そうという話が出た。
だがこれは征士の為だけではなかった。
当麻自身、頭の回転が異常に早い。
稀代の天才と呼ばれるだけあって、その場にいないにも拘らず其処にいる誰よりも現場を読み取る。
その分、指示は早いがそれに追いつくハンターがいない。
だから当麻はいつもなるべく丁寧にサポートしてきた。少しまどろっこしいが、それが普通だと思っていた。
だがどうだ、征士と組めば当麻が見たいと思った方向へ、指示がなくとも征士は向くし、短い言葉でも意図を正確に汲み取って動く。
まるで当麻の手足のように。
ビットにつけてある武器で援護射撃を行うにしても、撃つギリギリの、それもこれ以上はないというタイミングで征士は身を低くするし、
征士が剣を振るう邪魔にならず、しかし視野を狂わさない最高の位置で当麻はビットを待機させる。
最高の、ペアだった。
オペレーターたちが指示を出したり判断していく仕事は何もハンターに対してだけではない。
他の部門への補助もあるから、チーフである当麻はそれらを常に気に掛けていなければならない。
その為に今まで特定のペアを長期で組む事はなかったのだが、征士とならまるで息をするように自然に動けるし、
今までの仕事の妨げにもならない。
そう判断した上層部は、征士のペアを当麻に決めた。
征士はそれを微笑んで受けたが、当麻は面倒臭そうな顔をして受けた。
「だが怪我なら全くしていないワケではないぞ」
「掠り傷とかちょっと切った程度の、自分で世話できる範囲なら、悪いけど僕らは怪我って呼ばないよ」
申し訳無さそうに言った征士の言葉は、ぴしゃりと叩き落される。
「大体キミ、そういう怪我はいつも当麻に診てもらってるじゃない」
「彼は手当ても上手いのでな」
「だからそれ、ノロケ?」
どのハンターも、大きな怪我以外は大抵が自分で手当てをするか、それかペアを組んでいるオペレーターに報告のついでで診てもらっている。
ペアを組む以上僅かな身体の変化も把握しておく必要はあるし、医務室へ行って物資を無駄に消費するのも気が引けるからだ。
それは征士も同じで当麻にいつも診てもらう。
では医務室は暇なのかと言われればそうではない。
ハンターたちが装備している武器はどれも威力の大きいものばかりだ。
対峙している犯罪者やテロリストだってそれは同じ、いや、下手をすれば違法な改造を施しているために、ハンターのソレを大きく上回っている事もある。
そうなってくると現場は目も当てられない惨状になるし、大怪我を負う事もある。中には命を落とすハンターも少なくはない。
医務室はそういうハンターで溢れかえっているために毎日椅子に座る暇もないのだと伸は言っていた。
実際、今は休憩時間なのだろうから出歩いているが、それ以外の時間で彼が医務室から出るのを見たものはいない。
「ホンっト、キミ、当麻の事大好きだね」
からかいを込めて伸が言うと、征士は綺麗に微笑んだ。
殆ど表情が変わらない彼なのに、綺麗に、自然に。
「ああ、大好きだな」
軽口に軽口で答えた風ではないその言葉に、いつもはやりこめる側にいるはずの伸が一瞬黙った。
「………そう、なの…?」
恐る恐る聞き返してしまう。
別に伸だってそういう事に対して嫌悪はないが、何となく意外だった。
「私は当麻のためなら何だってする」
対する征士は綺麗に微笑んだまま、優しい声で答える。
それは適当に聞けば先程の会話の流れからの戯言のようにも捉えられるが、対面している伸にはそうは思えなかった。
大体、普段は表情筋がないのではないのかと思うほどに変わらない彼の表情が、これほど鮮やかに変わるのは当麻の事に関してだけだ。
腑に落ちると言えば、腑に落ちる。
伸は感嘆に息を吐き、自信に溢れた美丈夫を見やれば、彼は身に纏った黒のボディスーツの前を開けながら話は終わりかと聞いてくる。
「報告もあるし、足を捻ったようなので…」
「……あ、ああ、はいはい。当麻のトコに行きたいのね。解りました。お話はそれだけ」
どうぞ愛しのあの子の元へ行って下さいと手で促せば、それに従って征士が歩き始める。
その背に向けて、何となくペースを奪われた気がして悔しくなった伸は、
「骨折までいかなくても、脱臼くらいしてたまにはウチに顔出してね」
と笑顔で、無邪気に手を振りながら投げ掛けたのだった。
「おせぇ」
オペレーションルームへ入れば眉間に皺を寄せた当麻が、椅子に身を沈めたまま入り口に立つ征士を睨みつける。
「すまない、待たせた」
「待ったよ。待ちまくった」
「だから謝っている。ほら、これで機嫌を直してくれ」
現場から戻ったばかりの征士を当麻は待ち焦がれていた。…のではなく、彼の手にあるカップを待っていた。
「……んまいっ」
帰還した場所からオペレーションルームまでの道のりの間に、休憩室があり、其処では様々な飲み物がある。
当麻は此処にあるカフェオレが大好きだった。
忙しい身の彼は中々自分では取りに行く事が出来ず、大抵他の誰かに頼む事が多い。
ならば今回も征士を待たずに誰かのついでで一緒に頼めば良いのだが、そういうわけにはいかない。
何故ならシュガーを入れる分量が、征士は絶妙なのだ。
実に当麻好みの甘さで作ってくれる。
頭脳労働の疲れには糖分が必須と声高に言い続けている当麻は、大の甘党で、しかも舌が肥えている。
だからその彼の好みとなると実は結構難しい話なのだが、征士の入れたものは最初から好みを知っているかのように舌に馴染んだ。
「冷まさなくて大丈夫か?」
「……大丈夫」
しかも猫舌の当麻にも飲みやすく、だが一気に飲めるほど温くもない、適温で入れてくる。
冷たい手をした当麻はその手を温めるようにカップを両手で持ち、美味しそうにそれを飲んでいたが、
その姿をまるで宝物のように見つめている征士の視線に気付いたのか、居心地悪そうに椅子の上で身じろいだ。
「なに」
「いや、報告と…」
「ああ、足か。そこ座って見せてみろよ」
忘れてた、とカップを横に置いて向かいの席を征士に勧める。
征士が其処に座ると、だが当麻は椅子から立たず、勿論彼の前に膝をつくこともしない。
「足、見える場所まで持ち上げて」
彼のその面倒臭がり過ぎる態度に征士は苦笑いをしているが、他のスタッフはチラチラと盗み見ては、すぐに視線を逸らす。
まるで我侭女王とその僕のようだ、などと思いながら。
当麻は傲慢な態度を、今までとった事がない。
ふざけて横柄な言い方をする事や、腹を立てて汚い言葉を、稀にではあるが吐く事はあった。
それでも共に働いている他の人間に対して、まるで当たり前のことのようにそんな事を言う事はなかった。
だが征士に対しては遠慮がない。言葉も短い。
それはともすれば傲慢で、嫌な光景に映り兼ねないのだが、何故かこの2人だとそうは見えない。
いつも冷静で常にどこか一歩引いたような態度しか見せない当麻が、何だか甘えているようにも見えて、こう、言うなれば、可愛い、のだ。
本人はそういうつもりは全くないから言えばきっと顔を思い切り顰めるだろう事は解っているので誰も口にしないだけで。
「んー…湿布でも張ってりゃ明日には痛みも引いてるだろ」
「そうか」
「ああ。……何なら貼ってやろうか?湿布」
自分の席の引き出しの2段目を開けて聞く。
其処には簡単な手当てのための用品がある程度入っていた。
その中から湿布の箱を出して征士の目の前でひらひらとさせている。
「貼ってくれるのか?」
「さぁ、どうしようか」
「見返りに何を要求するんだ?」
征士は足を一旦下ろして上体を前に傾け、そして当麻に顔を近付ける。
息がかかりそうなほど近付くと当麻が嫌そうに顔を顰めて身を引き、黙り込んだ。
その様を微笑みながら征士は楽しみ、椅子を滑らせて距離を詰める。
「面倒だから今晩は外で食事を済ませようと思うのだが1人ではつまらんし、私はまだ土地勘がない」
「それで?」
「食に煩い当麻なら良い店を知っているかと思うのだが……ご同行願っても?」
俺の食いたいモンでいいなら、行く。
僅かに頬を染めてそう言い返す当麻に、征士は嬉しそうに目を細めるとそれを了承した。
*****
少しずつ仲良し。