スペース・ラブ



今までこのウィルスにかかった人間が死に至るまでの時間は、早くて5日。長いものでは2ヶ月近く生きていた例もある。
ただこれは老若男女に全く関係ない数字だったので、皐月が一体どれほど持ち堪えるかは解らない。

彼女の命があるうちに薬が開発されることを祈るしかない征士に、政府から連絡があったのは彼女が眠って9日目のことだった。



久し振りにハンターベースを訪れると、5年前に現れた役人と違うまた別の人間が部屋で待っていた。
どこか晴れやかな笑みを浮かべている気がして、そこを訪れた誰もが期待をした。
そして彼はその期待通りの言葉を彼らにくれた。


「薬が、やっとできました」


そう言って住人に、まず彼らが予防のために服用する錠剤の配布があった。
それをその場で服用するよう言われ、それが済んだ者から薬の入ったアンプルと誰でも使える簡易式の注射器を渡される。
だがその数は明らかに眠ったままの人数より少ない。


「あの……うちでは3人眠ったままなのですが…」


ある女性が言った。
役人は彼女のほうを向き、そしてしっかりとその目を見たまま申し訳無さそうに口を開く。


「その薬は、もうお亡くなりになっている方には効果がないのです。あなたのご家族は、現在”眠っている”のはお父様だけだと
こちらでは伺っておりますが…」

「………えぇ、そうです、でも、……本当に、効果が無いんでしょうか…!?」


それはそこにいた誰もが思った事だ。
征士の場合だって妹の皐月が今からなら間に合うが、それでもやはり他の、未だにベッドに横たえてある家族全員を救ってやりたい。
腐敗することもなく、未だに眠りについたときのままの姿を保っている家族全員を。
だがこれは万能薬ではないのだ。
一度失った命を取り戻すことなど不可能なのだと、役人は言う。


「そんな……でも、いつかは出来ますよね!?」


縋るように言っても彼の首が縦に振られる事はなかった。


「それが、精一杯なのです。死者は蘇りません。政府が抱えている、最高の頭脳を持つ人物が開発したそれが最善のものなのです」


苦しそうに、吐き出すように。


「でも作れたんでしょう?薬、出来たんですよね!?これで、発展だって、」

「無理です!」


先ほどまで、それでも優しさを滲ませていた役人の声に、ハッキリと拒絶が滲んだ。
薄っすらと怒りさえ含んで聞こえたのは征士の気のせいだろうか。


「……どうして、無理だと?」


責めるではない征士の声色に気付いた役人は、硬く握った手を開き、そして無理矢理に穏やかな表情を作ってみせた。


「その薬を作るのに出された献体を隈なく調べ、血の一滴まで使って考えてもそれが限度だという事を”彼”がハッキリ言ったのです」

「献体が…あったのか?」


後ろの方から声がかかった。


「はい」

「どこの、誰…?」

「それは言えません」

「まさか……身寄りのない人を使ったのか…?」

「そんな事は致しません…!きちんと遺族の方の許可を得ました」

「じゃあ、どこの誰?ちゃんと感謝したいわ。教えて下さい」

「それは出来ません」

「どうして?…やっぱり明かせないような理由があるの!?」

「ありません、ですが言えません」

「どうして!?感謝がしたいだけなのにか!?何も悪さをしようっていうわけじゃないんだぞ!」

「解っています、ですがそれは本人からの強い希望で明かせないのです」

「何で…!」


献体を提供してくれたのは開発者で、献体は彼の両親なのです。

汲み取ってくれと言わんばかりの役人の静かな声に、全員が黙った。





ハンターベースを後にして暫く、住人は連なって歩いていた。征士もその中にいた。
誰も何も言えなかった。
自分たちが拒んだ献体。何処も同じだと、過去に来た役人は言っていた。
恐らくこの5年間、それは変わらなかったのだろう。
だが献体は遂に得られた。
政府の関係者によって。


「……凄いなって思うけど……怖いね」


誰かが言った。
何を、というのが、その開発者、という事だと誰もが解った。


「だって、自分の親、使ったんでしょ?切り刻んだんでしょ?その人」


幾ら全人類のためといえども、生きているとしか思えない両親を差し出して、そして帰って来る望みもないというのに。


「私には、……出来ないよ。やっぱり都市部の人って情がないのかしら、…」

「どういう意味だ」


その声に苛立って征士が反応した。


「そこまでして作ってくれた薬を怖いといって何になる。仮にそうだとしても私達が出来なかった事を代わりにしてくれた人間に対して、
一体何様のつもりだ。その人がいてくれたから、私たちは家族を取り戻せるんだぞ…!それを素直に有難いと思えないのか!」

「で、でも、…だって、…やっぱりちょっと不気味に」

「手立てがなければそれを責め、救いに対して感謝したいと言いながら知ればそれを不気味と思うなんて、ただの傲慢ではないか!
そんなにその人物が怖いと思うのなら、その薬を怖いと思うのなら持ち帰らずに捨てればいい。違うか?」


厳しく響く征士の声に、彼女は俯いてしまった。
未だに、だって、と続ける彼女の声は涙でぶれている。
何とも言えない空気を置いて、征士はまっすぐに家に向かって帰った。







帰宅後すぐに征士は妹の部屋を目指した。
明確なタイムリミットがないのだから、若しかしたら一刻を争うかもしれない。
説明書に従ってアンプルを注射器にセットし、それを妹の首筋にあてがうと一気に体内へと差し込む。
息を詰めて見守っていると、数分後に皐月は目を覚ました。
自身が眠ったことを知らない彼女は、傍らにいる兄が涙ぐんでいる理由を知らない。
その彼女に自身が感染していた事や既に9日が経過している事を教える。
そしてこの薬でももう家族は息を吹き返さないのだと、征士は話した。


「………そう」


薬がどうして開発できたのかを兄から聞いた彼女は、言外にある事実をきちんと理解できたのだろう。
その人に感謝しなくちゃね、と呟いた後、兄に笑顔を向けた。


「お兄ちゃん、お腹空いた。お兄ちゃんの作ったクロックマダムが食べたいな」






2人だけ残った兄妹は、すぐに他の家族の葬儀の手配を済ませた。
それは町の中でも一番早い手配だった。
中にはそんな兄妹を非難する声もあったが、それは踏ん切りがつかない自分の気持ちのやり場に戸惑い、ただの八つ当たりに近いものだった。
だからそれらはすぐに声を潜め、そして時間はかかったが彼らに倣う者が1人、また1人と続いた。

5人の墓を並べて作り、そこに眠ったままの姿の彼らが5人。
埋めてしまうときにはやはり涙が零れたが、それでも彼ら兄妹は、開発した人物の両親は墓にさえいないのだと思うと、
それ以上は何も言わなかった。
無言で手を合わせ、庭に咲いていた花を彼らの眠る場所それぞれにそっと置いて兄妹はそこを去った。



エリア全体の人口は半分以下になってしまっていたが、まだ息のあった者は全員、無事に目を覚ました。
そして徐々に墓の数も増えた。
みな、現実として前を向き始めた。
町は寂しくなったが、それでもそれなりに活気も戻ってきた。

他にも変化はあった。
住人のハンターベースに対する嫌悪感は随分と薄らいだのだ。
あの件で彼らが住人に見えるところで何かをしてくれてた事はなかったが、それでも薬を受け取る優先順位を上げてもらえるように
上に掛け合ってくれたと知り、そして薬の開発者の事もあって街の若い連中に何人かはハンターを志願した。
その中に征士もいた。
妹は最初とても意外そうにしていたが、兄の意志が固いことを知ってそれを応援してくれた。


ハンターになるには都市部にある士官学校へ入り、そこで資格を得る方法と、地方で採用試験を受ける方法の二通りがある。

主要都市はコロニー上に全部で100近くある。嘗て星で生活していた頃の、各国の首都のようなものと思えばいいのかも知れない。
数が減っているのはそれだけ人口の減少と、そして連邦政府に名を連ねていない場所がまだあるという事だ。
都市それぞれには代表として議長が在籍しており、それを中でも最重要とされる、連邦政府の中枢がある都市にいる総長が纏め上げて、政府は成り立っている。
勿論、都市部それぞれに士官学校はあるが、やはり連邦政府本拠地のある都市のものが最難関だった。

地元を離れる気のない征士は、勿論、地元での採用試験を選んだ。
士官学校へ入れば本部にあるベースの他、主要地区で所謂エリートとしてのハンター採用の可能性がある。
しかしそれは唯一残った家族である妹を大事に思っている征士には避けたい話だ。士官学校へなど入るはずがない。
妹が結婚でもすれば話は変わってくるかもしれないが、今のところ予定は無いし征士の気持ちも変わる予定がない。
地元を愛している征士は、此処を離れていく気などさらさらなかった。

尤も地方で採用されたところでハンター不足は地方でも都市部でも同じで、どちらかと言うと危険度の高い本部が特に不足しており、優秀なハンターは何処に居ても声がかかるというのは聞いていた。
だから悪いことだとは解っていながらも征士は少し手を抜いて試験を受けた。
それでも充分通用する能力はあったから、彼は晴れてハンターになる事が出来た。


そんな征士にある日、研修で本部に来いというお達しが届いた。


「研修…?」


4年も経って今更?と首を傾げたが、支部長は、まぁ本部でちょっと厳しいお仕事を経験してくるだけじゃないか?と笑っていた。
なので征士もまぁその程度なら…と軽い気持ちでソレを受けた。



本部の建物は大きく、定期便発着場を降りたばかりなのにすぐに建物が見えた。
だが驚くのはハンターベースだけのことではない。
街全体が広く華やかで煌びやかで、そして喧しい。
何をそんなに急いでいるのかと思うほどに人は急ぎ足で、そして他人に対して全く関心を払わない。
勤務中と見られる人物は兎も角、ただ買い物を楽しんでいるようにしか見えない若い女性まで自分の事にしか興味がないのには
征士は目を白黒させた。
擦れ違い様に手荷物がぶつかっても誰も気にしないのだ。
すみません、だとか、ごめんなさい、という声をかけないのは一体何事かと征士は自身に関わりがないのに腹を立ててしまう。

しかし此処で時間をとっていても仕方がない。
征士は荷物を持ち直すと本部へ向かって歩き始めた。




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征士26歳。都市部でも見た事もないような美形(田舎者)が、交差点で狼狽えたりするんです。