スペース・ラブ



荷物が昼過ぎに届き、部屋がある程度片付いた時は既に外は真っ暗になっていた。
都市部に知り合いのいない征士は1人で片付けるしかなかったから仕方が無いにしても、空腹に気付く。


「……近所の散策も兼ねて何か食べに出るか」




最初の”研修”から4年経っていた。
その間にも2度ほど研修はあり、征士はその全てにおいて概ね好評な結果を出していた。
4年だ。
妹は既に結婚して新しい生活にも慣れてきていたようだった。
だから声がかかったとき、征士はすぐにそれを受けた。

研修で本部に行くたびに青い髪の青年を征士は探していたが、いつも見かけるのは後姿だけだった。
顔は一応見た事があるが、それはベース内にあるID登録のために撮影したデータの中のみだ。

自分と同い年の筈の彼は目が大きいからだろうか、言われなければ年下にしか見えない幼い顔をしていた。
写真の彼は薄っすらと微笑んでいたが、それは征士には虚ろに見える。
それが胸に痛みを呼ぶのでその1度きりで征士は彼の写真を見る事はやめた。
早く幸せそうに笑って欲しい。そう願うばかりだった。


さあ一人暮らしのために借りた部屋から出たはいいが、何処へ行っていいのかわからない。
幼い頃に、別の都市に住む従兄弟から聞いたとおり田舎の故郷と違って店は幾つもある。
だがそのどれもが大勢人がいて騒がしいか、そうでなければ理由をつけては寄り添っていたい関係の者達がひっそりと集う、
1人では少々入り辛い雰囲気の店ばかりが並んでいた。
征士が好むような丁度いい雰囲気の店がないのだ。
これには征士も辟易した。
これほど店がありながら良いと思える店がない事が不思議でならない。
それとも都会というものはこういうものなのだろうか。
こんな都会に、彼は1人暮らしているのだろうかと思うと、何だか征士は居心地が悪くなってくる。

あまり遠くに出て部屋に戻れなくなるのはお粗末だ。
だからなるべく近所で探していたが、今日は途中で見かけたスーパーで何か買って帰ったほうがいいのかもしれない。
そう諦めかけた征士は路地の影にある、密やかに掲げられた看板に気付いた。
興味を引かれて近寄っていくと笑い声が聞こえてくる。
楽しげだが決して煩くはない話し声。
どこか温かささえ感じられる店の明かりにひきつけられて、征士は扉に手をかけた。


見た目以上に重いドアを押せば、取り付けられた鐘がカランと鳴る。
来客に気付いたマスターらしき人物がドアのほうを振り向き、自分に声をかけようとして、そして息を飲んだのが征士にも解った。
だが彼のその行動の意図が解らず入り口で立ち尽くしてしまう。
するとそんな征士を無視して、マスターは今度はカウンターに座っている客に向かって嬉しそうに告げた。

誕生日プレゼントが来たよ、と。

マスターに釣られて征士の視線もその先へと向けられる。
そこで征士もマスター同様に息を飲んだ。

青い髪の、ほっそりとした青年がいた。
本部のデータで確認した写真と同じ顔だ。
確か名を羽柴当麻といったはずだ。
自分と同じく島国の血を引く名を持つ彼が、そこにいた事に征士は素直に驚く。
そんな征士を見て彼は写真と同じように、だがしっかりとした存在感を持って笑みを浮かべた。


「本当だ、誕生日プレゼントだ」


嬉しそうに、柔らかく。


周囲に勧められワケも解らないままに彼の、当麻の隣に征士は腰を下ろす。
すると当麻のほうから人懐っこく話しかけてきた。
どこの生まれだとか今幾つだとか、好きなものや最近のニュースから拾った話題など、色々と話は尽きなかった。
征士自身はそう口数の多いほうではないが、それでも当麻との会話は何の苦痛もなかった。
寧ろ心地よくて、滅多としないが自分からも沢山話してしまった。
まるで、昔からの友人のように。

ただ、当麻は自分の事は何も話さなかった。


マスターの作ってくれたラザニアを食べ、出された酒を飲む。
隣にいる当麻も話しの合間に結構な量の酒を飲んでいた。
楽しげにしている姿からは、過去に見た寂しそうな影が見えない。
もう心は癒えたのだろうかと征士はちらりと考える。
それは喜ばしいような、だけど少し悔しいような複雑な思いを抱えながらグラスを傾けた。


食事も終わり時計を見ればあと1時間ほどで日付が変わろうとしている。
そろそろ帰って休んだ方がイイと判断した征士が席を立つと、当麻も同じタイミングで席を立った。
まだ店内にいる他の客に挨拶をして、そしてマスターにも上機嫌に手を振る当麻を待って、征士は店の外へ出る。


「それでは…」


明日、また顔を合わせる事は言わなかった。
当麻の事を征士は知っていたが、それは一方的なものだ。
知っている事を変に匂わせて彼に警戒されるのも困る。
だから今夜はもう別れて、また明日会えばいい。新人の担当は彼だと聞いているから、必ず会える事は解っているのだ。

明日会ったらどんな顔をするのだろうか。

征士は密かにそれが楽しみでもあった。
兎に角今夜は帰ろうと店を出て歩き出した征士の袖を引く手があった。


「……?」


振り返るときょとんとした表情の当麻が立っている。



「…どうした?」

「どこ行くんだ?」

「どこって…」


帰るつもりだ。征士がそう言うと、途端に当麻の眉間に皺が刻まれる。


「何で」

「何でって…私は引っ越してきたばかりだが、明日は早速仕事なんだ、だから」

「誕生日プレゼントなのに?」

「………その誕生日プレゼントと言うのは何なんだ」


バーにいる時から時折言われた単語だ。
何となくその意味を聞きそびれてしまっていたが、思い切って尋ねてみる。


「俺、明日が誕生日なの。で、お前は誕生日プレゼント」

「だからそれは、」


思わず聞き返した征士の言葉を無視して、当麻は征士の行こうとした方向とは逆に歩き始める。
あまり力を入れていなかったのか、袖から当麻の細い指は離れていた。


「誕生日に1人ぼっちは寂しいだろ?」


そう呟いた背中は、酷く寂しそうだった。






結局征士は当麻の部屋に連れてこられた。
広い部屋は思ったより閑散としていなかった事に安心する。
隣の部屋を覗き見れば書斎にしているのだろうか、特注としか思えない本棚が天井まで聳え、本がみっちりと詰まっているのが見える。


「飲みなおそう飲みなおそう。…ってアレ?ビールしか冷やしてなかったな。征士、ビール平気?」


部屋の主は楽しそうに冷蔵庫を漁っている。それに征士は落ち着かない様子で返事をした。

部屋に誰かを招く事に慣れているのだろうか。
こうして誰かを招いて、共に夜を過ごす事に慣れているのだろうか。

そう思うと何故か心がざわつく。

立ったままでいると当麻にソファに座るよう勧められた。
征士が腰を下ろすと、その隣に同じように当麻も腰を下ろす。
手渡されたグラスにビールが注がれ、仕切りなおしの乾杯をした。


会話はバーにいたときと同じように何気ないものだ。
だがその合間に征士は隣を盗み見る。

アルコールで上気した肌。潤んだ瞳。
酒を煽るたびに反らされる細い首と、上下する咽喉。
楽しげにするのに時折不安げに揺れる表情。
人懐っこく身体を寄せてくるのに、何処か遠慮がちな仕草。

そのどれもが征士の中の何かを刺激する。
渇いているわけでもないのにツバを飲み込んだ。


「当麻、」

「んー?」


自分のグラスにまたビールを注いでいる彼は征士のほうを向かない。
泡を綺麗に立てる事に今は執心しているようだ。


「ずっと言っているが、誕生日プレゼントと言うのは結局何なのだ」

「だーかーらー、俺、明日誕生日なんだって」

「それは解った。そうではなくて、何故私が誕生日プレゼントなんだ。…初対面の筈だろう?」


若しかして彼も自分を認識してくれていたのだろうかと微かな期待をしてしまう。
だがその期待はやはりすぐに打ち消される。
当麻の首が縦に振られた。


「征士みたいなヤツ、会った事があったら俺、絶対忘れてないって」


キメ細やかな泡が発った事に満足したのか当麻はそれをうっとりと眺めたままだ。


「では一体何が…」

「俺ね、バーの皆に誕生日プレゼントは何がいいって聞かれたんだよ」

「ああ…」


適度な距離で親しい彼らを思い浮かべて、曖昧な返事をする。
彼らと共にいる時は当麻の寂しさも和らぐのだろうかと考えてチクリと胸が痛んだ。


「で、俺は”料理の上手な美人の恋人が欲しい”って言ったんだ」

「………恋人?」


聞き返す。
漸く当麻が征士のほうを向いた。


「うん」

「その……欲しいのか、…恋人、が」


征士の脈が僅かに早くなった。


「んー……欲しいっちゃ欲しいけど………それよりも」

「それよりも?」

「……傍にいてくれる人が欲しい、かな」


恋人じゃなくたっていいんだ、と言う表情はまた寂しげなものになっていた。
それに今度は征士の脈が確実に速くなる。


「誰かに傍にいて欲しいのか?」

「……うん」

「…寂しいのか…?」

「…………………………誕生日に1人ぼっちは、…寂しいだろ?」


バーを出たときにも言っていた言葉だ。
それを頼りに征士は過去を思い返す。

マシントラブルを報じるニュースを見たのはいつだ?
確か木々が色付き始めていた季節だ。
そして自分は…まだ半袖を着ていたはずだ。
今は10月で、故郷は日中でも半袖で過ごすには少々心もとない季節になっている。

誕生日を迎える前に、1人になったのか。

征士はそう気付いて思わず拳を握り締めた。
隣の当麻が、またビールを煽ったのが解った。


「…いてやろうか」

「………へ?」

「傍に、私がいてやろうかと言っている」

「………………」


真剣に見つめて言えば、当麻が驚いたように目を見開く。
大きな青い目がゆっくりと瞬いた。


「……誕生日、いてくれんの?」

「誕生日だけではない。…当麻が望むのなら、ずっと」


膝の上に乗せられたままの、グラスを持っていない方の手に征士は自分の手を重ねた。


「………いいのか?」


首を傾げる姿が随分と幼く見える。
それでいて上気した肌が艶かしい。

誘われそうになる心を押さえつけて、征士は頷いた。


「…じゃあ、…………………いて」




*****
あの夜のこと。