スペース・ラブ
あの後、皐月は定期便の発着場まで当麻を見送ると言って同行していた。
次の定期便まで30分ほどある。
田舎だから定期便が少ないのは仕方がないとしても、相手のいる女性を引き止めるのもあまり良くないと思ったが、
それは皐月自身がそうしたいのだと言ってホームに残り他愛無い会話に花を咲かせる。
2人並んでベンチに腰を下ろし、ホームで買ったコーヒーを飲む。
田舎のこと都会のこと、征士のこと、皐月のこと。
当麻は自分の事は話さないかわりに、沢山の事を彼女から聞いた。
皐月の命は”スペース・ラブ”で助かったというのは当麻も既に知っていたことだったが、それは黙っておいた。
征士から直接聞いた話ではないのだから、少し後ろめたい。
「ベースの人で、それも結構偉い人相手に言うのもちょっと気が引けるんですけど、私、実は
”スペース・ラブ”って俗称、あんまり好きじゃないんです」
申し訳無さそうに、しかしいたずらっ子のように笑って彼女は言った。
「俺も」
当麻も同じように笑っていたが、それは本音だった。
アレには”T-54739451型”という正式名称があるのだ。
開発者としては綺麗に数字が並んでいるというのに、どうしてそう安っぽい名前をつけるのか。
…いや、その名前の由来は当麻だって知っている。
知っているからこそ、好きになれないのだ。
「世間では何か持て囃されてるけど、もっと大事にしてあげたい名前じゃないですか」
「正式名称が?」
「ううん、”スペース・ラブ”が」
真剣に語る彼女を見ていると、本当は彼女は全て知っているのではなかろうかと疑いたくなる。
話してくれる内容や言い回しから見ると、彼女の中での当麻というのは、本部からきた偉い人で兄と仲良し、という
程度の認識なのだとは思うのだが、しかし実際はどうなのだろうか。
当麻がその開発者だと知って、それで敢えてそう話してくれているのだろうかと思えてくる。
「……そう」
「ええ。………当麻さんは、ご家族は?」
やっぱり…知らないのだろうか。
そうだといいなと心のどこかで当麻は思った。
親の事を知って、その上で優しくされるのではなく、一個人として自分を見て欲しい。
そういう欲求は昔から密かに持ち続けていた。
「俺の家族は……」
ならばどう答えるべきだろうか。
疎遠だと嘘を吐こうか。
しかし彼女に嘘を吐くのは、伸やナスティに嘘を吐くのとはまた違う感情で嫌だと思った。
「実はとっくに他界してるんだよ」
「え、」
「いや、ちょっと仕事上のことと、あと病気で」
「……それはごめんなさい、…」
「いや別に謝らなくっていいよ。しょうがないし、皐月さんは知らなかったんだし」
「そうだけど……でも、…そうですか。それぞれにお仕事での事故と、ご病気ですか…」
どうやら1つの事柄としては捉えなかったようだ。やはり知らないのだろう。
それに少しだけ安心して当麻は笑った。
「でももう大丈夫だよ」
「どうして?」
「皐月さんのお兄ちゃん、優しいから」
当麻自身、自分でも素直にそう言えた事に驚いてしまったが、その感情より先に笑いが出た。
つられて皐月も笑う。
「お兄ちゃんって当麻さんが思う以上に現金な性格ですよ」
「そうかな?」
「だって必死に映画探したり…当麻さんから聞いたお兄ちゃんの評価だと、他と明らかに違いすぎますもん。
お兄ちゃん現金。当麻さんのこと、露骨に好きすぎると思う。正直すぎるって言うか」
「そうかなぁ…そうかもな」
言われてみればそうかも知れない。
でもそういう奴は嫌いじゃない。
「でも俺も、大概だ」
「そうですか?」
「うん」
自分勝手に傍に居て欲しいだの一人にして欲しいだの思っておきながら、結局征士が傍に居ても文句を言わないし、
傍に居なければ寂しいと思ってしまうのだから。
「皐月さんの旦那さんは?」
「え?」
「優しい?」
「ええ」
お兄ちゃんと大違いで、と言うとまた2人して笑った。
そこに定期便がやってくる。
当麻は荷物を持って椅子から立ち上がった。
皐月もそれに続く。
「それじゃあ、皐月さん、色々ありがとう」
「いえ、そんな。…それじゃあ、お気をつけて」
「うん、ありがとう」
音を立てて開いた扉の中に入る。
そして当麻はもう一度皐月の方を振り返った。
「あのさ、」
「はい?」
「その……征士って、本当に人の嫌がることって、しない?」
「しません、絶対。これは誓って言えます」
「そう、…ありがとう」
会話の終わりを待ったかのように、扉が閉まった。
音を完全に遮断する扉からは、もう皐月の声は聞こえない。
口を動かして何か言っているようだが、何も、一言も。
けれどその口が、お兄ちゃんをよろしくお願いしますと告げているのは解る。
当麻はそれに首を縦に振って応えた。
取っておいた席に深く腰掛けると、一気に力が抜けた。
目を閉じて考えるのは、征士のことだ。
あの土地の人は皆優しかった。
けれど征士はそこでは厳しい人間だったらしい。
その彼が、ちょっと身勝手な自分でも嬉しいと思えるほどに優しくしてくれる。
その理由は彼の妹が大きなヒントをくれた。
そして彼自身の行動を思い返せば、それは完璧な答えになる。
男は、願い下げ。…だったのになぁ。
目を閉じたまま当麻は少し笑った。
あんなにも魅力的な人間に特別扱いされているうちに、どうやら自分の頑固な考えも変わってしまったらしい。
そう思うと笑えて仕方が無い。
寂しかった。ずっと寂しかった。
両親を亡くしてから当麻を見る周囲の目は、どれもこれも憐れみを湛えていた。
可哀想な子供。尊い英雄の、一人残された子供。
そんな目はいらなかった。
自分は彼らの子供だが、それと同時に確固たる自我のある1人の人間だ。
それを無視されたようで腹立たしかった。
”親に会いたくて”自身も政府で働くことを望んだ。
士官学校へ入り、最初の取っ掛かりとしてハンターを目指した。
その傍らで親譲りの頭脳を活かした。
すぐに採用は決まった。
そこでも周囲の目は変わらなかったがもうそれらは無視する事に決めていた。
どうでもいい。そう思い続けてきた。
自分にはするべき事がある。それ以外は、どうでもいい事だと思い続けてきた。
親は見つかった。だがそれは同時に全人類の希望を見つけたに等しかった。
そして、…自分の絶望でもあった。
ずっと、寂しかった。
若くして地位を得たし、賞賛も得た。
少なくとも大抵の人から嫌われはしなかったし、妬まれることはあっても周囲は解ってくれていた。
ただ、自分の寂しさだけは誰にも解ってもらえなかった。
否、解ってもらえなくて当然だ。
傍に居て欲しいと願うくせに、一緒に居ると今度は居心地悪そうにするのだから、相手はどうしていいのか困惑するばかりだ。
そんな自分だから、どうしようもなかった。
でも征士は違った。
傍に居てくれる。そしてそれが苦にはならない。
それでも最後まで引っ掛かっていた事も、今ではもうどうでも良くなっていた。
だって征士は人の嫌がることをしないのだ。
だったらあの夜の事は、きっと自分だって嫌じゃなかったはずだ。
いや、恐らく、多分、きっと、あまり認めたくはないけれど、自分から誘った可能性だってある。
そう考えてみても、嫌だと思わないという事は、きっと自分はもう。
「……ビリー・ビリーだったか」
渡されたディスクを眺める。
これを口実に征士を部屋に誘ってみるのもいいかも知れない。
彼が頑なに部屋に来る事を拒んでいる理由は今でもよく解らないが、真面目な性格だから彼なりの考えがあるのだろう。
けれど彼の気持ちももう解った。自分も気持ちも、固まってきた。
じゃあ、もういいか。
相手が男でも女でも、征士は征士だ。
だから、もう拘ったり迷ったりしなくて、いいか。
征士が本部に来てからというもの、彼がべったりとくっついているせいで声をかけられる事は減ったが、当麻はそれなりにモテる。
寂しいと思えば一時期はそれを凌げる程度には相手に困ったこともない。
長時間過ごすのは苦手だが、口説くぐらいはお手の物だ。
覚悟してろよ、なんて此処に居ない美丈夫を思い浮かべて不敵に笑ってみせる。
窓の外を見ても、定期便は地下を通るために何も見えない。
自然や風景を守るために地上にあるホーム以外は全て地下だ。
万が一の事故にも対応できる経路は全て確保しているために問題はないし、直線で土地を結べるから何処へ行くにも早い。
流石に今回は遠い土地だったために移動に2時間ほどかかるが、それでも星での反省を色々活かした結果だ。
もうあと1時間もしないうちに定期便は都市部に入るし、ホームには本部からの迎えが来ているはずだ。
その迎えも、恐らく征士の可能性が高い。
心配性の彼は今回同行できない代わりに朝も送ってくれた。
もうすぐ会えるのか。
そう思うと途端に心臓が跳ねた。
「…………あれ?」
ドキドキと力強く脈を打つ。
何だか熱が顔に上ってきたようで息苦しい。
「…あれ?」
あった筈の余裕が急に底を尽きた。
その代わりに、どうしようという言葉がなみなみと注ぎ込まれていく。
征士に会う。
もうすぐ、征士に会える。
そしたら妹のことを話して向こうでのことを話して、そしてディスクを見せて、口説くだけ。
…の、ハズなのに、どうしていいのか解らなくなってくる。
「あれ……??」
どうしよう。
会いたいのに、会うのが嫌だ。
どうしよう。
どうしよう。
車両の入り口についているモニターは次の停車駅を表示している。
そこを越えれば次はもう当麻が降りる駅だ。
「え、…あれ…?」
喉が渇いてくる。
知らず握り締めていた手は汗ばんでいる。
脈は速くなったまま戻ってくれない。
「…………わああ」
何気なく見た窓に映っている自分の顔が真っ赤な事に気付いて、当麻は情けない声を上げた。
もうすぐ次の停車駅だ。
そこを出れば、次はもう。
何を言えばいいんだろう。
どんな顔でホームに降りればいいんだろう。
ディスクはどうしよう。絶対に受け取ったか聞かれる。
どうしよう、どんな顔で会えばいいのだろう。
それよりもマトモに顔を見れるんだろうか。
人気のない車両の中で1人、当麻は落ち着きをなくして残りの時間を過ごした。
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30歳、狼狽える。