スペース・ラブ



征士が生まれ育ったエリアは、どこまでも平原が広がる長閑で牧歌的な土地だった。
都市部に比べれば不便で刺激もない、だがゆったりとした時間の流れる美しい土地は、都会に憧れて出て行く若者は確かにいたが、
代わりに癒しを求めて都会から移り住んでくる者達もいた為、過疎化にはなっていない。

近隣の者とは勿論、エリア内で一番遠い人間関係でも「知り合いの知り合いの、知り合い」程度に納める事が出来るほどに、誰もが親しかった。
商店はどこも朝は9時に店を開け夕方の5時になれば店仕舞いをするその暮らしを、都会に住む、年に1度か2度しか顔を合わせない従兄弟は
顔を合わせるたびに信じられないと驚いて見せた。
そもそも彼からすれば、一番近い店でも歩いて15分ほどかかるというのが信じられないらしい。


「急にアイスが食べたくなったらどうるすんだよ」

「ゆっくり歩いていけばいい。途中の景色も面白いから」

「見るものなんて何もないじゃないか。それに夜中に急に新しい漫画が読みたくなったらどうするんだよ」

「明日には店が開くからそれからで充分だろう?」

「待てなかったら?」

「待てない理由がないだろう。どうせ放って置いても時間は進むんだ」

「遊ぶのもどうするんだよ。ゲームセンターも何もないぞ此処は」

「川がある」

「川なんかで何するんだよ」

「川に行けば釣りが出来るし、釣りに飽きたら川で泳げばいい」

「それに飽きたら?」

「飽きる頃には家に帰る時間だ」


幼い頃から彼らの会話はいつもこの調子で、噛み合った事がない。
従兄弟に言わせると此処は不便でどうしようもない土地だが、征士に言わせると都市部は忙しなく、息の詰まる土地にしか思えなかった。
法律で都市開発が禁止されている為、店が増えないのは確かに不便なのかもしれない。
しかし此処で育った征士からすれば他の土地を知らないから、その便利さなど比較のしようもないのだ。


春には花が咲き、夏が来れば爽やかな風が吹く。
秋には木々が色付き、冬には雪が一面を覆って白く輝く。
生まれ育った土地のどれもが征士の目を楽しませたし、美しかった。
長閑で大らかな性格の者が多いそこは争いごとも、そして犯罪も少ない。

そこでの生活に何の不満もなかった。
大人になれば都市部に出て仕事をするかもしれないが、それでも老後には必ず此処に戻ってこようと思えるほどに、魅力的な場所。
それが征士の生まれ育ったエリアだった。



此処で生活する者だけではなくコロニー全体で見ても大抵”名前”というものは、ファーストネームがあってファミリーネームと続くのが大半だ。
中にはファミリーネームが先になる人種もいたが全体的に見れば割合としては少なく、征士のように漢字を当てた名を名乗る者はもっと少なかった。
こういう名前の法則は星にいた時に小さな島国にいた者の特徴でもあり、そして今その名を持つことは一種の誇りでもあった。
希少種となった島国の彼らはその小柄さも特徴だったが、様々な血の混じり純血種がいなくなった今、
征士のように体躯の立派な者が殆どではあるけれど、それでもその誇りだけは変わらず持ち続けていた。


征士の家は7人家族だった。祖父母に両親、そして征士を含む3人の子供。
都会からすれば充分に大家族といえる人数だが彼らの住むエリアではこれは平均的な数字だった。




夕食は祖母と母が一緒に作っていたが、朝食は主に母が作っていた。
和風を好む祖母と違い、母は洋風のものを好んだから朝食はいつもそういったものが多かったのを、密かに征士は残念に思っていた。
彼の味覚はどうやら祖父母に似たらしい。

朝は家族揃って食事をして、昼は仕方がないにしても夜も家族揃って食事をする。
それはどの家庭も同じだった。
商店を営む家もそれは同じで、だから夕方の5時には店仕舞いをしてしまう。
夜は家族で語らって過ごす大事な時間と言うのがこの土地の概念だった。


その日の夕食後も家族全員でリビングで寛ぎながらテレビを観ていた。
ニュースが流れていたが何と無しに見ては、家族で適当にそれについて会話をする。
大抵のこの時間の過ごし方を、伊達家はそうしていた。

ニュースキャスターが都市部で最近広がりつつある奇病を伝えていた。
眠ったまま、人が起きなくなるのだ。
そしてそのまま何の手立てもなく永遠に目を覚まさなくなる、奇妙な病。
どういう加減か知らないが今のところ人間でしか発祥例がないという、奇病。


「何が原因なのかしら」


2つ上の姉が呟いた。


「さあ?でもあっちには病院や施設も多いからすぐに収まるんじゃないかしら」


母はキッパリと言った。


「この辺にまで広がらなきゃいいけれど…」


不安げに祖母が言うと、


「大丈夫だろう。それにしても都会は怖い事が多いな。やはり此処が一番だ」


と祖父が言う。
このエリアから出た事のない祖父は、二言目にはこう言って都市部を嫌がった。
それを、都市部から婿入りしてきた父はいつも苦笑いをしてやり過ごし、そして穏やかな声で


「都市部も危険ばかりの土地ではないけれど、…でも此処は、此処にしかない贅沢が多いのは確かだな」


と笑って言うのに、征士はいつもどちらの意見にも同意していた。

征士の父は生まれも育ちも都市部だったが、そこではのんびりとした性格と言われていたらしい。
此処では全く持って標準的な性格だと思うので、恐らく彼には此処が似合いなのだろう。
それに比べると母親はどちらかと言うと気が強い性格だった。
子供の頃はお転婆で手が付けられなかったと祖母が言えば当の母は照れたように、昔のことでしょ、と言う。
昔どころか今でもじゃないかと征士は思うが口にした事はない。気の強い母に余計な事は言わない方がいいのだ。
それは姉にも言えたことだった。
母の若い頃に姿も、そして声も似ている彼女は中々に厳しい性格で、事ある毎に征士に向かって男でしょう!と叱り付けて来る。
お陰で征士は姉が少し苦手だったし、あまり女性に対しても積極的にはなれなかった。
因みに6つ下の妹はそんな上の兄弟を見て育ったせいか、随分と要領のいい性格に育っている。



また別の日の、それは朝のことだった。
奇病の元となっているウィルスが、テロリストたちによってばら撒かれたという内容のニュースが流れた。
その時も以前と同じように都市部はおそろしいという話になって、あとは関係のない話で終わった。
メディアが流す情報というのは同じコロニー上で起こっている事なのに、いつも何処か遠い別世界の事のように感じていた。
それ程に此処は平和で、穏やかで、幸せな毎日が続いていた。

また、別の日だった。
例のウィルスが何処で発祥したものか、ある研究者が特定したというニュースだった。
人間にしか発祥しないと言われていたソレが何故かあるラットから発見され、それを解析した結果、随分と離れた星から持ち込まれた
可能性が非常に高いという。
そして研究者が1人、それから万が一テロリストの妨害に遭った時の為にハンター6人がそれを解明するべく宇宙へと出て行く事が決まったという
内容だった。


「ハンターも大変ねぇ」


母が他人事のように言う。

征士の故郷にもハンターベースはあったが、あまり歓迎されてはいなかった。
元々諍い自体が起こりにくい土地で、その上顔見知りが多い土地となれば外からの犯罪者も入り込みにくく、ハンターの必要性が
あまり感じられないのに、彼らは強力な重火器を持っているのが住人には却って脅威になっていたからだ。
征士もハンターに対してあまりいい感情を持っていなかったが、それはこういう大人たちを見ていたからなのかも知れない。


毎日は同じことの繰り返しのようで、それでもいつだって楽しい時間が子供達を待っていた。
学校からの帰り道に少し寄り道をして川で遊び、草原を駆け回り、夕方になればそれぞれ家に帰っていく。
帰ってからは家の手伝いをしたり、下の兄弟の面倒を見たりするのがこの土地の子供達の毎日だ。
穏やかで楽しくて忙しくて、幸せな毎日。



ある朝のことだった。
洋風好みの母がその日の朝に作ったのはガレットで、それを食べながらニュースを見ていると、それは流された。

先月、ウィルスの解明に乗り出した研究者達を乗せて宇宙へと発った船が、マシントラブルを起こしてしまい進むことも、戻ることも出来なくなった。
動力を完全に失ったそれは、宇宙空間を不規則に、ただ流されるように漂うしかない。
中に乗っている彼らは自らの命が尽きるのをその中で待つより他に手がなくなってしまったのだと、ニュースキャスターは伝えた。

その彼らの姿が映像として映される事はなかったが、ニュースを読む時と同じように彼女は淡々とした口調で乗組員の事を話し始めた。
戻ってから式を挙げようと恋人と誓っていた若いハンターのこと、出発直後に孫が生まれたハンターのこと、
実戦経験は少ないがエースとして期待されていた者、妻のお腹に出来た新しい命を心待ちにしていたハンターのこと、
古い考えの両親に漸く同性の恋人の存在を受け入れてもらったばかりのハンターのこと。
そして、あるハンターは同じく船に乗っている研究者の妻であり、そして夫婦にはもうすぐ12歳になる1人息子がいるという事を。
その息子には兄弟はおらず、彼らは親子3人で暮らしていたが為に少年は1人ぼっちになってしまったと、他よりも強調した口調で
モニターの中の彼女は告げていた。
椅子に座って手を組んでいたコメンテーター達が口々に、その少年の事を可哀想にと憐れんだ。

それが征士には何だか気に入らなかった。

確かに自分と同い年のその少年は、可哀想かもしれない。
両親を同時に失うのだ。それも、今はまだ生きているのに、これから死んでいくことが前提で話を進められている。
捜索すれば間に合うかも知れないのに、そんな話は一切せずに誰も彼もが彼を可哀想だと言った。

彼は充分に哀れだし、傷付いているだろう。
しかしそんな言葉を無遠慮に投げ掛ける方が残酷だと、幼いながらも征士は憤りを覚えていた。


少し乱暴にガレットを食べ、不機嫌に席を立って学校へ行く準備をする。
だがその気持ちも学校へ着いて友達と遊ぶ頃にはすっかり薄れてしまっていた。
それほどに都市部の出来事というのは、此処では遠い世界のことだった。


木々が色付き始める季節の、日中ならまだ半袖で充分に過ごせる季節の出来事だった。




*****
征士12歳の頃。