スペース・ラブ
ミーティングを終えた征士がいつものようにオペレーションルームへ向かう途中、伸に出くわした。
潔癖というほどではないがいつも爽やかな身形をしている彼にしては珍しく髪が微かに乱れ、シャツの襟も少々草臥れているところを見ると、
どうやら夜勤明けらしい。それも、相当に慌しい夜を過ごしたようだ。
「…やあ」
挨拶まで疲労が滲み出ていた。
それに同情してはみたものの、表情の乏しい征士ではあまり伝わった様子もなかった。
「当麻のところ?」
「ああ」
「相変わらずだねぇ……僕も癒されに行こう」
からかう声にもいつものような弾んだ雰囲気は半分しかない。相当疲れているらしい。
その彼が、癒しを求めに行くという。
「どこへ?」
「キミと同じ場所へ」
「………当麻?」
赴任してきた最初の頃から、こと当麻に関しては心の狭さを時折見せていた美丈夫は恋人になった途端、以前よりもハッキリと
心の狭さを発揮しまくっていた。
それに伸が苦笑いを漏らす。
「近いけど、ハズレ」
「しかし同じ場所と…」
「まぁねー」
真っ直ぐに進んだ廊下の突き当りを左へ行けばオペレーションルームだが、そっちへ行こうとした征士の腕を伸は乱暴に引いた。
今日はそっちじゃないよ、と言って。
当麻のところへ向かうといった征士と、目的地は同じと言った伸。
だが彼の目的は当麻ではない。そして今日の行き先もオペレーションルームではない。らしい。
どういう事かと征士が目だけで問うと漸く伸が答えをくれた。
「今日はね、当麻のところに可愛いのが来てるんだ」
「…可愛い?」
「ま、確かにキミからしたら当麻のほうが可愛いかもしれないけど。……兎に角、可愛いのが来てるの。ホラ」
そう言って伸が指差した先にあるのは、大きな窓を正面に構えたスペースだった。
エントランスを見下ろすことも出来るその場所は反対側には中庭が見え、シンプルだが光の入り方まで計算された明るく美しい場所だ。
そこに幾つかのソファとテーブルが用意されており、夜にもなればそれなりにムードのある場所にもなる。
しかしハンターベース本部であるこの建物に入れる人間は非常に限られており、そのデザインが愛される事は滅多とない。
ベース内で付き合っている人間同士ならば休憩も兼ねてここで少し語らうというのもいいかも知れないが、
このフロアにはオペレーションルームの他は、 上層部の人間しか立ち入ることのない部屋が多数を占め、妙な緊張感を強いられる上に、
仮に上層部の人間が面会に使うには開けすぎていて安全面に於いてかなり心許ない。
つまり、誰もが認める設計ミスのようなスペースだった。
そこに当麻はいた。
黒髪の、随分と幼く見える人物と共に。
それに征士の目が細められたのを、伸は目聡く、そして活き活きとした様子で見つけた。
「キミ、本当に心が狭いね」
「あれは誰だ」
言われた征士は伸の言葉など丸ごと綺麗に無視して、自分の中にある疑問を手短に聞いた。
慣れたもので、伸も特に気分を害した風もなくすんなりと、遼、と答える。
「…りょう?」
「そう、遼」
「……何者だ」
「レンジャーだよ。今年で18歳になる」
「18歳?……ちょっと待て、それでは計算が合わん」
征士が言いたい事は伸も解ったらしい。
確かに計算が合わない。
レンジャーもソルジャー同様にハンター業の1つではあるが、そこになるには先ずハンターからのスタートだ。
そしてハンターになるには地方で採用されるか、そうではければ士官学校を卒業して都市部での採用になるかの2通りしかない。
一番早い年齢でハンターになれるのは16歳。但し、これは地方での採用に限る。
士官学校を通すとまず入学自体が16歳だ。そこから卒業してハンターになるには大体20歳くらい。早くても18歳。
その代わりに士官学校を出ればいきなり都市部での採用になる可能性は高く、仮に地方への配属になっても都市部への転属は
地方での採用者よりもかなり早い。
ソルジャーになるにもレンジャーになるにも、地方採用からとなると先ず都市部へ転属、そしてそこからの異動になるため、順調にいっても
20代半ばにならなければそこに所属は出来ない。
都市部での採用にしても、最短でも恐らく20歳は越えてからの異動だ。
なのに、遼はまだ18歳でレンジャーだという。
「遼はね、実はスカウト組みなんだよ」
征士の疑問に伸は先に答えを提示した。
「……スカウト?」
「そう、スカウト。遼は元々山岳地帯の生まれで、自警団の大人たちに混じって、子供ながらも自然保護活動をしてたんだ。
身体能力が異常に高くてね、それが偶々本部の人間の目に止まって、スカウトされたんだよ」
どうもスカウトというのがある”らしい”とは聞いていたが、そんなものは噂でしか聞いた事のなかった征士だ。
これには驚いた。
もう一度、遼という少年を見る。どう見てもあどけない、子供らしい表情を残した少年だ。
「…彼が……」
「うん。ま、彼は本当に異例中の異例さ。16歳でスカウトされてそのまま一度ハンターとして本部採用になってる」
「それからの異動か?」
「………最初は本人も拒んだけどね」
「何故?元々していたのがレンジャーの真似事の自警団なのだろう?」
「そう、でもイヤだって」
「…何故」
「当麻の傍を離れたくないってさ」
「…………………何故」
随分と低い声が出た。
子供相手に見っとも無いと伸はそれを咎めたが、その表情は相変わらず楽しそうだ。
大方、所詮は他人事だと思っているのだろう。実際それは間違っていないけれど。
「遼はハンターとして申し分ない能力を持っていた。自警団時代に培われた判断力も、反応速度も、身体能力も全てが。
ただ実戦としてハンターには向かなかった。何故だか分かるかい?」
「知らん」
「少しくらい考えてよ。そんなに当麻に近付くのが気に入らないわけ?」
「クイズは良い。理由を教えろ」
「はいはい。…遼はね、優しすぎたんだ。実際、自然保護を目的とした自警団は密猟者に対して威嚇はしても命まで取ったりはしない。
けれどハンターはテロリストと戦うし、君だって知ってるだろうけれど脳さえ無事なら命の有無は問わない事が多い。
それが遼には耐えられなくて……何度現場に出ても彼は実力の半分も出せなかった」
「……………」
「それでも本人は頑張るって言ったんだよ。でも当麻が駄目だって判断した。遼は純粋すぎるって。
…あの時は酷かったなー。話はずっと平行線。何日も説得ばっかりでさ。遼は泣きじゃくってるし当麻は手に余らせてるしで……
ま、結局、当麻がレンジャーへの手続きを済ませたお陰で今はすっかりあの通りなんだけどね」
そう言って伸が示す先では、2人は楽しそうに話をしている。
「遼からしたら当麻は憧れの塊だったんだよ。適度に大人で優しくて賢くて、そしてハンターとしても腕が良い。そんな人と仕事が出来るっていうのに、
遠ざけられるのが辛かったんだろうね。でもその当麻がレンジャーとしての仕事を言い渡してくれたんだ。今は張り切ってるってトコかな?」
「それで今日は何故ここに?」
「定例報告。持ち回りの当番制で、今月が遼の当番。報告はもう終わったから残りの時間は当麻と話したいんでしょ。
あー純粋な子って本当癒されるよねー此処は爛れた大人ばかりだもの…キミみたいな」
にやりと笑って隣を見た伸だが、間抜けな事に途中から完全な独り言になっていたらしい。
「………アレ?」
隣にいたはずの征士はすでにソファに座って談話している2人に近付いていた。
「じゃあ当麻は俺が子供だからって言うのかよ」
「子供って言ってんじゃなくて、見た目が幼いって言ってるんだよ」
「当麻だって大人らしいとは見えないからな!」
外を向きつつ、それでも互いが見えるように斜めに配置されたソファにそれぞれ座った2人はじゃれあうように会話をしていた。
年の差は10歳以上で外観も全く似ていない彼らだが、その仲の良さからまるで兄弟のようにも見える。
「俺はもう30だからな。大人だよ大人。アダルトだ」
「髭も生えないくせによく言うよ」
「遼だって生えてないだろ」
「俺はまだ18だからね。来年には生え始めるかもしれない」
「いやー、遼の顔だと無理だって」
「無理じゃないよ!」
「無理無理。観光客からペロペロキャンディなんて貰っちゃってるうちは、」
「お前も人の事を言えた義理ではないだろう」
突然背後から聞こえた低い美声に遼と当麻はほぼ同時にソファの上で跳ねた。
「せ、…せせ、征士!?」
「え、なな、何?誰!?」
声も同時。
それに征士の端正な顔が歪む。
「お前……いつからいたんだよ」
口調は少し面倒臭そうだが、当麻は心底驚いていた。
このフロアの床は、重要人物が通ることも多いために防犯の意味合いで態と靴音が響きやすい造りをしている。
現場に出ていないとはいえ当麻は士官学校を出て18歳で採用されている腕の持ち主だし、遼だって先ほど伸が述べたとおりの経歴の持ち主だ。
その2人が揃って征士の足音にも、気配にさえ気付かなかった。
これほど見通しの良い場所にも拘らずに。
「ついさっきだ。当麻が見える場所にいたという事なら、もう少し前からになるが…」
言ってからチラリと遼を見る。
迫力さえある美貌の持ち主に見られて彼は頬を染めながら、しかしどこか切なそうな目でそれに応えた。
「この人が当麻の恋人かぁ……」
「…うん?」
少年の呟きに征士は警戒心を強める。
そしてその言葉に反応したのは当麻だった。
「遼、知ってんの?」
「知ってるって?」
「いや、だからその……征士のこと」
「征士っていうのか」
「えーっと……話がちょっと噛み合ってないぞ。遼、コイツが俺の恋人って知ってるんだよな?」
「ううん」
「えええっと………どういう事だ?」
「当麻に恋人がいるっていうのは聞いてきた」
「誰から」
「ナスティから」
知った名前を言われて征士も警戒を解く。
しかしどうやら彼女は結構な範囲で言い触らしているのかもしれない。
それは牽制になるから便利といえば便利だが、自分の知らないところにまで広まっているのには流石に征士も居心地が悪かった。
「ナスティは、何て?」
「当麻に凄い美人の恋人がいて、番犬も兼ねてるって」
そしてその言い草はどうだ。征士は眉間に深く皺を刻んだ。
元々女性に対して苦手意識はあるほうだが、彼女は特に苦手かもしれない。そう心の中で呟いた。
「言われたとおりだった」
にっこりと、そして屈託なく遼が言うと頃合を見計らったように伸がその輪に加わった。
エントランスを出て行く遼は、未だ陽の当たるスペースにいる当麻を見上げて手を振っている。
それに当麻も柔らかな笑みを浮かべて同じように手を振って見送っていた。隣には当然のように征士もいる。
伸だけは疲れが溜まり過ぎて先に帰っていった。
「…気持ち悪いな」
しかし穏やかな光景に似つかわしくない言葉を呟く。
征士はそれに意識だけ向けて、顔は当麻同様に階下の遼を見つめたままに聞き返した。
互いに唇はあまり動かさなかった。
「何がだ」
「遼の事。……最近、遼の担当エリアでは観光客に自然の事に付いての講習会も開いてるらしいんだけど、そこに参加した客から、
ここ最近急に妙に励ましを受けたり差し入れをもらったりする事が増えたらしい」
「………彼が幼く見えるからか?」
「それも可能性としてはある。けどそれならもっと前の方が遼は子供らしい顔をしてたはずだ。それが最近、急にだぜ?」
「……彼のファンという可能性は?彼は人懐っこくて愛嬌があったぞ」
「それもある。けど、それだけじゃないだろうな」
「例えば?」
「まだ答えとしては提示できないけど、ちょっと最近の世評は随分と政府に好意的過ぎて、…気持ち悪い」
反テロ意識の強まり方も、政府への加盟エリアの急増も、どれもこれも。
静かな声で言った当麻が一際大きく手を振った。
その後でエントランスにいた遼の姿が、完全に外へ出て行った。
*****
遼の相棒は白炎というホワイトタイガーがモチーフのメカニカルアニマル。